ダーリンハニー吉川「鉄道は私のものではない」

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最近思う。そもそも私はなぜ鉄道を好きになったんだろう。

ありがたいことにひとつの趣味である鉄道趣味で、タモリ倶楽部やいろいろな番組に呼んでいただいたり、このバクストでもかれこれ1年以上連載を続けさせて いただいている。鉄道関係のことでいろいろな人と出会うことが出来たし、鉄道ネタもいろいろ出来た。相棒の長嶋くんにも感謝をしたい。

でもそもそも私はなぜ鉄道を好きになったのだろう。

小さい頃から鉄道は好きだったが、大人になって細かいことを調べたりしているうちに、原点がどんどんと遠のいて「そもそも」を忘れつつある。

なんだか久々に川の源流をたどってみたくなった。

そこでいろいろ引っ張り出していたら、幼稚園の卒業アルバムが見つかった。


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幼稚園の卒業アルバム


しっかりと鉄道が描かれている。ご丁寧に架線まで引いてある。パンタグラフから電気を取っていることを当時から知っていたのだろうか。

しかしなぜか怪獣が炎を吐いて電車を攻撃している。凶暴といえば凶暴だが、きっと特に意味はなくて、当時好きだったものをただ書いただけなんだと思う。そういえばウルトラマンも好きだった。

もう1枚小さい頃の写真がある。


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橋の上から小田急線を見つめる


これはよく覚えている。おそらく三歳くらいだろう。親戚の家が成城学園前にあって、私は近くにあった橋の上から小田急線をひたすら眺めていた。その橋はいわゆる掘割式の上にまたがった橋で、お堀の中を通るように小田急線は走っていた。

私は喜多見方面からやってくる小田急線を見つけては歓喜の声を上げ、橋の下を通過する電車と共に自分も動いて成城方面へ眼差しを向けた。逆に成城から来る電車を喜多見方面へと見送った。これを日が暮れるまで延々とやっていたように思う。

久々にあの橋にまた行きたいと思った。あの橋はいわば私の鉄道趣味の原点である。二十年以上続くこの趣味の始まりに久々に帰ってみたくなった。そして忘れかけている「そもそも」の感触を蘇らせ、ふたたび没頭したいと思った。

ウルトラマンのズックを履いた気分で、さっそく私は小田急線に乗り成城学園前へと向かった。



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成城学園前


駅前はものすごく変化していた。

駅ビルが出来てずいぶん印象が変わったとは聞いていたが、実際立ってみると景色が違う。

そう、成城学園前の駅は地下に潜ったのだ。

成城学園前はむかし地上駅だった。2面4線の島式ホームで、各停はだいたいこの駅で急行に追い抜かれた。その後小田急線は着々と複々線区間を延ばし、だいたいの駅は高架駅になり、成城学園前は小田急線で唯一の地下駅となった。

情報だけは頭にあったものの、実際歩くと実感できる。
成城学園前はずいぶんと変わった。

あの思い出の橋も、もしかしたらもう無いかもしれない。


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開かずの踏み切りもバスロータリーに


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どこらへんにあったっけ


でも変わることはいいことだと思う。

二十何年前とまったく変わってないなんて逆にへんだ。人の成長と一緒に、不便な点は改良されて、町の様子も変わっていく。あたりまえのことだ。でもあの橋は少しくらい形を残していてほしい。そんなない交ぜの気持ちで、私は思い出の橋に向かった。


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住宅街を歩く


急にあまり変わってないように見える。

家々はそれぞれ持ち主が変わったり車が新しくなったりするだろうけれど、区画自体の変化をほとんど感じない。

なんだか希望が出てきた。

橋の上に立って、子供の頃のように電車を眺める。
そのうちムクムクといろいろなことを思い出して、「そもそも」に出会えるかもしれない。
なぜ私がこんなに鉄道を好きなのか明確な答えが見つかるかもしれない。

原点が近づいてきた。


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そろそろじゃなかったっけ


ここを左に折れたら橋だ。

あった!

「富士見橋」とたもとには書かれている。

そうだ、ここからは富士山も見えたんだった。


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富士見橋


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世田谷百景55


結論から言うと、橋は残っていたものの、小田急線は見えなかった。

真下に見えていた小田急線は会員制の菜園に変わっていた。

当然といえば当然だ。だって成城学園前の駅は地下に潜ってしまったんだもの。ちょうどお堀にフタをするように、小田急線はまったく見えなかった。


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菜園を眺める


私は三十歳になったことを実感した。もう三歳ではない。

「ここは吉川の思い出の橋だから小田急線は見えるように地下には潜らず、地上のままににしよう」なんてことはない。逆にそんなことをされたら困る。

しばらく庭を眺めた。綺麗な身なりをしたご老人が庭仕事をしている。どうやらトマトを栽培しているようだ。

緑が少ない都会で、こうやって菜園を作るなんてすごくいいことだと思う。
成城らしい、ゆっくりとしたものの考え方だ。


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思い出に会員になろうかしら


あれ。

喜多見側にもう一本橋があるぞ。

思い出した。こっちじゃない!そういえばここには大きな橋と小さな橋があって、大きな橋は車の通りが激しいから、小さい橋のほうで電車を見ていたんだった。三歳の頃撮った写真も、きっと喜多見側の橋だ。


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こっちでした。


不動橋。言われてみればこんな名前だった気もする。
こちら側に来ると、ちょうど小田急線がトンネルに入っていくところが少しだけ見える。昔の景色とはずいぶん変わってしまったけれど、なんとなくあの頃の感触を思い出せる。

私は久しぶりに、電車発見追いかけゲームをしてみた。


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ガタンガタン


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きた!


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ダッシュ!


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見送る


これだ。この感じだ。
昔と違って見送る先は菜園だけれど、これが出来ただけでも原点を十分思い出せた。
私はきっと、単純に電車を見ていたら好きになってしまっただけだ。


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見ていたら好きになってました



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子供が好きになることに、たいした理由はない。
そして鉄道のことを好きになるきっかけも、けっこう単純な理由だと思う。

見ていて。乗っていて。近くに走ってて。おもちゃが欲しくて。
線路の感じ。車両の形や色味。人を運ぶ健気さ。

そこからどんどん「知りたい」と思い、いつの間にか「緩急接続」や「チョッパ式制御」や「ダブルクロスポイント」や「締め切りコック」や「空ノッチ」など、いろいろな用語を勝手に覚えちゃってたのだろう。しかし大元の「そもそも」はとても素っ気ない情熱なんだと思う。

不動橋でたそがれていると、小さな子供が「でんしゃでんしゃ」と小躍りして、トンネルに入っていく車両をじっと見つめていました。

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でんしゃだ!


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その気持ち、わかるよ




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