ぼくは寝る前に必ず落語を聞いて寝ます。かれこれ5年以上は続いている習慣で、もう落語がないと眠れない体になってしまいました。寝つきが悪く、寝つけぬままベッドでもぞもぞしているのも癪なので、なんか聞こうかなとはじめたのがきっかけです。最初は講演とか朗読とかと併用して聞いていたのですが、何気なく図書館で借りた5代目柳家小さん師匠の落語テープを借りたのがきっかけで、そこから図書館にあったテープを片っ端から聞きまくりました。通好みな感じがたまらなかった八代目、三笑亭歌楽師匠。名フレーズの宝庫、八代目・桂文楽師匠。調子がいいって良いことなんだなと思った五代目、春風亭柳好師匠。おなじみ志ん生師匠に志ん朝師匠。
その中でも一番よく聞いたのは、ご存知立川談志師匠です。師匠師匠うるさいと思うかもしれませんが(お前の師匠じゃないだろうに)、やはり呼び捨てには出来ないので師匠とつけます。若い頃の談志師匠は、ぼくが言うまでもないですがそれはそれは声がセクシーで、とてつもなく流麗で、本当にたまりません。最初は「人の声を聞きながら寝ると落ち着いてなんかいいな」と思ってはじめた落語眠りでしたが、何度何度も逆におかしくて眠れなくなるという矛盾を味わわせてくれた談志師匠。今の談志師匠ももちろんファイターとして現役で、高座を見たときは一瞬の狂気を感じ、現代との格闘につまされ、ものすごい言葉選びに笑い、そしてちょっとだけ生きることのやるせなさを感じ帰ってきます。
ぼくらは一度だけ談志師匠にネタを見ていただいたことがあり、テレビ局からもらったノーカット版の談志師匠との対話(といってもぼくはほとんど喋れませんでしたが)のビデオテープは、いまでも宝物です。
最近。談志師匠が「こんな寄席があったら」と想定して作られた、「ゆめの寄席」というCDを聞いていて、その8巻の中に林家三平師匠の落語がありました。昭和の爆笑王、林家三平師匠。ぼくはリアルタイムの三平師匠の思い出はほとんどなく、今聞くとその爆発力、破壊力は凄まじく、さながら優しい化け物のようでした。「どうもすみません」でドカーン。「好きです好きです、よしこさん」でドカーン。「この前、話の勢いで舞台から落っこちちゃって、それを見た観客が、あ、落伍者だって」でドカーン。サービス→サービス。「きっとこういう人は二度と出てこないんだろうな」と思わせる怪物っぷりに、ぼくはまたもや眠れませんでした。
その三平師匠が亡くなったのは54歳。1980年。
談志師匠と共演するはずだった寄席に出ることなくこの世を去った三平師匠。一緒に舞台に上がる予定だった談志師匠は、急遽「三平さんとの思い出」という落語を演じ、その高座の模様が、同じくゆめの寄席の8巻に収められています。明け方に聞いていたぼくは、久々に涙腺をやられ、朝日が涙に玉に見えまたもや眠れませんでした。
話が非常に長くなりましたが、とにかく最近よく三平師匠の落語を聞いていたのです。そして鶯谷を5分ほど歩くと、三平師匠の記念館、「ねぎし三平堂」があります。
不思議な同調。
散歩をすると、たまにこんなことがあるから嬉しい。
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