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急にトーマス・マンが

2004,08,31,Tuesday

東京事変のPVがなんともいえずいいですね。というかつまりエロいってことなんですけれども。「群青日和」ね。ああでもぼくはなんでもエロいっていいすぎるので、これのどこがエロいの?と思うかもしれないけど。というわけで高校のときの友だちと飲むために実家に帰っています。そしてトーマス・マンを読んでいます。昨日の深夜、CSでビスコンティの『ベニスに死す』をやっていて、急にトーマス・マンが読みたくなり、『ブデン・ブローク家の人々』を読みはじめてしまいました。最近の訳では『ブッデンブローク家の人びと』になっているかな。と思ってアマゾンで調べたら品切れになっていますね。実家には「新潮世界文学全集」(の一部)と「集英社版世界の文学」、「集英社版日本文学全集」が揃いであるので、こういうときに便利ですね。本屋に行っても売ってないのに、家で探したらあった、ということがいままでに何度もありました。調べてから買いに行けよって話ですが。と、気合いを入れて書く系のエントリが滞っているので軽めのものでごまかすよ。いやごかますとかじゃないだろ別に。ああ!今年の8月もフォークナーの『八月の光』を読まずに終わってしまった!

diary 2004,08,31,Tuesday
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いくらなんでも焼きそば食べすぎだろ

2004,08,30,Monday

というわけで一睡もしないまま実家へ。1時過ぎ着。お昼ごはんに焼きそばを作ってもらう。いくらなんでも焼きそば食べすぎだろ。IWGPの長瀬智也か、おれは。3時過ぎ、極度の眠気のため倒れるように眠る。なんだか今週はぜんぜん寝ていない。ぜんぜんってこたあないけど。夜10時起床。起きたら台風が来ていた。こんばんは。なにかがバサバサと巨大な音を立てていた。ベランダを見たら洗濯物が干してあった。大丈夫なのか? きっと大丈夫なんだろう。起きてすぐビールを飲んでいたら、起きてすぐビール飲むの、と弟にいわれた。うん、飲むよ。夜だから、いいじゃん。そう、こんな生活をしていても、朝起きてビールを飲んだりはしないし、駅のホームでワンカップを飲んだりもしない。いつか、そうするときが来るのだろうか。あ、でも高校のときデパートの階段で昼間からひとりでビール飲んでたな。いや、あれは浪人のときかな。などと考えながら、駅のホームで酒を飲まない人間はなんというかまだ甘く、飲む人間の方がすごいのだろうか。いやあれは心が弱いだけなのだろうか。それともただの酒好きなのだろうか。とか思ったけど、どうなんでしょうか。

diary 2004,08,30,Monday
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ごめんな、みんな。

2004,08,29,Sunday

朝寝て夕方起きた。パスタ茹でてもらう。いや違うな。起きたらもう茹で上がっていた。オリンピック閉幕なので朝までテレビを観る覚悟。「ゆず」の歌と共に大会のダイジェストが流れ、感慨深し。ほとんど観ていたものな。こんなにオリンピックを観ることはもう二度とないだろう、と思いたい。北京オリンピックをこんなに見られる状況でいたならばこれは大変なことだ。時差的にも。社会的にも。閉会式はじまる前にコンビニへ食料を調達に。チキンカレーを買った。なかなかおいしい。朝6時くらいから録音していたハッチンを聴く。全部で4時間ちょっと。後半、ラジオ終了後もICレコーダーで録音されてたままになっており、極度に酔っぱらった自分の様子の一端を窺い知ることができた。かなり恥ずかしかったです。俺はあんなにしゃべってるのか。ごめんな、みんな。

diary 2004,08,29,Sunday
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ハッチンジャパンフェス

2004,08,28,Saturday

ハッチンジャパンフェスの日。朝10時頃までバッチのデザインとかをしていた。午後2時起床。急いで家を出る。ハンズにて缶バッジの玉を買う予定だったが売り切れ。バイクに頼まれていたマスキングテープ購入。結局、ライカさんとこについたのは6時近くか。サイトをちょこちょこっといじる。みんなでTシャツを買いに行ったり、ビールを買ったり、ビールを飲んだり、Tシャツを刷ったり、缶バッジを作ったりしているうちに、どんどん開催時間が近づいてきて、はじまったらあっというまに終わった。みなさん、おつかれさまでした。ちょっと端折りすぎか。でも楽しかったってここに書くこともない気もする。楽しいときに「楽しいです」なんていわないよ。別に。嬉しいときにも「嬉しいです」なんていわない。

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サンボマスター並

2004,08,27,Friday

焼きそば。ビール。夜、アボカへ。疲れた。駅のホームでむちゃくちゃ叫んでいる人がいた。過去最高の叫び声。サンボマスター並。喧嘩かと思ったら、どうやらそいつはJRに腹を立てているようだった。確かに3分ほど電車が遅れていたのだが、そんなに怒らなくてもいいじゃん。そいつは行ったり来たりしながら車内でも叫んでいた。同じ車両になってしまって、ちょっと怖かったです。自分が。そいつに対して頭に来ていていまにも殴りかかろうとしてしまいそうだった。

diary 2004,08,27,Friday
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ぶらりと銀座(ぶら銀)

2004,08,22,Sunday

夕方からぶらりと銀座(ぶら銀)へ。しかしまったく銀座をぶらぶら(銀ぶら)する時間的余裕はなくアップルストアに直行。日本語訳するとリンゴ屋さんですね。でも食べられそうなリンゴはどこにも売ってないし、売っているリンゴはすべて何者かによって囓られていました。果物屋としては失格と思います。でも果物屋としてじゃなければ、すごい。ものすごいかっこよく、ものすごく遅いエレベーターには感銘を受けます。

とにかくアップルストアでイベントがあったのですね。なんだかちょくちょくやってるみたいじゃないですか。昨日はビーナス・フライ・トラップのイベントでした。簡単にいうとPOWER BOOKを使っていろんな人がいろんなことやってますよ。みなさんもアップルストアでMacを買うとこんなことができるよ。というようなわけです。来週は細野晴臣が来るって。ビーナスさんとお友達の七尾旅人もゲスト出演でした。というかどっちかというと彼の方をメインに見に行ったわけです。

「Made on a Mac : 箱庭式デジタルインプロヴィゼーションDJ、ポエトリーリーディングファッションショー @ Apple Store, Ginza.」と銘打たれているだけあって、ってさっぱりわかりませんね。まあなんとなくわかる範囲でわかればいいし、わかる範囲以外でどうやってわかれっていうんだい。わからなければわからなくてもいいし。二人ともリンゴに関する歌を唄っていたようでしたよ。そしてなんだか二人は音楽で会話しているようでした。感応、ということばがぴったりくるような感じ。

なんかぶらりと銀座(ぶら銀)に来ていたおじいちゃんおばあちゃんがなんの間違いか、というか間違いであって欲しいわけですが、アップルストアに紛れ込んだりもしていて(あ、もしかしてリンゴ屋さんだと思ったのかな)、会場は思った以上に賑わっていましたよ。とても有意義な90分でした。会場に飾られていたユリの花をおみやげにもらって、まったく銀座をぶらぶら(銀ぶら)せずに帰りました。

music 2004,08,22,Sunday
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オリンピックは平和の祭典

2004,08,20,Friday

もちろんオリンピックを朝から晩まで観ているわけです。ぼくはオリンピックが好きです。でもゾウさんの方がもっと好きです。いやオリンピックの方が好きです。えーと。どうですかね。やっぱゾウさんもけっこう好きだな…と話が進まないので両方とも好きということにしておきなさい。先に進みなさい。

「オリンピック」ということばがまず好きなんですね。そして4年に一度みんなでやりましょう。みたいなところも好きです。ぼくはオリンピックイヤーに生まれたので計算が楽ちんです。なにを計算してるのかよくわかりませんし、決して手放しで平和の祭典!平和の祭典!などと床の上を転げ回って喜んでいるわけでもありません。もともと古代オリンピックとは戦争の代理であり、オリンピック開催期間は休戦とされていました。オリンピックによる休戦期間を指す「エケテイリア」ということばまであるそうです。いってみれば、人間という存在に根源的に宿る暴力をどのようにコントロールするのか、という命題へのひとつの回答であるわけです、オリンピックとは。しかしながら近代オリンピックはその例に反して第一次、第二次大戦を理由に開催を中止した、という歴史的事実を踏まえるならば、オリンピックが行われている、ということは、とりあえずの平和を意味するといっていいのかもしれません。が、平和という語の意味の曖昧さがもはや許容できぬ、といったのっぴきならない世界に住まう以上、こういった語の使用は慎むべきか、もしくはことあるごとにバシバシ使った方がいいので、オリンピックは平和の祭典です。平和の祭典です。平和の祭典です。

というわけで各国のオリンピックサイトがおもしろいですよ。

TV 2004,08,20,Friday
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夜になるとぼくらが

2004,08,19,Thursday

ぼくらはつまり川にいたいのだ。川にいると、ぼくらはつまり川にいたいのだ、という思いが募ってくるような気がする。ぼくらは川のそばで、とてもリラックスできる。海の行き止まり具合は、寄せては返す波をともなって、積極的にぼくらを押し返そうと目論んでいると思われても仕方がないほど、時に攻撃的だ。急に近づいてきたり、遠ざかったりする気まぐれなブルドーザーみたいなもんだ、海とは。さらに視野をグローバルに押し広げてみるならば、海の、地上を飲みこむ目論見は明らかだと結論せざるを得ないのだ。ぼくらはいつか海に閉じこめられ、箱の中のショートケーキのように取り出しづらくなってしまうだろう。

あるいはこういってもいい。ぼくらは結局のところ、どこかにいたいのだ、と。どこか、自分がいてもいい場所に。いることが許されている場所に。川はもちろん無数の選択肢の内のひとつだが、驚くべき合理性を兼ね備えている。川は近くにあり、無料だ。そして広々としている。もちろん、人によって条件はまちまちであり、川よりも海の方が近い場合だってある。だからひとこと断っておくけれど、これはぼくらの場合の話だ、生まれたときから川が近くに流れているぼくらの場合の。

そう考えると土地に値段がついていることにも納得がいくような気がする。わたしは然るべき金を払った、したがってわたしはここにいてもいいのだ、というわけだ。そして表札を掲げるというわけだ。立派な家ほど立派な表札があるのは、ここは自分の場所だといいたい気持ちの表れであって、表札とは思った以上に両義的な機能を持ったものである。なぜなら、ここはわたしの場所だ、ということを他人に教えているのだから。それは目印であるというよりも、まずは抑止力であるつもりなのだろうか? 

夜になるとぼくらが家に帰るのは、そこにいてもいいことになっているからだ。そしていつかぼくらは、誰かのための場所を作らなくちゃならない。その人が心の底から安心して「ここにいてもいいんだ」と思えるような場所を。暗くなったら帰ることのできる場所を。あるいは朝になってしまったときにいち早く帰りたいと思える場所を。とりあえず、まずいちばんに寝ころびたい場所を。だから家族とは、あなたがいつでもそこにいてもいいと考えている人たちのことで、川は間違いなくぼくの家族だ。川はみんなの家族だ。

ぼくらは川にいたい。だから、バーベキューをする。本当はただ川にいたってかまわないのだ。川はぼくらになにかをしろと要求したりしない。明日までに原稿用紙で10枚、森鴎外について書け、などと命令したりしない。でもなにかのため、たとえばバーベキューのために川にいる方が、川にいるという感じがするし、川の恩恵をもっと感じられるものだ。ぼくらが川に似合うためにできることは、川の機能を存分に引き出すこと。それは女の子とつき合うのといっしょだ。だから川で冷やすビールの温さには、余程のことがなければ目をつぶるべきなのだ。誰でも完全というわけにはいかない。いくらかはまだ冷たいというだけでも感謝するべきなのだ。それにどうせ酔っぱらっているのだ、多少冷えてなくともかまわないではないか。

ぼくらは川で、川という場所は実に、つくづくバーベキューに最適の場所だなと思う。だからバーベキューをするのだな。そしてやがて川にいることすらぼくらは忘れる。陽が落ちて、ぼくらは川の流れを見失う。それでもいつだってそこに川は流れており、ぼくらになにひとつ要求せず、いつでもぼくらの訪れを待っていてくれる。

essay 2004,08,19,Thursday
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この夏は足の親指と人差し指のあいだに

2004,08,15,Sunday

この夏2回目のバーベキューは総勢7人で行われた。このバーベキューに関しては、秘密裏にHくんが暗躍しており、ただ日時だけが指定され、誰が来るのかぼくは知らされていないのだが、まあ予想範囲を大幅に超えた人物がやって来るわけではないにしろ、どうやらぶっつけ本番的な緊張感を捏造しようという思惑がHくんにはあるらしいのだ。しかしながら、実のところ、「ねえ誰が来るの?ねえHくん。今日誰が来るの?」と執拗に訊ね、そのような思惑をなし崩し的に脱臼させてしまうのはいつものぼくの役目であるといってよい。

前回よりもさらに上流で行われた2回目は、日よけとして簡易式テント(みたいなやつ)が導入され、さらに大容量のクーラーボックスまで持ち込まれ、それは運ぶのに骨が折れそうなほど骨が折れたけれども、そしていまもなおぼくの肩は甲子園を投げきったかのように疲労しているのだけれども、バーベキュー環境としては格段に改善された感があった。その上、天候的にも申し分なくこの日はバーベキュー日和であり、そのときには知る由もなかったが、次の日の終戦記念日があの寒さと雨模様であったことを合わせて考えるのならば、まさに僥倖としかいいようのない記念碑的バーベキューであったと多少大袈裟ながらも申し添えておくことにする。14日にしてよかったね。

そしてなかなか具体的なバーベキューの記述に移らないのは、もうほとんどなにも思い出せぬほどにまでぼくが泥酔してしまっていたからであり、日が経つにつれて痛むようになってくる肩や腰や足の鈍痛といったことから想像するに、おそらく年齢にそぐわぬようなはしゃぎっぷりを恥ずかしげもなく周囲に晒していたものと思われる。足の裏は傷だらけであり、腰は川底の石にしたたか打ち付けでもしたのか近年稀にみる痛みであって、もはや正常な歩行が困難なほどだし、いちばんお気に入りの白地のTシャツは赤ワインによって赤黒い染みを作っているのだ。泥酔とはなによりもまず感覚の麻痺である、ということの実存的証明。

それでも、薄れゆく記憶の中にあって、この夏は足の親指と人差し指のあいだにしっかりと刻まれており、その鮮明さは、日常的に屋外でビーチサンダルを履くはじめての夏であるという事実を差し引いてもなお、驚くべき鮮明さでもって、この夏を反復してやまない。そう、このビーチサンダルは、そもそも夏の労働用に購入されたものであり、この何年間か、バイト先の室内履きであったところのものなのだ。端的にいって、この夏はそのバイトをしなかった。そしてそれと引き替えにするように夏の屋外へとビーチサンダルを持ち出すことができたというわけなのだ。もし例年通りであるならば、このビーチサンダルは、いまもなお、あの薄暗いスチール製のロッカーの中にあったはずなのだ。

diary 2004,08,15,Sunday
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あらためて略しましてファミレス

2004,08,12,Thursday

もういっそのことファミレスに住んだ方が早いので、すみませんここ家賃いくらですか。といって窓際のいちばん陽当たりの良さそうな席を指さしアルバイトの女の子を著しく動揺させついでに16杯もコーヒーをおかわりして疲れ果てさせ、なおかつ呆れ果てさせた、膀胱がはち切れんばかりの前科者。として内外に渡り名を馳せてきたこのぼくですが、ひとつを除いて全部嘘ですが、つまりファミレス、略してファミレ、ってそんないい方しなくない?そもそもすでに略されてるじゃん?なのでつまり略さずにいうところのファミリーレストラン、そしてあらためて略しましてファミレス、に入り浸っていた若かりし日のこのぼくですが、こんなに文字数を費やすのなら略しても略さなくても同じようなものだ、むしろ長くなってるじゃないかとあなたはきっと思うはずですが、ここ何年かはまるでファミリーをレスしたかのように、ファミリーがレスであるかのごとく、ファミにレスしちゃったんじゃないの?というくらいファミレスには足を運ばなくなってしまいました。ぼくが好きだったのはこれはもう圧倒的にジョナサンで、いったい何皿のタンドリーチキン&メキシカンピラフを平らげたことでしょうこの口は。そんなことは知る由もありません。なぜならそんなものいちいち数えたりしていないからです。でもどう少なく見積もっても平均的なメキシコ人よりも多くのメキシカンピラフを平らげていたことは想像に難くありませんし、少なくともあんなものを明け方に喰うメキシコ人なんていないでしょうし、そもそもメキシコ人はメキシカンピラフなんて食べているのでしょうか?それがわからないとこれ以上話が進められません。なのでここまでのところを要約してお茶を濁すことにすると、昔はファミレスによく行ってたけど最近は行ってないなあ、ということになります。あっという間ですね。あっけらかんとしてしまいますね……と、ファミレスの横を自転車で通ったんで書いてみました(ファミレスに行ったわけではない)。

と書いてから気づいたんですが、別にファミレスに行ってないわけじゃないや。ただ単にジョナサンやガストやすかいらーくやデニーズに行ってないだけでした。どうやらぼくはビルディをファミレスとしてカウントしていないみたいだ。どうもすみませんでした。謝ることじゃないけど。

diary 2004,08,12,Thursday
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癒し癒されて生きるのさ

2004,08,09,Monday

サマーソニックに行ってきた。嬉しいことに土壇場で行けることになったのです。部屋にいたら夏と音楽の神様が舞い降りてきて「チケットあまってるよー」とダフ屋のようなことをいってチケットをくださった。ありがとう神様。猛ダッシュで4時半くらいに会場に着いて、脇目もふらずビーチ・ステージへ。いやほんとはビール買おうかどうか迷ったけど買わないで急いだ。朝からおしっこしてなかったけど行かないで急いだ。まあ一歩も走ってはいないけど心の中では猛ダッシュだ。とりあえず砂浜へ。吉川くんと合流。だいたいこのへんかなあと見当をつけたあたりにいた。目立つ帽子だからすぐわかる。ものすごい強風の中、曽我部が唄うのをいっしょに聴く。サニーデイ時代の曲もちらほらやってたんで「サマーソルジャー」なんか聴けたら最高だなあと思っていたらやってくれましたよ「サマーソルジャー」。でもその前に、誰がなにを唄うのか、とか、音響が、とかの前に、砂浜でライヴってすごくいいなと思いました。なんていうのかな、海を背にしていることによって歌と海が等価に存在している感じがするのです。ライヴだから集中して曲を聴かなきゃ、とか、もったいないから、とかあんまり思わなくて、ときどきふりかえって海も見たい感じ。そして素敵な音楽がもう一度ぼくたちをステージの方へ振り向かせてくれるのです。それにしても海に向かって唄うのって気持ちいいだろうな。

その後はオートバイも合流し、ロケ弁をいただいたり、ビールを飲んだりビールを飲んだりビールを飲んだりして、スチャダラの「ブギーバック」を聴いてみんなで感動したりした。わーってなった。わーって。わーってなるってどういうのかなと思ってたけど、これですね。わーっていうのは。すごく、一発で効く。という感じ。懐かしい曲は。だからおっさんになるとどうして懐メロ聴くのかもわかるような気がする。あんまりわかりたくないけど。「ブギーバック」はたぶんぼくたちの懐メロで、すごーく、一発で効く。10年前のぼくらはむーねを痛めていいっとしのエリーなんて聴いてたと唄う「愛し愛されて生きるのさ」からちょうど10年たったいま、10年前よりも確実にそれはわーってなるし、いやほんといま「ライフ」聴きながら書いてるんですけど、泣きそうです。MP3ってすげえ音が悪いんだな。とほとんどはじめて思った。のは耳が悪いせいじゃないよ。たぶん。

ライヴとかで知っている音楽を聴くのが、すごく嬉しいのはなんでなんだ?もちろん、はじめて聴く音楽でいいのだっていっぱいいっぱいある。でもそれ以上に、知っている、というだけのことがすごくなにかなように最近は思える。ボディブローのように効いてくる。知っている、ということは、もしかしたらすごく不思議なことなんじゃないのかな。

ありゃ。サマーソニックから離れてしまった。戻ろう。

そんなわけで「ブギーバック」聴いた後に聴いたthe musicはちょっと気の毒だけど、って別におれに気の毒がられてもどうでもいいだろうが、あまりピンと来なかった。だがしかし!

SKETCH SHOWがフェスのトリってどうなのよ。選んだおれらもどうなのよ。ビースティー観なくていいのかよ。とかみんなでいってたんだけど、これが最高だった。もう床で寝るくらい最高。ほんとに寝た。あんなの立って聴いてられないよ。懐メロとも夏メロとも対極の、この2人合わせて109歳のユニットはなんなんだ。なにを、どうしたいんだ。フェスで。身体からあらゆる毒素が抜け出ていくようでしたよ。脳みそが作り出した、だが身体に直に効くスーパー・ヒーリング・ミュージック。

というわけで最後にすっかり身体の疲れも取れ、ぼくらのサマーソニック2004は幕を閉じたのでした。癒し癒されて生きるのさ。

music 2004,08,09,Monday
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でも。違う。なにかが。

2004,08,08,Sunday

新宿ルミネ2の青山ブックセンターが8月1日からブックファーストになったとのことなのでちょっと覗いてみた。うん。どこが変わったかあんまわからないや。でも。違う。なにかが。そう思いながら「COYOTE 」と「広告批評」を持ってレジに並んだならば!これが!おい!たかが雑誌2冊買うのに何分かかるんだよ。というくらい時間がかかった。けどこれはブックファーストになったからとかではなくただ単に店員さんが新人さんだっただけだし、急いでたので余計にそう感じただけだ。

で、今日はライカさんとこでピザを食べたが、ピザはたまに食べるとおいしい。そしてピザを食べるのはいつもたまになのでピザはいつ食べてもおいしい。

diary 2004,08,08,Sunday
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池袋ウエストゲートパーク

2004,08,06,Friday

まあ性懲りもなく「池袋ウエストゲートパーク」を観ているわけですが、観るたびごとにすごいドラマになっていくねえ。つーか何回再放送すんのよ。妻夫木くんも出てるんだよね。もう渡辺謙はこんなのやらないよね、とか。ぼくはこう見えても飛び降りてしまった年内復帰予定の不死身の彼を応援しているしこれからも応援していきたいのでこのドラマは高橋良明の「オヨビでない奴!」につぐドラマとして生涯位置づけられると思います。そうだ。夏になるたんびに「オヨビでない奴!」を観てたなあ。もう「オヨビでない奴!」のことを考えただけで胸がいっぱいになってしまうなあ。最終回をビデオで観るたびに終わることが哀しくて泣いたっけなあ。うちの弟は今年の夏も「オヨビでない奴!」を観てるかなあ。とはじめて酔っぱらってのエントリー。

TV 2004,08,06,Friday
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裸で自転車を

2004,08,04,Wednesday

さっき荒川を超えて埼玉に行ってきた。自転車で。往復3時間。やってることが完全に小学生の夏休みだが、小学生のときにそういうことをしなかったのでしょうがない。板橋の花火大会が行われるあたりの河原の土手はやたら高く、花火の夜にしか行ったことがなかったが、昼間に行った方が断然すごい。といってもなにがすごいのかはあえて説明はしないが、とにかくすごいので感動して裸になって、赤羽の方まで行ってしまった。といっても上半身だけですよ裸になったのは。裸で自転車をこぐととても気持ちがいいですね。すれ違う人がみんな裸なので裸にならないといけないみたいな雰囲気でした。

3時間ほとんどぶっ通しで自転車をこいでいたが、終始呼吸の乱れとかはなかった。自分のことをずいぶん長いあいだ虚弱体質だと思ってきたが、断続的に4年ほどやった肉体労働の効果は十分にあったというわけだ。帰ってから牛乳を1リットル飲んだ。なんだ、これじゃあ体育会系じゃないか。髪を切ったらやることが急にワイルドになってしまった。極端すぎて自分でもついていけない。あんなに引きこもっていたのに。

で、どうしてそんなことをしたのかというと、6時間かけて自転車で、しかもママチャリでお台場に行った、という弟に感銘を受け、長時間ひとりで自転車をこいでどこかに行くというのはどういう気持ちがするのか知りたいと思ったからだった。往復12時間ですよ。バカじゃないの。とも思いましたが。

ひとつだけいえることは、こげばこぐほど帰るのが大変になるのに自転車というのは惰性でこぎ続けてしまうものだ、ということ。まあそういう性格なだけかもしれないけれど。

diary 2004,08,04,Wednesday
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食事にけりをつけるための最終手段

2004,08,04,Wednesday

もう何年も食べていないものってありますよね。嫌いだからとか、高価すぎてなかなか手が出ないとかじゃなく、別に食べようと思えばいつだって手軽に食べられそうなのに、もう何年も食べていないもの。いやいやそんな食べ物はいくらだってあるに違いない。もう何年も食べていないということさえ忘れているくらい、もう何年も食べていないものはたくさんあることでしょう。だからこういい換えます。もう何年も食べてなくて、最近無性に食べたいもの。それはなにを隠そう「味噌汁かけごはん」です。別にプロポーズしてるわけじゃあないですよ。きみの味噌汁かけごはんが一生食べたいなぁ。ぼかぁ。なんて誰もいったことがないに違いないし。なんであんた味噌汁かけるのよ!なんて怒られそうだし。とにかく味噌汁かけごはん。最後に食べたのはいったいいつだろう。みなさん最近食べました? というか「味噌汁かけごはん」の正式名称はなんだろうかね。味噌汁ぶっかけ飯? 味噌汁ごはん? 汁ごはん? ねこまんまかな。とにかく、ねこまんまを犬食いしたい! と近ごろは思っていたのです。

なんだか最近は正式名称のある食べ物しか食べていない、という気がします。工業製品としての食べ物には恐ろしいほどきちんと名前がついていますよね。狭い棚の上で生き残れる商品であるためには、あるいは写真つきメニューの上で消費者に識別され明瞭に発音されるためには、曖昧な名前はただちに退けられ表記の揺れは統一され、シールのラベルに記された全国共通の名前、カロリーとともに記された名称だけがPOSシステムに計上されるこの世界。みなさまいかがお過ごしですか。この周辺のコンビニではぼくの実家の近くの工場で作られたおにぎりやサンドイッチが売られていて、なんだか不思議な気持ちになってしまいます。もしかしたらこれ、ぼくの同級生が作ったものかもしれない。あの半透明の手袋をつけて。なんて思うとなんだか食欲も一気に減退してしまうものですね。

昔、まだ小さかったころ、大人たちの食べるおかずが口に合わないときや、食べられるおかずが少なかったときや(昔は好き嫌いがいっぱいあった)、食卓のおかずが残り少なくなったときや(ぼくはものすごく遠慮がちなこどもだった)、あんまりお腹が空いてないときやなんかに、いわば奥の手としてぼくはごはんに味噌汁をかけました。それはいってみればあまり乗り気ではない食事にけりをつけるための最終手段だったのです。ウルトラマンのスペシウム光線や、水戸黄門の印籠のようなもの。いやいやそんな大それたものではなく、ごくごく小さな最終手段。窮鼠猫をかむ、というような。電波が届かないので携帯を振ってみる、というのは、あれ嘘ですよね。

いまとなってはまったくどうしてなのかわからないのですが、ぼくにとって白いごはんは食事における最大の課題でした。さまざまなおかずの手を借りて、どうにかやっつけなければならない敵。それが白米だったのです。でも決して米が嫌いだったわけではありません。ぼくは炊き込みごはんが異様に好きなこどもでしたから。あとドリアとか。赤飯とか。それはきっとおかずの手を必要としていなかったから、に他ならないのですが、いまにして思うに、ぼくの母親の作る食事には、なんというか「米を食べ進めさせるためのおかず」というコンセプトがあんまりなかったのだと思うのですね。米を食べたらおかずを食べたくなり、おかずを食べたら今度はまた米を食べたくなり、米を(以下略)というような連携、1+1が2にも3にもなるようなコラボレートがなされていなかったような気がするのです。6-4-3のダブルプレー的な、飯もおかずもすっきり完食、という料理ではなかった。ノーアウト満塁時にとりあえず一人ずつホームでアウトにしていくようなタイプの料理だったのです。この喩えが成功しているとは思いませんし、なんでも野球に喩えるのは男子の悪い癖だし、いつでもどんな料理でもそうだったというつもりはありません。決して料理が不味かったとも思いません。でもそこには確かにひとかけらの魔法が欠けていて、それはその後、ぼくに料理を作ってくれた何人かの女の子たちが、それこそみんな持っている種類の魔法だったのです。とここまで書いてくれば答えは自ずと明らかになってきてしまいました。そう、それはたぶんぼくの側の問題だったのです。

ぼくはいつでもご機嫌で、家族みんなで食事できることが人生の最重要事。なイタリア人みたいなこどもではありませんでした。残念ながら。ぼくは小さいころはいつでも不機嫌で、近頃は本当に愛想が良くなったものだと自分を褒めて上げたいくらいなものですが、とにかくなんでか知らないがみんなで楽しく食事できるなんて気分ではなかったのです。自分で思い出してみる限りでは。ですから「味噌汁かけごはん」とは、はっきりいって、その回の食事に対する異議申し立ての意味がこもっていたのですね。あのさ。ちょっと味噌汁かけるよおれ。いやかけたくはないよおれだって。でもしょうがないよ。だってかけるしかないじゃないこの状況じゃ。とでもいうような。でもそんなこと親は知らなかったに違いない。でもぼくはそう思ってもいた。それはある意思表示であり、その主張の一環として速やかに食事の席から離れることもできるという手段だったのです。ごちそうさま。とただいいたいだけの食べ方。

で、ひさしぶりに実家に帰ったわけですよ。味噌汁かけごはんを食べてやる、という熱い思いを心の奥に秘めつつ。ああしかしなんということでしょう。ぼくの念願が叶うことは決してありませんでした。なぜならめくるめく「非白いごはん」のオンパレードだったからです。カレー、焼きそば(お祭りのとインスタントの)、冷やし中華、パン、鰻丼。味噌汁が出たのは鰻丼のときだけでした。というか本当はすっかり忘れてたんです。味噌汁かけごはんのことを。

food 2004,08,04,Wednesday
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3ギガぶんの音楽

2004,08,02,Monday

実家から2時間かけてアボカスタジオに到着。遠い。吐きそう。

以下、実家から持ってきたもの。
3ギガぶんの音楽(MP3で。だからアルバム50枚ぶんくらいか)。
カロリーメイト3箱。
インスタントのスープパスタ2個。
本2冊。

diary 2004,08,02,Monday
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寝間着のままでBBQ

2004,08,01,Sunday

今日は高校時代からの友だちとバーベキューをしましたよ。BBQです。多摩川で。だから実家に帰っていたのですね。そんなわけで真っ赤です。腕や顔や脚が。痛い。ちょっとやばいくらいに赤い。これはほとんど火傷といってもいいです。これからはぼくのことを火傷と呼んでいいよ。という意味ではなく、火傷みたいに日に焼けたという意味です。でもそもそも日に焼けるというのは火傷と同じなのですから、これは火傷だ、と断言してもいいわけです。つまりぼくはBBQで火傷をしました。というとほんとに火傷をしたみたいですね。鼻の頭が赤いのは酔っぱらっているのではありませんよ。

まずは買い出しに行きました。今回のBBQプロデューサーであるYくんが「内臓。内臓」というので内臓を買いました。テッポウとコブクロです。直腸と子宮。だということは後で知りました。それからBBQっぽい肉や野菜、ビール、その他などを買いました。予定では買い出し後に肉の仕込みなどをぼくの家でする、ということだったので、近所に買い物に行きます。といういかにもな格好でぼくは近所のスーパーへ買い出しに行ったのですが、結局ぼくが家に戻ることはもう二度とありませんでした。急遽Hくんの家で仕込みをすることになったからです。だから今日ぼくは寝間着のままでBBQをしたのです。

Hくんの家の台所を無理矢理貸してもらい、BBQのための仕込みをします。野菜を切ったり、内臓をどうにかしたりしたのです。といってもぼくはただ見ているだけでした。内臓って、ほんとに内臓なんですね。びろーんとつながっていて、どうすればいいかわかりません。とにかくごめんなさい。という気分にさせられます。本当にどうすればいいかわからなかったので、とりあえず携帯電話から「コブクロ」をググってみたのですが、予想通りあの二人組が何件もヒットし、得たい情報はなにも得られず(豚の子宮ということはわかりました)、今日ほどあの二人組の存在を呪ったことはありませんでした。というわけで、とりあえずYくんがテッポウもコブクロもぶつ切りにし、とにかくもうすごい匂いなので塩でもんだり焼肉のタレに漬け込んだりし、実父ロックして、Hくんの家の台所にものすごい匂いを残したまま川へと向かったのです。ちなみにHくんの実父は警察官です。

今日の東京西部はものすごい強風で、BBQ日和というわけにはちょっといきませんでした。あまりにも風が強いのでなかなか火がつかず、もう少しであきらめて家に帰るところでしたが、いったん火がつくとあっというまに燃え上がり、ほとんど火事同然でした。炎をまったくコントロールできていませんでした。風下にいる人が「なんだよあいつら。危ないな」という顔でこっちを見ていましたが無視です。でも風下にいる人に燃え移らなくて本当によかった。

とまあそんなわけで、いろいろなものを焼き、そのすべてが強風によってたちまち灰まみれになり、否が応でもBBQ気分を盛り上げる絶妙なスパイスとなって、ビールもこの上なく進みました。ただぼくは内臓系は一切食べませんでした。Yくんが食べるには食べたのですが、臭くてだめだったそうです。やっぱ内臓は素人には無理だ。という教訓を得た彼はあんなにも仕込みに時間をかけたコブクロを石の上に捨て去りました。これぞほんとのホルモン(ほおるもん=捨てるもの)です。テッポウはとなりでBBQをする若者たちにジップロックごと差し上げました。食べたのでしょうかね。

やがてお腹が一杯になると、石を投げたり、石を投げられたり、寝間着のまま川に入ったり、寝ている人のお腹に石を乗せたりしました。そうしているうちに日が傾いたので片づけをし、第一回コブクロBBQは滞りながら終了したのでした。おしまい。

diary 2004,08,01,Sunday
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