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capter3:ミツバチのささやき

蜜公園〉にあるものは、なにからなにまで蜂蜜糖でできている、といわれている。なにもかもが蜂蜜から作られる蜂蜜糖でできているのだ。どうやって蜂蜜から蜂蜜糖を採るのか、あとで詳しく教えてあげよう。この公園の創始者たちがどれだけ賢かったのかが、あなたにもきっとわかることだろう。だが残念なことに、わたしたちは創始者たちの姿を知ることはできない。数少ない記録によれば、かれらはふたりの男女で、恋人同士だった。わかっているのはそれだけなのだ。かれらはあるとき〈蜂蜜公園〉を去っていった。どうしてなのかはわからない。かれらの功績を称えて、かれら二人を記念する像がこの公園内に建てられた。でもその像は石像でも銅像でも大理石の像でもなかった。かれらの意向にしたがって建てられたそれは、パンで作られた像だったらしいのだ。だからその像は作られたそばからどんどん小鳥たちに食べられていき、ついに完成したときにはすでにこの世に存在しなかった。なんてチャーミングなアイディアだろう。だからいまでも残っているのは蜂蜜糖でできた台座だけなのだ。
そこにはこう記されている。

ーリンハニー」

れがかれらの名前だ。ふたりで、ひとつの名前。

れらの姿を思い出すことはもう誰にもできない。でもその名前はいまでも生きている。この〈蜂蜜公園〉では、いろいろなふたり組によってその名前が代々受け継がれてきた。いまの「ダーリンハニー」は人々に笑いをもたらすという仕事をしているふたり組の男の子だ。かれらの姿なら見ることができる。

にかく、わたしたちは、わたしたちの生活に必要なもののすべてを蜂蜜糖でつくる。だから〈蜂蜜公園〉には、およそ5万匹のミツバチがいる。5万匹のミツバチの世話をしているのはたったひとりの人間で、しかも女の子なのだ。

の女の子は養蜂場の近くの小屋に住んでいて、24時間いつでもミツバチのささやきに耳を澄ましている。ミツバチの飼育係がかの女の仕事だからだ。
わたしは毎日のように、かの女の小屋を訪ねていく。
それはいつからか日課のようになってしまった。
かの女はここではマーヤと呼ばれている。かの女はみなしごなのだ、とエスはいっていた。マーヤだけどみなしごなのだ。

たしたちはミツバチがぎっしり詰まった箱のそばで立ち話をしたり、かの女の部屋でいっしょにコーヒーを飲んだりする。かの女の淹れてくれるコーヒーはとてもおいしい。
わたしはマーヤに新しく読んだ本の話をする。
かの女はわたしがどんな本を読んだのか、とても知りたがっていて、わたしも喜んでわたしが読んだ本のことについてかの女に話す。
マーヤは、本を読むことができなくなってしまった人々のうちのひとりだった。
いまではもう本を読むことができる人間は少なくなってしまった。
かの女は、いつか自分でまた本を読みたいと思っている、とわたしに話してくれた。
わたしもかの女がそうなればいいなと思っている。できるだけ早く、マーヤが本を読むことができるようになればいいなと。そうすれば、おたがいに読んだ本の話ができるのだ。
それはすばらしいことだし、なにものにも代えがたい経験だとわたしは思う。
本当にかの女が早く本を読めるようになればいいのに。

んにちは」とわたしはかの女に声をかけた。かの女はミツバチがせっせと集めてまわってきた大量の蜂蜜がくっついた板を取り外そうとしているところだった。
「あれ? なんか今日は早いのね」とかの女はいった。「ちょっと待ってて。もうすぐ休憩するところだから」
「また出直してこようかな」とわたしはいった。確かに、いつもよりそれは早い時間だったのだ。
「ううん。待ってて。ほんともうすぐだから」とかの女はいった。

たしはかの女の仕事ぶりを感心してながめていた。
かの女はまるで自分もミツバチの一員になったみたいにいそいそと動きまわっていたから、わたしはなんとなく嬉しくなってしまったのだ。かの女の大きさは女王バチよりも遙かに上なのに、働きバチと同じくらいよく働くのだ。かの女の仕事ぶりを見るのは、わたしの楽しみのひとつだった。かの女はあの宇宙服みたいなかっこう悪い網をかぶったり、防蜂服を着込んだりしない。それで、どうしてミツバチに針を刺されたりしないのか、わたしには全然わからない。
きっとかの女には特別な力があるんだろうとわたしは思う。

こに来る前まで、わたしは蜂が大嫌いだった。
あんなおぞましい生きものなどこの世から一掃してしまえばいいのにとさえ思っていたほどだった。
でもいまでは、とても愛おしい生きものだと思えるようになった。
ただしミツバチに限り。
ほかの蜂ではだめだ。ミツバチだけ。
だって、かれらの働きがなくてはここでの生活はままならないわけだ。なしにろすべてが蜂蜜糖でできているのだから。〈蜂蜜公園〉の存在をその根底から支えているのは、ほかならぬ、かれらミツバチたちなのだ。
それにかの女の熱心さは仕事の範疇を越えて、愛の領域にまで達しているようにわたしには見える。
かの女はここの誰よりもミツバチのことを知っていて、しかもかれらを愛している。
ということは、わたしはただミツバチのことを知らなかっただけなのだ、たぶん。
かれらは勤勉で、わたしたちの知らない信号をたよりに蜜のありかを探る。神秘的で、小さな、ぶんぶん音をたてる生きもの。

んなわけで、〈蜂蜜公園〉の入り口には「ハニパくん」と名づけられたミツバチのレリーフが刻まれている。ハニーパークのシンボル、ハニパくん。
そのレリーフはなんかこう親しみがあって、これを嫌うなんてことは誰にもできそうにない。

たしたちはかの女の部屋のキッチンに置かれたテーブルに向かい合って座った。
「紅茶でいい? 採れたての蜂蜜があるんだけど。それともコーヒーがいい?」とかの女。
「今日は紅茶にしよう。おいしい蜂蜜をたっぷり入れてね」とわたし。
「じゃあ、ちょっと待っててね。今朝焼いたクッキーも食べる?」
「もちろん」とわたしはいった。

たしたちは向かい合ったまま、蜂蜜がどっさり入った熱い紅茶を飲み、クッキーを食べた。そのどれもが蜂蜜糖を使ってできているなんて、とても信じられないほどなのだ。
「今日はいつもより早く来たのはどうして?」とかの女はいった。
「新しい仕事をすることになったんだ」とわたしはいった。
「どんな仕事?」
「いつも、きみに話しているようなことを、ほかの人たちも聞けるようにする仕事だよ」
「つまり、本の話ね?そうでしょ?」
「そう、その通り」

ま、わたしは閲覧室で、マーヤに話した「新しい仕事」をしているところだ。つまり、いま書いているこれだ。わたしはいつもかの女に話していたように、あなたにも話すことができればいいなと思っている。少しずつ、ゆっくりとだが、本の話をしようと思っている。本の話や、ほかの、もっと違ったことの話とかも。
わたしはマーヤに頼んで、わたしの書いた文章をあなたが遠くにいても読めるようにしてもらうことができるようになった。これまで書いたものも、全部そうなのだ。かの女は昔、〈蜂蜜公園〉にやって来る前、コンピュータの仕事をしていたのだ。マーヤがいったいどうやって、わたしの書いたものをあなたが読めるようにできるのか、わたしにはわからない。とにかく、かの女にはそれができるのだ。そうして、出来上がったことをかの女が管理人のエスに知らせる。わたしがいいたいのは、いろいろな人の助けがあってはじめて、わたしはあなたに話しかけられるのだということだ。わたしの話すことが、そんなふうにいろいろな人の助けを借りてまで話すべきことなのかどうか、わたしはとても心配している。うまくいけばいいのだけれど、とわたしはそれだけを願っている。

うすると、なんだかわたしは自分がミツバチになったような気がするな。
花の蜜ではなくて、いろいろなことばを集めてまわるミツバチに




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