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なんでもアルコールに変換機能

2004,05,18,Tuesday

ブロスが早朝やってきた。小川洋子『妊娠カレンダー』および『密やかな結晶』を読み始めた。ぱらぱらとめくった感じでは『妊娠カレンダー』は前期に属し、『密やかな結晶』は後期に属す作品と思われる。二時過ぎモスへ。ひさしぶりにフィッシュバーガーを食べた。フレッシュバーガーとの聞き間違え防止のため、「お魚のフィッシュバーガーですね」と店員がいうところがよい。でもどうしてあんなに主婦はうるさいんだ。拡声器でもついてるのか喉に。それとも昼間から酒でも飲んでるのか。なんでもアルコールに変換機能でもついてるのか喉に。

夜、駅にグリコさんを迎えに行き夕ごはん。いろいろ悩んだがココイチ。何度もいうようだが、ってまだいってないかもしれないが、ココイチはパロディとしてのカレー屋だ。科学戦隊ものに出てくるカレー屋なのだ。あのカレー好きの「イエロー」のためのカレー屋。だから毎日食べられるように、バラエティに富んでいるのだし、それほどくどくなくしてあるのだ。というわけで、野菜カレーを食べた。
明け方、『妊娠カレンダー』読み終わる。

diary 2004,05,18,Tuesday
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完璧な病室

2004,05,17,Monday

明け方、グリの叫び声で目覚める。一瞬なにが起きたのかわからず、こっちまで叫び声を上げてしまう。またもやブロスがやって来たのだった。あんまり変な時間に来ないで欲しい。昼はまたもカップヌードル。ところで、チキンラーメンの売り上げが過去最高なのだそうだ。どうしてなのかは知らないが、チキンラーメンは小さい頃から大好きだ。ネーミングがすばらしいと思います。

小川洋子『完璧な病室』と『新潮2月号』の「海」を読んだ。『完璧な病室』はおそらくデビュー作品集。どうやらぼくの印象は間違っていなかったようで、初期の作品にはそれほどファンタジーっぽさを感じない。ところで、小川洋子はそもそも病気の弟を見守る「病室」から出発したのであり、それが「闘病記録」となるのは当たり前の話だった。それは正確な意味で闘病記録と呼べるものではないにしろ、「生の側にいる人間が死へと移行しつつある人間を観察すること」が書くことの基本的なスタンスであるということはいえるだろう。いいかえれば、小川洋子において、書くことは弔うことに等しい。だからこそ、死への不可逆性が充満しているという意味で「病室」は「完璧」な空間とされるのであり、それに抗う場所として「台所」や「食べること」という行為が嫌悪されさえするのだ。だが本来、「病室」とは回復するための場所である、ということを考えに入れるのならば、「小説」こそが「病室」なのだというアナロジーがここで得られる。死者をも癒す場所としての「小説」。「病室」において果たされなかった病の治癒が「小説」においてなされる。読みを通じてわれわれは黄泉の国へと赴き、死者の蘇りを促すのだ。それは結局、誰もがあらかじめ死を宣告されている者としてある人間を、死の恐怖から救い出すことへの試みであるともいえるだろう。芸術とはそもそもそういうものではなかったか。われわれが死んでからもなお哀しむべきことなどひとつもない。誰かが生き残り、それを覚えてくれてさえいれば、われわれはいつでもかつていた世界へと召還されるのだ。小川洋子の小説にはおそらく二種類の話がある。医者が患者を癒す話と、患者が医者を癒す話だ。

book 2004,05,17,Monday
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雨の野音

2004,05,16,Sunday

昼、ナポリタンを作ってもらったので写真に撮る。雨の中、自転車でいつもとは違う駅へ。地下鉄の駅にはじめて自転車に乗って行ったので、どこに自転車を駐めればいいのだろう、と思いながら駅へ到着。駅の階段の周囲になんとなくみんな駐めているようだったので、それに倣って駐めることにする。三田線で日比谷へ。野音でピーズのライヴを聴くため。はじめて乗った三田線の車内で、隣に座った老人に始終話しかけられるというアクシデント発生。アクシデントというほどでもないが。いちばんはじめの方に老人がしゃべったはずの、会話のもっとも前提となる部分を聞き漏らしたため、意味が不明瞭な部分が多かったが、こちらの返答に対しての反応は、それがどのようなものであれ薄かったので適当な相づちを打つことに終始する。ぼくの推測では、その老人はどこかのダンス教室に通っていて今はその帰りである。ダンス教室には若い人たちが大勢おり、特に若い女性、しかも大学生が多い。自分は女性を顔で選ぶタイプではない。最近の若い女性はきれいな人が多いが、だからといってじろじろ見るわけにはいかないし、じろじろ見ていることがわかれば当然女性だっていい気持ちはしないだろう。あるいはその老人はどこかの予備校の名誉校長かなにかで、今日は生徒たちの前でガイダンスを行った。自分の努めるその予備校からは東大や早稲田や慶応にそれぞれ何人入学するのだ、ということの事細かなデータの披瀝。自分は法学部出身で、教師の資格も持っている。六法全書というものは、新しい版のものを使わなければ意味がない、自分はテストの時に古いものを使って大失敗をした、等々。だが、ぼくは頭からその老人は酔っぱらっている、と決めてかかっていたため、話を聞きながら「早く電車を降りてくれないかなあ」「どうしてはじめて乗った電車でこんな目に遭うんだろう」「もうほんとどうでもいい」とかしか思えず、途中で開き直って「どうやらこれはやり過ごすことができそうにないし長引きそうだ」「よし話を聴こう」と決意したときにはもうすでに話が致命的によくわからなくなっていたのだった。最初からちゃんと聴いておけばよかった……。

そんなこんなで日比谷で下車。日比谷駅周辺は、昔ここらへんで道に迷ったことがある、というような景色で、だからおそらく昔ここらへんでぼくは道に迷ったことがあるに違いない。「日比谷公園」といえば吉田修一の『パークライフ』なので、『パークライフ』っぽいような景色を探して歩いたが、雨が降っていたし、『パークライフ』の「日比谷公園」の描写もうろ覚えなので、さっさと会場を目指す。途中でなにか催し物が催されていた。アフリカ各国の物産展といった感じか。というわけで野音の前に到着。すかさずビールを買う。ビールを飲み終わるころKさんを発見。開演15分前なので会場に入ろうとしたところでKさん発見。あ、二人ともKさんですね。チェアマンはまだ来ないが先に入ることに。しばらくしてチェアマン来る。はじめから終わりまでしとしとと降り続ける雨の中でのライヴ。野音ははじめて来たが、一度くらいは雨の野音というものを経験したいと思っていないわけでもなかったので、よかったです。ピーズはあんまり聴いたことがなかったけど、もうそれが音楽でありさえすればわからないことなどなにひとつないし、わからなくったってかまわないくらいだし、そもそも音楽をわかるってどういうことかわからないくらいなので、音楽ってほんとすばらしいですね。なんだか隣にいる人たちと手をつなぎたくなるような感じでした。つなぎはしませんでしたが。さんざん悩みレインコートを買わなかったが、思ったよりも服は濡れていなかったのでよかったです。雨に濡れるとかなりの高確率で風邪を引くオレだが大丈夫だろうか。ライヴ終了後は居酒屋へ。飲むことに。然るべき時間になったので帰宅。指令通りカップヌードルを買って帰り、帰ってから食べた。

diary 2004,05,16,Sunday
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博士/ブラフマン

2004,05,15,Saturday

10時起床。ものすごく天気がいい。『新潮7月号』掲載の小川洋子『博士の愛した数式』をあらためて読み始める。こないだは途中で挫折してしまったのだった。一気に読んで、次は『群像1月号』の『ブラフマンの埋葬』(上)。これも一気に読み、『群像2月号』の(下)も続けて読んだ。小川洋子は前に何冊か読んだことがあったはずだが、これほどファンタジー色が強いという印象は持っていなかった。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」パートのような世界観といったらいいか。そして小川洋子の小説を読むことは、どこか墓参りを思わせるところがある。

『ブラフマンの埋葬』では固有名が作品から丁寧に払拭されており、唯一の固有名ともいえる「ブラフマン」と名付けられた動物は、どんな種類の動物なのか特定できないようになっている。つまり、固有名は一般名を想起させないし、一般名は固有名を想起させない。そして、読者にはあらかじめ『ブラフマンの埋葬』というタイトルが与えられている。したがって読者の興味は「ブラフマン」が「いつ、どのようにして埋葬されるのか」の一点に、いわばスキャンダラスな視線でもって集中するだろう。そのような読みの持続する時間の中においては、ほんの些細で取るに足らない日常的な出来事でさえ、どこか不穏な空気を帯びてくる。『ブラフマンの埋葬』では、そのような死への予感が冒頭から終わりまでを一貫して支配する。具体的にいえば、「自動車」という単語が出現しただけで、もしかしたら車に轢かれるのではないか、という連想が働く、というような意味だ(ぼくは実際そのように感じた)。そのことは『博士の愛した数式』においては、「博士の記憶がいつなくなってしまうのか」ということに対応しているだろう。はじめきっちりと80分持続していた記憶が終盤にかけて不安定になっていく、というような場面。そのような不安感が持続すると同時に、なにもかもが親しきものの死(文字通りの死である必要はない。記憶が共有されなくなるという事態も含む)へと収斂するとき、ひとつひとつのエピソードは、たちまち美しい闘病記録のようなものとしての側面をも見せ始める。闘病記録を書くことは残されたものの義務である、とでもいうようなテーゼに小川洋子は一貫して忠実だ。闘病記録はその対象の死を持って終わらざるを得ない。そこでは、いわば叙述全体が不可逆的に死へと向かっている。だがどこかで叙述全体が反転するかのような印象が生じる。たとえば、小説の終わりに「ブラフマン」が埋葬されることで、小説内から固有名で名指されたものがついに消滅する。それがなにを指すのであれ、そして、あらかじめ予感されたものであるとはいえ、名付けられたものの死にはある哀しみがつきまとうといわざるをえない。にもかかわらず固有名それ自体は決して消滅することはない。というよりもむしろ、死が描かれることで固有名が記憶媒体に刻印されるという事実が生じる、ということがはじめから作者により目指されていたのだと読者に了解されるとき、まるで叙述全体が死者への祝福であるかのように機能し始める。そのような反転は、固有名の想起だけが死を悼むためのただひとつの回路である、という素朴な事実を明らかにするだろう。それは必ずしも固有名でなければならないというわけではない。たとえば、それは「博士」の残した「数式」が書かれた「紙切れ」でも、「江夏豊」の「野球カード」に写った完全数としての背番号「28」でもかまわない。特定の個人と結びついた思い出の品としての「名」や「数式」や「数字」が、われわれを「この世界を去ったもの」の元へと連れて行く(それはつまり、あらゆるものが固有名であり得る、ということを示唆してもいるだろう)。そのとき、小説とは、名付けられたものの死を悼む碑文のようなものだ。したがって小川洋子は碑文家として、あるいは記憶を失ってしまった者の記憶を代補する者として現れる。つまり端的にいえば、小川洋子の小説を読むことは、どこか墓参りを思わせるところがある。

夕方、電源タップを買いに出る。ずっと使っていた電源タップはコードが破れ、中のニクロム線が剥き出しになっており、危険極まりない状態を呈していた。踏切を渡った先にある店に行くつもりで列車の通過するのを待っていると、いつまでたっても踏切が開かない。ひとつ隣の駅で車両がストップしてしまっているのだった。15分ほど待たされる。踏切で待つこと事態には文句はないのだが、いつしてもいい買い物をしようとしているのに、どうしてよりにもよってこのような事態に遭遇してしまうのだろう、という自分に対して運の悪さを呪うような気分に陥ってしまう。

book 2004,05,15,Saturday
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お好み焼きというものは、そうそう何枚も食べられるものではない

2004,05,06,Thursday

朝起きて、昨日すでに知っていたがそのまま放置しておいたグリの吐いたやつを片づける。もう一カ所吐いてるんだがそれは放置。マフラーの上に吐きやがって。オレの小沢健二のビデオの上に吐きやがって。こないだ買ってきたグリのえさがなんだか味が変わったらしく、店の人はおいしくなったとかいっていたが、グリは繊細なので食べてないみたいだ。心配だ。ブロスのこともあるし、また尿道結石になんなきゃいいんだけど。DCPRGのライヴビデオを観る。2時ごろマックに行き日記を書いていたらあっというまに3時半になっていて、あわてて電車に乗る。渋谷へ。井の頭線で駒場東大前へ。あいかわらずの混雑ぶり。教室の前に列を作ってるので、知らない人が見たら何事かと思うだろう。今日はプレモダンの話。モダンを宣言したことにより副次的に生まれることになったプレモダンという区分の、モダンが切り捨ててしまった豊穣さについて。つまり文学でいえば、樋口一葉だな、たぶん。今日はたくさんのジャズを聴いた。ジャズ喫茶みたいだ。今度は飲み物を持って行くことにしよう。講義が終わり池袋でグリコと待ち合わせ。の前にリブロで菊地成孔『スペインの宇宙食』。グリコがやってくるのが見えた。ミッチーといっしょに。ミッチーはグリコの幼なじみで、今日は偶然会ったそうだ。勤め先の最寄り駅が同じだということが判明したらしい。二人はお互いにそのことを知らなかった。ものすごく家が近い、という友だちはたぶん二種類に分かれる。常に行動をともにするような、家の近さが身体的な距離に還元される友だちと、いつでも会えるという心理的な距離感を離れていながらも保ち続けられる友だちとに。彼女たちはもっぱら後者のタイプだろう。ミッチーは派遣社員であり、そう長くはないスパンでちょこちょこと勤め先が変わる。だからグリコは知らなかったわけだ。そしてグリコが今の会社のある場所に通うようになったのはごくごく最近のことなのだから、ミッチーもそのことは知らなかった。彼女たちはお互いに、どうしてこの駅にいるのだろう、と思ったといった。そりゃそうだ。こんなに広く、こんなにたくさん駅があるのにもかかわらず、幼なじみがそこにいるんだから。そういうことが起きたり、そういうことが起きたという話を聞くと、なんだか涙が出そうになってしまうのはどうしてなんだろう。都市という極めて匿名的な空間の中では、当たり前のことだが、ぼくたちの本当の名前は剥奪されている。いやいや、そんなに大げさなことをいってるんじゃないよ。ぼくはたとえば山手線の車内で隣り合った会社員とおぼしき男性の名前を知らない。それは向こうだって同じだ。彼はぼくの名前を知らない。そうじゃなきゃ、大変だ。それは都市に入るための儀式で、一人一人が名前を持ったまま、このような都市を形成するなんてことは不可能だ。いちいち挨拶するわけにはいかないからだ。路上は、立ち止まって挨拶する人だらけになってしまうに違いない。それじゃあ極めて効率が悪い。名前は実はなんだっていい。同じ審級に属していることが重要なのだ。だから厳密にいえば都市においてぼくたちは名前を剥奪されているわけではない。名付け直されているのだ。たとえば「人の群れ」とか、「人波」とか「サラリーマン」とか「OL」とかに。ぼくたちはそれでもぜんぜん平気だ。というか、都合がいいことの方がむしろ多いくらいだ。抽象化によって「私」の濃度は薄まり、よほどのことがない限り、みんな穏やかにとまではいわないまでも、きわめて円滑に事を運ぶことが可能だ。だが本当だろうか。「私」はむしろそのような場からの疎外としてのみ感受されるものではないのか。「本当の私」とか「近代的自我」とかいうやつだ。これは内面というものが風景描写によって成立していったことと同じだ。本当はそんなものは存在しない、という意味で。存在しないものを中心として存在するという両義的な存在様式に則った「私」は、だから現実との齟齬を起こしやすい。だが時として、都市の中で、稀にぼくたちは知っている名前に遭遇する。そこでは知っている名前は、まるで自分の一部分みたいだ。かつて失われ、もう忘れていた機能の一部がみるみる回復するかのようだ。誰かを知っている、ということは単に名前を知っているということでも顔を知っているということでもない。自分が知っているということを相手が知っているということを知っているということだ。そのことがどうして喜びなのだろう。喜び、というか、なにかノスタルジックな感動を呼び起こしさえする。コミュニケーションの本質は、偶然の出会い、ということと大いに関係があるに違いない。ぼくたちの話すことは、ほとんど偶然発せられて、ほとんど偶然理解される、されたように感じられる。なんだかよくわからなくなってきたな。

そんなわけで、ほとんど邪魔者感すら漂うぼくを交えてごはんを食べに行くことに。グリコが最近北口にお好み焼き屋ができたという情報を入手しており北口へ行ったものの、場所がわからない。iモードで調べたりしているので、ぼくはその辺を歩き回ってとりあえずお好み焼き屋を発見する。探していたお好み焼き屋ではなかったが、なんだってかまわない。なにを食べたってよかったんだし、それがお好み焼きでありさえすればそれで十分だ。ビールを飲む。まだ旅行の続きのような気分だ。そして毎日旅行しているように生活できたらいいなと思う。ミッチーは会うたんびに違う恋をしているな。そしてお好み焼きというものは、そうそう何枚も食べられるものではない。

diary 2004,05,06,Thursday
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仙台三日目

2004,05,04,Tuesday

7時前に起きる。今日は仙台旅行の最終日。シャワーを浴びて髭を剃る。にしても狭いなあこの風呂。史上最高狭い風呂。もちろんユニットバスなのだが、シャワーを浴びてるとしきりのためのシャワーカーテンが身体にくっついてきて気持ち悪い。前日同様、朝食はパン。前回の失敗をふまえて、わが朝食からクリームパンを駆逐することに成功。かと思いきや最後に手に取ったどら焼きがクリーム入りだった……。グリコに笑われる。手早く帰り支度を整え、チェックアウト。といっても鍵を箱の中に返すだけというなんとも合理的なシステム。9時ちょっと過ぎのバスに乗って仙台文学館へ行くつもりだったが、どのバスに乗ればいいのかわからず、結局タクシーに乗る。仙台史上初タクシー。仙台文学館では宮沢賢治展を見学するのが目的。作品の原稿よりも友人や家族に宛てた手紙がおもしろい。声に出していちいち読んだ。二人でけらけら笑いながらだ。でも決して馬鹿にしているわけじゃない。ほとんど畏敬の念に近い。「雨ニモ負ケズ」の書かれた手帳の実物があった。超レアもの、という感じ。高橋源一郎の原稿が載った宮沢賢治展のパンフレットを買い、10円払ってチケットをしおりにしてもらい文学館を後にする。バスで仙台駅へ。予定では石巻へ行くはずだったが、快速列車が来るまでに間があったし、遠いのでなんとなく変更し、急遽、塩竃へ行くことに。本塩釜で下車。なんだか閑散とした駅前。ほとんど観光客の姿も見受けられない。寿司を食べることにする。なんとなくいい感じのお寿司屋さんを発見。店の外に何人か並んでいる人がいたので、これはおいしいのかもしれないとミーハー丸出しで列の後ろにつく。並んでいるあいだ、会計を済ます人たちに対して耳を澄ましていると2万7千円です。とか1万5千円です。とかいってるのでちょっとびびる。ほどなくして店内へ。瓶ビールに、にぎり。それと生ガキ。食後のシャーベットまで、全部がおいしかったです。さすが港町。もうすっかり塩竃気分を満喫だったが、せっかくなので塩竃神社を参拝することに。7時の新幹線まではまだ5時間もある。資料館に入る。入口には巨大な捕鯨砲がいくつも飾ってある。こんなんで鯨を捕ってたんだね。館内にはいろんな種類の刀とか、なんだっけな、動物の剥製とか、岩塩とかが展示され、そのどれもが時の洗礼を受けて、いささか古ぼけて見えた。こんなとこ誰が見に来るんだろうか、とまではいわないが。そして展望台にのぼる。誰もいない。廃校になった学校の屋上みたいなその展望台からは、遊覧船から見えた火力発電所の三本の煙突が、やや角度を変えて並んでいるのが見えた。松島も見えた。晴れてたら。とはもう思わなくなっていた。この三日間、空はほとんど曇り続け、そういう気候の土地なのだと思うようになっていた。茶屋で団子を食べて休憩した後、ちょっと港の方まで歩いてみようということになる。観光地のおみやげや的な建物にはこれまた展望台があり、のぼってみる。寒い。晴れてたら。とはもう思わなくなっていたといったが、きっと晴れてたらもっと遠くまで見えたことと思う。曇りでも遠くまで見えるのだから。ここからも遊覧船から見えた火力発電所の三本の煙突が、さらに角度を変えて並んで見えた。さっきの塩竃神社の資料館の展望台を探したが、どこだかわからなかった。展望台から展望台を見ることはできない。もっとほかに見るものがあるからだ。そんなこんなで、だらだらとぶらぶらして船がたくさん浮かぶ海を眺めつつ駅へ向かい仙台へ。帰りの仙石線の乗務員は女の子で、どうして女の子の駅員さんのする車内放送はどの子も似ているのだろう、と考えたりする。そしてみんな若い。あ、若いのは、採用されるようになったのが最近だからですね。きっと。んで仙台駅へ。ああやっぱりここは町田だ。やっと空が晴れてきた。おみやげを買う前に再度ジュンク堂へ。別に帰ってからでもいいのだが、まあ時間潰しというやつだ。グリコは「もう、家に帰ろう」(だったか)という写真集を買っていた。ここで買わなくてもいいじゃん、と思うが、口には出さない。本人が買いたいときに買えばいいからだ。さて、駅弁を買って新幹線で食べるという手もあったのだが、どうせなら、というわけで再び「伊達の牛たん」へ。初めて並ばずに入れた。というか食べ過ぎ。牛タンを食べに仙台に来たとはいえ、4回は食べ過ぎ。でもこの牛タンと麦飯とお新香とテールスープの組み合わせの完成度の高さったらない。食べている途中で店員さんがなぜかぼくたちの席のところの窓だけを覆っていた日よけを上げた。さあ見てください、これがわたしたちの仙台です、とでもいわんばかりに突然。そうしたらすごくきれいな空が見えた。一瞬、牛タンを食べる手が止まってしまうほどだった。それまで、ぼくはそこに窓があることさえ気づかなかったが、日よけの向こう側にはこれから晴れてゆこうとしている空があった。そして、いつでもすべての窓の外には空があり、晴れたり曇ったりしているのだと思った。そう、それは仙石線の中で女子高生を見たときに感じたことと、だいたいにおいて似通っていた。うまく言葉にできるかな。ただの女子高生好き、というだけのことかもしれないが。どこか自分の知らないところで、一生懸命通学し部活をしおしゃれをしおしゃべりをし恋愛し帰宅したりしている女の子たちがいるということを目の当たりにすると、思いのほか、勇気づけられる思いがする。というか、嬉しい。という感じがする。これはどういうことなのだろうな。別に女子高生じゃなくったってかまわないのかもしれないが、生きることの困難さを抱えている代表として、きっとぼくの中には「女子高生」というものがあるのだと思う。そして目の前にいる女の子だってきっとあの「女子高生」たちと同じで、というかかつて「女子高生」であった女の子として、一生懸命生きているわけで、そのことを忘れてはならないな、と肝に銘じるのだった。というわけで、この旅のあいだずっと空が曇っていたことが、なぜか最後に教訓めいたものをもたらし、何枚もの牛タンはぼくの胃をもたらした。牛に呪われてしまいそうだ。コインロッカーから荷物を取り出し、さんざん悩んだあげくおみやげを買い、3本ビールを買って新幹線に乗り込む。そこから東京はあっというまだ。一歩も歩かずにたどり着く。なんて速いんだろうな新幹線は。ちょっと速すぎるんじゃないだろうか。歩いて松島に行った松尾芭蕉はどんくらいかかったんだろう。夜の新幹線の窓からは、ほとんどなにも見えなかった。

遠足なら、いっしょに遠くに行った友だちと最後の最後で別れなきゃなんないが、旅行から帰った後も、いっしょに旅行にいった人間といっしょにいるのはなんだか変な感じがする。いや、そんなことないか。気のせいか。グリが二カ所に吐いていた。そしてまたもや隣の部屋から悲鳴のような声が。ブロス登場。グリが近くにいないのに窓ガラスに体当たりしやがる。なんだろう。友だちになりたいのかな、とちょっと思ったりした。12時前に倒れるように眠る。

trip 2004,05,04,Tuesday
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仙台二日目

2004,05,04,Tuesday

6時起床。それからグリコが起きるまでの2時間、ネットやら、日記やら。8時半、朝食を食べに朝食を食べるための場所へ。このホテルの朝食はパン食べ放題、飲み物飲み放題のブッフェ・スタイルであった。もちろん、ただ並べられた数種類のパンをトレーの上に好きなだけ乗せて食べる、というだけのことである。ここのホテルはかなり格安なので、客はほとんどみな若く、まるで学食みたいな雰囲気だ。ここで「クリームパン事件」が勃発。それは、ぼくの手に取るパンの中身がことごとく「クリームパン」だった、という大変悲劇的な事件であった。まず、いただきます、といってかじった一個目がプレーンなパンかと思いきやクリームパン。いきなり甘いのはね、しかもクリームパン嫌いだし、ということで半分残し、はい次。ロールパン。これもプレーンなものかと思いきやバターが中に。おいしい。というわけで同じ形のパンを持ってくる。これがなんとクリームパン。ああ間違えた隣のやつかな、と思って持ってきたらそれもクリームパンなんですよ。それなら違う形にするか、なんか書くかしてくれよ、と思いませんか。結局、2個半食べましたけど。

というわけで、今日は雨が降ることを見込んで、遠出はせずに市内のいろんな場所に行くことに決定。まずはデパートに傘を買いに。その後、「るーぷる仙台」という市内循環バスに乗り、各地をめぐることに。ここで一日乗車券600円を買うことも忘れていませんよ。まずはめちゃ込みの中、仙台城趾へ。仙台城は別名、青葉城です。伊達政宗の像の下で写真を撮ったり、撮られたり。松島で見かけたカップルを二組見つけたり。と思ったら、昨日行ったけど食べれなかった牛タン屋があるじゃないですか。昼前だけど、もう並んでるけど、さっそく名前を記入しておき、その店を中心に周辺をぶらつくことに。途中何度も確認しに行くものの、さすがに牛タン定食は客の回転が悪いようで、遅々として消化されぬ名前の列。おそらく1時間ほど経過したところでようやく席に着く。ここでこの旅4杯目の生ビール。そして牛タン定食1,5人前。昨日のお店と甲乙つけがたい、というか勝るとも劣らない牛タン。たまらず麦飯をお代わりします。もうなんというか、食べ終わり、会計を済まし、店の階段を下りた途端にまた列に並びたいくらいおいしい。いいすぎだけど。さて、至福の時を過ごした後は、腹ごなしにちょっと歩くことに。「鑑真和上展」が催されている仙台博物館を素通りし、道に迷いつつ、宮城県立美術館へ。ここではいろいろな絵や立体を見ました。昔より確実に立体がおもしろく感じられます。なんというか、「モノ」がここにある、という感じがすごくいいですね。んで、バスに乗って帰ろうかと思ったけどバスが1時間くらい来ないみたいだし、雨もけっこう降ってきたしなので一回バス停に行ったけどまたもどって美術館内のレストランでコーヒーを飲む。で時間が来たのでバス停に行きバスに乗ったらこれがめちゃこみだが、でも一駅で降りるから我慢。それにしても人多すぎ。宿に一番近いメディアテークで下車。なんとなく建物の中へ。なにをするところなのかよくわからない近代的なスペース。の片隅に、最近はやりの本やCDや美術書のセレクトショップめいた一角を発見。東京にもあるじゃん、というつっこみを控えつつ、大竹伸朗の豊富な作品群をしばらく立ち読み。ここから宿はすぐ近く。いったん帰ることに。んで、グリコはんは調子悪いようで1時間くらい横になる。ぼくはビールを。8時半過ぎ、宿からほど近い、この旅の主要目的でもあった「べこ正宗」へ出陣。この店の「とろ牛たん寿司」が食べたい、と思って仙台に来たら、偶然、ホテルからものすごく近かったのです。だがやはりものすごい人。すごい才能がある人、という意味ではなく、ものすごくたくさんの人。一応名前を書き、宿へ戻る。で30分くらいしてから再度出陣。で、そっからさらに30分以上待ったのかな。馬鹿じゃなかろうか、と思いながらもだらしなく並び続けてしまい、本当に恥ずかしい。そんなこんなでやっとのことで入店させていただく。「るーぷる仙台」といい、「伊達の牛たん」といい、「べこ正宗」といい、それほどのキャパシティがあるわけでもないのに、何らかの不自然な力によって極端に人が集中してしまっているという印象。あ、ゴールデンウィークだからか。まあビールと牛タンで、待ってたことなんかどうでもよくなってしまうわけですけれども。しかしながらあんなに並ばされると怒りに近いものが沸々とわき上がってくるもんですね。みんなよく平気な顔して並ぶよな。たいしたもんだ。

trip 2004,05,04,Tuesday
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仙台

2004,05,03,Monday

5時半起床。ドライバがしっかりダウンロードされていたので、さっそくインストール。そして然るべき画面をプリントアウト。といきたいところだが、印刷がうまくいかない。紙の中にページがおさまらない。いろいろ試していたらA4とB5を勘違いしていたことに気づく。オレはおっさんか。8時くらいにグリコを起こす。新幹線に間に合わなかったら大変だ。9時半には家を出なくてはいけない。それよりもちょっと早く出て朝ごはんを食べたいと思っていたのだが、それは土台無理な話であった。予定通りの電車に乗り、予定通り大宮駅へ。それだけでもたいしたもんだと自分たちを褒めておこう。大宮駅構内の「ベッカーズ」でハンバーガーを買って新幹線へ。Maxやまびこ49号の行き先は仙台。なんで仙台に行くのか、ぜんぜんわからないが、とにかく仙台へ二泊三日の予定。ほとんど景色を見ることなく、新幹線の車内ではPCに向かいっぱなし。ほとんどの時間が、仙台でどの店の牛タンを食べるかの吟味に費やされた。あっという間に仙台に到着。ものすごくかわいい、あれはJRの職員なのか、駅構内の案内係にコインロッカーの場所を聞き、大きな荷物をロッカーへ入れ、仙石線に乗って松島海岸へ。日本三景の松島である。松島湾をめぐる遊覧船に乗る。島が無数にあり、そのほとんどに松が生えていて、なるほど、これは松島だ、と思う。松島としかいいようがない。途中、外洋に出たら、船がものすごく揺れはじめ、ちょっと怖かった。いや、ほんとはかなり怖かった。お昼は海鮮丼。ここでこの旅初めてのビールを飲んだ。食後、瑞巌寺へ。漱石も訪れたことがあるらしい。水族館にも行こうとしたが、アシカショーが終了していたのでパス。雨が降ってきたので、仙台へ戻る。駅前のジュンク堂やらHMVやらに行ったあと、駅の反対側のヨドバシカメラへ行く途中、「ここは町田だ」と思う。仙台駅は牛タンのある規模の大きな町田駅です。仙台に来てまでそんなことをしているわれわれもどうかと思うが。ヨドバシではデジカメの予備の電池を購入。地下鉄に乗り、勾当台公園駅へ。とりあえずホテルにチェックインする。シダックスの隣にある、シダックスにベッドを置いただけみたいなホテル。宿泊についていろいろ説明してくれた受付の女の子が駅の案内係に続いてこれまたかわいかったことにこの旅行における運の良さを感じる。部屋は狭いが別に狭くたってかまわない。なんだってかまわん。HEY!HEY!HEY!を観る。お腹がすいたので外へ。牛タンを食べるのだ、なんとしてでも。だが、目星をつけた店はどこも混んでおり、並大抵の行列ではないのだった。肩を落とし、われわれは牛タンを求めて街をさまよい歩き、結局、いちばんはじめにのぞいた店に諦め半分で戻ると、不思議とぜんぜん並んでいなかった。さっそく入店。念願の牛タン。すんげえおいしかったです。ビールを二杯飲む。たん刺しも食べた。これはさながら自分の舌を咀嚼しているかのようであった。樫村晴香みたいだね。コンビニでビールを買い、宿へ。「あいのり」など観る。1時頃就寝。

trip 2004,05,03,Monday
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戦場カメラマン

2004,05,02,Sunday

昼ご飯にナポリタンを作ってもらう。おいしい。夜、うどんを茹でてもらう。おいしい。麺類しか食べてない気がする。後はものすごくたくさん寝た。自分でもどうしてだかわからない。そういえば、夜、隣の部屋からグリの叫び声が聞こえ、それは今日もブロスがやってきたことを意味しているはずで、いそいで駆けつけると、案の定ブロスとの睨み合いがすでに始まっていたのだった。ブロスの行動は前回よりもさらにエスカレートしており、今日はなんと窓ガラスに体当たりまでしてきた。こんな猫、見たことない。グリは窓ガラスに体当たりされるたびに悲鳴みたいな声を上げていた。グリコさんがブロスとの格闘シーンをカメラに納めていて、その姿はさながら戦場カメラマンのようであった。

深夜、ホテルの予約画面をプリントアウトしなければいけないことに気づき、あわててプリンタのドライバをインストール。CD-ROMが見つからずこれがダウンロードだけで一時間もかかる、とパソコンにいわれたので、ダウンロードしっぱなしで寝た。インストールは明日しよう。

diary 2004,05,02,Sunday
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