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エレベーター

2005,11,29,Tuesday

午後になってから、わたしはスーパーマーケットで買い物をすませた。買い物袋を下げて、いそいそとエレベーターで部屋に帰る。ちょうど獲物をつかまえたあとで巣に戻る動物みたいだ。1階から11階まで上がる。地上から最上階まで。樹上に住む森の哺乳類のように。

わたしが「11」のボタンを押したとき、女の子が滑り込むようにエレベーターに乗ってきた。ちょっとした小走りで。こどもたちはいつもなにかと急いでいるものなのだ。まだちいさい女の子。小学一年生くらいかな。赤いランドセルを背負っていた。わたしは髭がぼうぼうだったから、女の子が警戒しなければいいのだけれど、と思って緊張した。なるべく動かないように。動いて、彼女を不安がらせないように。スーパーマーケットの袋をがさごそいわせないように。息をするのも慎重にしなければとわたしは自分に言い聞かせた。まるで綿でできたみたいに薄っぺらな宇宙服で船外活動をしているみたいだった。

女の子は「9」のボタンを押してからドアの前に立つと、じっとしたままでいた。つまりわたしの方を決して振り返らなかった。決して振り返るまいと決意しているようにすら見えた。まあそれはわたしの思いこみだろう。それにエレベーターの中で後ろを振り返る人間がそれほど多くいるわけでもない。そう、わたしは最上階の住人なので、いつもかならずエレベーターの箱の奥に陣取ることにしているのだ。壁に背をつけて。「最後の者が最初に。最初の者が最後に」というわけだ。

エレベーターが動き出す。ここのエレベーターは哀れな奴隷たちが地下でロープをひっぱって持ち上げているような具合にガタゴトとのぼってゆく。いよいよわたしたち二人は閉じ込められることになった。だが仕方ない。おたがい、部屋に帰り着くためなのだ。わたしは、自分がちいさな女の子で、後ろにいる髭がぼうぼうの男につむじのあたりをじっくりと見つめられているような気持ちだった。早くエレベーターが9階に着くことだけを願った。そして同時にわたしはわたしなので、いや、そんなに怖がることはないよ、わたしはただ部屋に帰ろうとしている30手前の男なんだ、いっしょに住んでいる恋人だっている、ということも知っているのだ。でもそれを伝えることができない。わたしはそのことについて、ほとんど絶望的な気持ちになってしまった。わたしの中のどこをどれだけ探しても、こういうときにちいさな女の子にかける言葉がひとつも見つからなかった。ひとつもだ。そしてどれだけ言葉を排しても、「わたしたち」はコミュニケートしてしまうものなのだ。狭いエレベーターの中ではそのことがよくわかった。それを誤解だと、だれが証明できるだろう。言葉とは、もしかしたら「わたしたち」が自動的にしてしまうコミュニケーションを訂正するために存在するのかもしれない。

わたしはスーパーマーケットで蜜柑を買ったんだった。蜜柑のオレンジ色が白いビニールの袋に透けているのをわたしは見つけた。それは光り輝く救いのようにも思えた。これを一個、プレゼントすればいいのかな。いやだめだ。そんなことをしては。余計に怪しまれるだけじゃないか、とわたしはすぐに思い直した。知らない人からものをもらってはいけません、と母親からきっと教わっているに違いない。そう、これが言葉だ、とわたしは思った。わたしは女の子の母親の言葉を、この一瞬だけ訂正するために、わたしの言葉である蜜柑をぶつけてみるべきだったかもしれない。つまりこういうことなのだ。もしわたしがちいさな女の子で、エレベーターの中で髭がぼうぼうの男と居合わせることになったとしよう。そして居心地が悪いと感じるとする。あるいは恐怖すら感じるかもしれない。でもその男の下げているビニール袋の中に蜜柑があるのをわたしは見つける。なんだ、とわたしは思うだろう。この人は悪い人ではないな、と。そのエレベーターの中で、そのとき蜜柑はそのような意味を帯びていたのだ。わたしにとっては。

恐怖とはその成分のほとんどが想像力である。あるいは想像力が凝縮され、折りたたまれた結果としての直感とでもいったものであって、そこでは客観的な事実性などといったものは、多くの場合、大して役に立たないものだ。わたしが悪人である・ないに関わらず、かの女は怯えることが可能だ。そしてその恐怖という感情の正当性を、わたし自身がくつがえすことができるのかどうか、ということ。わたしがエレベーターの中で考えたのはそういうことだったと思う。この懐疑はまるまるわたしにも当てはまるだろう。「かの女を怯えさせているかもしれない」というわたしが抱く恐怖は、かの女が怯えている・いないに関わらず、わたしをとことんまで不安にさせる。そういうときのために、わたしたちは言葉を交わすのだ。そしてもしそのとき言葉が見つからなければ、わたしはエレベーターの中で永遠に悪人であり、かの女は永遠に怯えているのである。

ふいにエレベーターが停止した。やあ着いた。これでわたしは女の子ともども髭ぼうぼうの男のプレッシャーから解放される。長い旅だった。これからは空が破れるくらい深呼吸したってかまわないのだ。まるで新しい楽器みたいにスーパーマーケットの袋をがさごそいわせたっていい。女の子はエレベーターのドアが開くと同時に、檻から放たれたけものみたいに外へと飛び出していった。わたしだってきっとそうすることだろう。

ちいさな女の子と入れ替わるようにして、今度は大人の女がエレベーターに乗り込もうとして来た。でも直前で立ち止まった。「これ、下、行きますか?」と女はいった。中国人だった。いや上です、とわたしは答えた。女はエレベーターに乗らなかった。扉がゆっくりと閉まる。エレベーターは再び動き出す。しかし次の階ですぐに止まってしまった。そう、そこが9階なのだった。女の子が降りたのは8階だったのだ。

diary 2005,11,29,Tuesday
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