鶯谷
東京フィールドワークIN鶯谷

ぼくが唯一山手線の駅の中で降りたことがない駅−。

鶯谷。

他の山手線の駅はすべて降りたことがあり、駅前の風景や線路の感じ、行くまでのムードもなんとなく頭に浮かびます。しかし鶯谷だけがなぜかぽっかりと抜けている。こんなにも「うぐいすだに」という地名をよく知っているというのに、なぜ。

そういえば鶯谷は山手線の中で一番乗降客数が少ない駅。派手な新宿・渋谷・池袋。あるいはオフィスや飲み屋がひしめき合う、東京・有楽町・新橋。開発めまぐるしい、品川・大崎・目黒。多くの人がぐるぐる回る山手線29駅の中で、鶯谷は一番降りる人が少ない駅です。しかし地理的に言えば上野と日暮里に挟まれているので、本来ならばもっともっと人が降りていてもおかしくないはず。渋谷を挟む恵比寿と原宿があれだけピーヒャラしているというのに、なぜ。ビッグシティ上野を擁しているというのに、なぜ。

しかも鶯谷という地名は、東京に住んでいる人ならばなんとなく知っています。むかし山手線言い合いっこゲームをすると、わりと最初の方に「うぐいすだに!」と出てきました。下手したら秋葉原よりも先に出てきたかもしれません。このネームバリューの高さに反して、これだけ情報がない町も珍しいかもしれません。

「東京の外壁」といわれた山手線。私鉄が何度も山手線の内側に入ろうと試みるも、ことごとく跳ね除けてきた緑の王者。その後地下鉄との相互乗り入れでなんとか内側に入り込むも、私鉄一本で切り込むということはとうとうできませんでした。やはり東京を歩き解くときに、山手線という丸い記号はぜったいに欠かせないのです。

最後のワンピース。鶯谷。
 鶯谷に行かなければ、円は完結しない。
 事態は丸く収まらない。

何の事態かわかりませんが、「これは早く行かねば」と焦燥に似た発起の念で、さっそく写真家・オートバイさんに電話。もしもしも言わず、「明日鶯谷に行きたい」と言ったらば、「オーケー」とだけ答え次の日にはカメラを構えてくれたオートバイさん。今回は500枚もの写真を撮ってくれました。歩いては撮り、撮っては歩きの繰り返し。目を血走らせて、東京フィールドワークIN鶯谷、はじまります。


着いたらいきなり撮られていた

合流するために移動

合流

ホームの前に崖と墓

連絡通路

車輌の形式が古い


さぁいこう。駅前を見渡してみます。大きなロータリーはなく、こじんまりとした駅前。まだどんな町かはわかりません。ホームから見えた墓はなんだろう。ちょっと歩いてみると、住所の看板に「上野公園」の文字。

上野公園という住所があったんだ。まずその事実に軽く驚きましたが、このまま歩くといつもの上野散歩になってしまう。上野なら何十回も行ったことがあるし、いい町だというのはわかっているので逆方向へ。再び駅前に戻り、どこへ行こうかと眺め回していると、駅から歩いて10歩くらいのところに(10歩!)美味しそうなお蕎麦屋さんがあるではないですか。それも駅そばという感じではなく、伝統的な構えのお蕎麦屋さん。時計を見ると1時30分。びしっとお昼時。しかしまだ何もしていない。上野公園という住所があるのを知っただけだ。でもお昼時。いやいや、多少の成果がないとだめだ。まだ100歩も歩いてない。でも、お昼時。そこで目に入ったのが「天下御免の手打ちそば」。

店に入ってしまいました。

そばに目がないぼくらにとって、「天下御免の手打ちそば」という名文句に勝つ術などさっぱり持ち合わせていなかったのです。


意気揚々の駅前

すぐそばに上野公園

とろろそば


うまい。とろろもすり立てでうまい。ぼくら以外、お客さんは全員ご老人でしたが、年齢層が高い蕎麦屋さんはかなりの確率でうまいです。本当に美味しかった。

さて。昼飯も食べたしとりあえず歩いてみよう。多少の「昼寝したいな感」をごまかしながら歩いてみると、多くの線路にまたがる橋がありました。恍惚のトレインビューを楽しみ(ここはあまり誰にも教えたくない)、橋を渡り、鶯谷の真髄に迫ろうと半ば睨むように歩いていると、目の中にまばゆい多色が目に飛び込んできます。

YES、ラブホテル。

レゴのように建物が並んでおります。欲の望に、風の俗。駅舎には「散策の町」と書かれていましたが、ここを散策するのはいささか趣旨と違うので、ある程度歩いてすべてを了解することにしました。がってんがってん。鶯谷といえばホテル街だ。それはもうそうなんだからそうなんだ。これはこれとしていいじゃないか。上野公園でばったり出会った運命の人と、鶯谷で情事。悪くないじゃないか。しかしきょろきょろしながら男二人でホテル街をさまようというのは多分に気持ち悪いものですね。


散策の町、鶯谷

素晴らしい本数

学生にまぎれる

迷い込む

ものすごいオーラ

こり、痛み、うつ


なるほど、鶯谷。あまり鶯谷を知らない理由がわかった。ここは東京の中で、どかんとスポットを照らしてはよろしくない町だったんだ。鶯谷の町歩きランキングを作ったらば、やはり1位は「ラブホテル」になってしまって、人間の欲望の象徴を開けっぴろげにさらすというのはなんとも抵抗があるし、ラブホテルを9位くらいにするのも情報発信として間違っているし、みんなあまり降りないし、でも山手線の中では少なくても東京全体で見ればなかなか多いし、この町が大好きだというと世間体としてはちょっと恥ずかしいけれども、実はそのことが世のすべてだと言い放ったほうが逆に開放感があるし、でもそのことを転化させて抽象化することが芸術だともいえるし、でもそれを堂々と駅の目の前に展開している鶯谷とは一体何なんだと問われれば、「よ、男前」と答えるしかないし、芸術性はないかもしれないけれど見事なまでに整列しているホテルを見るとこれはこれで芸術と呼んでいいのかもしれないし…。と回りくどく自問自答してしまうくらい、いろいろ考えてしまいましたが、鶯谷を歩くのに、やはりラブホテルは避けては通れません。物理的に避けられないです。そしてぼくはこのメッセージから、ずっと目をそらしてきたのです。

「ぼくたちはラブから生まれてきた」

最初は「ぼくたちは欲から生まれてきた」と書いたのですが、そりゃあちょっと親にあれだろうということで、「ぼくたちは愛欲から生まれてきた」と訂正しましたが、愛欲っていうのももっとひどい気がしたので、「ぼくたちは情から生まれてきた」にしましたが少し優しすぎるので、ラブホテルにちなんでラブから生まれてきたことにしました。きっとぼくはこの実に原始的なメッセージから、目をそらしていたのです。山手線1周の中で最も強いこのメッセージを、ぼくはなんとなく見ないようにしてきたんでしょう。

ラブホテルがある町。たとえば渋谷。駅前に大きなビジョンが5つも6つもあり、109があり、センター街もあれば、スターバックスがある。少し歩かないと、ラブホテルにはいけません。多少の道程を踏んで、ラブホテル街へと向かいます。しかし鶯谷は即ホテル街というゴールデンゴール方式を採用していて、ほとんど中間がありません。このキップのよさ。説明要らず。まるで3コードのロックンロールのような明快さが、この町にはあります。それも叙情的な上野公園を補完しているので、スケール感がすごい。

自問自答しているうちに、なんだかすごい町に見えてきた。
 大前提をちゃんと手前に持ってくるさわやかさ。

「住んでもいいかもね」、「家賃いくらかな」なんていう会話をしながら、欲があるのは知っているけれど、やはり絶対に文学が必要なぼくらは鶯谷の奥地まで歩いてみることにしました。


ホテル街のど真ん中にある元三島神社

鶯色の陸橋

歩道橋


ぼくは寝る前に必ず落語を聞いて寝ます。かれこれ5年以上は続いている習慣で、もう落語がないと眠れない体になってしまいました。寝つきが悪く、寝つけぬままベッドでもぞもぞしているのも癪なので、なんか聞こうかなとはじめたのがきっかけです。最初は講演とか朗読とかと併用して聞いていたのですが、何気なく図書館で借りた5代目柳家小さん師匠の落語テープを借りたのがきっかけで、そこから図書館にあったテープを片っ端から聞きまくりました。通好みな感じがたまらなかった八代目、三笑亭歌楽師匠。名フレーズの宝庫、八代目・桂文楽師匠。調子がいいって良いことなんだなと思った五代目、春風亭柳好師匠。おなじみ志ん生師匠に志ん朝師匠。

その中でも一番よく聞いたのは、ご存知立川談志師匠です。師匠師匠うるさいと思うかもしれませんが(お前の師匠じゃないだろうに)、やはり呼び捨てには出来ないので師匠とつけます。若い頃の談志師匠は、ぼくが言うまでもないですがそれはそれは声がセクシーで、とてつもなく流麗で、本当にたまりません。最初は「人の声を聞きながら寝ると落ち着いてなんかいいな」と思ってはじめた落語眠りでしたが、何度何度も逆におかしくて眠れなくなるという矛盾を味わわせてくれた談志師匠。今の談志師匠ももちろんファイターとして現役で、高座を見たときは一瞬の狂気を感じ、現代との格闘につまされ、ものすごい言葉選びに笑い、そしてちょっとだけ生きることのやるせなさを感じ帰ってきます。

ぼくらは一度だけ談志師匠にネタを見ていただいたことがあり、テレビ局からもらったノーカット版の談志師匠との対話(といってもぼくはほとんど喋れませんでしたが)のビデオテープは、いまでも宝物です。

最近。談志師匠が「こんな寄席があったら」と想定して作られた、「ゆめの寄席」というCDを聞いていて、その8巻の中に林家三平師匠の落語がありました。昭和の爆笑王、林家三平師匠。ぼくはリアルタイムの三平師匠の思い出はほとんどなく、今聞くとその爆発力、破壊力は凄まじく、さながら優しい化け物のようでした。「どうもすみません」でドカーン。「好きです好きです、よしこさん」でドカーン。「この前、話の勢いで舞台から落っこちちゃって、それを見た観客が、あ、落伍者だって」でドカーン。サービス→サービス。「きっとこういう人は二度と出てこないんだろうな」と思わせる怪物っぷりに、ぼくはまたもや眠れませんでした。

その三平師匠が亡くなったのは54歳。1980年。

談志師匠と共演するはずだった寄席に出ることなくこの世を去った三平師匠。一緒に舞台に上がる予定だった談志師匠は、急遽「三平さんとの思い出」という落語を演じ、その高座の模様が、同じくゆめの寄席の8巻に収められています。明け方に聞いていたぼくは、久々に涙腺をやられ、朝日が涙に玉に見えまたもや眠れませんでした。

話が非常に長くなりましたが、とにかく最近よく三平師匠の落語を聞いていたのです。そして鶯谷を5分ほど歩くと、三平師匠の記念館、「ねぎし三平堂」があります。

不思議な同調。

散歩をすると、たまにこんなことがあるから嬉しい。


師匠がお出迎え

憧れのポーズ

憧れのポーズ2

肖像画

羽子板

防災訓練の際鳴らした笛


ねぎし三平堂は開いている曜日が週に三日で、水・土・日です。看板には「ドーもスイませんと日曜日に開堂しております」と書いてあります。入場料は600円です。行った曜日がたまたま水曜日だったので開いておりました。大ラッキー。

さて、三平堂界隈を歩いていると、これでもかと文学的な「子規庵」を発見。歌人・正岡子規。大ヒット作(?)は言わずと知れた「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。その他にもたくさん有名な句があるようですが、ぼくの中で正岡子規といえば野球。大変な野球好きで、ベースボールを「野球」と始めて記した人であり、バッターを打者と訳し、フライを飛球と訳し、ショートを遊撃手と訳した人。ぼくはこの「遊撃手」という表記が好きで、少年野球でもショートを守り(下手でしたが)、今でもショートの選手が好きです。どうしてショートが遊撃手なんでしょう。他は一塁手、二塁手、三塁手なのに、やけにカッコいいですね、遊撃手。右に左に球を追いかけ、すばやく送球。あの動きを「遊撃手」と名付けた正岡さんは素晴らしい言葉の達人だと思います。ちなみに本人は捕手だったようです。

その正岡子規が27歳から35歳で死ぬまで(35!)、住んでいたのがここ子規庵。たしか上野公園には「正岡子規・記念球場」という球場がありました。いい意味で飾り気がなく、質素。ほー、住んでたんだねぇという感じです。


子規庵入り口

渋い日本家屋

一句ひねる


「ラブホテル 抜けるとそこに 巨人たち」

正岡子規に、三平師匠。
 巨人お二人に会える鶯谷。すごい。

子規庵を後にし、次に向かったのは「恐れ入谷の鬼子母神」です。要は入谷にあり、語呂あわせでそんなフレーズをが生まれたのでしょうが、なんとなく怖いイメージ。鶯谷きっての大通り、言問通りを5分ほど歩くと、ん、右にこじんまりとあるのが…これか?これが「恐れ入谷の鬼子母神」か?もっとドデーンと鬼のように現れるかと思いましたが、案外スモール。しかし彫り物、迫力凄まじし。


言問通り二人乗り

幼稚園のロケット

彫り物

鬼子母神

鬼子母神の猫

日比谷線・入谷駅


鶯谷と言うよりはもう入谷。入谷の先へ行けば、浅草。もう「うぐいすゾーン」からは外れてしまいましたが、ここまで歩いたらばせっかくだから浅草まで行くかねということになり、ぷらぷらと歩くことにしました。

途中、「王様の宝箱」と書かれた自動販売機を発見。みなさんは知っていますか?ぼくははじめて見ました。「一夢1000円!」、「あなたの夢が叶うかも!」、「夢の扉を開いてください!」といかにも怪しげなフレーズが並んでいますが、商品はニンテンドウDS、i pod、電子辞書など欲しいものばかり。なんだか自販機の全体的な色が昔のエロ本自販機にそっくりですが、1000円でもしも i pod が当たればこれは儲けもの。むかし東京フィールドワークで錦糸町に行ったときは、場外馬券売り場で1000円が4万円なってふぐを食べたこともあるし、ちょっとしたラッキーがよく起こるので、いっちょやってみるか!と1000円投入。

しばらくし、ガタン!

夢の扉をそっと開けると、大きな白い箱。

期待は膨らむ。これはもしかして、本当にやったかもしれん。とんでもなく外した方が絵にはなるんだろうけど、本当にいいものを当ててしまったかもしれない。サイズ的にはi podくさい。たまに夢に出てくるくらい欲しかったので、もしそうだったら、これはちょっとやったぞ。自分が思っている以上に鼓動が早まる。よし、開けます。

ん。腕時計だ。
 しかも迷彩だ。
 なんだこれは。

いらん。


そそられ

一夢1000円

夢の扉から白い箱

iPodではなく

これ欲しかったんだよね

どうやって捨てるか


ラッキーなんて信じない。もしあったのならその時にラッキーをあり難く享受するけれど、少なくとも起こる手前からずっとラッキーを信じ、はいラッキーラッキー、おめでとう人生なんて、なんだかやだ。超うらやましいけどやだ。運とかのことはよくわからないので、歩きます。

やけに腕に食い込む時計をはめながら(いつオートバイに気づかれず捨てられるかを考えつつ)、浅草方面へと歩きます。浅草は月に一度「雷ライブ」というライブに出演しているので、頻繁ではないけれど見慣れた場所。でも仕事以外で散歩に来ることはほとんどなく、ロケやら写真撮影やらで来たことの方が多いです。

東京出身の人は案外ベタな東京名所には行ったことがない、というのを聞いたことがあります。浅草、東京タワー、皇居に秋葉原。ぼくも浅草は実家から遠かったこともあり、あまり詳しくは知りません。

手前にかっぱ橋商店街。食品サンプルや大量の調理器具が並び、雑貨が大好きなオートバイさんはしばしの立ち寄りタイム。ぼくは腕時計をどうするかだけ、じっと考えていました。

ちょっと歩き疲れたね。喫茶店でも入ろう。


ローラーボードにもたれる少女

外人さんとまぎれる

つくりものメロンパン、3千円

かっぱの股にうつろな男

ハイボールを夕方に飲む男

三兄弟


オートバイさんが相撲を見ながらハイボールをハードボイルドに飲み、ぼくがウイスキー・ティーというはじめて飲む飲み物をすすっていたとき、妙案が浮かびました。

「弟が浅草に越したんだった。それももうすぐ誕生日だ。これは時計をプレゼントするしかあるまい」

オートバイさんにその旨を告げ、「オーケー」との答えが返ってきたので、さっそく弟に電話。あいにく仕事で留守だということなので(平日の夕方だ、そりゃそうだ)、郵便受けにいれることにしよう。これは兄からの、れっきとした誕生日プレゼントだ。やけに腕に食い込む迷彩の腕時計。気に入ってくれるだろうか。

浅草を闊歩する。
 浅草寺を抜ける。弟の家は知っている。引越しを手伝ったから。


浅草を歩く

わっしょい

浅草寺でまぎれる

写りを確認



弟宅へ向かう


おめでとう、弟よ。今年で27歳だったね。ずいぶんとタフになったものだ。ひとりで浅草に暮らし、戦っている。お兄ちゃんからご褒美をあげよう。時計だよ。これをすれば必ず願いが叶うよ。迷っても平気だよ。方位磁石がついているからね。すぐ取れちゃうけどね。あと締め付けがきついけれど、失くすことがないようにそういう風に出来てるんだ。これから先、夢と運命に悩まされたときには、この時計を見つめてごらん。ジャングルのような絵柄がきっと君を励ましてくれるだろう。お兄ちゃんはいつでも君の見方だ。心配しなくていい。言いたくないけれど、高かったよ。これからも健康に気をつけて、遅刻とかしないように、誠実に、生きておくれよ。

お兄ちゃんは、3歳上だから、今年30さ!


一応鳴らす

メッセージを添えて

お誕生日おめでとう

ギリギリ入った

30さ!

30さ!


もう夜。

浅草寺に引き返し、案外と閉まるのが早い仲見世通りを歩き、雷門を見上げ、そぞろ歩いていると、目に飛び込んできたのは無数の飲み屋。一杯飲もう。

黒ホッピーを飲みながら鶯谷のことを考える。

新宿・渋谷・池袋に首位を奪われた上野・浅草のことも同時に思う。懐かしんでもはじまらないし、そもそも懐かしくもない。世田谷で育ったぼくにとって、この町は新しい。弟もきっと真逆の場所に住みたかったのだろう。いいところだ。

おめでとう、弟。

お兄ちゃんに、罪悪感は不思議とないよ。
 酔っ払っちゃたからね。


夜が迫る仲見世通り

外人さん

修学旅行生

雷門

黒ホッピー

しみる


そのあと、浅草名物「電気ブラン」という酒をかっくらい、したたか酔い、鼻歌を歌いながらこの町を後にしました。

粋という言葉を、じじいになったら理解したいなと思いました。

それでは、また。

東京フィールドワークは次回に向けて、しばらく充電いたします。
 勝手に散歩を続け、勝手に思い、勝手にまた始めます。チャオ!

TOKYO FIELD WORK 2
TOKYO FIELD WORK 2