吉川→ドラゴン 第六信(往)春樹の呪縛
 

 やぁドラゴン往復書簡では久しぶり。返事が遅くなりました。元気でやってますか?
 昨日たまたま坂口安吾と石川淳の往復書簡を読んでいたら、毎回はじまりが「返事遅くなりすまん」という出だしで、あぁそうか、往復書簡ってやっぱり返事遅くなるものなんだ、といい訳臭く変に納得してしまいました。まぁぼくらの往復書簡には締め切りもないし、字数の制限もないし(そのぶんギャラもないから)、のんびりやっていこうじゃない。そしてこのようなぼくらの不規則な手紙のやり取りを、どこかの誰かが覗き見する。そういうのって、なんか素敵じゃないか。

 書きたいときに書く。思いつきでばんばん書く。結果的に返事になっていなかったとしても気にしない。とにかく好きなときにボールを投げる。それが一番だと思います。

ガラガラ神宮球場 先日野球を見にいってきたよ。神宮球場、横浜ベイスターズVSヤクルト。超ガラガラ。ぼくはベイスターズのファンなのでレフト側に陣取って見ていたのだけど、もうベイスターズがひどい。9回表まで3対2で勝っていたのに、裏に1点返されて、同点。延長戦に入って、五十嵐に156キロとかをびっしびし投げられて手も出ず。11回裏にラミレスに打たれてサヨナラ負け。あぁ弱かった。往年の大洋ホエールズをほうふつとさせる弱さだよ。でもなんか懐かしい弱さだった。「だめだなぁ!」と天を仰ぐカタルシス。最近6年くらい強かったから、まぁいいかと思うけれどね。
 まぁそれはいいとして、ぼくの前に座っていた中年のおじさんがさ、おそらくベイスターズのファンなんだけど、なぜかピンチの場面になると急に新聞をおもむろに取り出して読み始めるの。やべぇ満塁!ピンチ!ふんばれ、門倉!という場面でおもいっきり新聞読んでるの。それも野球面。昨日の記事。目の前でいま正に明日の新聞記事になりそうな場面が展開されようとしているのに、がっつリ新聞読んでるの。野球が全然見えない角度に新聞を立てちゃって、ガン読みしてるんだよね。「ぼくは冷静だよ」とでも言いたいのか、負ける姿が目に耐えないのか、あれはとても不思議な光景だった。みんな食い入るように1球1球「おー!」とか「ふぅ」とかため息をついたりしてるのに、ひとり新聞を立てて読んでる。昨日を振り返ってる。未来のことに興味がない人なのか、ファン過ぎてだめな姿を直視できないのか。世の中いろんな人がいるね。9月の野球場って変な人ばっかりで、ただひたすら踊っている人とか、ベタベタしてる恋人とか、売り子のお尻を見ている人とか、スコアブックを入念に記入している人とか、とにかくあらゆる種類の「世界に没入している人々」が1万人くらい集合していてとてもおもしろいよ。横浜VSヤクルトくらいが無常観というか無意味感があってちょうどいい。昔からこのカードはひどかった。ぜひ一度お試しあれ。

 ってドラゴンあんまり野球興味なかったっけ。次は興味のあるお話を。

アフターダーク 村上春樹の新刊を読みました。「アフターダーク」。ドラゴンはまた1日で全部読んだんでしょ。「ドラゴンは村上春樹の新刊が出ると1日で読破する」。これぼくの中のドラゴン知識のひとつ。
 さて読むのが遅いぼくですが、今回は2日で読みました。なんだろう、あの村上春樹の一気読みは。他の作家の本を読んでいるときとはスピード感が全然違う。あらゆる異種の世界感をすべてシャットアウトしたくなる。というかシャットアウトさせられる。この世のすべてが小説的な出来事のように思える。平凡な動き、例えばなにか物を掴むことにさえ、文字を与えられる気がしてくる。そして、読み終わったあとにまた別の村上春樹の本が読みたくなる。「ダンス・ダンス・ダンス」読み返しちゃったもの。やっぱり好きなんだなぁ、村上春樹が。なんとか春樹離れしようと、太宰とか、鴎外とか、漱石とかを半ば無理矢理読んでいたけれど、やっぱり村上春樹が好きみたい。もちろん文豪ものもカッコいいんだけど、いちばん最初に本気で小説世界に没頭したのが村上春樹だからね。いわばふるさとみたいなものだから。

 風の歌を聴けのあのフレーズ、「一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、“ジェイズ・バー”の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした」から始まった、ぼくの春樹狂い。いまでも「オーケー」と「悪くない」は口ぐせだもの。長嶋も春樹癖があって「悪くない」とよく言うから、ふたりしてコントができたときに「悪くないね」「悪くない」と、まるで主人公の「ぼく」がふたりいるような感じで、どうしようもない。そういえば、大学に入ったときもドラゴンと出会って、風景の全部が村上春樹化したことがあったね。ふたりでビリヤードをして、点数版に「ぼく」と「キズキ」と書き込んで、なぜかドラゴンがキズキ役で、ビリヤードしてる最中にドラゴンがふと気付いて、「…じゃあ俺死ぬじゃん」と言ったのが忘れられません。

 ぼくは春樹があまりに好きすぎて、もちろん全巻を読み、何度も読み返し、「かわいい女の子」ってやつに縛られ、あっちとこっちが行き来しあい、皮を剥ぎ取られ、五反田くん、緑、太った受付の女、間宮中尉、カーネルサンダース、鼠、ぼく、と「どこかにいそうだけど、絶対にいない人たち」の世界に踊らされたのでした。

 そして、「アフターダーク」。最近まで太宰治や坂口安吾らの無頼派にのめりこんでいたぼくにとっては、村上春樹はもはや新鮮だった。無頼派(泥)→アフターダーク(都市)だもの。ずっと「めんつゆ」をすすっていたぼくが、急にモッツアレラチーズ・ピザを食べてそのおいしさにびっくり、みたいな感じだよ。例えは全然合っていないけれども、それくらい面食らったということです。
 最初はふがふがしていたけれど、読み進んでいくうちに、形状記憶合金みたいに春樹の呪縛とも言うべき、あの感じが蘇ってきて、「あぁ、この感じだ。取り戻してきたぞ」とエンジンキーが回り、回りはじめたと思ったら、舞台は渋谷だし、主語が「私たち」という飛んだ視線だし、デニーズとかサザンは出てくるし、装丁は変だし(変というか、現代的ではない)、とにかくあらゆることが新鮮&懐かしくて一気に読んじゃった。

都市の姿だ 感想はいろいろあるんだけど、とにかくぼくは「都市」のことを考えました。都市。人の集まり。無整合な街並み。現代を内包しつつ、あらゆる矛盾を整理して、商業を生み続ける都市。価値観がぐっちゃぐちゃに飛び交っている中での共通の感情。人間たち。今回のアフターダークは視線がやけに遠かった。人に感情移入するのではなく、都市に感情移入していた。これは新しい感覚だったし、村上春樹が次のステージに行こうとしているのがはっきりとわかって、やっぱりすごいなぁと思ったよ。彼がよく言う「小説家であり続けること」の大変さ、すごさをまざまざと見せ付けられた感じがします。時代設定を現代にせざるを得なかった切迫感みたいなものもあった気がする。あとはいろいろ思ったけれど、忘れてしまった。とにかくぼくはおもしろく読んだよ。というかぼくは村上春樹をおもしろく読める自信がある。他の作家の人たちの本は、作家に悪いなぁ、俺読むの下手だなぁと思いながら読むこともあるけれど、村上春樹だけはちゃんと読める。それは作家の力でもあるし、ぼくの力でもあると思うのです。

都市を歩く とにかくぼくは「春樹の呪縛」に縛られながら生きていくことのうれしさを感じたのでした。

 では、また。
 お返事、首をキリンにして待っています。

 おやすみストレンジャー。

ダーリンハニー 吉川正洋