ダーリンハニー吉川「鉄道は私のものではない」

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  フィールドワークの祖、民俗学者の柳田國男先生はこう言っています。

 「旅をある一地に到着するだけの事業にしてしまおうとするのは馬鹿げた損である」。

 鉄道には通勤通学の足としての重要な役割がありますが、もうひとつ「ふらっとどこかに連れて行ってくれる」魅力もあります。久々にあてもなくどこかに行ってみるのもいいかもしれない。

 あてもないのに適した路線はどこだろう。

 …やっぱり鶴見線だ!



路線図の中でも一際気になる存在


 鶴見線は川崎と横浜の間にある鶴見からクシのように伸びた路線。
 工場地帯を縫うように走るため、路線図上とても不思議な形をしています。

 この鶴見線はワンフレーズでは言い尽くせない魅力を持っている路線で、ビッグシティの新宿・渋谷・池袋あたりでは絶対に感じることの出来ないハードボイルド感を携えています。激烈な悲しみや、たまに正反対のやさしいぬくもりを見せてくれます。

 止まっているものが現在進行形で残り、生活と労働を運び、たまにびっくりを見せてくれる。

 関東ではなかなか見れなくなってしまった光景を見せてくれる鶴見線。
 あてもないシリーズ第1弾としては、これだけ適任もあるまい。

 早速ぷらっと行ってきました。
 まずは鶴見駅から乗り込みます。



鶴見線は右


鶴見駅


 ちょっと前までは103系、101系、もっと古くなると国鉄丸出しのチョコレート色をしたクモハ12形など、余裕で博物館クラスの渋い車両が走っていた鶴見線ですが、現在使用されている車両は山手線などで使用されていた205系。古いのがいいけれどこればかりは仕方ありません。



鶴見線を走る205系


 取材当日は土曜日。
 本数は非常に少なく、1時間に2本。

 しかも鶴見線は終点が『扇町』、『海芝浦』、『大川』と三つあり、乗り間違えてしまうとえらいことになります。駅で時刻表をチェックしておかないとすぐに日が暮れてしまいます。

 高架上にある鶴見の駅を出ると、しばらくは京浜東北線・東海道線・横須賀線と並走します。15両編成の湘南新宿ラインがハイスピードで飛ばしていくなか、3両編成の鶴見線はゆっくりとスタート。少し走ると過去に『本山駅』として使われていたコンクリートのかたまりを発見。

 使われることのない廃駅を通過。
 鶴見線に来たぞという実感が背中をぞくぞく這い上がり早くも一度目の昇天。



土休日の昼ダイヤ

終点は3箇所



本山駅跡を静かに通過


 終点のひとつ『大川』にはダイヤの都合上寄れないので(土休日は朝と夜あわせても3本しかありません)、今回は扇町と海芝浦に行くことにしましょう。

 まずは鶴見のお隣『国道』で下車。
 鉄道ファンにはノスタルジーな駅として名高い駅です。



国道駅


 まずそのストレートな駅名。国道が真下に走っているから『国道』。
 新線などでは未来的で洒落た駅名が多い中、ものすごい直球を投げ込む鶴見線。

  鶴見線も元々は鶴見臨港鉄道という私鉄が発祥で(大正15年)、工場からの貨物輸送から始まり、そのうち工場へ行く人々の輸送も開始し、昭和18年に当時 の国鉄に買収されます。鶴見臨港時代からどストレートな駅名を付けており、今ではなくなってしまいましたがその昔は『海水浴前』、『石油』という駅があり ました。すごいですね、石油。「次はー石油石油です」なんてアナウンスを一度でいいから聞いてみたかったです。

 その鶴見臨港鉄道時代の名残ともいえる国道駅。

 鶴見からひとつ乗っただけだというのに、国道駅では時間がとたんに巻き戻ります。



セットのような高架下


真下は国道15号


昭和82年?


 ものすごいムード。 昭和82年とはいつだろう。昭和は63年までで今は平成19年だから…63+19=82。

 え、今年だ!今年は昭和82年だったんだ。
 知りませんでした…。

 国道駅が出来たのは昭和初期。現在でもそのままの雰囲気。
 でも当時にしてはきっとモダンな駅だったんでしょう。
 開通当初の面影が漂う貴重な駅です。

 「国道に寄らずして、鶴見線は語れず」―。

 はやくも二度目の昇天。

 お次は扇町行きに乗り、一つ目の終点に向かいます。
 相変わらずの3両編成。その名もズバリ『昭和』という駅を通過。



昭和


タンクを横切る


 なぜ丸いタンクは魅力的なのか。
 とにかく大きい。丸い。かわいい。昔のウルトラマンではよくこの丸いタンクが怪獣に壊され吹っ飛んでいましたが、子供心にちょっとかわいそうだなと思っていました。

 実際のものを見上げると、吹っ飛ばすのは無理だろうというくらい大きいです。
 丸いタンクの他にも貨物輸送のタンク車が見えます。
 臨海コンビナートで怪獣と戦うウルトラマンを思い出しているうちに、タンクの森をすり抜け、終点の扇町に到着。

 ここは一応終点なのですが、行き止まりの終点感はありません。というのも貨物線がその先に広がっており、線路が広がりを見せているからです。「工場地帯の駅」という風情で、その狭苦しくない奥行きに三度昇天。



タンク車を経て


扇町駅


 はやくあそこに行きたい―。
 扇町を出る頃にはそう思い始めていました。

 もうひとつの終点、海芝浦です。

 ここは鶴見線に乗ったらばクライマックスにもってきたい駅で、工場の煙やタンクローリーや貨物などの人工物を貯めて貯めて貯めておいて、最後に『海芝浦』で発散するのが鶴見線・オブ・ザ・ベスト。再び扇町から折り返し、海芝浦方面へと分岐する『浅野』駅で降ります。

 来たぜ浅野。
 ここも鉄道ファン泣かせの恍惚駅のひとつです。



鶴見線のへそ、浅野駅


送電線と花


  『浅野』という駅名は、この一帯の埋め立てに貢献した浅野家から来ています。『扇町』も浅野家の家紋が扇だったから付いたもの。また、『安善』は安田善次 郎、『武蔵白石』は白石元次郎、『大川』は大川平三郎と、それぞれ地元の功労者。これまたどストレートですね。自分の功績が認められて駅名になるなんて誇 らしいことでしょう。うらやましい。

 浅野駅は「ザ・分岐駅」と呼びたいくらいの惚れ惚れする構造。
 線路はVの字に分かれ、合流地点ではダブルクロスポイント。
 よだれ。

 次の電車はまだ30分後。

 このぽつり取り残された感じにまた昇天。



なかなか出ないこの感じ


ぽつり


バックに工場


 ガガガガガガ。
 しゅしゅしゅしゅしゅ。
 ビューンビューンビューン。
 バリバリバリバリバリ。

 土曜日だというのに、工場は操業中。
 耳を澄ませば金属音に破壊音。

 正直、そろそろオアシスしたい。
 体が超合金になりそう。

 しかしこの音こそが、日本の産業を支えている音。
 その中をひょうひょうと走り抜ける鶴見線はやはりカッコいいなぁなんて思っていると、のそりと海芝浦行きがやってきました。

 またあの駅にいけると思うと、にやけを隠せず。



浅野の黒猫


 鶴見から海芝浦は11分。案外短いのですが、こうやって紆余曲折しあてもなく乗っていると、本数が少ないために70分くらい掛かります。このあてもなさ。途方もなさ。しかし制限された中でグルグル遊びまわるというのもたまには悪くないもんです。

 徐々に左手に海が見えてきます。

 海と併走し、浅野から4分で海芝浦駅到着。

 ホームに降りると間近に海。
 しばらく佇む。

 相変わらずいい駅してますなぁ。



海を走っているよう


海、ホーム、電車


関東の駅百選・認定駅


 この海芝浦駅。海が近いのもすごいわけですが、もうひとつすごいところがあります。

 外に出られない!

 そういえば鶴見駅にこんな表記がありました。



会社用地となっておりますので改札口から外には出られません


  どういうことかというと、この駅はもともと東芝事業所への専用線を買収して開業したもので、いまでも東芝の事業所に用事がない人は駅から出られないという 構造になっています。ほぼ東芝専用の駅といえる訳ですが、これだけロケーションがいいと来たい一般客もいるわけで、そんな人たちには粋な計らいで小さな公 園が設けられています。公園の外には出られませんが、その究極の行き止まり感が再び昇天を誘うわけです。

 終点なのに出られない。
 がっくりとおもいきや、目の前に海。

 実際私が乗った電車にも海芝浦ファンの方が大勢いました。



海芝公園


鶴見つばさ橋を一望


 乗ってきた電車で折り返さないと1時間待ちますが、一本逃してもいいかと思えるほど素晴らしい駅です。



発車時刻はよいか


 ぽけーっとしているうちに陽は落ちて、日没コールド。
 あぁ楽しかった。





 ということで今回はぷらーっと鶴見線に乗ってみました。

 あてもなく乗ってわかったことは、鶴見線が醸し出すノスタ ルジックな残像は、東京の残像ではなく、神奈川の残像だということです。そしてそれらが風化するわけでもなく、リアルタイムでまだまだ動いています。こち らの勝手な気持ちの投影にもしっかりと応え、方や生産を続けている。実際平日の朝の混雑はかなりのものだそうです。たまに私のようなあてのない野郎が来て も、ねじを巻いたり戻したりして喜ばせてくれます。

 そしてもうひとつわかったことは、「老後の楽しみをもうやっちゃてる」ということ。

 こんなおじいちゃんみたいな私もあと2日で30歳。

 85になっても同じことしてそう。




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