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火。火ですよ火。

2005,10,11,Tuesday

大学を卒業してからこっち、波間にたゆたう板きれのごとく、ことの成り行きに身をまかせ放題、運命に身を委ね放題、120分2980円、焼肉+しゃぶしゃぶ、よかったら寿司もあるよー。アイスもねー。+1500円で飲み放題ー。なんつって、こりゃいいや、うん、すごい楽。だってお会計のことを気にしなくていいのだもの。なんてのんびり、自分は、悠長に、リラクシンに、南国風に、ハワイアンに、バイキングにかまえていた結果、どういったわけか、恋人、交際相手、ソウルメイト、現代風にいえばカノジョ?まあ名称はなんでもいいや、の、あろうことか実家に転がり込むことと相なり、なし崩し的に居座った挙げ句、合い鍵を借り受けつつ、何喰わぬ顔をして、だが内心は、ああ。こんなことで自分はいいのであろうか。否。いいわけがない。どこをどう考えても非常識極まりないことであるよなあ。うん。この恥知らず。うんこ。穀潰し。ニート。って、その上、洗濯までしてもらって。このど阿呆。こんこんちき。いまに罰が当たるよ。永らく白米を食えぬ日々が続くよ。この痴れ者め。と自らを戒めるかのごとき予言のことばを日々、自らの内奥に向けて発しつつ、往来ですれ違う人たちにいわれのない苛立ちの視線を投げかけつつ、胃がきりきり痛むのを胃のあたりに感じつつ、って当たり前じゃん、はは。とにかく、いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。と三度唱えるかのごとく逡巡しておったの。そうなの。人生という名の碁盤目上、次の一手をおよそどこに打ったらいいものか、さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。だって自分、碁がわからぬのだもの。白と黒が点滅して。目がちかちかして。って、あんなに小さいころから父親に手ほどきを受けたというのになあ。こんなことなら、もっと真面目に碁を打っておくべきだった。あかんかった。わたしは。自分は。小生は。などと反問、煩悶しつつ、何年だ、おい、4年?5年?とにかくそんくらい、の月日をば、何食わぬ顔をして、というところに戻るけれども、実のところ何食わぬ顔をしてではなかったのだ、ということを世間に向けて自分は暗にいいたい、表明したい、弁解したいのだけれども、暮らしておったわけです。ええ。彼女の実家でね。のうのうとね。黒猫といっしょにね。はは。だがそこにはもちろん、時間の制限というものが設けられてあるのである。いつまでも食べ放題なわけには、これ、いかないのである。

つまり自分、このたび、この秋、引っ越しをいたした。転がり込み、を除けば、生まれてはじめての引っ越し。お引っ越し。転居。ってても、もとより自分には荷物がない。なぜなら自分は、漂流者よろしく、彼女の実家に身ィひとつで転がり込んだも同然なのであって、この4、5年で買い集めたものより他に荷物はないのである。しかもこの4、5年のうちにシャーツを何枚か、それからCDを何十枚か、そして本を、何冊だろう、500冊ほどかなあ、いや、もっとあるかなあ、以外には、なにひとつ、これ、購入いたさなかったのであって、なんたらシンプルライフであることであろうか。フィギュアとか、一個も買ってないんだぜ。そう考えると自分のこの5年という歳月はいったいなんだったのであろうか。なにか意味があったのであろうか。夢、幻のごとき存在なのではないだろうか。という懐疑の念がにわかに浮上し、頭のあたりに、黒雲のようにもたげざるを得ないのであって、自分は、ほんたうに、自分はほんたうに……たしかに生きてきたのであろうか、と。生きているのかしらん、と。

うん。生きてたよ。なんとか。って、そんなことはどうでもいいのであって火。火ですよ火。火を使えるのです。わたくし。四六時中。ガスレンジの火。ほのお。ほむら。これがどれだけ画期的の生活であることか、もしかしたらあなたには、君には、にわかには理解できないかもしれない。火ィなんてそこらにいくらでもあるやないけ。われ。どついたろか。このガキ。なんて。それもいたしかたのないことであろう。なぜなら、およそ人間というものは、その発明発見以来、つねに火を使い詰めで生活してきたからである。肉を焼く。野菜を炒める。米を炊く。味噌汁を温める。追い炊き。などして。そう、だが、わたしは極めて限定的な、局所的の生活を、これ、長年強いられてきたのであって、この5年というもの、ほとんど台所を失ったまま生きてきたのであった。つまり火。火を容易に使わなかったわけ。しかもこの5年のうちに喫煙の習慣をもなくしたわたしのポケットには、もはやライターの入る余地すら残されてはいなかった。わたしは人生からついに炎を追放したのである。

人間が人間であることの証明。他の動物たちと一線を画す部分。それは、まず第一に言語、ことばの体系であると思う。だがたとえば長年猫と暮らしていると、どことなく猫とのあいだに言語的な交流が生まれてくるものであることをわたしは知っている。ああ、腹が減ったのだね。おお、部屋の外に、なんとなく出たいのだな。やや、窓の外に猫がやってきたのだな。ほほう、天袋に登りたいのかきみは。へへ、貴君はトイレに行きたいのであるか。などと、その鳴き声でどことなく理解できるものである。だがついに手紙のやりとり、メール交換、といったことまでには発展しない。つまり文字ですね、文字。これが他の動物にはないのだな。いやだがしかし、足跡、というもの、あるいは匂いの痕跡、というものがあるのであって、これはもしかしたら人間でいえば文字にあたるものなのではないだろうか、と思わないでもない。つまりことばを持ってるのはどうも人間だけじゃないかもしれぬのである。そこで火。あらゆる手を講じて火を発生させ、これを自在に操ることのできる動物は、これ、皆無なのであって、これこそ正に人間の証明。ってんで、つまり自分はこの5年ほどは人間ではなかったのである。そんなわけで、わたくし、ぼうっとしていて指を包丁で切りました。人間の痛。

diary 2005,10,11,Tuesday
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わたしたちのアル・デンテ問題

2005,10,04,Tuesday

パスタを茹でているときに玄関のチャイムが鳴った。あと30秒ほどで火を止めて、トマトソースに絡めるつもりだった。わたしは決して「アル・デンテ至上主義者」というわけではない。でもこのときばかりはわたしと鍋の中のパスタたちの運の悪さを呪わずにはいられなかった。かれらのダンスは沸騰する水の中で、いま正に最高潮に達しようとしていたのだ。一瞬、迷った末にわたしはガスの火を止めて、玄関のドアを開ける。そこには予告通りの小包を抱えた、予告通りの人間が立っていた。わたしはその男の到来を朝から今か今かと待ちわびていたのだ。だが胃の方がついに音を上げてしまった。そこでわたしはわたしの胃のために、男の隙をついて、昼食を作るつもりだったのだ。しかしいつやって来るかわからない男の隙をつく、などということは原理的に不可能な相談なのだった。しかし、なにもこんなときに来なくったっていいじゃないか。わたしはそういってやりたかった。もうちょっと早くても、もうちょっと遅くてもよかったのに。はっきりいって、隙をつかれたのはわたしの方だ。わたしのアル・デンテを、わたしたちのアル・デンテをいったいどうしてくれるのだ。そう男にいってやりたかった。でもなにもいわなかった。男はただ然るべき仕事をこなしただけなのだ。わたしたちのアル・デンテ問題など、かれにとってはラバウルの貝泥棒ほどに瑣末な事柄に過ぎないのだ。わたしはがっかりして受け取りにサインをした。

だが一度、道を踏み外した運命のやつを再びもとの軌道に乗せるのはそう簡単なことではなかった。落としたものを拾うたびに、また別のなにかがポケットから落っこちてしまう。そういう一日だったのだ。

雷撃のごとくスパゲティを食べ終えると(幸いそれほど茹ですぎにはならなかった)、ティッシュペーパーで口元を拭うが早いか、わたしは段ボールの箱を開けた。中にはトマトソースのように赤い箱。さらにその中にはモデムが入っていた。インターネットに接続するためのものだ。わたしはさっそくセットアップを開始することにした。青いコード、黄色いコード、白いコード。然るべき場所に然るべきコードを差しこむ。われながら快調だった。なにも難しいことはなかった。これで「別途送られてきた封書に記されたパスワードを打ち込めば、めでたく開通」というところまでこぎつけた。実にスムーズ。花粉の季節をくぐり抜けた鼻腔のようにスムーズ。ん?封書?とわたしは思った。そんなものは送られてきていない。なにか手違いでもあったのかな。どこをどう探してもそんなものは存在していなかった。そこでわたしははっと気づくことになる。そうか、郵便物は1階のポストに届いているんだな。わたしは急いでエレベーターで1階まで下りた。

ポストの中に封書はなかった。その代わり、一枚の紙切れがあった。そこにはこういう意味のことが書いてあった。「あなた宛の郵便物を配達しに来たが住所が正しいものか疑わしかったので郵便物は預かることにした」と。つまり、わたしの部屋のためのポストにはわたしの名前が記されていなかったため、郵便配達人が念のためにいったん郵便を持ち帰ってしまったようなのだ。どうしてそんなにきっちりした仕事をするのだ。そう思わないでもなかったが、しかたがない。それは郵便配達人の沽券に関わる問題だからだ。わたしがつべこべいうべきことではない。

わたしは急いで部屋に戻り、郵便局に電話をかけた。しかし紙切れで指定されていた電話番号にかけてもつながらなかった。「この時間は業務を行っていない。また明日かけ直せ」というようなアナウンスが流れるのだ。わたしは何度も時計を見た。どう考えてもまだ業務を行っている時間なのだ。わたしはしかたなく、郵便局の別の番号にかけてみた。今度はつながった。わたしはわたしの置かれている状況を話した。するとそれなら別の番号にかけてくれという。でもそれはわたしが最初にかけた番号なのだ。いったいどういうことなんだと混乱しそうになったが、わたしはそのことも説明した。その電話番号にかけたらこれこれこういうアナウンスが流れたのだ、と。そこでやっと担当の人間が出てきて、わたしはまた一から説明することになった。「その郵便物は確かにわたしのものだから配達してください」と。わかりました、と向こうはいった。それではあなたの住んでいる区域の配達時間は明日の午後になります、と向こうはいった。いや、ちょっと待ってください、とわたしはいった。いくらなんでもそんなに待てないと思ったからだ。なにしろもうその郵便物に書かれているはずのパスワードを打ち込むだけなんだから。そこでわたしは自分の方からそちらに取りに行ってもいいのかと訊ねた。OKだった。なにか必要なものはあるのか、とわたしは訊ねた。写真付きの、あなた様の身分を証明するものとはんこを、シャチハタでも結構ですのでご持参ください、いまから来られますか、と向こうはいった。いまから行きます、とわたしは答えた。それではそのようにこちらで手配しておきます、と向こうはいった。電話を切って、わたしは出かける準備をした。

さて、わたしには写真付きの身分証明書もシャチハタもなかった。まあはんこはどこかで買えばいい。身分証明書は、まあなんとかなるだろう。わたしは再びエレベーターで地上に降りた。わたしの郵便物を預かってくれている場所は、電話で聞いたところによるといちばん近くの郵便局ではなくて、少し遠くにある郵便局だったので、わたしは自転車で行くことにした。おお、自転車を買っておいてよかった。わたしの運命はようやくうまく転がりはじめたのかもしれない。でもそんなことを思ったのはほんの束の間のことだった。

自転車置き場にわたしの自転車は存在しなかった。でもなくなったわけではなかった。それはすぐに見つかった。自転車置き場のすぐ外の歩道に出されていたのだった。きっと管理人が余所の者が無断で駐輪したのだと思って外に出したのだ。わたしは自転車を買ったばかりだったので、まだ自転車置き場の手続きをしていなかったのだから、これもまあしかたのないことだ、こっちが悪いんだ。それにしてもなんだかみんなきっちり仕事をしすぎなんじゃないかな、などと思いながら自転車の鍵を外して乗り込もうとしたときだった。わたしはすぐにそのことに気づいて、大きくため息をついた。全身からすべての力が抜け出てゆくような感じだった。自転車の後ろのタイヤの空気が抜かれていたのだった。ただインターネットに接続したいだけなのに、いったいどうしてこんなに遠回りをしなければいけないのかと思って、わたしは涙が出そうだった。なんだかすべてがどうでもよくなって、もう二度とインターネットなどするまい、と心に誓いかけてしまった。でもそういうわけにもいかないのだった。わたしはインターネットに接続しなければならない。わたしは歩いて郵便局を目指した。でもその時点ではまだ郵便局がどこにあるのか、その正確なところをわたしは知らなかった。わたしのポケットには穴が空いているのかもしれなかった。

diary 2005,10,04,Tuesday
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いったいどうしたものか

2005,10,03,Monday

プールに行ったっきり、それから後、なんの音沙汰もなく、なにも書かず更新せず、貴様はいったい何をしておったのだ。9月になり、もう世間はあっというまの10月である。10月といえば神無月。つがいの蜻蛉がぐんぐん空へと飛翔してゆくよ。何組も何組も。続けて。ね。東の空へ。ね。あっちになにがあるのだろうな。わかんねえ。というようなわけなのであって、とにかく、早く更新せよ、とはいわないまでも、なんていうの。ちょっと心配っていうの。どうしてるのかな、なんてたまに。たまに?ふと?思ったりするじゃん。するじゃんか。するじゃんスかー。

なんだろうな、そうだな、これ、この壁紙、ウォールペーパーっていうの、を、日がな一日眺めて暮らしておるよ。ほら、あのヨーグルトの娘。ヨーグルト娘。ジェマ・ワードていったっけ、がね、「INDIVI」って、婦女子の洋服ブランド、ね、これのCM、コマーシャルに出ているのを発見したの。っていうか、この娘、あのヨーグルトの娘に似てない?とおもって日々暮らしておったところ、インターネットで検索すればいいじゃん。ということを思いつき、思いついたまではよかったものの、「あれ、なんだっけ。なんのコマーシャルだったかなぁ。洋服だよね。どこのブランドだったっけ?」と、一向に埒があかぬ。自分はあれがなんのCMであったのかまったく思い出せず、というよりもはじめから記憶すらしておらず、これでは検索もままならない。

いったいどうしたものか、と日がな一日思案しておったところ、ものは試しとばかりに、同居人であり、なおかつ婦女子であるところのグリコさんに恥ずかしながら訊ね聞いてみたところ、「インディヴィ」とひとことおっしゃってくださり、たちどころに自分の疑問は解決。やはり、あのときのヨーグルト娘。と同一人物であるところのジェマちゃんであったのであった。で自分はすぐさま壁紙をダウンロード。

って、なんで、町田康なの。しゃべり口調が。といえば、引っ越しをしたのですね。でもまだ本をちょっとしか運んでないの。とりあえず、町田康の文庫だけを持ってきたので。そういうこと。

diary 2005,10,03,Monday
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