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光について

2005 12,17,Saturday

いま、この世界のどこかではたくさんの雪が降っている。この日本のどこかで。この地球のどこかで。この宇宙のどこかで。部屋の中でじっとしていると、そういう雰囲気がする。どこかで雪が降っていてもおかしくはない、といった気配のようなもの。そういう空気がそこはかとなく漂っているような気がする。というよりも、おそらく、ニュースでやっているのをわたしは見たのだ。雪が降っている地方のことを知らせるニュースを。

たとえばニューヨーク。ニューヨークでは雪が降っている、とニュースでやっていた。本当かな。わたしはニューヨークが存在することをうまく考えられない。そこにいま、友人が住んでいる。でもうまく考えられない。

そして日本の、日本海側の地域にも、たくさんのたくさんの雪が降っているそうだ。

わたしは一度だけ日本海に行ったことがある。真冬だった。たどり着くまでに雪のせいで死にかけたのだった。わたしたちは砂浜でサッカーをした。寒くて爪先が砕けそうだった。早朝で、世界の果てみたいに閑散としていた。

いま、わたしの部屋の窓から雪は見えない。わたしの部屋の窓から見えるのは、わたしが午前中に干した洗濯物である。いまは午後9時だ。そうだ、早く取りこまなくちゃいけない。その向こうには教会が見える。一昨日あたりから、クリスマスツリーが飾り付けられた。そのもっと向こうには大学がある。キリスト教系の大学だ。しばらく前から巨大なツリーが二本立っている。キラキラと電飾が眩しい。きっと、あの電飾を消すという仕事をして家路につく人間がいるのだろうとわたしは想像している。もしわたしがそういう仕事に就いたとしたら、ということを最近はよく考えている。

そのもっともっと向こうには、むすうのひかり輝くツリーたちが立っているはずだ。光のつぼみを膨らませて、それらはまるで夜のあいだだけ咲く花のようだ。

わたしはこの部屋に住むようになってから、光についてよく考えるようになった。本当のことをいえば、昔から光について考えることをわたしはしてきたように思う。どうしてだろうな。それはもしかしたら、わたしの視力が2.0であることと関係があるかもしれない。

diary 2005,12,17,Saturday
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あと5分で

2005 12,12,Monday

夜遅くに、初めて弟が部屋にやって来た。友だちといっしょに。「今ドライブで近くにいるけど行ってもいい?弟」と突然メールで聞いてきた。わたしは「いいよ」と返事をした。それから、わたしはただ待っていたのだけれど、「いったいどうやって来るのかな」とずっと考えていた。いくらたっても場所を訊ねてこないのだ。わたしは、いまどこらへんにいるのかと聞いてみた。そうしたら「あと5分で着く」という返事が返ってくるのだ。いったいあと5分でどこに着くのだろう、とわたしは思ったけれど、とにかく待っていた。すると今度は電話がかかってきて、近くのコンビニに着いたという。どうしてわかったのか不思議だったけれど、わたしはかれらを迎えに下まで降りていった。朝起きたら散らかっていたはずの部屋がすっかり片づいていた、とでもいうような、なんだか騙された気分だった。

弟はもうマンションの前にいた。わたしにビールを買ってきてくれた。それでコンビニに寄っていたのだ。どうして場所がわかったのかと聞いてみると、なんのことはない、どうやら前にわたしが教えたらしかった。わたしは自分が弟に引っ越し先を教えたことをすっかり忘れていた。それにしても記憶力がいいなとわたしは思った。それに勘もいい。かれはマンションの名前まで覚えていて、わたしは妙な気分だった。なんだか当たり前のような顔をしてあまりにもスムーズにやって来たからだ。

弟の友だちは猫アレルギーだった。部屋に猫がいることを知ったとたん、友だちは玄関に引き返してしまい、そこから一歩も動こうとしないのだ。弟が「大丈夫だって!」と説得しても、「それだったら先に帰る」などと弱々しくいっている。その姿はなんだか可笑しかったけれど、本人にとっては一大事である。よほどの猫アレルギーなのだ。わたしはグリを押し入れに隠した。部屋が安全になったことを告げると、おそるおそる友だちは部屋に入ってきた。グリが押し入れを開けようともがいている音が聞こえてきて、わたしはひやひやしながら、もらったビールをさっそくひとりで飲みはじめた。かれらはベランダに出て夜景を見ていた。わたしは夜景がよく見える部屋に住んで、本当によかったと思った。

弟が「猫を見たい」というので、今度は友だちを台所に閉じ込めて、その代わりにグリを押し入れから出した。友だちを押し入れに閉じ込めるわけにはいかない。グリは弟の匂いを嗅ぎまわり、手の甲をしきりになめていた。初めて会う弟の前では借りてきた猫のように大人しいのだった。真っ黒だね、と弟はいっていた。肉球も黒いんだよ、とわたしは教えてあげた。

弟の性格からすると、きっとすぐに帰って行くだろう、とわたしは踏んでいた。すると案の定、かれらは長居をせず、20分かそこらで帰って行った。次になにかすることがあるのだ。弟は「また来るよ」といって靴を履いた。わたしはちょっと待って、といってカメラを取りに行った。玄関にふたりを並べて写真を撮った。「写真嫌いなんだよ」といいながら、「フラッシュ焚いた方がいいんじゃないの?」などといって、しっかり写真におさまろうとするのだった。

diary 2005,12,12,Monday
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かれらはいったいどこへ

2005 12,10,Saturday

朝、といっても昼過ぎのこと。玄関のチャイムが鳴って目が覚めた。今日は土曜日である。こんな時間にだれかな、とわたしは飛び起きる。飛び起きないわけにはいかない。誰かがわたしの耳の穴へ向けてさっと槍でも投げたみたいなのだ。槍はわたしの耳元で火の輪くぐりをするサーカスのライオンに変わる。右耳から左耳へ。そう、チャイムの音はどこか黄色味を帯びているような気がする。あまりにもびっくりしすぎるせいで、鳴った瞬間にはもう立ち上がってしまっているほどである。そうなのだ。寝ぼけていて頭が働かなかったのだけれど、今日、なにか荷物が届く予定があるわけではなかった。だとすれば、こんな時間にやって来るのはただひとつの人種しかいない。それは新聞の勧誘員である。わたしは不用意にドアを開けてしまった。

ドアの外には初老の男が立っていた。男はいきなり「どうすれば若い人たちが新聞を取ってくれるのか、私に教えてくれませんか」といった。わたしは、それが新聞の新たな勧誘手段であるなどとは思いもせず、真剣に、玄関先で、どうすれば若い人たちが新聞を取るようになるのだろうかと考えてしまった。よほど寝ぼけていたのだろうと思う。でもあえて他人に向かって発表するような妙案は思い浮かばなかった。寝ぼけていたし、なにがなんだかよくわからなかったのだ。確かに新聞は高いです、とその初老の男はいっていた。わたしの印象に残ったのはその部分だけだった。つまり、男は、これから売り込もうとしている商品を自分で「確かに高い」などといっていて、そんなものはふつうに考えたら売れるわけがないのではないだろうか、とわたしは思わざるをえなかった。なんだか買う価値がないように聞こえてしまうではないか。だからあなたが勧誘をやめるべきです、とわたしはいうべきだったのかもしれない。あんな泣き落としをするなんて気持ち悪い、とグリコはいっていた。なるほどな、とわたしは思う。あれも勧誘手段の一種なのだ。途中で顔を出したグリコの助けがなければ、わたしはきっと新聞を取るはめになったか、ほとんどその一歩手前まではいったのではないだろうかと思う。

さて、わたしたちはその新聞屋のおかげでぱっちりと目を覚ますことができた。いささか不愉快にではあったけれど、ぱっと布団から出ることができた。その点についてはかれに感謝しなければならないだろう。わたしたちは身支度を調え、昼食を食べに外へ出た。アメリカのロックンローラーの名前を冠した店だった。それから腕時計の電池を交換し、何本かの酒を買い、一度、部屋へ戻って一休みし、それからカーテンを買いに行った。デパートの地下でハンバーグを作るための食料品を買った。合い挽きの挽肉。パン粉。ナツメグ。デパートの地下食料品売り場にはそれこそ何十種類ものスパイスが揃っていて、いくら探してもナツメグが見つからず、店員に聞いてもすぐには見つからなかった。わたしたちはみんなでナツメグを探した。結局、ナツメグを発見したのはわたしだった。

外はもうすっかり陽が落ちて寒かった。なにしろ12月も半ば近くなのだ。さっき出かけたときには平気だったのに、秋とほとんど変わらない服装をしていたわたしには限界に近かった。いつもはホームレスが休憩しているちょっとした空間は、クリスマスの飾り付けで煌々と明るかった。だからなのだろうか、ホームレスたちはどこかへ行ってしまったようだった。鳩もいなかった。かれらはいったいどこへ消えてしまうのだろうとわたしは思った。

そこで自転車に乗ったさっきの新聞屋とすれ違った。昼ごろわたしたちの部屋にやってきた新聞屋だ。あれ?どこかで見たことがあるな、と思って、すぐにそうだとわかった。かれは小さな紙切れに書かれたメモ(おそらくは住所なのだろう)を見ながら自転車を漕いでいた。こんな時間まで新聞の勧誘をしているのだ、とわたしは思った。なんとなく、かれはその日、一件も契約を取れていないような気がした。どことなくそういう風に見えたのだ。そしてそう考えると新聞というものはいったいどうやって作っているのだろうと不思議なくらい安いように思えた。けれど、わたしたちは新聞を取るつもりはなかった。それはかれらの努力とはまったく関係がないのだ。

diary 2005,12,10,Saturday
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エレベーター

2005 11,29,Tuesday

午後になってから、わたしはスーパーマーケットで買い物をすませた。買い物袋を下げて、いそいそとエレベーターで部屋に帰る。ちょうど獲物をつかまえたあとで巣に戻る動物みたいだ。1階から11階まで上がる。地上から最上階まで。樹上に住む森の哺乳類のように。

わたしが「11」のボタンを押したとき、女の子が滑り込むようにエレベーターに乗ってきた。ちょっとした小走りで。こどもたちはいつもなにかと急いでいるものなのだ。まだちいさい女の子。小学一年生くらいかな。赤いランドセルを背負っていた。わたしは髭がぼうぼうだったから、女の子が警戒しなければいいのだけれど、と思って緊張した。なるべく動かないように。動いて、彼女を不安がらせないように。スーパーマーケットの袋をがさごそいわせないように。息をするのも慎重にしなければとわたしは自分に言い聞かせた。まるで綿でできたみたいに薄っぺらな宇宙服で船外活動をしているみたいだった。

女の子は「9」のボタンを押してからドアの前に立つと、じっとしたままでいた。つまりわたしの方を決して振り返らなかった。決して振り返るまいと決意しているようにすら見えた。まあそれはわたしの思いこみだろう。それにエレベーターの中で後ろを振り返る人間がそれほど多くいるわけでもない。そう、わたしは最上階の住人なので、いつもかならずエレベーターの箱の奥に陣取ることにしているのだ。壁に背をつけて。「最後の者が最初に。最初の者が最後に」というわけだ。

エレベーターが動き出す。ここのエレベーターは哀れな奴隷たちが地下でロープをひっぱって持ち上げているような具合にガタゴトとのぼってゆく。いよいよわたしたち二人は閉じ込められることになった。だが仕方ない。おたがい、部屋に帰り着くためなのだ。わたしは、自分がちいさな女の子で、後ろにいる髭がぼうぼうの男につむじのあたりをじっくりと見つめられているような気持ちだった。早くエレベーターが9階に着くことだけを願った。そして同時にわたしはわたしなので、いや、そんなに怖がることはないよ、わたしはただ部屋に帰ろうとしている30手前の男なんだ、いっしょに住んでいる恋人だっている、ということも知っているのだ。でもそれを伝えることができない。わたしはそのことについて、ほとんど絶望的な気持ちになってしまった。わたしの中のどこをどれだけ探しても、こういうときにちいさな女の子にかける言葉がひとつも見つからなかった。ひとつもだ。そしてどれだけ言葉を排しても、「わたしたち」はコミュニケートしてしまうものなのだ。狭いエレベーターの中ではそのことがよくわかった。それを誤解だと、だれが証明できるだろう。言葉とは、もしかしたら「わたしたち」が自動的にしてしまうコミュニケーションを訂正するために存在するのかもしれない。

わたしはスーパーマーケットで蜜柑を買ったんだった。蜜柑のオレンジ色が白いビニールの袋に透けているのをわたしは見つけた。それは光り輝く救いのようにも思えた。これを一個、プレゼントすればいいのかな。いやだめだ。そんなことをしては。余計に怪しまれるだけじゃないか、とわたしはすぐに思い直した。知らない人からものをもらってはいけません、と母親からきっと教わっているに違いない。そう、これが言葉だ、とわたしは思った。わたしは女の子の母親の言葉を、この一瞬だけ訂正するために、わたしの言葉である蜜柑をぶつけてみるべきだったかもしれない。つまりこういうことなのだ。もしわたしがちいさな女の子で、エレベーターの中で髭がぼうぼうの男と居合わせることになったとしよう。そして居心地が悪いと感じるとする。あるいは恐怖すら感じるかもしれない。でもその男の下げているビニール袋の中に蜜柑があるのをわたしは見つける。なんだ、とわたしは思うだろう。この人は悪い人ではないな、と。そのエレベーターの中で、そのとき蜜柑はそのような意味を帯びていたのだ。わたしにとっては。

恐怖とはその成分のほとんどが想像力である。あるいは想像力が凝縮され、折りたたまれた結果としての直感とでもいったものであって、そこでは客観的な事実性などといったものは、多くの場合、大して役に立たないものだ。わたしが悪人である・ないに関わらず、かの女は怯えることが可能だ。そしてその恐怖という感情の正当性を、わたし自身がくつがえすことができるのかどうか、ということ。わたしがエレベーターの中で考えたのはそういうことだったと思う。この懐疑はまるまるわたしにも当てはまるだろう。「かの女を怯えさせているかもしれない」というわたしが抱く恐怖は、かの女が怯えている・いないに関わらず、わたしをとことんまで不安にさせる。そういうときのために、わたしたちは言葉を交わすのだ。そしてもしそのとき言葉が見つからなければ、わたしはエレベーターの中で永遠に悪人であり、かの女は永遠に怯えているのである。

ふいにエレベーターが停止した。やあ着いた。これでわたしは女の子ともども髭ぼうぼうの男のプレッシャーから解放される。長い旅だった。これからは空が破れるくらい深呼吸したってかまわないのだ。まるで新しい楽器みたいにスーパーマーケットの袋をがさごそいわせたっていい。女の子はエレベーターのドアが開くと同時に、檻から放たれたけものみたいに外へと飛び出していった。わたしだってきっとそうすることだろう。

ちいさな女の子と入れ替わるようにして、今度は大人の女がエレベーターに乗り込もうとして来た。でも直前で立ち止まった。「これ、下、行きますか?」と女はいった。中国人だった。いや上です、とわたしは答えた。女はエレベーターに乗らなかった。扉がゆっくりと閉まる。エレベーターは再び動き出す。しかし次の階ですぐに止まってしまった。そう、そこが9階なのだった。女の子が降りたのは8階だったのだ。

diary 2005,11,29,Tuesday
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火。火ですよ火。

2005 10,11,Tuesday

大学を卒業してからこっち、波間にたゆたう板きれのごとく、ことの成り行きに身をまかせ放題、運命に身を委ね放題、120分2980円、焼肉+しゃぶしゃぶ、よかったら寿司もあるよー。アイスもねー。+1500円で飲み放題ー。なんつって、こりゃいいや、うん、すごい楽。だってお会計のことを気にしなくていいのだもの。なんてのんびり、自分は、悠長に、リラクシンに、南国風に、ハワイアンに、バイキングにかまえていた結果、どういったわけか、恋人、交際相手、ソウルメイト、現代風にいえばカノジョ?まあ名称はなんでもいいや、の、あろうことか実家に転がり込むことと相なり、なし崩し的に居座った挙げ句、合い鍵を借り受けつつ、何喰わぬ顔をして、だが内心は、ああ。こんなことで自分はいいのであろうか。否。いいわけがない。どこをどう考えても非常識極まりないことであるよなあ。うん。この恥知らず。うんこ。穀潰し。ニート。って、その上、洗濯までしてもらって。このど阿呆。こんこんちき。いまに罰が当たるよ。永らく白米を食えぬ日々が続くよ。この痴れ者め。と自らを戒めるかのごとき予言のことばを日々、自らの内奥に向けて発しつつ、往来ですれ違う人たちにいわれのない苛立ちの視線を投げかけつつ、胃がきりきり痛むのを胃のあたりに感じつつ、って当たり前じゃん、はは。とにかく、いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。と三度唱えるかのごとく逡巡しておったの。そうなの。人生という名の碁盤目上、次の一手をおよそどこに打ったらいいものか、さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。だって自分、碁がわからぬのだもの。白と黒が点滅して。目がちかちかして。って、あんなに小さいころから父親に手ほどきを受けたというのになあ。こんなことなら、もっと真面目に碁を打っておくべきだった。あかんかった。わたしは。自分は。小生は。などと反問、煩悶しつつ、何年だ、おい、4年?5年?とにかくそんくらい、の月日をば、何食わぬ顔をして、というところに戻るけれども、実のところ何食わぬ顔をしてではなかったのだ、ということを世間に向けて自分は暗にいいたい、表明したい、弁解したいのだけれども、暮らしておったわけです。ええ。彼女の実家でね。のうのうとね。黒猫といっしょにね。はは。だがそこにはもちろん、時間の制限というものが設けられてあるのである。いつまでも食べ放題なわけには、これ、いかないのである。

つまり自分、このたび、この秋、引っ越しをいたした。転がり込み、を除けば、生まれてはじめての引っ越し。お引っ越し。転居。ってても、もとより自分には荷物がない。なぜなら自分は、漂流者よろしく、彼女の実家に身ィひとつで転がり込んだも同然なのであって、この4、5年で買い集めたものより他に荷物はないのである。しかもこの4、5年のうちにシャーツを何枚か、それからCDを何十枚か、そして本を、何冊だろう、500冊ほどかなあ、いや、もっとあるかなあ、以外には、なにひとつ、これ、購入いたさなかったのであって、なんたらシンプルライフであることであろうか。フィギュアとか、一個も買ってないんだぜ。そう考えると自分のこの5年という歳月はいったいなんだったのであろうか。なにか意味があったのであろうか。夢、幻のごとき存在なのではないだろうか。という懐疑の念がにわかに浮上し、頭のあたりに、黒雲のようにもたげざるを得ないのであって、自分は、ほんたうに、自分はほんたうに……たしかに生きてきたのであろうか、と。生きているのかしらん、と。

うん。生きてたよ。なんとか。って、そんなことはどうでもいいのであって火。火ですよ火。火を使えるのです。わたくし。四六時中。ガスレンジの火。ほのお。ほむら。これがどれだけ画期的の生活であることか、もしかしたらあなたには、君には、にわかには理解できないかもしれない。火ィなんてそこらにいくらでもあるやないけ。われ。どついたろか。このガキ。なんて。それもいたしかたのないことであろう。なぜなら、およそ人間というものは、その発明発見以来、つねに火を使い詰めで生活してきたからである。肉を焼く。野菜を炒める。米を炊く。味噌汁を温める。追い炊き。などして。そう、だが、わたしは極めて限定的な、局所的の生活を、これ、長年強いられてきたのであって、この5年というもの、ほとんど台所を失ったまま生きてきたのであった。つまり火。火を容易に使わなかったわけ。しかもこの5年のうちに喫煙の習慣をもなくしたわたしのポケットには、もはやライターの入る余地すら残されてはいなかった。わたしは人生からついに炎を追放したのである。

人間が人間であることの証明。他の動物たちと一線を画す部分。それは、まず第一に言語、ことばの体系であると思う。だがたとえば長年猫と暮らしていると、どことなく猫とのあいだに言語的な交流が生まれてくるものであることをわたしは知っている。ああ、腹が減ったのだね。おお、部屋の外に、なんとなく出たいのだな。やや、窓の外に猫がやってきたのだな。ほほう、天袋に登りたいのかきみは。へへ、貴君はトイレに行きたいのであるか。などと、その鳴き声でどことなく理解できるものである。だがついに手紙のやりとり、メール交換、といったことまでには発展しない。つまり文字ですね、文字。これが他の動物にはないのだな。いやだがしかし、足跡、というもの、あるいは匂いの痕跡、というものがあるのであって、これはもしかしたら人間でいえば文字にあたるものなのではないだろうか、と思わないでもない。つまりことばを持ってるのはどうも人間だけじゃないかもしれぬのである。そこで火。あらゆる手を講じて火を発生させ、これを自在に操ることのできる動物は、これ、皆無なのであって、これこそ正に人間の証明。ってんで、つまり自分はこの5年ほどは人間ではなかったのである。そんなわけで、わたくし、ぼうっとしていて指を包丁で切りました。人間の痛。

diary 2005,10,11,Tuesday
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わたしたちのアル・デンテ問題

2005 10,04,Tuesday

パスタを茹でているときに玄関のチャイムが鳴った。あと30秒ほどで火を止めて、トマトソースに絡めるつもりだった。わたしは決して「アル・デンテ至上主義者」というわけではない。でもこのときばかりはわたしと鍋の中のパスタたちの運の悪さを呪わずにはいられなかった。かれらのダンスは沸騰する水の中で、いま正に最高潮に達しようとしていたのだ。一瞬、迷った末にわたしはガスの火を止めて、玄関のドアを開ける。そこには予告通りの小包を抱えた、予告通りの人間が立っていた。わたしはその男の到来を朝から今か今かと待ちわびていたのだ。だが胃の方がついに音を上げてしまった。そこでわたしはわたしの胃のために、男の隙をついて、昼食を作るつもりだったのだ。しかしいつやって来るかわからない男の隙をつく、などということは原理的に不可能な相談なのだった。しかし、なにもこんなときに来なくったっていいじゃないか。わたしはそういってやりたかった。もうちょっと早くても、もうちょっと遅くてもよかったのに。はっきりいって、隙をつかれたのはわたしの方だ。わたしのアル・デンテを、わたしたちのアル・デンテをいったいどうしてくれるのだ。そう男にいってやりたかった。でもなにもいわなかった。男はただ然るべき仕事をこなしただけなのだ。わたしたちのアル・デンテ問題など、かれにとってはラバウルの貝泥棒ほどに瑣末な事柄に過ぎないのだ。わたしはがっかりして受け取りにサインをした。

だが一度、道を踏み外した運命のやつを再びもとの軌道に乗せるのはそう簡単なことではなかった。落としたものを拾うたびに、また別のなにかがポケットから落っこちてしまう。そういう一日だったのだ。

雷撃のごとくスパゲティを食べ終えると(幸いそれほど茹ですぎにはならなかった)、ティッシュペーパーで口元を拭うが早いか、わたしは段ボールの箱を開けた。中にはトマトソースのように赤い箱。さらにその中にはモデムが入っていた。インターネットに接続するためのものだ。わたしはさっそくセットアップを開始することにした。青いコード、黄色いコード、白いコード。然るべき場所に然るべきコードを差しこむ。われながら快調だった。なにも難しいことはなかった。これで「別途送られてきた封書に記されたパスワードを打ち込めば、めでたく開通」というところまでこぎつけた。実にスムーズ。花粉の季節をくぐり抜けた鼻腔のようにスムーズ。ん?封書?とわたしは思った。そんなものは送られてきていない。なにか手違いでもあったのかな。どこをどう探してもそんなものは存在していなかった。そこでわたしははっと気づくことになる。そうか、郵便物は1階のポストに届いているんだな。わたしは急いでエレベーターで1階まで下りた。

ポストの中に封書はなかった。その代わり、一枚の紙切れがあった。そこにはこういう意味のことが書いてあった。「あなた宛の郵便物を配達しに来たが住所が正しいものか疑わしかったので郵便物は預かることにした」と。つまり、わたしの部屋のためのポストにはわたしの名前が記されていなかったため、郵便配達人が念のためにいったん郵便を持ち帰ってしまったようなのだ。どうしてそんなにきっちりした仕事をするのだ。そう思わないでもなかったが、しかたがない。それは郵便配達人の沽券に関わる問題だからだ。わたしがつべこべいうべきことではない。

わたしは急いで部屋に戻り、郵便局に電話をかけた。しかし紙切れで指定されていた電話番号にかけてもつながらなかった。「この時間は業務を行っていない。また明日かけ直せ」というようなアナウンスが流れるのだ。わたしは何度も時計を見た。どう考えてもまだ業務を行っている時間なのだ。わたしはしかたなく、郵便局の別の番号にかけてみた。今度はつながった。わたしはわたしの置かれている状況を話した。するとそれなら別の番号にかけてくれという。でもそれはわたしが最初にかけた番号なのだ。いったいどういうことなんだと混乱しそうになったが、わたしはそのことも説明した。その電話番号にかけたらこれこれこういうアナウンスが流れたのだ、と。そこでやっと担当の人間が出てきて、わたしはまた一から説明することになった。「その郵便物は確かにわたしのものだから配達してください」と。わかりました、と向こうはいった。それではあなたの住んでいる区域の配達時間は明日の午後になります、と向こうはいった。いや、ちょっと待ってください、とわたしはいった。いくらなんでもそんなに待てないと思ったからだ。なにしろもうその郵便物に書かれているはずのパスワードを打ち込むだけなんだから。そこでわたしは自分の方からそちらに取りに行ってもいいのかと訊ねた。OKだった。なにか必要なものはあるのか、とわたしは訊ねた。写真付きの、あなた様の身分を証明するものとはんこを、シャチハタでも結構ですのでご持参ください、いまから来られますか、と向こうはいった。いまから行きます、とわたしは答えた。それではそのようにこちらで手配しておきます、と向こうはいった。電話を切って、わたしは出かける準備をした。

さて、わたしには写真付きの身分証明書もシャチハタもなかった。まあはんこはどこかで買えばいい。身分証明書は、まあなんとかなるだろう。わたしは再びエレベーターで地上に降りた。わたしの郵便物を預かってくれている場所は、電話で聞いたところによるといちばん近くの郵便局ではなくて、少し遠くにある郵便局だったので、わたしは自転車で行くことにした。おお、自転車を買っておいてよかった。わたしの運命はようやくうまく転がりはじめたのかもしれない。でもそんなことを思ったのはほんの束の間のことだった。

自転車置き場にわたしの自転車は存在しなかった。でもなくなったわけではなかった。それはすぐに見つかった。自転車置き場のすぐ外の歩道に出されていたのだった。きっと管理人が余所の者が無断で駐輪したのだと思って外に出したのだ。わたしは自転車を買ったばかりだったので、まだ自転車置き場の手続きをしていなかったのだから、これもまあしかたのないことだ、こっちが悪いんだ。それにしてもなんだかみんなきっちり仕事をしすぎなんじゃないかな、などと思いながら自転車の鍵を外して乗り込もうとしたときだった。わたしはすぐにそのことに気づいて、大きくため息をついた。全身からすべての力が抜け出てゆくような感じだった。自転車の後ろのタイヤの空気が抜かれていたのだった。ただインターネットに接続したいだけなのに、いったいどうしてこんなに遠回りをしなければいけないのかと思って、わたしは涙が出そうだった。なんだかすべてがどうでもよくなって、もう二度とインターネットなどするまい、と心に誓いかけてしまった。でもそういうわけにもいかないのだった。わたしはインターネットに接続しなければならない。わたしは歩いて郵便局を目指した。でもその時点ではまだ郵便局がどこにあるのか、その正確なところをわたしは知らなかった。わたしのポケットには穴が空いているのかもしれなかった。

diary 2005,10,04,Tuesday
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いったいどうしたものか

2005 10,03,Monday

プールに行ったっきり、それから後、なんの音沙汰もなく、なにも書かず更新せず、貴様はいったい何をしておったのだ。9月になり、もう世間はあっというまの10月である。10月といえば神無月。つがいの蜻蛉がぐんぐん空へと飛翔してゆくよ。何組も何組も。続けて。ね。東の空へ。ね。あっちになにがあるのだろうな。わかんねえ。というようなわけなのであって、とにかく、早く更新せよ、とはいわないまでも、なんていうの。ちょっと心配っていうの。どうしてるのかな、なんてたまに。たまに?ふと?思ったりするじゃん。するじゃんか。するじゃんスかー。

なんだろうな、そうだな、これ、この壁紙、ウォールペーパーっていうの、を、日がな一日眺めて暮らしておるよ。ほら、あのヨーグルトの娘。ヨーグルト娘。ジェマ・ワードていったっけ、がね、「INDIVI」って、婦女子の洋服ブランド、ね、これのCM、コマーシャルに出ているのを発見したの。っていうか、この娘、あのヨーグルトの娘に似てない?とおもって日々暮らしておったところ、インターネットで検索すればいいじゃん。ということを思いつき、思いついたまではよかったものの、「あれ、なんだっけ。なんのコマーシャルだったかなぁ。洋服だよね。どこのブランドだったっけ?」と、一向に埒があかぬ。自分はあれがなんのCMであったのかまったく思い出せず、というよりもはじめから記憶すらしておらず、これでは検索もままならない。

いったいどうしたものか、と日がな一日思案しておったところ、ものは試しとばかりに、同居人であり、なおかつ婦女子であるところのグリコさんに恥ずかしながら訊ね聞いてみたところ、「インディヴィ」とひとことおっしゃってくださり、たちどころに自分の疑問は解決。やはり、あのときのヨーグルト娘。と同一人物であるところのジェマちゃんであったのであった。で自分はすぐさま壁紙をダウンロード。

って、なんで、町田康なの。しゃべり口調が。といえば、引っ越しをしたのですね。でもまだ本をちょっとしか運んでないの。とりあえず、町田康の文庫だけを持ってきたので。そういうこと。

diary 2005,10,03,Monday
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ハンバーガーですよ。ハンバーガー。

2005 08,28,Sunday

プールのあとは「昭和記念公園」内にある「みんなの原っぱ」に行って、のんびりしました。へんなオブジェみたいなベンチに座って、ぼんやりとしていました。

見渡す限りの草原。緑。目が良くなりそう。真ん中へんに巨大な木が生えています。前に来たときもいた凧揚げ職人みたいな人がまたいて、おそらくは手製であろうカイトを上げているのを遠くから眺めながら、四つ葉のクローバーを探したりしました。見つからなかったです。

そこから歩いて立川まで行き、居酒屋でひとしきりお酒を飲んあと、最近、ひとり暮らしをはじめたYくんの部屋に遊びに行きました。福生です。福生といえばもう実家が目と鼻の先なのですが、実家には帰りませんでした。Yくんの部屋を訪れた人たちがみんな「快適」ということばを使っていたことが、なるほど、うなずける快適な空間でした。もうすごくいい部屋です。広いし、静かで、なにからなにまできちんとしていて、おまけに庭までついているのです。平屋の貸屋なので庭があるんですね。そこでぼくたちは焼酎を飲みながら、丸のままの桃にかぶりつきました。肴は炙ったイカでいい、ではなくて、焼酎の肴には桃がいい、とYくんがいったからです。ええと。どうですかね。酔っててあまり覚えてないですね。桃。まあ、いつ食べてもおいしいわけですが。桃。それから寝てしまったYくんをおいて、Sさんと庭で花火をしたのですが、それもあまり記憶になく、デジカメに花火の写真が撮ってあったので、ああ花火したんだ、ときづいたくらいでした。

Yくんは自分の布団、Sさんはソファ、ぼくはいつのまにか畳の上で寝ていて、起きたらもう朝でした。お風呂を借りてさっぱりとしたあと、ごはんを食べに国道16号沿いに行きました。これは米軍の横田基地の前を走っている通りです。その通りにはたくさんのお店が並んでいて、ぼくらが行ったのは10時半くらいで、食事できるところがひとつくらいは店を開けているだろうと高を括って出向いたのですが、まったくひとっつも店が開いていませんでした。どうやらこの通りは11時から目覚めるようなのです。でかいハンバーガーを食べようということになって、それならいいお店があると行って向かったのですが、開店は11時半で、まだ30分も待たなければならず、でもそのときにはちらほらと雑貨屋などが店を開けてきていたので、買い物をすることにしました。

買い物って、楽しいですね。ぼくは普段、ほとんど買い物をしないので、いえ、食べ物や本は買いますが、それ以外の買い物をほとんどしないので、なにを買うのか決めていないままでいろいろな商品を見ていく、というのがすごく楽しかったです。

で、ハンバーガーですよ。ハンバーガー。みなさん、ハンバーガー好きですか?ぼくはむかーし基地の中で食べたハンバーガーの味が忘れられなくてですね、あれを超えるハンバーガーにはついぞ出会えてこなかったのですが、このデモデダイナーというお店のハンバーガーはいいですよー。ぼくたちは(3、4人で食べて下さい)と書いてある「タワーハンバーガー」というやつを食べてみました。なんというか、記念に。とてもおいしかったんですが、これ、やっぱり一人分のやつを3つ頼んだ方がいいのではないだろうか、という結論に落ち着きました。まあ話の種に一度は頼んでみるのもいいかも。というような料理です(味は申し分ありません)。

んで、福生駅でYくんとさよならし、泊めてもらったお礼をいい、Sさんと二人で立川まで行きました。そしてプロントで生ビールを飲みました。ちょっとした時間潰しをする必要があったのです。そのあと中央線に乗り、Sさんは新宿で下車、ぼくは野音へZAZENを観に行ったのでした。ZAZENは、なんだか知らないけど、超かっこいい。という感じです。あんまり日本のバンドという気がしませんね。意思の疎通があまりできそうにない感じです。でも超かっこいい。

もちろん、ライブ後はみんなで飲みに行きました。ライブのあとにみんなで飲みに行ったりするというのは楽しいものですね。それはともかく、Sさんが京都から来ている、ということにかこつけて祭りモードになっているぼくは、なんだかずっとお酒を飲んでいる気がしました。

diary 2005,08,28,Sunday
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セミヌードですよ。セミヌード。

2005 08,27,Saturday

プールに行きました。立川にある、昭和を記念する、「昭和記念公園」にある、「レインボープール」です。男三人で。男三人でプール。男三人でプール?といえば、目的はほぼひとつしかありませんね。そうです。もちろん、あれですよあれ。ナンパですよナンパ。真っ黒に日焼けした大胆極まりない水着ギャルたちをビキニ限定でもうこれでもかというくらいナンパですよ。声かけまくりですよ。セミですよセミ。男なんてみんなセミみたいなもんですよ。ところかまわず鳴きわめき散らしますよ七日間。セミヌードですよ。セミヌード。だれがだれだかわかりゃしませんよ。もはや木が鳴いてるみたいだもん。などと心の中で叫びつつ、ぼくはまずチケット売り場の女の子に颯爽と声をかけ、これがなんと早くも大成功。あかんわー。仕事中やん。うち携帯もっとらんねん。うちんち、いまだに黒電話やねん(笑)。おかん出てまうわ。ごめんなー。ということでしたので代わりに入場券を半額にしてもらいました。というか本当は、14時からな、チケットが半額になるねんけどな、あと10分ちょいや、待ったらいいんやないの?という意味のことを標準語でいわれたので、大人しく静かに待っただけです。持参した300円安くなるクーポンよりも、10分程度待った方が安くなるというのなら待ちます。というか半額になる時間をめがけてプールに来る人というのがこれまた多いのですね。この腐れ貧乏人が!というのは嘘で、ぼくも今度来るときはそうしようと思いました。実に賢い選択だというべきでしょう。というか関西弁、合ってるのでしょうか?そもそもどうして関西弁にしなきゃいけないのでしょうか?もちろんそれはフィクションだからです。なぜか関西弁の方が想像がスムーズに働くのですがどうしてでしょうか?たぶん現実を相対化できるからだと思います。

と、すべて自己解決したところで、1100円払って(半額でもこの値段。高い!)、公園内に入場しました。ものすごい脚の長いモデル体型の女の子たちを見つけたので、すかさず声をかけます。

「ぼくらこれからプールに行くねん。ええやろ。もしあれだったらきみらも行かん?」
「行くのに決まっとるやん。うちらプールに来てるんやで?もう、ここ、プールの敷地内やん。あはは」
「それもそうやね。でも哀しい色やね。ほら見てみ。空。もう夏も終わりや」
「たしかに今日は天気は良くない。しかももう夏も終わりや。けどやな、あたしたち、べつに哀しくなんかあらへんよ」
「なんで?」
「そりゃ決まってるわ。また来年、夏は来るからや」

…というわけで、もう普通に書きますが、ああ、何年ぶりでしょう。プールに入るのなんて。高校を出てからこっち、一度もプールに入ってないんじゃないかな。だとすると何年だ。11年ぶり!当初の予定では、もう今ごろはプール付きの家に住んでいるはずだったのに!というのは嘘だとしても、なんか怖かったですよ。水の中が。水、汚いし。結局、一度も潜らなかったです。あの中で目を開ける勇気はぼくにはありませんでした。今度は水中眼鏡を持っていこうと思いました。水着も新しく買ったことだし。ちょっとプールづこうかと。

そうそう。京都から東京に帰省しているSさんとぼくは水着を持っていなかったので、先に待ち合わせてですね、水着を買いに行ったわけなんですが、もう時期的にあんまり売ってなかったんです。どうすんの?売ってないじゃん。ということになってYくんとの待ち合わせ時間が刻一刻と近づく中、なんとぼくたちはあろうことか「銀だこ」に並んでしまいました。「銀だこ」を見つけたら反射的に並んでしまったのです。焦っても仕方ないからとりあえずたこ焼きでも食べよう。ということになったのです。いっしょにラムネも頼み、すべて食べ終えると待ち合わせ時間まであと10分しかありませんでした。急いで、最後の望みを託して、ダイエーグループのディスカウントストア「トポス」に足を運びました。ええと。ここに来たのも11年ぶりです。まだあるのかな。どうかな。と思って行ったらありました。というのもですね、ぼくは高校時代の三年間、この立川に通っていたわけなんですが、そのころとはもう街が様変わりしていまして、なにがどうなってるのやらさっぱり。といった具合だったわけなんですね。あったはずのものがもうどこにもなく、あるはずのないものがまるで昔からあったかのような顔をしている。まあ要するに、トポスで無事、水着とバスタオルを買った、というわけです。そして急いで西立川へ。と思って青梅線に乗ったら、当のYくんが同じ車両に乗り込んできました。なんという偶然。どうやらYくんは寝過ごして西立川を通り越して立川まで来てしまい、折り返すところだったようなのです。それにしても同じ車両の同じドア、というのがすごいですねえ。うん。

そんなわけで、めちゃ込みということもあったし、泳ぐ人向けのプールではない、断じて。ということもあって、ほとんど泳がないまま、しかもちょっと寒かったことも手伝って、すぐに着替えてビールを飲んでしまいました。だめな大人ですね。カレーも食べましたよ。

ええと。結局、女の子にはひとことも話しかけられませんでしたね。最初からわかっていましたし、そんなことするつもりも毛頭なかったわけなんですが、それでも、もし生まれ変わったらナンパできる男になりたいです。それとも今生のあいだにそうなることができるのでしょうか?果たして。というか、ナンパのできる男がまわりにいないなあ。みんなもっとがんばれよな。

diary 2005,08,27,Saturday
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一日を箇条書きに記す

2005 08,05,Friday

●実家に帰っています。髪を切るため。
●一日を箇条書きに記す。
●あまりにも部屋が暑く(なんというか、たとえようがないのだが、強いていえば、相撲取りの身体の中にいるみたいだ)、すぐに起きてしまう。あんなとこで4時間も眠った自分は偉いと思った。
●スカパーでウッドストックの映画を観る。朝から。
●あれは朝から観るものではない。
●みんな裸で、たくさんの人が川に入っていて、女の人が脇毛を剃ったり、シャンプーを使って頭を洗ったりしていた。そして一回ざぶんと水の中にもぐり、ジャンプするみたいにして水から顔を出すと、シャンプーはあらかた流れ落ち、長い黒髪が水に濡れ背中に貼りつきまっすぐに伸びて、それがほんとにまっすぐで、とてもきれいだった。動物の毛並み並み。
●ウッドストックの会場はどうやら個人の農場だったらしく、その農場の持ち主のおじさんがステージに上がりひとこと話していた。20人の前でも話したことがないのに、50万人の前で話すことになるなんて驚きだ、というようなことを彼はいっていた。
●ジミヘン、と略すことが憚られるような伝説上の人物であるジミ・ヘンドリックスの、あの有名なアメリカ国歌を弾くシーン。ちゃんと見たのはたぶん初めてだった。
●ジミヘンは神々しい。と同時にどこか小学生男子みたいだ。
●手の甲がきれいなのがとても印象的。
●ぼくはあの黒人の感じ、バスキアみたいな(ところで峯田くんを見るとぼくはバスキアを思い出す)、眠たそうな顔をした、あのたたずまいが好きだ。まぶたが厚ぼったいような顔つき。黒人がクールでいてくれると、ぼくもクールになれる。クールつうか、冷静になる。明日は基地のそばに行って黒人をいっぱい見てこようと思う。
●映画が終わったあと、ウッドストックで人々が手に入れたものは今ではもうどこにも残っていないのではないだろうか。という気持ちになって、さびしくなった。
●し忘れていた何枚かのCDをリッピングした。ナンバーガール。ROVO。フィッシュマンズなど。
●冷房の効いた部屋でうたたね。
●実家に帰っても貧弱な食生活。朝は冷凍食品のカルボナーラ。昼は冷凍食品のカレーピラフ。いつでも電子レンジが使える幸せ。
●内田樹さんが日記でマックス・ウェーバーはえらい、といっていたので、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を本棚から引っ張り出す。
●でも基本的には太宰治の『晩年』をこの滞在期間中には読んでいる。
●夕方、髪を切りに行く。
●去年とまったく同じ会話がなされ、苦笑。そういえば、去年の今ごろ切ってくれた人と偶然同じ人data。だった。
●会計を済ませていると髪を切ってくれた美容師さんが「そのTシャツどうしたんですか?」と訊いてきた。
●とまどう。
●どうやらぼくの着ているTシャツのデザイナーと友だちだということだった。
●そのブランドは店舗を持っていないので、ぼくがTシャツのデザイナーと知り合いで、もらったものなのではないか、つまり共通の知人がいるという事実がもしかしたらあなたとわたしのあいだには存在するのではないか、と美容師さんは思ったようだった。
●でもそのような事実は存在しない。これは店で買ったもの。話によると店舗を持たず、様々な店にちょっとずつ置かせてもらって販売しているブランドということだった。でもびっくりした。世間は狭い。と思ったけど、なんだか広いような気もした。
●帰ってビールを飲む。
●妹が福井で買ってきてくれたビール。
●フルーティーでおいしい。
●妹は福井に水を汲みに行ったらしい。詳細は割愛。おもろい。「ガキの使い」みたいだ。
●母は祭りの手伝いに行っている。これも去年といっしょだ。焼きそば、焼き鳥、フランクフルトなどを食す。
●そういえば、ミュージック・ステーションにシンガーソンガーが出るんだったな、と急に思い出しチャンネルを変えたらCoccoが歌いに移動するところだった。あれ岸田くんは?いないの?と思ったら眼鏡をかけていないだけだった。
●「シンガーソンガー」という名前に慣れたあとでは、「シンガーソングライター」ということばの方に違和感を感じるから不思議。
●まだ弟とひとことも話していない。
●弟はいまバイトに行ってしまった。
●大瓶を2本、小瓶を1本飲んで酔っぱらった。でもまだまだ飲まなければいけない。在庫処理として。
●去年のボジョレーを開けようか迷い中。
●猫のミュウはいっつもゆっくり歩いてる。
●そしてとても優しい。触ってもほとんど嫌がらないし、そのうち喉を撫でて欲しいポーズになる。どこかの黒い猫とはえらい違いだ。自分以外の動物に触れる喜び、というのがあるように思う。
●そういえば、お祭りの焼きそばには小さな茶色い木の葉が混ざっていた。
●こういうのはいくらでも書けるなあ。
●バイクさん、コメントありがとう。
●酔っていつのまにか眠ってしまいスペシャのsalyuの番組を録画し損ねた。
●アホだ。
●リピート放送は明日が最後。
●途中から一応録画しながら観た。
●salyuはなにに似ているかというと、赤ちゃんに似ている。そしておばあちゃんにも似ている。ということは、ぼくがそこに見ているものは無垢さ・無邪気さ・純粋さであることがわかる。でもそれはなんというか、もともとあったものだとは思わない。後天的に獲得されたものという気がする。持続する強い意志の存在を感じる。
●でも本当に赤ん坊みたいな肌の人だ。
●10月のライブが楽しみ。
●朝まで生テレビを観ている。おじいちゃんがいっぱい!元帝国軍人の!
●こんな時間に大丈夫なのでしょうか?みなさま。と思っていたら録画だということだ。


diary 2005,08,05,Friday
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