『告知』(3月1日)
「本日阿佐ヶ谷ロフトで野球のトークライブがあります。
マシンガン打線トークを炸裂させますのでお時間がある方はぜひ!」

『ラジオ&公開ラジオのお知らせ』(3月3日)
「いつの間にかレギュラーになりました『ラジオすみましん』が更新されました。
3/11には公開ラジオ『どうも、すみましん』も開催します。チケットが残り僅かのようです。お時間ある方はぜひ!」

『モノより思い出』(3月4日)
「知らぬ間に解決されてしまったことは、一体どの時点で終わったのだろう。僕は昨年一年間、頭の中が
ICレコーダーで一杯だった。どれを買おうか、どれが使いやすいのか、どれが評判がいいのか。電気屋さんにも
通い詰めたし調べまくった。結局どれも買わなかった。今はほぼ興味がない。でもきっと僕はモノが
欲しかったのではなく、録りたいものがなかった(またはなくなった)のだと思う。僕は何をそんなに録りたかったのか。
クリアな音質で何をそんなに残したかったのだろう。どの時点でICレコーダーはいらなくなったのか。
記録をしたくないと思ったのか…。でもいろいろ考えたらiPhoneを買ったじゃないか。レコーダー機能充実ですよ。
何か録りなさいよばか」

『アウト!』(3月5日)
「何かヒントは隠されていないかと思って『三塁手ファインプレー集』という動画を見ていたらセーフが多かった。
でも昔の審判の方はオーバーリアクションで素晴らしいと思う。説得力よりオーバー。アウト!アウト!アウト!
ちなみに『退場〜!』も好きだ。ストライクとかボールとかが英語なのに『退場』ってと思う。あれは日本語でしか
味が出ないと思う。野球はいいなぁ」

『ノート』(3月6日)
「文房具屋さんに行くと高級ノートが売っている。カッコいいな〜と思うけれど買わない。むかし4500円くらいする
ノートを買って嬉しくて嬉しくて一緒に寝たけれど、結局一文字も書かなかった。あまりにお気に入りだったので
何かを書くのがもったいない。高級な言葉ばかり書かなきゃいけない気がして駄目だった。ボルドーとか恒久的喪失感とか
ヒルズに21時、とかそんなの書けない。これじゃあノートの意味がない。ということで最近は150円くらいのノートを
買っている。中身は冗談と落書きばかり。いつかこのノートが役に立つ日はくるのだろうか…」

『せいこうさん』(3月8日)
「CSテレ朝の『ジャガイモン』収録。1分2分と短いネタの時代に20分も時間をもらって講義をさせてもらった。
いとうせいこうさんのツッコミが入るたびこの世界に入ってよかったと思う。シティボーイズさんと一緒に出ていた
『真空報告官大運動会』が大好きなので今日はDVDを見て寝よう。あ、でもその前に明日新ネタなので一人稽古だ。
どうにか寝ながらセリフは入らないものか。寝稽古。寝練。ベ平連」


『打ち上がる』(3月9日)
「太田プロライブ。終了後、上島さん、肥後さん、スギさん&みんなで朝まで打ち上げ。3回くらい腹がよじれる。
記憶した方が後で便利なのだろうけれど、笑いすぎて出来なかった。覚えているのは上島さんが糖尿コールを受けながら
焼酎をぐびっと飲み干し、『松田優作になりたい』と言っていたこと。そんな上島さんを見て肥後さんが『サムライ』と
小さな声で呼んでいたこと。あとおもしろいことがあと100くらいあった夜ですが、思い出せそうもないのでもう寝ます」

『雪』(3月10日)
「中野でライブ。合間に月見そば。雪の中少し散歩。傘が壊れる。こんな寒い日に来てくれたお客さんに
ありがとうございます。終了後モスで時間をつぶし、ひとり上野へ。今回のダイヤ改正でいなくなってしまう
『北陸』&『能登』に会いに行く。北陸は車両点検が長引いて23:03→23:55の発車。終電ギリギリで危なかったけれど
お疲れさまは言えた。でも芯まで冷えた。3月なのに厳しい攻めだ。家に帰り明後日のライブで披露する
ランニングマンの練習。まだ原理がわからない。いやダンスは原理じゃない。感覚(フィーリン)だ!
という原理がわかったので寝てしまおうかと思う」

『明日はダイヤ改正&佐野元春さんの誕生日』(3月12日)
「ラジオすみましん公開ライブ終了。急なランニングマンのやり過ぎでモモが筋肉痛。今日はおとなしく。
できるかな。ダイヤ改正の前日は忙しいものですからね」

『大きい先輩』(3月14日)
「土田さん&風ちゃんで古坂大魔王さんの単独ライブを見に行く。古坂さんは舞台上にこれでもかと
やりたいことをぶつけていた。大人の好き勝手が炸裂していて、終了後の楽屋で会った古坂さんは晴れ晴れとしていた。
大きい方なので余計にオーラがあった。ご挨拶をした後、土田さんに焼肉をご馳走になる。語りながらの肉、
語りながらの野菜。閉店になるまでたくさん話をしてくれた。先輩と話すと、太田プロに入ってよかったと思う。
店を出て土田さんを見送る。新宿を堂々と歩く土田さんも、やはり大きかったです」

『太田プロライブin名古屋』(3月15日)
「名古屋のみなさーん、3/17に名鉄ホールでライブをやりますので、お時間ある方はぜひ遊びに来てください。
岐阜の方も三重の方も静岡の方も待っています。1000人入るらしいので!」

『名古屋日記』(3月19日)
「太田プロライブ宣伝部長として前乗り。1日目は6:50の新幹線に乗って名古屋へ。3局の生放送に出て夜は
名鉄ホールでライブのMC。バタンQで2日目は朝から3局の生放送。再び名鉄ホールに入り、下の階で北海道物産展を
やっていたので海鮮丼。名古屋っぽくないけれどお腹が求めていたので大満足。昼寝をしているとすぐに太田プロチームが合流。
楽屋で延々とおしゃべり。夜はライブで結婚相談所の名古屋バージョン。お客さんもたくさん入っていてホッとして嬉しかった。
帰りの名古屋ホームできしめん。毎日これでもいいくらいあっさりしていて美味しかった。帰りの新幹線、ビール。隣りがおかもとまり。
僕はずいぶんと分別臭いおじさんになってしまった気がした。夜遅く帰宅。ドッタバタ名古屋。でもすごく楽しかった。
朝のテレビ局で外を見たらすごい風だったのがなぜか一番印象深いシーン。思い出ってどこを覚えているかわからないものですね」

『東京日記』(3月20日)
「原稿、打ち合わせ、ネタ見せ、原稿。まだまだ夜は寒い。昼を取るか夜を取るか。服が難しい。
やることがいっぱいでエレカシのDVDがまだ見れていないけれど、それはまたご褒美として。
たんまり時間を空けて正座して見たいです」

『合戦』(3月21日)
「ケータイ国盗り合戦〜春の宴〜のMC。ホテルの大会場にて。みなさま存分に濃くって安心しました」

『ベイ』(3月22日)
「昼が休みだったので東京Dでオープン戦を観戦。もちろんG−YB戦。高橋由選手の打球に恐ろしさを感じる。
HRを含む3打数3安打で交代。交代要員がイ・スンヨプ選手で再び恐ろしい。どんだけ厚いんだろう。でもGが
強い方が倒し甲斐がある。何せ昨年は巨人戦で6勝18敗。今年はせめて8勝といきたいです(往年の弱気体質)」

『死ぬ』(3月23日)
「打ち合わせ→ライブ。帰りの駅前で若者が昼の薄着を悔いて『うーさみー。死ぬ』と言っていた。
たしかに夜は寒いけれどそんなことで死んだら人生が何度あっても足りないよ、と普通のことを思ってしまった。
道すがら、それとも若者は毎日仮想死を繰り返すことで、意識的に死を遠ざけようとしていたのだろうかとも考えた。
いや、逆に死という現実を言葉化することで、彼なりに早めの覚悟と容認を同時にしていたのかもしれない…。
…意味がわからない。どちらにせよ僕ももう少し若かったら死ぬ死ぬといっぱい言っていたと思います」

『若さん』(3月24日)
「平成生まれ?若っ、などと言ってしまいますが、僕らも『まさかの昭和50年代生まれ?若っ』と
言われていたはずです。当時若っとは言わないか」

『はじまった』(3月27日)
「プロ野球開幕。わがベイスターズ、タイガースに完敗。というか今年の阪神はかなり強いんではないですか?」

『湧き出るように』(3月28日)
「目薬をよくなくします。でもよく探すと急に3つくらい出てきます。謎です」

2010