ドラゴン→吉川 第五信(復)イアン・ソープに嫉妬して

 吉川くん元気ですか? なんだかずいぶんと間が空いちゃったけれど。そしてそのあいだに夏がもう終わりかけているけれど。どんな風に過ごしていますか?

夏の公園にて 一週間前には木の上の方から聞こえていた虫の鳴き声も、まるで地面に落ちたみたいに、もういまではどこか目に見えない草むらから聞こえるようになっています(でも部屋の中にいると頭のすぐ後ろで鳴いているみたいに聴こえる)。四季というのは気温の変化だけじゃなくて音の変化でもあるんだね。暑さのピークと比例するようにしてうるさいほど頭上から降り注いだ蝉の季節が終わると、今度は虫の声は断然か細く地面から立ち上るように響く秋となり(でもけっこう大きな音ですよね)、やがてそれも地中に吸いこまれるようにして無音の冬がやって来る。気温と虫の鳴き声とのあいだには、ぼくたちが想像するよりも密接な繋がりがあるみたいだね。気温が下がるにつれて音の出所も大きさも下がってゆく虫の声は、季節を計る「音度計」とでもいうようなものかもしれない。空からすべてをふわりと包むようにして、だんだん冬は地上へ降りてくる。ゆっくりとした動作で巨人が地上にシーツを敷こうとしているみたいに。そんな冬のシーツの下で「音度計」の目盛りは限りなくゼロに押し下げられ、巨人が眠りから覚めるまでのあいだ、ぼくたちは冬に閉じこめられるわけです。

 だけどそんな風に静かな季節でさえ、ぼくたちの靴の底がかさかさと踏みしめる落ち葉が歩道には敷き詰められるし、ぱりぱりと心地よい音を立てて割れる薄い氷が水たまりに張る朝もある。その上を歩けばざくざくと音を立てる雪が積もる日も、この東京では稀少価値を保ちながらあるわけで、まったく音がなくなるということは考えられないし、その季節に固有の音をそれぞれの役割でしっかりと立てていくわけです。いわば虫と人間とで分担して。とここまで書いてみてぼくは想像するわけだけど、もしかしたらいままで一度だって音がなくなったことはないんじゃないのかな。地球上からは。地球ができたときから。いつでもどこかでなんらかの音が鳴っていたんじゃないかな。谷川俊太郎の「朝のリレー」みたいに、ぼくたちは「音のリレー」をしているんじゃないかな。そう考えると、暴走族とか車の騒音とか家を建てる音とかにも寛大な気持ちになれる気がします。ああいうのはああいうので、なくなってみると寂しいのかもしれない。ふだんは「どう考えてもうるさいだけだ」とか「いっそのことこの世から自動車が消滅すればいいのに」とか、わりとぼくは思っているんだけど、車は、あれ、虫と思えばいいんだな。攻撃的な音でうるさく鳴きながら、すごいスピードで走る虫。

 というようなわけで、だから冬はなるべく歩き回った方がいいということになります。虫たちはコートを着ることができないわけだから。鼻歌でもうたいながらだとなおいい。ぼくもちょっと吉川くんみたいに散歩でもしようかなと思っています。世界に優しい音を絶やさないためにも。ぼくの場合はなんか散歩というよりはどっちかというとトレーニングといった方がいいような感じになっちゃうんです、気がついてみると。3時間自転車こいだり。ふだん電車で行くところをわざわざ歩いて道に迷ったり。あてもなく住宅街をさまよったり。ぼくはどこまでも行っちゃうんですね。ぜんぜん知らないところを。まったく意味もないのに。でもほんと吉川くんも書いていたように、フリーフォールのような「冷め」が突然来て、「だめじゃん。こんなとこまで歩いてきたら。つーかどこだよ。ここ」と行きの自分と帰りの自分が違う人間であるかのように帰路につくわけです。あれはなんなんだろう。とにかくそのへんをちょっと散歩してきます、という感じで落ち着いて、統一された人格で散歩を楽しみたいものです。

渚にて そういえば前回、吉川くんは給食を食べたことがないということでした。吉川くんはたぶん給食って食べたことないだろうなとは思ってたんだよ。「吉川くんはたぶん給食食べたことないだろうけど」っていう一文をいったん書いたんだけど、結局は削ったのでした。やっぱり食べたことなかったんだ。でもそれって貴重な経験、というか、その未経験は貴重だと思うよ。コントに生かせるかどうかはわからないけれど。それと吉川くんの行ってた学校の水泳が厳しいというのはなんとなく聴いたことがあったよ。でもあらためて、「千葉・館山へ5泊6日の、地獄の遠泳合宿」なんて見ると、もう読んだだけで溺れ死にそうなくらいだ。車にはねられた瞬間に「これで館山見学だ」と思ったというのは、なんともリアリティのある話だなあ。

 あんなにプールが嫌いと前回書き散らしたぼくですが、でもたぶん本当に本当はプールに入りたかったんだといまでは思うよ。泳ぐのってとても気持ちいいもんね。ぼくがこの何年かでいちばん嫉妬したのは、シドニーのときのイアン・ソープだったんです。あのときのイアン・ソープはほぼ完璧でした。もうスイミング・クラブに入会しようかと思ったくらいだった。だってもう悔しくて悔しくて。ちょっとおもしろいけどね。イアン・ソープに嫉妬して、スイミング・クラブに行こうとする人なんて。もともとぼくはあだち充の『ラフ』という漫画が好きだったのです。それをはじめて読んだときもスイミング・クラブに通おうかと思った。ぼくは何年かに一度、スイミング・クラブに通いたいと思うみたいだ。ぼくは水泳の上手な人を尊敬するし、水泳選手から漂うあの清潔感みたいなものは、もう神々しいくらいなものです。だって水滴が流動する宝石みたいに見えるもの。彼らの足下には宝石の水たまりができるわけです。ちょっと美化しすぎだけど。でも人間は全員水の中で生活すればいいと思うよ。水泳選手はみんないい人っぽいから、きっと水の中にいればいい人になるに違いないよ。

 とにかく4年前の夏はイアン・ソープに嫉妬していたのです。ものすごくコンプレックスを刺激されていたわけです。でも今年のアテネでは、もうソープはぼくを嫉妬させるほど輝いてはいなかった。それは一目見ただけでわかりました。はじめは「なんか悪い顔になっちゃったな、どうしたんだ」と思ったんだけど、あれはきっと大人になったということなんでしょうね。まあオリンピックの代表になるときにもいろいろあったみたいだし。まあそれでも金メダル2個だから十分すごいんだけど。でも今年は正直いってスイミング・クラブに通いたいとは思わなかったですね。はい。

 で、吉川くんはスイミング・クラブならぬクラブには行きましたか? 相方に連れて行ってもらいましたか。それともまだ行ってないのかな。ぼくはいちおう行ったことありますよ。たぶん10回も行ってないと思うけど。もしあれだったら今度いっしょに行ってみましょうかね。ぼくはわりとでかい音が鳴ってるのって好きです。ぼくの実家には一個60キロのスピーカーがある部屋があって、そこでよく飲み会をしたものでした。酔っぱらってくるとだんだん音を大きくしていっちゃうんだよね。夜中なのにとんでもない音を鳴らしてたと思うよ。よく苦情が来なかったなと思います。ボリュームを最大にしたら家が壊れそうなスピーカー。

ハッチン というわけで、また会いましょう。というか明日会うんだよな。考えてみれば。ハッチン、楽しみにしていますよ。それじゃあね。

ドラゴン