柴又
東京フィールドワークIN柴又
 わたくし、生まれも育ちも東京・世田谷です。大蔵病院で産湯をつかい、姓は吉川、名は正洋。人呼んで、ダーリンハニーの顔の薄い方と発します。

  ♪どうせおいらはやくざな芸人 わかっちゃいるんだ弟よー
   いつかお前の喜ぶような えらい兄貴になりたくて
   奮闘〜努力の甲斐もなく 今日も実家で〜
   今日も実家で起きるのさ 昼の12時に〜

 …締まらないですねぇ。ただの芸人の戯れ言だもん。ということで行ってきました柴又へ。柴又といえば寅さんです。「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」、が本家の口上。あの渥美清の声音で言われると締まるんですよね。しかし、寅さんもかなりのふらふら兄さん。日本中を旅し、たまーに実家に帰ってきては恋に落ち、ふられてまた旅に出る。「なんとかなるさ」精神に溢れ、せっかちで、惚れやすくて、情の厚い男。今度BSで寅さんの48作品をすべて放送するようですが、そのキャッチコピーが「失恋48連発」。すごいなぁ、タイガー。男の鏡だ。

 といいながら、実はぼくは柴又に行くまで寅さんを一度も見たことがなかったのです。劇団ひとりの川島さんに何度も「寅さんをみろ」と言われてきましたが、機会がなくここまで過ごしてきました。

 なぜか柴又に惹かれました。そして行った結果、「男はつらいよ」を5本立て続けで見ました。ぼくの新しい先生、誕生の瞬間です。まさか次が寅さんだとは思ってもいなかった。どハマリしました。
 それは寅さんの行き方に共感したのと同時に、柴又という土地がなんだか魅力的な場所だったからです。今までは葛飾区や江戸川区というカテゴリーを「土くさい」「遠い」「ださい」と敬遠していましたが(ごめんなさい)、行ってみるとなんとも人情味溢れていいところだった。寅さんイズムが滲み出る、楽観的で古くて優雅な街並み。それにまつわる急いでいない人々。世田谷という中産的な土壌で育ったぼくには未知の区域でした。葛飾、京成、あなどるなかれ。

 ではいってみましょう。夏の入り口の葛飾柴又。
 今回もオートバイと共に。

 まず京成電鉄の柴又駅で降ります。すごく遠い。渋谷から1時間15分。時間以上に、遠く感じる。またこの日は猛暑で、天気がいいのはいいけれど醜いくらいの暑さ。ぼくは顔がのっぺりしていて痩せているので写真から暑さが伝わらないのが残念ですが、とにかく重たい暑さが体重50キロにのしかかってきます。
 駅前。人がほとんどいない。渋谷・新宿とは明らかに対極の雰囲気。ロータリーはなく、広場のど真ん中に寅さんが立っています。寅さん、銅で出来ているもんだから灼熱の太陽に照らされて火傷しそうなくらい熱い。しかしその表情は強さと、愁いに満ちていていい顔している。「いよっ!お前さん、よくきたねぇ」と寅さんが言ってくれているようです。「よし、柴又にきたな」と実感させてくれる素晴らしい駅前です。

古い京成車両に揺られて

柴又駅前

灼熱の寅さん


 駅を出るとすぐに「帝釈天参道」なる古い商店街があります。ここはまさに寅さんの庭。映画にも頻繁に出てくる通りで、この時点で映画を見ていなかったぼくもなんだか見覚えのある風景です。
 とにかくベタベタに古典的な参道。だんごやカキ氷が売っていて、うなぎ屋があり、色の褪せたおもちゃ屋がある。西新井大師の参道にちょっと似ています。
 帝釈天へと向かう参道。ここを寅さんは何往復したのでしょう。マドンナを何度も追いかけ、雨の中駅までマドンナを迎えに行き、旅に出るため駅へと歩いた。そんな寅さんの面影が滲む通りです。
 店の売り子さんも江戸っ子な感じで、いなせな雰囲気。しかし人通りが少ないものだから、活気は少ない。むしろちょっとした「余生な感じ」を受けます。街のヒーロー寅さんもいなくなってしまったし、これからどうすっかという悲しみも空気中の成分にあるようです。が、そこは江戸っ子。悲哀を表には出さず、「だんごー」「氷―」と威勢よく声を掛けている。男はつらいよ。でもつらいのは見せないんだよ。そんな、アンビバレントな帝釈天参道でございます。

参道を歩く

まぎれる

犬もぐったり


 さぁ、柴又といえばなんといっても帝釈天。東京フィールドワークでいろいろな寺を廻ってきましたが、いちばん有名な寺ではないでしょうか。正式名称は「経栄山題経寺」(きょうえいざんだいきょうじ)というらしく、帝釈天というのは神様の名前のようです。後に登場します。帝釈天様。どんなお姿なのか、お楽しみに。
 門をくぐると、すぐ脇におみくじがあります。機械の獅子舞がおみくじを口にくわえて渡してくれるというものですが、これが本当に機械まるだしで動きがぎこちない。がったんがったん言いながらやっとこさおみくじを渡してくれます。出たのは中吉。しかし書いてあることはほとんどが悪いことばかりで、「本当に中吉かよ!」と大人げなく叫んでしまいました。だって健康は「手遅れにならぬよう注意せよ」だし、出会いは「それほど多くない」だし、願いごとは「高望みするな」だし、総合は「自己中心的にならぬよう心掛けよ」です。これはもう凶の領域じゃないのか。まぁでもおみくじというはだいたいが「いろいろあるけど、がんばれよ」ということなので、ありがたく頂くことにしましょう。大人げない。

柴又帝釈天

機械じかけの獅子舞

中吉なのに涙目


 なめていたのです。帝釈天を。まぁ古びていい感じの寺だろうな、くらいに思っていたら全然違う。たしかに色はグレーでくすんでいますが、とにかくすごいんだ。何がすごいって、彫り物。寺の周りが全部彫り物の物語になっているのです。怒濤の彫刻。人物の表情までがしっかりと彫られていて、こりゃたまげます。ちょっと彫り物酔いするくらいの勢いで全面が彫刻なのです。400円と有料ですが、これは一見の価値あり。芸術を超えて、彫り師の執念を感じます。いやぁ、たまげた。

こりゃあすげぇや

よく見るとストーリーがある

表情も豊か


 彫り物に圧倒されていると、薄い板に書かれた一枚の絵が。絵の下には「祈願によって帝釈天が出現し、ご神水が湧き出る様子」とあります。いよっ!さーさ、帝釈天様のご登場だ。どんな神様なのだろうと胸を躍らせて絵を見てみると、

ん?

どうした?


 ん、帝釈天どうした。どうしてそんなに黒いんだ。ひげ?まげ?口の周りどうなってるの?あれ、なんかイメージと違うぞ。ぼくの中の神様像と大差でずれているぞ。いや、別にいいんですよ。こんな神様がいてもね。それにしてもずいぶんと顔が白いじゃない。衣装が真っ黒じゃない。もっと仏像みたいなのを想像していたのですが、さすが帝釈天。うらぎるなぁ。モデルが何なのかわからないもん。
 偉ぶらない。我が道を行く帝釈天様。ぼくはこんな神様なら、信じてもいい気がしました。

 さて帝釈天の裏はちょっとした庭園になっていて、非常に気持ちがいいです。あまり人もいないし、大げさじゃないし、なにより緑が心地いい。建物も古い日本家屋で落ち着きます。2時間くらいぼーっとしちゃいそうな、いい庭です。

シバマタトテモイイトコロネ

渡り廊下を歩くと

緑豊かな庭園

ぼけーっと

鯉がよってくる

まぎれる


 帝釈天をあとにし、次に向かうは矢切の渡し。
 矢切の渡しとは、現在、都内に残る唯一つの渡し場で、手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復しています。要は川を小さな船で渡るわけです。伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台となり、ヒット曲「矢切の渡し」生んだ地の渡し場です。♪やぎりのぉ、わたぁしー、です。字で書いてもわかりづらいですが、あれです。

 向かうは、江戸川。真夏の太陽に照らされて、土手がきらびやか。帝釈天から10分歩くと、船着き場に到着。

淡麗グリーンラベル

ころがる

ころがる

やけにサイケデリックな便所

矢切の渡し

船着き場


 乗船料、100円。ラッキーなことに、客はぼくたちふたりだけ。おじさんが手漕ぎで対岸まで渡してくれます。なんとも、いいなぁ。こういうのをいいと感じてしまうということは、若い感性が鈍っているのかなぁ。でもおそらく現代っ子が乗っても「なんか、いいなぁ」と思ってしまう歴史の魔力がこの矢切の渡しにはあるような気がします。

 むかーしっから、続いてるんだ。その存在意義。存在感。存在証明。

 ぼくらはゆらゆらと江戸川を揺られ、何を考えるでもなく、川面を見つめ、ときどき飛び跳ねるばかでっかい魚にはっと目を奪われるのでした。川を渡れば、そこはもう千葉です。

ゆらゆらと

何を考えるでもなく

到着


 対岸に着くと、いきなりカメラマンとインタビュアーが待ち構えていました。なんだ、なんだ。俺は何もしてないぞ。「吉川さん、あの芸能人との関係は一体どうなったんですか?」とか聞かれても困るぞ。ん?なに?なんだ?とこちらが訝しがっていると、インタビュアーはこんなことを聞いてきました。

 「松戸の印象は?」

 え?松戸?知らない。わからない。

 「いや、いま渡されたばかりなので、なんとも」
 「あぁそうですよね。松戸はお好きですか?」
 「うーん、松戸。松戸。好きです」
 「どんなところが?」
 「うーん、こう、地名がね。いい感じですよね」
 「またなんで矢切の渡しで松戸へ?」
 「なんといいますかね、アナログなものが好きなんです」
 「なるほど、じゃあお写真よろしいですか?」
 「はい」

 …話を聞いてみると、住宅情報のwebサイトの取材で松戸特集をやっているらしく、話し掛けられたようです。ぼくらは取材班の目にはとても珍奇に写ったでしょう。なにをやっているのかわからない感じの二人の青年が矢切の渡しに乗ってやってくる。ゲイ?なに?「東京フィールドワークです」と言ってもわからないだろうから、ぼくたちは勘違いされてもいいやと取材に答えました。

 東京フィールドワークはじまって以来の逆取材。なんか変な感じ。おそらくどこかのページに載っていると思います。

 「あ、ちなみにおふたりのお名前は?」
 「よっしーと、とよちんでお願いします」

 さて、これ対岸に着いたはいいものの、特別なにもありません。おっさんがただ河川敷でゴルフをやっているだけです。「渡されても…」という感じは否めませんが、そこになにかなきゃいけないのかと言えば、そんなことはないのです。帰ればいいんです。交通手段として使っているわけじゃないのだから。「矢切で渡される」ということが、なにより味のある体験なんだ。きっと。

取材を受ける

ゴルフを見る

柴又に戻る


 さて、最後はやはり「寅さん記念館」に行ってみましょう。ぼくが後々惚れることになった、寅さん。ここではセットを再現したり、名セリフが聴けたり、歴代マドンナの映像が見れたりと寅さんファンならずとも楽しめます。そして何と言ってもおすすめは、「寅さんに変身」。なんと200円で寅さんの衣装を貸してくれます。これは最高です。昔から着てみたかったんだ。ということで、ぼくも寅さんに変身してみました。言っておきますが、言っておきますが、ひどいです。

セットを再現

おばちゃんに着せてもらう

大きな寅さんの背中

「あ!寅さん!」「おう、がんばれよっ」

「おい、さくらぁ」

「似合わなさに愕然とする」


 ひどいなぁ。服に着られちゃってるもん。今までいろいろな役をやってきましたが、こんなに似合わない役をやったのは初めてです。館内の職員さんが気を使ってくれて「いよっ!寅さん」などと言ってくれるのですが、逆に迷惑です。こんなメガネの寅さん、いやだろうに。

 ぼくはまだ寅さんをできる器じゃない。というか一生できない。やはり寅さんは渥美清にしかできないのです。そんなこと当たり前です。改めて寅さんの凄みを感じました。

 ということで、東京フィールドワークin柴又でございました。
 ぼくは帰ってさっそく寅さんを見ました。

 39作目、「寅次郎物語」での最後のシーン。吉岡秀隆さん演じる悩める受験生が、柴又の駅で旅に出る寅さんに聞きます。

「寅さん、人間はなんで生きてるんだい?」
すると寅さん

「おめぇ難しいこと聞くなぁ。どうして生きるかって?そりゃああれだろ、こう生きていると、あぁいいなぁと思うときがあるだろ。だからじゃねぇか?」

 これからはしばらく、寅さんを追いかけていきます。

 特典写真

 特典写真2

TOKYO FIELD WORK 2
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