明治25年に隅田川の中州が埋め立てられ、出来た当初は軍事関係の鉄工所が多く立ち並んだ。戦争がはじまり東京が焼け野原になっていく中、月島は近くに聖路加病院があったため爆撃の対象から外され、奇跡的に昔のままの下町が残されている。また最初は「築地」と同じく「築島」という表記だったが、月見の名所として人が集まるようになり、「月島」と改名、今に至る。また近年ではなんといっても「もんじゃ焼き」の街としても有名で、約70軒ものもんじゃ屋さんが軒を連ねている。「中央区月島」。とにかく下町。


東京フィールドワーク、栄えある第一回はなぜか「月島」です。
魚市場・築地の近く、中央区のカテゴリー。下町情緒溢れる、埋め立ての街。
多くの文人が住み、月の名所として名を馳せた江戸風情・もんじゃの街。
おうおう、そそられるじゃないか。僕は全然下町っ子じゃないので、
多少のあこがれと絶大なる興味があって、一回目は月島に決定しました。
名前がいいじゃない。「月島」って。詩的で庶民的な感じがしていいじゃない。
それに当然のことながら一回も行ったことがない。これが重要で、
このコーナーの大前提でもあるので、「オレ月島行ったことないよな、ないよな」と
「想い出確認」をしながら「よし大丈夫」とゴーサインが出て、ワールドカップの
決勝が行われる日曜日の昼、大江戸線に乗って行ってきました。

さて、僕はといえばあまり情報もなくとりあえず月島駅に着きます。
階段を上り、さあどーんと来い下町!!と意気込んでいると、目の前に
そびえ立つ高層マンション。おい、ずいぶんなご挨拶じゃないか。
池尻大橋と大して変わらないじゃないか。どうした下町。古い街並み。
別にいきなり木造平屋建ての街並がずらーっと姿を現すとは思っちゃいないけど、
あの高すぎる建物は一体なんだ。面食らって大通りを歩いていると、地図がある。
どうやら商店街やもんじゃ屋さんは大通りを一本入った通りにあるらしい。
だよなー。これじゃあレーゾンデートルの崩壊だよなーと小声で呟いていると
ありましたよ、商店街。ありましたよ、もんじゃ焼き。ありましたよ、銭湯。
入り口の服屋さんなんかには「なんじゃ!?もんじゃ!Tシャツ」が売っていますよ。
みうらさんが喜びそうですよ。

月島駅。地下鉄なので絵が地味。
月島浴場

なんじゃ!?もんじゃ!Tシャツ。1000円。
交番にも風情が見出せる。が、後方に高層ビル。

さて商店街を歩いてみます。おもちゃ屋、そば屋、くつ屋、くすり屋といろいろあるけど、
やはりもんじゃ屋が異様に多い。二軒に一軒はもんじゃ屋じゃないかと思えるくらいの
もんじゃっぷり。ソースのいい香りがしてきます。が、単純に思います。
「こんなにいっぱいあってやっていけるんだろうか」。だってさ、多すぎる。
それにそこまで味って変わるのだろうか。メニューを見てみるとそれぞれ工夫が
あるようだけど、やっていない店もかなり多いです。日曜日だからか?でもなんで
日曜に休むんだ?と変な心配をしてしまいます。また、お客さんが入っている店と
入っていない店の格差がかなり大きい。なんじゃもんじゃとか言ってる場合なんだろうか。
大丈夫かもんじゃ。僕が心配してもどうにもならないけど。

しかし通りを一本入ると、やはり下町風情というか庶民の街というか、
建物がけっこう朽ち果てていて、それがなかなかいい味を出しています。
狭い路地に植木鉢が並び、猫がタタターっと通り過ぎる。なんだか
小さいころの両さんが飛び出してきそうです。ああ、そうなんだよな、
こういうイメージだよな、とじーっと眺めていると、後方にそびえ立つ
ビル・マンションの影。変な光景。どっちかにして欲しい。

 もんじゃ屋さん。本当にいっぱいあった。
古い街並みと新しい風景。渾然としているが一体はしていない。

     

クレーン。
千と千尋に出てきそうな不思議な像。

                              

うなだれる。
下町ネコはデブだった。


でもね、正直うなだれました。「江戸情緒、月島」、これは確かにあったと思うけど
とにかく開発がひどい。何というか、ウォーターフロントというか、もうすさまじい。
区画整備、高層マンション、大型クレーン。日曜日だったので街は落ち着いていたけど、
あんまり魅力を感じなかった。今考えるとなんでかわからないけど、その時は憤慨して
したので結局もんじゃも食べなかった。別にぼくは懐古主義者ではないけども、
やっぱりどこか淋しい。世田谷線の旧車両がなくなったときも相当淋しかったけど、
似たような「システム入れ替え時の得も知れぬ淋しさ」があったように思う。
でもさ、世田谷線に乗って冷房が効いてると「あぁ涼しくていいなぁ」と思っちゃうしね。
また街が古いから単純に「危ない」ということもあると思うしね。都心に近いしなぁ。
高層マンションも仕方ないか、という矛盾した気持ちもあるにはある。そういった
アンバランスさが、街を見渡すとあったような気がします。でも、人の感じ、
これはなんとも下町くさかった。独特のコミューンがそこにはあった。
おばあちゃんとか、おやじとか、なんとも人なつっこい感じで、隣り近所に
余った夕飯を持っていくみたいな(よくわかりませんが)、密接な人の感じ、
これだけは確かにあると思いました。おばあちゃんはばかばか立って行く高い
ビルを見て、どう思うのだろうか。「時代の流れには逆らえぬ」という感じ
なんだろうか。でももう少しやり方があるだろう、という気が正直したよね、
おばあちゃん。がんばれ京都!!と遠くにエールを送りたくなりました。

そしてぼくは傷心のまま、怒りの「もんじゃ拒否」を貫き、月島をあとにしました。
「てやんでい、冗談じゃねいよ、べらぼうめ」と悪態をつきながら。

どうも僕は下町を誤解しているようです。