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目に見えないものたち

2005,12,19,Monday

けさ、部屋はつよい北風が吹いて笛になった。昨日もそうだった。わたしはそのせいで夜中に一度目が覚めてしまったくらいだった。原因は、次のような比喩をもって語ることができるかもしれない。エアコンと室外機をつなぐパイプのための穴の隙間から、乱暴な巨人が息を吹き込んでくるみたいなのだ、とでもいうように。気に障る実に不愉快な演奏。とぎれとぎれだし、つねに鳴っていれば慣れてしまえそうなのに、ときどき思い出したように再開される。わたしはイライラして、深夜に安野モヨコの漫画を三冊も読んでしまった。グリコがアマゾンで注文したやつだ。土曜日、わたしは23時間くらい部屋にいたのに、ペリカン便は2回もわたしがいないあいだにやってきた。グリコは実家に帰っていて、わたしが荷物を受け取ることになっていたのだ。部屋に帰るたびに不在通知がドアに挟まっているのだ。3回目でわたしはやっとかれに会えた。かれがやっとわたしに会えたというべきかもしれない。お手数かけて申し訳ない、とわたしはいった。いいえ、とんでもありません、とかれはいった。

こんなに風がつよいのに、わたしは洗濯機をまわした。寝ぼけていて、目が覚めてすぐにスイッチを押してしまった。ほとんど洗濯物はなかった。少なくともわたしの洗濯物はひとつもなかった。いつも洗い終わってから気づくのだ。水を吸って、洋服はものすごくちいさくなり、ナンのように洗濯槽に貼りついている。なんだ、これなら明日でもよかったじゃないかといつも思わされることになるのだ。でも晴れている今日のうちに洗濯物を干しておかなくちゃ。明日はどうなるかわからないから。という切迫した気持ちで、わたしは自分の目測の誤りを正当化するのである。

ベランダから凧をあげたらどうなるのかな。お正月にやってみてもいいかもしれない。わたしはそんなことを考えながら窓の外を眺め、洗濯物を干すことを先延ばしにしていた。定時きっかりに帰宅する公務員みたいにもうとっくに全自動洗濯機は洗濯を終え、洗濯が終わったことを告げる電子音がどんな音だったのか思い出せないほどの時間が経過していた。わたしはすぐに洗濯物を干さないと気が済まない性格なのだけれど、今日ばかりはとてもそんな勇気がなかった。ベランダではなにか目に見えないものたちの、狂ったような交流がなされていたからだ。もしわたしがカツラだったとしたら、苦渋の決断の末、今日は有給休暇をとることにしただろうと思う。目に見えないものたちはときどきどこかにぶつかって、大きな音を立てていた。あの音はどこで鳴っているのだろうな。なにが、どこにぶつかっている音なのかな。

それでもわたしは思い切ってベランダに出てみることにした。こいつはたいへんだ。まずものすごく寒い。そしてものすごい音だ。耳の中に十姉妹を二十羽も飼っているみたいだ。風はわたしの耳元で五線譜になり、わたしの身体さえも楽器にかえてしまう。もしわたしが魚だったら、鱗の何割かを失うことになっただろう。空の彼方にあいた小さな穴に向かってなにもかもが吸いこまれてしまうように感じられる。穴の向こう側ではだれかがイライラして安野モヨコでも読んでいるかもしれない。わたしは飛ばされてしまったとしても惜しくはないものから順番に試してみることにした。まずはタオル。洗濯ひもに、ふたつの洗濯ばさみでいつもよりしっかりと止める。それでもタオルは鉄棒の得意な小学生のようにくるくると回転していた。まあいいや。きっと乾くのも早いだろう。今日、東京は乾ききって、空力テストのための風洞実験室のように清潔である。

2005,12,19,Monday
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光について

2005,12,17,Saturday

いま、この世界のどこかではたくさんの雪が降っている。この日本のどこかで。この地球のどこかで。この宇宙のどこかで。部屋の中でじっとしていると、そういう雰囲気がする。どこかで雪が降っていてもおかしくはない、といった気配のようなもの。そういう空気がそこはかとなく漂っているような気がする。というよりも、おそらく、ニュースでやっているのをわたしは見たのだ。雪が降っている地方のことを知らせるニュースを。

たとえばニューヨーク。ニューヨークでは雪が降っている、とニュースでやっていた。本当かな。わたしはニューヨークが存在することをうまく考えられない。そこにいま、友人が住んでいる。でもうまく考えられない。

そして日本の、日本海側の地域にも、たくさんのたくさんの雪が降っているそうだ。

わたしは一度だけ日本海に行ったことがある。真冬だった。たどり着くまでに雪のせいで死にかけたのだった。わたしたちは砂浜でサッカーをした。寒くて爪先が砕けそうだった。早朝で、世界の果てみたいに閑散としていた。

いま、わたしの部屋の窓から雪は見えない。わたしの部屋の窓から見えるのは、わたしが午前中に干した洗濯物である。いまは午後9時だ。そうだ、早く取りこまなくちゃいけない。その向こうには教会が見える。一昨日あたりから、クリスマスツリーが飾り付けられた。そのもっと向こうには大学がある。キリスト教系の大学だ。しばらく前から巨大なツリーが二本立っている。キラキラと電飾が眩しい。きっと、あの電飾を消すという仕事をして家路につく人間がいるのだろうとわたしは想像している。もしわたしがそういう仕事に就いたとしたら、ということを最近はよく考えている。

そのもっともっと向こうには、むすうのひかり輝くツリーたちが立っているはずだ。光のつぼみを膨らませて、それらはまるで夜のあいだだけ咲く花のようだ。

わたしはこの部屋に住むようになってから、光についてよく考えるようになった。本当のことをいえば、昔から光について考えることをわたしはしてきたように思う。どうしてだろうな。それはもしかしたら、わたしの視力が2.0であることと関係があるかもしれない。

diary 2005,12,17,Saturday
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あと5分で

2005,12,12,Monday

夜遅くに、初めて弟が部屋にやって来た。友だちといっしょに。「今ドライブで近くにいるけど行ってもいい?弟」と突然メールで聞いてきた。わたしは「いいよ」と返事をした。それから、わたしはただ待っていたのだけれど、「いったいどうやって来るのかな」とずっと考えていた。いくらたっても場所を訊ねてこないのだ。わたしは、いまどこらへんにいるのかと聞いてみた。そうしたら「あと5分で着く」という返事が返ってくるのだ。いったいあと5分でどこに着くのだろう、とわたしは思ったけれど、とにかく待っていた。すると今度は電話がかかってきて、近くのコンビニに着いたという。どうしてわかったのか不思議だったけれど、わたしはかれらを迎えに下まで降りていった。朝起きたら散らかっていたはずの部屋がすっかり片づいていた、とでもいうような、なんだか騙された気分だった。

弟はもうマンションの前にいた。わたしにビールを買ってきてくれた。それでコンビニに寄っていたのだ。どうして場所がわかったのかと聞いてみると、なんのことはない、どうやら前にわたしが教えたらしかった。わたしは自分が弟に引っ越し先を教えたことをすっかり忘れていた。それにしても記憶力がいいなとわたしは思った。それに勘もいい。かれはマンションの名前まで覚えていて、わたしは妙な気分だった。なんだか当たり前のような顔をしてあまりにもスムーズにやって来たからだ。

弟の友だちは猫アレルギーだった。部屋に猫がいることを知ったとたん、友だちは玄関に引き返してしまい、そこから一歩も動こうとしないのだ。弟が「大丈夫だって!」と説得しても、「それだったら先に帰る」などと弱々しくいっている。その姿はなんだか可笑しかったけれど、本人にとっては一大事である。よほどの猫アレルギーなのだ。わたしはグリを押し入れに隠した。部屋が安全になったことを告げると、おそるおそる友だちは部屋に入ってきた。グリが押し入れを開けようともがいている音が聞こえてきて、わたしはひやひやしながら、もらったビールをさっそくひとりで飲みはじめた。かれらはベランダに出て夜景を見ていた。わたしは夜景がよく見える部屋に住んで、本当によかったと思った。

弟が「猫を見たい」というので、今度は友だちを台所に閉じ込めて、その代わりにグリを押し入れから出した。友だちを押し入れに閉じ込めるわけにはいかない。グリは弟の匂いを嗅ぎまわり、手の甲をしきりになめていた。初めて会う弟の前では借りてきた猫のように大人しいのだった。真っ黒だね、と弟はいっていた。肉球も黒いんだよ、とわたしは教えてあげた。

弟の性格からすると、きっとすぐに帰って行くだろう、とわたしは踏んでいた。すると案の定、かれらは長居をせず、20分かそこらで帰って行った。次になにかすることがあるのだ。弟は「また来るよ」といって靴を履いた。わたしはちょっと待って、といってカメラを取りに行った。玄関にふたりを並べて写真を撮った。「写真嫌いなんだよ」といいながら、「フラッシュ焚いた方がいいんじゃないの?」などといって、しっかり写真におさまろうとするのだった。

diary 2005,12,12,Monday
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かれらはいったいどこへ

2005,12,10,Saturday

朝、といっても昼過ぎのこと。玄関のチャイムが鳴って目が覚めた。今日は土曜日である。こんな時間にだれかな、とわたしは飛び起きる。飛び起きないわけにはいかない。誰かがわたしの耳の穴へ向けてさっと槍でも投げたみたいなのだ。槍はわたしの耳元で火の輪くぐりをするサーカスのライオンに変わる。右耳から左耳へ。そう、チャイムの音はどこか黄色味を帯びているような気がする。あまりにもびっくりしすぎるせいで、鳴った瞬間にはもう立ち上がってしまっているほどである。そうなのだ。寝ぼけていて頭が働かなかったのだけれど、今日、なにか荷物が届く予定があるわけではなかった。だとすれば、こんな時間にやって来るのはただひとつの人種しかいない。それは新聞の勧誘員である。わたしは不用意にドアを開けてしまった。

ドアの外には初老の男が立っていた。男はいきなり「どうすれば若い人たちが新聞を取ってくれるのか、私に教えてくれませんか」といった。わたしは、それが新聞の新たな勧誘手段であるなどとは思いもせず、真剣に、玄関先で、どうすれば若い人たちが新聞を取るようになるのだろうかと考えてしまった。よほど寝ぼけていたのだろうと思う。でもあえて他人に向かって発表するような妙案は思い浮かばなかった。寝ぼけていたし、なにがなんだかよくわからなかったのだ。確かに新聞は高いです、とその初老の男はいっていた。わたしの印象に残ったのはその部分だけだった。つまり、男は、これから売り込もうとしている商品を自分で「確かに高い」などといっていて、そんなものはふつうに考えたら売れるわけがないのではないだろうか、とわたしは思わざるをえなかった。なんだか買う価値がないように聞こえてしまうではないか。だからあなたが勧誘をやめるべきです、とわたしはいうべきだったのかもしれない。あんな泣き落としをするなんて気持ち悪い、とグリコはいっていた。なるほどな、とわたしは思う。あれも勧誘手段の一種なのだ。途中で顔を出したグリコの助けがなければ、わたしはきっと新聞を取るはめになったか、ほとんどその一歩手前まではいったのではないだろうかと思う。

さて、わたしたちはその新聞屋のおかげでぱっちりと目を覚ますことができた。いささか不愉快にではあったけれど、ぱっと布団から出ることができた。その点についてはかれに感謝しなければならないだろう。わたしたちは身支度を調え、昼食を食べに外へ出た。アメリカのロックンローラーの名前を冠した店だった。それから腕時計の電池を交換し、何本かの酒を買い、一度、部屋へ戻って一休みし、それからカーテンを買いに行った。デパートの地下でハンバーグを作るための食料品を買った。合い挽きの挽肉。パン粉。ナツメグ。デパートの地下食料品売り場にはそれこそ何十種類ものスパイスが揃っていて、いくら探してもナツメグが見つからず、店員に聞いてもすぐには見つからなかった。わたしたちはみんなでナツメグを探した。結局、ナツメグを発見したのはわたしだった。

外はもうすっかり陽が落ちて寒かった。なにしろ12月も半ば近くなのだ。さっき出かけたときには平気だったのに、秋とほとんど変わらない服装をしていたわたしには限界に近かった。いつもはホームレスが休憩しているちょっとした空間は、クリスマスの飾り付けで煌々と明るかった。だからなのだろうか、ホームレスたちはどこかへ行ってしまったようだった。鳩もいなかった。かれらはいったいどこへ消えてしまうのだろうとわたしは思った。

そこで自転車に乗ったさっきの新聞屋とすれ違った。昼ごろわたしたちの部屋にやってきた新聞屋だ。あれ?どこかで見たことがあるな、と思って、すぐにそうだとわかった。かれは小さな紙切れに書かれたメモ(おそらくは住所なのだろう)を見ながら自転車を漕いでいた。こんな時間まで新聞の勧誘をしているのだ、とわたしは思った。なんとなく、かれはその日、一件も契約を取れていないような気がした。どことなくそういう風に見えたのだ。そしてそう考えると新聞というものはいったいどうやって作っているのだろうと不思議なくらい安いように思えた。けれど、わたしたちは新聞を取るつもりはなかった。それはかれらの努力とはまったく関係がないのだ。

diary 2005,12,10,Saturday
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