ダーリンハニー吉川「鉄道は私のものではない」

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先日、実家に帰った。

「実家に帰った」といっても大げさなことはなく、自宅から30分くらいだし、私は3年前まで実家で生活していた。実家を出るときつらかったのは猫に会えな くなることで、いまも猫に会いに2カ月に1度くらいのペースで実家に帰る。実際もう生活していないのだから本当は「実家に行く」なんだろうけれど、どうし ても実家には「帰る」と言いたくなる。

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ルームランナーがありました

ほんの3年前までそこにいたくせに、一旦出てしまうと「別のところ」みたいに思える。猫は2匹いたのが1匹になってしまった。でも親は暮らしているし、見 た目にはたいして変わりがない。なのに「ただいま」とか「母さんご飯」などと言っていないだけで、日常性はとたんになくなる。「本当にここで寝たりしてい たのかな」とさえ思う。3年前まで住んでいたくせに生意気だ。

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そして写真を見てしまう

最近母が小さいころの写真をまとめてくれた。

実家で写真を見出すとだめだ。思い出タイムに突入である。
しばらく眺めていると、1枚の写真が出てきた。

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バス停と弟と私

そうだった。

私は小さい頃、電車も好きだったけどバスも大好きだった。

あまりにバスに乗りたくて母に「バスごっこをするから定期券を作って」とねだったら、母は遊びの範囲を越えたリアルな定期券を作ってくれて、私はその定期券で実際のバスに乗ってしまった。

1980年代、バスの運転手さんはわりとおおらかで、ぱっと定期券を見せれば小1くらいのちびっ子はバスに乗れた。

そして徒歩通学のはずなのにマサヒロは妙な方向から帰り始めた。

バス停方向から帰ってくるマサヒロを見つけ、母は言った。
「バスに乗ってない?」
「乗ってるよ」と私は答えた。
「お母さんが作った定期で?」
「うん」

母は特に怒らず、二人でバス会社に謝りに行った。

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そんなことを思い出しました

「これからはおこずかいで乗りなさい」と母は言った。
それ以来、私はおこずかいをバスにつぎ込んだ。

たしか当時は子供が80円。往復で160円。
最低月に一回は乗っていた。160円を握りしめて。

そんなこんなでバスは今でも好きだ。

大動脈の鉄道と鉄道の間を結ぶバス。
はたまた大都会をすり抜けていくバス。
各社によって色とりどりなバス。

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バス

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バス

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バスバスバス

昔の実家は世田谷の上用賀というところにあった。
今は桜新町にある。

用賀の由来はインドの『ヨーガ』からきていると聞いたことがあるけど、本当のことはわからない。子供のころ用賀は田舎だった。駅前にはなにもなかった。しかし最近は『閑静な住宅街』みたいな感じでけっこうもてはやされている。

私はいつも『上用賀三丁目』というバス停からバスに乗った。

その日の気分で。
ある時は祖師ヶ谷大蔵へ。ある時は成城学園前へ。ある時は恵比寿へ。 おこずかいがたまっているときはそのまま電車にも乗った。

その中でも私が一番好きだった方面は『田園調布駅行き』だ。

なぜかというと単純に終点までの距離が長かったから。

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田園調布駅行き

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バスを待つ

実家で写真を見ていたら久々に田園調布駅行きのバスに乗りたくなった。

「乗りたいな」と思ったら勝手に足がバス停へと向いていた。昔バス停の前にあった大きな公園はマンションになっていた。特別さびしいとは思わず、あんな大きな公園そりゃマンションになるだろうと思った。

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これは用賀行き

20分ほど待って、田園調布駅行きがやってきた。

普段は20分というとR25を読んだりiPodを聞いたり時間を持て余すけれど、久々に乗るバスは思い出だけで待ち時間が過ごせた。

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きました

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準特等席に座れました

運転手さんの真後ろは、私の中で準特等席だ。日本語としてはおかしいけれど、私の中では準特等席だ。ここからは運転手さんが放送を流すスイッチを押す指が見える。

でも一番の特等席はやはり視界が広い入り口を入ってすぐ右側の席である。

これも小さい頃から変わらない。
バスはすぐに用賀の駅に着いた。

ここで特等席が空いた。


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移動

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素晴らしい眺め

小さいころから特等席で見る運転手さんのシフトさばきが好きだった。

昔のバスは長い棒みたいなギアで、「よいこらしょっと」という感じでギアチェンジしていた。2速から3速へ、はたまた4速、止まったのでロー。

今は軽く手首を使ってしなやかにギアを変えている。
一生で一度、あの感触を味わってみたい。

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たまらぬギアチェンジ

そしてもう一つ好きなのが細い道を大周りで回る「バス曲がり」だ。

いったん道の奥まで行き、急角度でハンドルを切り内輪差を考えながら丁寧に曲がる。私はあのバス曲がりが好きで、よく父に「バス曲がりして!」と普通の車なのにおねだりしていた。

田園調布駅行きは、結構細い道を走るのでバス曲がりが堪能できる。

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バス曲り

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なんだか着いちゃいそうです

40分ほど乗り、バスは田園調布駅に到着した。

いやはやとても懐かしいルートだった。

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旧・田園調布駅舎

そうそう、昔はこの駅舎で、東横線は地上を走っていた。
今は地下にもぐってしまったけど、駅舎はこうやって残されている。
とてもうれしい。

そして私はひとつの事件を思い出した。

子供の頃、田園調布駅まで来た私。
折り返しの80円はあるかな?と確認しようとしたその時

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なんと50円玉が排水溝に!

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あ!

50円玉を落としてしまったのだ。

私は途方に暮れた。なにせぴったりしかお金を持っていない。
7歳くらいだったと思う。田園調布なんて自分が全く知らない土地だ。

知り合いもだれ一人いない。

私は冗談ではなく「死んでしまうんだ」と思った。
それくらい用賀から田園調布は子供にとって遠い土地だった。

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私は泣いた

エンエン泣いた。
死ぬのは怖い。

泣きじゃくった。

そんな私に一人の女性が声をかけてくれた。
私がオエッオエッとやっていると女性は話を聞いてくれた。

「ごごご、ごじゅうえん、おおお、おとしちゃったウエンウエン」
「そうなの?ぼくでもだいじょうぶよ」

その女性は偶然、私が通っている小学校に子供を通わせている母親だった。その方はお金を貸してくれて、私の母親に電話をしてくれた。

私の母はお金を落としたことは怒らず、160円ぎりぎりしか持たせなくてごめんなさいねと私に謝った。偽造の定期は使うは、バスに乗ってはお金を落とすは、非常におっかない子供だったと、31のいま思う。

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今はパスモがあります


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「かわいい子には旅をさせよ」というけれど、自分の経験からいうとけっこう危なっかしいとことだと思う。

でもおかげ様であのころの知識が今ではかなり役立っている。
そしてあの時の田園調布死んじゃうかも事件以来、私は一回もお金を落としたことがない。

母さん、ありがとう。
そして田園調布で私にお金をくれた同じ学校のお母さんにもありがとう。

私は今でもバスが好きです。


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