「三鷹」の地名の由来は、その昔、近辺が徳川家の鷹場であり、野方・世田谷・府中の三領に分かれていたことから、全体を「三鷹」と名付けられたからと言われている。その頃は三大将軍家光がしばし鷹狩りに来ていた。現在はミッドタウンとして人気の高い街。新宿から中央線で約20分。公園や川などの自然も大変多い。東京都三鷹市。希代のクリエイターが住まう街。

「おさむ」と「はやお」が同居する街

東京フィールドワークも残すところあと2回。
東京は広い。まだまだ行き足りない街がたくさんあります。
しかしすべての街をまわるのはこりゃ不可能。イコール今回がラスト前
ということになります。ということで今回はぼくが心から訪ねてみたかった街に
行くことにしました。今までは名前の響きや、行き当たりばったりや、
「寒いから降りちゃえ」なんていう暴挙もあったのですが、今回だけは
ぼくのわがまま、本気で行きたいところに行くことにしました。
その街は、「三鷹」。見たか長さん待ってたホイ。
いやいや、ぼくは待っていました。
この千載一遇のチャンスを心待ちにしていたのです。

ぼくは太宰治が好きです。
なんだかわかりませんが好きになっちゃいました。昨年の漱石ブームから一転、
今年はずっと太宰の本ばかりを読んで暮らしていました。携帯電話は忘れても
太宰の文庫はかばんに入っていました。携帯太宰です。おっかしいよね。
十代の頃、太宰の作品をちょこっとだけ読んでことがあります。
「人間失格」「斜陽」「グッド・バイ」。暗い。重い。しんどい。
読んでは落ち込み、「こんな本読んだら暗い気持ちになるだけだ」と太宰から
離れていきました。村上春樹や村上龍の方がおもしろい。
いや、ドッジボールとか野球の方がもっと楽しい。
ということで太宰治はもう読んだ気になり、何年も読まなくなっていました。
いや、もう一生読むことはあるまい、と思っていたのです。

太宰治。本名津島修治。明治42年(1909年)6月19日生まれ。
青森の大地主の六男として生まれる。借金、女、麻薬中毒、4度の自殺未遂。
2回目の未遂事件では一緒に心中した女が死んでしまい、太宰だけが生き残る。
ろくでなしブルース。売れない貧乏作家を続けるが、30歳の結婚を機に
実験的な作風から一転、健康的で明るい作品を書き始める。
31歳で「走れメロス」を発表。新鋭作家としての道が開き始め、その後たくさんの
短編、長編を書く。しかし39歳のとき、不倫相手の女と玉川上水で心中。果てる。

これが大まかな太宰治のプロフィールです。これじゃあ死ぬ気マンマンの
人みたいです。いや、実際に女に会ってはすぐ「死にたい」と言ってみたり、
最後も結局自殺しちゃったわけですから、「死」に対する思いというのは
人一倍強かった人だといえるかもしれません。これは憧れていた
芥川龍之介の影響もあるといわれていますが、太宰の場合は
やぶれかぶれで未遂事件をを起こすことも多く、実際に「本気で」死のうと
したのは最後だけだったのかもしれません。いや、最後も実は女に
殺されたとかなんとか…。しかしまわりは本当にいい迷惑です。
大金持ちの実家も治にはだいぶ手を焼いていたよう。なんかって言っちゃあ
心中するし、落ち着いたと思えば中毒になるし。太宰に振り回された女性たちもそう。
まさに罪の堕とし子。「太宰治」というより「堕罪治」と表記した方がいいかも知れません。

実際世間のイメージというのも「自殺」「失格」「中毒」と
暗いイメージばかり。名前は知っていても「なんか読む気がしない」作家です。
ぼくだって最初はそうでした。知ってるけどなんか「面倒くさい」のです。
漱石は晴れてお札になれましたが、太宰は絶対にお札にはなれません。
太宰治がお札になったら相当おもしろいですけどね。すんごい「どんよーり」してるお札。
色は黒っぽい灰色。太宰の横顔。「生まれてすみません」と小さく書かれ、
その横に小さく「せんえん」と書かれているの。確実に景気が悪くなります。
使う気しないもんね、そんなお札。とまぁイメージ的にはとにかく「暗い」。
しかし今でも太宰の本は売れ続けているようで、これまでに1,500万部以上も
売れているんだそう。まさにいまだ「現役」の作家と言えるかもしれません。
そこらへんはすごいですね。サッカ日本代表、バック漱石、中盤芥川、フォワード太宰。
「走れメロス」はなんと教科書殿堂入り。あんなにいろいろやった人が教科書に
載ってるなんて、たぶん今ごろ本人が一番驚いていることでしょう。

ぼくが何でふたたび太宰治を読み始めたかというと、たまたま読む本がなくて
家にあった「きりぎりす」という短編集を何気なく読んだら、これがとても
おもしろくて、文章が鬼のようにうまくて、おったまげちゃったんです。
十代の頃に読んだ感じとは全然違っていて、「なんだこの文体は」と
惚れ惚れしてしまいました。浮いてるんですよね。あの時代で完全に。
またああ見えて実はけっこう笑えるものもあるし、あの人自体落語や演劇が好きで、
ユーモアのある創作もけっこうあります。リズムがいい。文体がいい。
「あれ、失格だけじゃないんだ」と思ったのです。

確かに後期は暗いし、前期はけっこう訳がわかりません。
しかし中期の作品、これがとにかくいいものばかりで、それからというもの、
全集を買ったり書簡集(手紙を集めた本)を読んだり、もう頭の中が
太宰でグルグルしていました。

太宰の中期というのはちょうど日本が戦争の真っ最中で、検閲があったり
紙が少なかったりで大変な時期。なのに太宰はそのときに一番輝いている。
変な人です。売れて余裕が出来たり、子供が出来て幸せになると、
逆におかしくなってくる。なんなんでしょう。
しかしとにかくぼくは太宰治の人間的要素よりも、まずその
「文章」にやられてしまいました。いま読んでもどこも不足のない文章。
古いはずなのに古典にならず、死んでから55年も経つのに文章が
活き活きとしている。とんでもねぇなぁ、と、すべてはそこから始まりました。
人間的には尊敬できないところが多々ありますが(バカなことしまくりだからね)、
こと文章を書かせたら、素敵な才能を発揮する。
そして筆一本で生涯をまっとうした人。生き様炸裂の人です。
彼の破滅的な素行は置いておいても、やっぱりあの才気には軽い万歳を
したい気がしました。でも決して薦めませんよ。気分など絶対に晴れないから。

おっと前フリが異様に長くなってしまいました。
フィールドワークはいつはじまるんだ。 いつ歩くんだ。いつまぎれるんだ。
なんで太宰の話ばっかりしてるんだ。もっともなご質問。

そんな太宰が昭和14年、甲府から移り住んだ街が三鷹でした。
途中、疎開などもありましたが、23年に自殺をし生涯を終えるまで、
住んでいたのが三鷹なんです。そしてその三鷹で多くの作品を書きました。
おい、そりゃあ行くしかないだろう。どんな街か見てみたいだろう。
ということで今回も「お笑いフォトグラファー」オートバイさんを誘って
いくことにしました。でもぼくがあまりに太宰太宰言うと彼も引いてしまうので、
「ジブリ美術館あるよ」とにんじんをぶら下げ(オートバイはジブリに目がない)、
行ってきました三鷹の街へ。もちろん行くのははじめてです。
ひとりの男が小説を書き、女と不倫し、酒に溺れ、川に飛び込んだ街三鷹へ。
…ってやっぱりイメージ悪いね。いやいやさっそくいってみましょう。
東京フィールドワーク9回目は、三鷹、三鷹で御座います。
ジブリもあるよ!(みなさんへのにんじん)。

                 ★ ★ ★

さてまずは中央線の三鷹駅。なかなか大きなステーション。
けっこうな人の数が交錯しています。ぼくらは広そうな南口へ行きます。
駅を出ると空中庭園のようになっていて、募金活動や勧誘、待ち合わせ、
ヤフーBBなど(あれどこでもやってるね)、ちょっとしたにぎわいです。
その空中庭園には変な細長い像があります。何と形容すればいいのだろう。
いささか悲壮感の漂う淋しげな像です。ちょっと近寄り難く、その周辺にはだれも
いません。これは何のモニュメントなんだろう。真相わからず。

さて、街を徘徊。まず通りがでかい!店が多い!老若男女!
思ったよりもビッグシティです。もっとこじんまりしているかと思っていました。
街も綺麗でいい感じ。しかしさすがは文学者が多く住んだ街。
ちょこちょこと朽ちた古本屋があって、いい味を出しています。
イトーヨーカドーに負けるな、古本屋!敗北にいたる道が生活ならば、
あなたのやさしさを俺は何に例えよう。そんな古本屋たち。
面影と、未来と。出だしはフィーリング・グーだ。
っていうか普通に便利な街だ。

三鷹だバンザイ!
さみしい像。
大通りを歩く。

古本屋その1。
古本屋その2。
モーターの位置を調べる。


さて、まずは太宰治の墓参りでもしましょう。
ということで太宰が眠る禅林寺へ。ここには文豪、森鴎外のお墓もあります。
三鷹の街を歩く。三鷹といえば下連雀(しもれんじゃく)。この地名は昔、江戸があまりに
大火に襲われるので、空き地を作って火を食い止めようという政策を取り、
神田にある連雀町を空き地にして、住人を三鷹に移し、そこから三鷹下連雀という
名前がついた…というのをシティーボーイズのきたろうさんがコントの中で
言っていました。たぶん本当だと思います。しかし閑静な住宅街。本当に静か。

15分ほど歩いて禅林寺に着きました。
初夏の日差しの中、墓場を歩きます。迷う。どこだ。太宰。どこだ。
あった!ありました。太宰治と書かれた墓石。となりには津島家のお墓。
その斜め向かいには森鴎外の墓(森林太郎と書かれている)。鴎外を尊敬していた
太宰は『花吹雪』の中に「私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓地の片隅に埋められたら」と
書いてあって、その遺志をくんでこの位置にお墓が立っているそうです。

太宰の墓の前で「走れメロス」を読む。感無量です。
あんたずいぶん私を虜にしてくれたね。ずいぶんと睡眠時間を奪ってくれたね。
ぼくはたばこを供え、「メンソールでごめんなさい」と謝り、手を合わせました。
森鴎外にも「あなたの“舞姫”、テストで60点でした」と謝り、手を合わせました。
ちなみに毎年6月19日(太宰の誕生日)には、ここで桜桃忌が営まれます。


三鷹市下連雀。
禅林寺。
お墓を探す。

発見。目の前で読む。
メンソールを供える。
威厳漂う鴎外の墓。


さて、次は玉川上水に向かいましょう。
太宰が友人と散歩をし、創作につまると川面を見つめ、果ては愛人と
飛び込んだ伝説の川。いったい、どんな激流なんでしょうか。
玉川上水は武蔵野や江戸に生活用水を供給するために作られた人口の川で、
その昔は「人喰い川」と呼ばれ、絶対に近づいてはいけない場所と
されていたようです。「人喰い川」とはずいぶんですね。「人を喰う川」。
ぼくらはふたたび駅まで戻り、川べりをあるくことにしました。

お、緑生い茂る通りがあるぞ。「風の散歩道」なんていう看板がある。
お、川がある。これだ!これだ。これか?…これなの?本当にこれ?

人喰い川の面影はゼロ。細くてほとんど流れのない川でした。
ここが激流の川だったのかぁ。信じられません。川幅も狭く、浅い。
「よく死ねたね」と不謹慎なセリフさえ出てきますが、当時の写真を見ると
やはり水量が多く、流れも速く、深そうです。いまはゆるゆると、
残された余生をただぼーっと送っている感じがします。
昔は玉川の上流から勢いよく都会へと水を運んでいた人喰い川。
思いを馳せる。真っすぐ伸びた風の散歩道。

でも天気がいい日にゃ、ここはいいですよ。緑と川。ほとりに沿って伸びる道。
老いた玉川上水を見つめていると、「ただ一切は過ぎていきます」なんていう
境地に至る太宰の気持ちが、わかるような、わからないような…。


風の散歩道。
玉川上水を見つめる。
魚が死んでいた。

ほとりで読むのもまたよし。
ナンバーワンにならなくてもいい〜 
オンリーワーン。


オンリーワンな太宰が入水した地点には、石が置いてあります。
おそらく遺族の意向で「ここが入水した場所です」という記載はやめたんでしょう。
その石は、太宰の生地である青森県金木町産の玉鹿石です。
ぼくは石を見ただけでわかりました。あ、ここだなと。ここで飛び込んだな、と。
プレートに青森県金木町と書いてある時点でわかるのです。
「これは実家の石だ。ここだな」と。なんだかすごいマニアみたいですね。
はじめてきたのに。しかし道端にただ石が「ごん」と置いてあるので、
たいていの人は意味がわからないと思います。

三鷹をはじめて訪れたおばちゃん3人組。
「これ何かしらね」「なんの石でしょ」「さあねぇ」と議論しています。
ぼくはすかさずおばちゃんの中に割って入りました。

「ここはですね、太宰治が入水自殺をしたところです」
「あらぁ、そうなのぉ」
「えぇ。昭和23年の6月13日に愛人の山崎富栄と入水をしました。
 入水した時間は午後11時30分ごろじゃないかといわれています。
 梅雨時の霧が立ち込める夜でした。二人は赤い紐で腰を結び、
 川に飛び込んだのです。見つかったのは6日後の6月19日。
 そう、それは太宰がちょうど40歳になる誕生日の日でした」
「へぇ、あらそう」
「遺体が見つかったのはこの先にある“しんばし”という橋の近くです。
 よかったらそちらもいってみて下さい」
「あらどうも」
「それじゃ、グッドバイ」(さっそうと消える)

…だれなんだ俺は。三鷹のガイドか。はじめてきた人に、はじめてきた人が
ガイドをする。異様な光景です。おばちゃんはあっけに取られていました。
「まぎれるシリーズ」に続き「割って入るシリーズ」がここに完成。
でもただのおせっかいだね、こりゃ。

「下から写真を取るよ」とオートバイが言ってきました。
お、じゃお願い、とぼくは頼み、オートバイ太った体でさっそうと玉川上水へ
降りていきます。が、そのとき!突き出ていた木の根っこに足を引っ掛け、
なんとオートバイ転落!!すんごい勢いでずっこける!
「お前が入水してどうするんだよ!」とぼくは笑いが止まりません。
その転び方や天才の域。前日の雨でぬかるんだ土、突き出た根っこを
計算に入れての転落でしょう。って、うそうそ。マジこけです。
「俺カメラ持ってないよ!」というと、急いで下からカメラを投げてくれるオートバイ。
何枚か写真を撮り終わり、ようやく足をさすり出すオートバイ。
「芸人フォトグラファー・オートバイここにあり」を見せ付けてくれました。
あれ動画で撮りたかったなぁ。見たことのない転び方だった。
ぜひみなさんにも見せたかった。巨体がほぼ一回転…。

でも人喰い川じゃなくてよかったね。


この石はですね…
じゃああそこで、へぇ。
なぜかオートバイが入水。


足はドロドロ、とたんにテンションが下がった紅の豚。
おもわず「飛べない豚は、ただの豚だ」というセリフが頭をよぎりましたが
ぐっとこらえ、「もうすぐジブリ!」「はやおに会えるよ!」となんとかあめを投げ、
フィールドワークを続行。と、なんかいい雰囲気のある建物が見えてきます。
「山本有三記念館」です。小説家、山本有三。「路傍の石」や「女の一生」を
書いた小説家で、主に新聞小説で活躍した人。のちに政治家にもなって
日本の国語の発展に尽くした人のようです。

家がいい。とってもいい。ここはタダで入れます。
なんとも古くてしゃれた雰囲気。別荘風。書斎や応接間も時間によって
醸造された「モダン」な空気に満ちていて、なんともいいです。
大きな庭もあり、「あぁ、いい種類のお金持ちだ」とおもわずためいきが
出てしまいます。他にも三鷹には武者小路実篤の旧居や、国木田独歩の碑
なんかがあるようです。本当に文人にゆかりのある街なんですね。


山本有三記念館。
赤じゅうたんの階段。
庭を覗く。


さてみなさんお待たせしました。
いよいよジブリの登場です。吉祥寺通りをほどなく歩くと、見えてきます。
「三鷹ジブリの森美術館」です。ここはすべてチケット制で、事前にチケットを
買っておかないと入れません。また入場する時間が分かれています。
ぼくらは16時入場のチケット。おお、すごい。すごい人の列だ。
こんな平日の夕方だっていうのに、チケットはすべてソールドアウト。
すごすぎる人気ですね。なんか地方から来ている人もいるみたいです。

ここは基本的に館内の撮影は禁止。屋上や外の喫茶店のみ撮影が
できるようです。みんな心のシャッターを切るべく、こどものような顔。
「迷子になろうよ、いっしょに」というキャッチコピーが書いてありますが、
おとなもこどもも一緒くたにわーわーと館内を駆け回っています。

まず常設展示室を見てみます。はやおワールド炸裂のたくさんの仕掛けが
あって、みんなもう夢の中。オートバイも夢の中。「メイがさぁ」「シータがよぉ」と
ひとり言をいっています。ぼくもジブリ作品はほとんど見ていますが、
オートバイほど熱心なファンでもないので、遠くからお父さんのように
見守ります。続いてネコバスルームへ。ぬいぐるみで出来たでっかい
ネコバスがどかーんと置いてあって、バスの中にはたくさんの「真っ黒くろすけ」が
敷き詰められています。ここは基本的にこどもしか利用できません。
オートバイが指をくわえてネコバスを見ています。「入りたいんだけどさ」と
ぼくにいってくるので「どうみても無理だろ」と言い返します。
「お前でかいから余計にだめだろ」と言うと、今度は係員の人に
「何とかなりませんかね」と交渉しているので「ごめんなさいね」とぼくは
彼の腕をつかみ、外に連れ出しました。あいつがワーワー遊んでいたら
たぶんネコバスも悲鳴を上げるとおもいます。
「う、うがぁ、お、おもーい」。「と、とべなーい」。
そんなアニメも見てみたい気もしますが。

そのまま屋上庭園へ。ここには何と「天空の城ラピュタ」に出てきた
ロボット兵(高さ5.2m)が美術館の守り神としてそびえ立っています。
オートバイの講釈を聞きながらなんとなくストーリーを思い出し、
(ラピュタを見たのが小学校くらいだからあまりよく覚えていないのです)
「いやぁナウシカと混ざるね」とか言ってると「お前、ばかか」という顔をされました。
この屋上庭園には他にも将校ムスカがラピュタを操作するために使った黒い石も
あります。ぼくはまったく覚えていなかったのですが、オートバイに言われるがまま、
黒い石に手をつき、叫びました。「はい、ジブリギャグ、撮れたよ」と言われ、
何のことかわからないまま庭園を後にしました。
本当におもしろいのか?あのポーズは。
ジブリファンなら笑えるのか?心配です。

またこの美術館にはミニシアターがあります。ここでしか見られない15分くらいの
短い映画を見ることが出来ます。ぼくらが行ったときは「コロの大さんぽ」という
犬の話をやっていました。なかなかしみじみとしていい話でした。
舞台が中央線沿線で、街の描写にとても親密な愛情を感じました。
他にも3篇ほど短い映画が見られるらしく、その日によって上映するものが
違うので、これはファンなら何回も足を運ばないといけませんね。
ただときどき、どこからともなくこどもの奇声が聞こえてきます。
「きー」とか「ばーん」とか「あれ、犬?」とかときどき集中をそがれますが、
まぁそこはご愛嬌。「こども」と「奇声」は1セットみたいなものですから。
こんなワンダーなところで、こどもに目くじら立てて怒っても仕方がない気がします。

他にもジブリグッズだらけのおみやげ屋、カフェ「麦わらぼうし」(ホットドックがうまい)、
時期により入れ替わる企画展示室、またマニア必見の「映画が生まれる場所」なる
展示室もあり、玄人から素人まで、ギャルからおじいさんまで、みんなが楽しめる美術館に
なっています。オートバイさんは2階にある「映画が生まれる場所」コーナーから
一向に出てきません。そこには貴重なスクラップブックや絵コンテ、進行表など
たくさんの資料が置いてあって、ファンはよだれ出まくりのたまらない空間のようです。
全作品の絵コンテの前でもう30分以上動かないオートバイ。
いよいよ閉館の鐘が鳴り始めます。

「ほれ、もう閉まるから行くよ」「もうちょっともうちょっと」
「日が暮れるから行くよ」「いやこれ見てみてよ」
「どれ」「このシーンのプロット、本編とちょっと違うんだよね」
「ほー」「すんげぇ心理描写まで細かく書いてある」
「へぇ」「あぁこのシーン!自転車に二人乗りして走るところ!」
「はぁ」「風がさぁ、すげぇんだよ」
すると係員さんがやさしい言葉で「もう閉まりますので」と言ってくれる。
どうやら館内にはぼくらだけしかいないようだ。「すみませんね」とぼくはいい、
オートバイを引っ張り出し、ジブリの世界からようやく抜け出しました。
さっきの大コケ事件も忘れ、すっかり童心のかたまりオートバイ。

「また今度朝から来ようっと」
「そうだね。朝の5時くらいからね」(開いてない)


水曜だというのにすごい人の列。
美術館外観。
ジブリの世界に浸る。

そびえるロボット兵。
ガリガリニ等兵。
ジブリギャグ炸裂!


そのまま隣接している井の頭公園を歩きます。
はじめてきましたが、こりゃあ最高だわ。広くてとにかく気持ちがいい。
森は鬱蒼(うっそう)、池は広大、芝生はふかふーか。
ぼくは広場でぼーっとし、おばちゃんのランニングにまぎれ、
テニスサークルの一団にまぎれました。
「はーい、じゃあ打ち上げは渋谷でーす。各自移動してくださーい」。
「はーい!」とぼくは大声で応え、「あいつだれだよ」という顔をされ、
「吉川だよ!」という顔をし、「なんだよみんな、プレイ中はあんなにやさしいのに!」と
逆ギレをし、「もういい!帰る!」と頬を膨らませ公園を後にしました。
みんな「誰、あいつ?」「知らない」と呟いていました。

「まぎれて、変人を気取る」。これが東京フィールドワークでのぼくの仕事です。
第1回目はそんな趣旨はなかったのに、いつの間にか「まぎれる」が
このコーナーのメインになってしまいました。早稲田のサークル、巣鴨のご老人たち、
大森の水族館に来ていた家族、錦糸町の競馬おやじ、汐留の電通マン、
赤羽の銅像、高円寺のサッカー少年…。まぁいろんなところにいったもんだ。

しかし本当にいい公園だなぁ。もう三鷹住みてぇなぁ。

「武蔵野の 面影揺れる 井の頭  家賃はいったい いくらかしら…」


広い広い井の頭公園。
ぼーっとする。
まぎれる。

必死でアピール。
またまぎれる。
少年に家賃を聞く。


さて、ひとしきり三鷹を堪能したところで、ふたたび太宰めぐりを再開。
「まだすんのかよ」という目線にも負けず、三鷹の街を歩き倒します。
日も暮れてきて、空気も冷ややかになってきました。
ぼくは太宰が足繁く通い、仕事場としてもよく使っていたった「千草」という
小料理屋の跡を訪れ(いまは「ベル荘」というアパートになっています)、
太宰が入り浸った酒屋を拝見し、太宰が飲み歩いた横丁を歩きました。
「へぇ」とか「ほぉ」とか「うーん」とか言いながら。
しばし立ち止まり、想いをめぐらせ、「はい、次」と街を闊歩します。

となんだかんだしているうちに、すっかり夜になってしまいました。
ふたたび玉川上水べりを歩きます。少しだけ、昔の恐ろしい川だった頃の
風情が漂ってきます。昼と違い、まるで人嫌いするかのように川面を見せない
玉川上水。ぼわぼわとした木々に囲まれて、くねくねと曲がりゆく。

公園を抜けてしばらく歩くと太宰の遺体が発見された「しんばし」へ着きます。
「ここで見つかったのか」と橋の下を覗きますが、なんだか怖い。
お化けでも出そうな雰囲気。昼に歩いた「風の散歩道」のすがすがしさとは
まったく別種の、暗くてつかみ所のない闇がそこらじゅうを包み込んでいます。
昼は明るく健康的な太陽が街を照らし、夜は暗くただ堕ちて行くのような
暗闇が街を覆っている。まるで彼の中期から後期までの作品を一気に
体感したような、変な錯覚に陥りました。しかし暗い。怖い。底知れない。

橋の下を見つめる。いろいろ考え、いろいろめぐる。
そしてぱっと妙案が浮かぶ。

「オートバイ、もう一発やってみる?」
「やるかバカ!普通に怖いわ!」


太宰の仕事場跡。
太宰が通った酒屋。
太宰の遺体が見つかったしんばし。


いやぁ歩いたなぁ。家で本を読んでいるのもいいですが、やっぱり
こうやって街を歩き回って、いろいろなところを見て、ぐったり疲れるのも
いいですね。なんではじめていく街ってこんなに楽しいのでしょう。

あっぱれ三鷹。
ジブリ&太宰治。玉川上水&井の頭公園。
ぼくはおなかいっぱい。もう食べられない。歩けない。
とにかくすごくいい街でした。実は井の頭公園だけでも1日中遊べます。
もうここは9回行った中で、住みたい街ナンバーワン。
文句なし。いつか住んでやろうと思います。

ありがとう三鷹。
これで少しは太宰の熱病から抜け出すことが出来るかもしれない。
少しはね。少しは。

ということで次回はいよいよ最終回!
とんでもない、東京の果てへ行ってみたいと思いますよ。
あの島へ。

え?島?

ヒントをまぶして、グッドバイ。