明大前
東京フィールドワークIN明大前
 2006年一発目の東京フィールドワークです。何より今回の冬は寒かった。冬は寒くて当たり前なんでしょうが、散歩するにはちょっと厳しい寒さでした。ひとりではちょこちょこと出掛けていましたが、東京フィールドワークには写真を撮ってくれる同行者が必要で、その人にまで寒い街を引きずり回すというのは忍びない。それと同時に平日の昼間に暇な友人がいなくなってきました。28歳ですからね。当然です。「オレ暇!散歩散歩!」という人ばかりでは、日本の経済も危ぶまれます。散歩をして国からお金がもらえればいいんですけどね。いっそのこと国名もニッポンならぬサンポにしてしまおう。もう世界中のうわさ。ニッポンがリニューアルしてサンポになったらしいぜ、あそこにいけば散歩するだけで金がもらえるらしいぞ。たくさんの人種が入り乱れて、みんな気持ち悪いくらいに散歩散歩。無目的にうじゃうじゃ歩き回る人々。どっから金が出るのかさっぱりわかりませんが、ちょっと夢があります。変な公共事業に金を使うくらいなら散歩金くらい出せっつんだ。やっぱ散歩金なんかいるか!散歩は金がもらえないからいいんじゃないか!いわば散歩と金は対極にあるんだ。金もらって散歩して何が楽しいというのだ!そうだそうだ!
 分裂夢想はここらへんにして(なんか戦国無双みたい)、行って来ました知らない街に。同行者も無事見つかり(前回に引き続きバモスさん)、行くぞ行くぞ。

 今回の街は明大前です。実は一つだけ見てみたい『遺跡』がありまして、行くことに決定しました。ぼくは世田谷で育ったので地理的には何度も行っていても不思議じゃないのですが、なぜか街を歩いたことはありません。昔、乗り換え時に無性にお腹が減り、売店で『まるごといちご』を買いホームで貪り食った思い出はありますが、街に出たことはなし。本当にたまに乗り換えで使うくらいでした。
明大前といえば、その名の通り明治大学があるのだろう。イメージ的にはやはり学生街。下北沢も近いので古着屋、レコード屋などが林立し、学生がコンパなどで利用する飲み屋、雀荘なんかもありそうです。夜になるとブルースシンガーが現れて、駅前や飲み屋で歌う。そこらへんの学生や酔っ払いも混じって肩を組み合唱。あ、歌っている人よく見たら有名なミュージシャンだ!なーんていう酔いどれの街だと見ました。

 イメージ膨らませるとたいてい痛い目にあいますが、ぼくの中の明大前はそんなイメージでした。なんとなく駅前や住む人々を想像させてしまう響きの『明大前』。さっそくいくぞ!テンションは高いけれど、気温はまだ8度くらいです。ちと、さむい。

 さっそく渋谷から井の頭線に乗り(1000系ピンク)、明大前へ。急行で7分。近いです。想像以上に近いです。井の頭線は見た目も楽しくて、マニアには有名な『レインボーカラー』の車両。カラフルに7色あります。でも色がちょっと微妙で、中には肌色みたいなのもあるのですが(肌色が入線してくるとちょっとはずれっぽい)、40年以上続く伝統のレインボーカラー。井の頭線の車両が新しく生まれ変わっても、ずっと続けて欲しい企画です。ちなみに昔のカエル顔3000系レインボーカラーの車両は今でも北陸鉄道で走っています。色は赤に近いオレンジに塗り替えられました。8色目のレインボーカラー。写真を持っている方がいたらください。

 明大前に到着。なんか工事中みたいだ。

明大前に到着

見送る

いきなりまぎれる


 駅前は意外とこじんまり。もっとドヤドヤしていて込入っているのかと思いきや、きれいでスモール。そして全体的に人がいない。まぁ平日の昼間だしこんなものかいと思いながら、とりあえず駅名の看板でもある明治大学に行ってみることにしました。

 道中『すずらん通り』という商店街を歩きます。100mもない短い商店街。人がいない。いたとしてもかなり高い年齢層。明大前はけっこう古くから住んでいる人が多いのかもしれません。途中、「面白ろい店す!!」「自由にひやかしてください」という紙が張ってある楽器屋を見つけるも、勇気がなくてひやかせず。「私が考案し、私が製造した世の中にない楽器がいっぱいあります」。気になる。かなりに気なるも、その独特な雰囲気に尻込み。

車がゴーゴー走る甲州街道を渡り、明治大学へ向かいました。

すずらん通り

ストUをやる

面白ろい店す

尻込み

甲州街道を渡り

明治大学に到着


 久々のキャンパス。やっぱり大学ってムードがいいですね。青い時間がたくさんあり、猶予期間を共有できる仲間がいる。わっきゃいいながら飲んだくれ、少しずつ「こうやって生きていくか」というおぼろげな確信みたいなものが生まれてくる。間違いなくいいとき。

 さすが明治。校舎も綺麗でグラウンドも広い。

 それにしても閑散としているキャンパス。授業中でしょうか。全体で14人くらいしか人がいない。そのうち二人は測量のおじさんだ。『明大マート』という売店に寄ってみる。お客は二人。なんという授業出席率。外に出る。太陽が差し込んできて眠たくなってくる。ベンチに横たわる。キャンパス・ガール、キャンパス・ボーイはどこへいった。昼間から酒を飲んでいるろくでなし学生はどこへいった。丘の上でフォークギターを爪弾いている音楽ファンはどこへいった。奇声と言ってもいいような声で発声練習をしている演劇サークルはどこへいった。どうした明大。街もそうだけどちょっと寂しい感じじゃないか。みんな真面目だね。ぷかー。たばこを吸いながら気付いた。

…春休みだ。

綺麗なキャンパス

明大マート

似合わない

グランド

まぎれる

春休み


 当たり前です。行ったのが3月中旬。誰もいるはずがありません。

 4月になれば賑わうであろう明大を後にし、ぼくは今回の目玉、ある『遺跡』を見に行きました。

 ぼくは「新東京高速鉄道」という鉄道会社を作りたいと真剣に思っています。子供の頃からこの計画はありました。地図に線を引き、所要時間なども計算しました。東武線・ときわ台から始まり、江古田、中野、笹塚、下北沢、三軒茶屋、自由が丘、大森を通り、羽田空港に抜けるというビッグプロジェクトです。太田プロの先輩である有吉さんも賛同してくれて、ぼくの肩を抱き、「お前の路線、心の底から出来てほしい」とまっすぐな眼で訴えかけられたくらいの路線です。試算だと約1兆8千億円の金が必要ですが、国民の皆さんがひとりあたり1500円くらい出してくれれば作れちゃいます。みなさん、ぼくに1500円下さい。作ってみせます。

 しかし!実はこれに似た路線が1927年(昭和2年)に構想され、実際国の許可も取り付けていたのです。路線名は『東京山手急行電鉄』。ルートは大井町を基点にし、自由が丘、駒沢、明大前、中野、江古田、板橋と続き、山手線の外を回るようにして、田端、北千住に抜けるという計画でした。実際に着工寸前までいったのですが、昭和4年に世界恐慌が日本経済を襲い、計画は暗礁に乗り上げてしまいます。でもなんとかして作ろうと、路線を短くして建設費を下げ資金難を乗り越えようとしますが、今度は日中戦争が勃発し、頓挫。残念ながらこの路線は幻に終わったのです。

 東京山手急行電鉄より一足早く作られた、井の頭線。こちらは資金難をなんとか乗り越え、1933年に開通します。東京山手急行電鉄が出来ていたのならば、明大前付近を並行して走る予定でした。

ぼくが見たかった『遺跡』というのは、東京山手急行電鉄と井の頭線が並行して走る予定だった場所。明治大学のすぐそばに、その遺跡はあります。なんと玉川上水の水道橋の下に、複々線(井の頭線と東京山手急行電鉄の4線分)のスペースがいまでもちゃんと空いているのです。幻に終わった東京山手急行電鉄、唯一の足跡。行ってみたらば確かに4本分のスペースが空いていました。涙。

遺跡(陸橋の下に4つ穴が開いている)

にんまり


 歓喜むせび泣き。

 やっぱり昔から同じことを考えている人はいるんだ。それも東京が今ほど栄えていない頃から。おそらく発起人の方はお亡くなりになっているでしょうが、どこかで肩を組んで酒を交わしたいです。ぼくが財閥の息子だったらば。IT長者だったらば。コントの道に進んでしまった自分を、ちょっとだけ悔やんだ瞬間です。東京山手鉄道を作ろうとした人たちの遺志を汲んで、ぼくも力になりたかった。2006年新東京高速鉄道計画。まずは口座を作らないと。遺跡を見てどんどんやる気が出てきましたよ。

 さて明大前の駅前に戻り、すずらん通りとは逆っ側に行ってみます。『古本大学』といういい味だしまくりの古本屋を発見。カルチャーものから文学もの、映画、アイドルまで品揃えは幅広いです。川島なお美の写真集が500円。小島信夫『弱い結婚』が2800円。京王電鉄の記念切符が2500円。YES、古本大学。小一時間居座ってしまいました。あとは居酒屋、レストランがぽつぽつ。

 歩いていてわかったことは、明大前は基本的に住宅街だということです。甲州街道沿いはマンションなどが並んでいますが、駅周辺はバリバリの住宅街。徒歩3分圏内に一軒家やアパートが立ち並んでいます。そこかしこに「住んでるぜ」というムードが漂っていて、同時に「動かないぜ」という意志のようなものが感じられます。「小ぶりな下北沢」というイメージを抱いて来ましたが、もっと土着的で、店舗も少なく、静かで穏やかな街でした。

家賃はかなり高い

古本大学で小一時間

土地が空いている

古い家

住宅街

明大前の猫


 気になる。

 気になる。

 さっきの楽器屋さん。

 張り紙に堂々と「面白ろい店す!!」と書かれた謎の楽器屋さん。今になって、ものすごく気になってきた。明大前では有名な店なのかもしれない。明大前に行ったのにあの店に寄らなければ、地元の人に「ばかじゃないの」と言われるかもしれない。「あの店に行かないなんてもぐりよ、もぐり。吉川もぐり」と叩かれてしまうかもしれない。たまに楽器を演奏するものとして、はたまた一人のコメディアンとして、あそこはやはり寄らないとだめだ。「ばかじゃないの」といわれるのも嫌だ。そしてなにより、自ら「面白ろい店す!!」と謳っている店の中を、どれくらい面白ろい店すなのか見てみたい。

 ぼくは道を戻り、再びすずらん通りを歩き、謎の楽器屋さんの中に入りました。

 中には無数の楽器たちが飾られていました。普通のギターもあれば、ギターのような形をしているものの、弦が8本あったり、4本だったり。琵琶(びわ)のような形をした不思議な楽器があったので、ぼくが弾きたいなぁという顔をしていると、奥からおじさんが出てきて「どうぞ弾いてみてー」と話しかけてくれました。

 弾くとなんとも不思議な音がする。インドの楽器、シタールのような。でも形は和の琵琶。何だこの楽器は。おじさんにこの楽器を渡すと、「お兄さん国はどこ?」と聞いてきたので、「日本」というと、「いや、ふるさと」、「あー、東京です」(ぼくには郷土意識ってものがないんだなと思った)、笑いながらおじさん、ぼくが東京出身ということで「♪はー、踊り踊るなら〜ちょいと東京音頭〜よいよい」と琵琶シタールを気持ちよく弾きながら、東京音頭を大音量で歌ってくれました。店内「よいよい」の大合唱。大拍手。一発かまされて、一気に和んでしまう。音楽の力はすごい。

 おじさん大フレンドリー。たくさん話を聞かせてくれます。

「うちの楽器は全部オリジナルなんですよ。世界にひとつしかない楽器がたくさんあるんです」「へぇ」「ギターはいっぱい弾き手がいるから世界一になるのは大変だけど、世界で一個しかない楽器は楽器を持っているその人が家元なんです。だからおじさんたくさん世界一」「はははは」「うちはエレキギターにしても一枚板で作るから鳴りが全然違うしなにより長持ちなのよ」「ふん」「おじさんは法隆寺を作ってるんですよ。他のギターは『合板』って言って木を張り合わせて作ってるからコーポみたいなもんです」「コーポ」「そうコーポみたいなもの。法隆寺は600何年に出来ていまだに残ってる。おじさんのギターも孫の代まで残るギターなんです」「いいですねぇ!」「これなんかマスクメロンで作った楽器ですよ。おじさん何でも楽器にしちゃうから。これ酵素パワーのトップ」「洗剤も楽器にしちゃうの?」「飴の缶とかパイナップルとか何でも出来ちゃう。ちゃんといい音鳴るしね。お兄さんも何か持ってこれば作ってあげますよ」「本当に!」「はい。よく学生がアイディアを持ってきてくれて、ちょこちょこ作ってあげてるんだ」「ほわー。すごーい」!

琵琶シタールを試奏

東京音頭を弾いてくれて…

大合唱

メロン三味線

オリジン楽器たち

「おじさんは法隆寺を作っている」


 ここは面白ろい店す。看板に偽りなし。

 30分は平気でいられます。おじさんも陽気で、熱心。ぜひ明大前に行った際には法隆寺おじさんと会ってみてください。何か持っていけば世界で一つしかない楽器も作ってくれます。

 楽器屋さんを出ると、外はひんやり。太陽は雨雲に降伏。雪っぽい細かい雨がちらついている。ぼくは猛烈に蕎麦が食べたくなり、お蕎麦屋さんに入りました。えび天ぷらそば。うまい。

あつい


 春休みの明大前は、静かだけど軽やかな音がする街でした。あの遺跡が見れた時点でぼくは完全に大満足。次の遺跡はどこだ。また次回!


TOKYO FIELD WORK 2
TOKYO FIELD WORK 2