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なにも食べずにドラクエ

2004,11,30,Tuesday

ドラクエをやる。なにも食べずにドラクエ。ひさびさに鏡を見たら、超ひげがのびていてびっくりした。夜、デミたまハンバーグ弁当を買ってきてもらって食べた。ゲームをやるとすごくよく眠れる。深く眠れる気がする。たぶん脳をたくさん使っているからかもしれない。だからちいさいころはあんなに寝ていたのかもしれない。

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ドラクエをやる

2004,11,29,Monday

ドラクエをやる。夜、おでんを買ってきてもらう。

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大きな肉まん

2004,11,28,Sunday

けっこうすぐ起きてドラクエをやる。お昼ごろ、モスに買いに行かされる。日曜日のモスは混んでるなあ。夜の8時から12時まではテレビを観られたので、仕方なくテレビを観ます。最近は田村正和ばっかり見てる気がする。夜ごはんは大きな肉まんを食べた。一個500円だって。

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ドラクエ8

2004,11,27,Saturday

ドラクエ8をamazonで注文したのですが、お昼頃「まだかなー」とグリコさんにきいたら「ポストに投函されるみたいよ」というのでポストを見に行ったらポストにはすでにamazonの包みが入っていてそれはドラクエなのでした。amazonの包み(あの紙のやつです)をはじめて開けたのですが、はさみで端っこの方を切りすぎでした。中身を切り刻んでしまうことを恐れるあまり。それでは中のものが出てこないのでした。でも結局は開きました。それからはドラクエをしまくりです。でも夜は飲み会に行き、朝まで飲みました。場所は新宿でした。

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『停電の夜に』

2004,11,26,Friday

銀だこのたこ焼きを食べた。ぼくはたこ焼きが好きです。いつでも食べたいとおもっている。のでよろしくお願いします。と意味もなくいいたいくらい好きです。

『停電の夜に』を読了。これは短編集ですが、長いのが読んでみたい!とおもいました。とおもったらもう買ってあるので『その名にちなんで』を読もうとおもいます。

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この世界には

2004,11,25,Thursday

午前中から外出。東京駅へ行く。仙台ではじめて食べた牛タンの「喜助」が先月の終わりに東京にオープンしたのです。麦飯をお代わりできないのが痛い。確かめたわけじゃないけど、できそうにない雰囲気。が牛タンはやはりおいしかった。月一回行くことにしよう。でもなんでみんな「なんてことない」という顔をして食べてるんだろう。すごいおいしいのに。って自分も普通の顔で食べてるか。そうか。

で、食後は八重洲ブックセンターへ行く。八重洲古書館へも行く。ぼくは「八重洲」ということばが好きです。古書館でウラジミール・ナボコフ『透明な対象』、斉藤環『文学の徴候』を買う。

そこから歩いて有楽町へ行き、あの有名な宝くじ売り場で宝くじでも買うかな、とおもったら、すごい!宝くじ買うのにあんなに並ぶんですね。5時間くらいかかるんじゃないでしょうか。あんなに買えば、そりゃだれかは当たるよな。とおもいました。ほとんど詐欺に近いような気もする。

AM/PMでジャワティを買って日比谷公園へ。ジャワティうまい。こないだジャワティを飲んだのは、青山に行った日だな。あったかかったから本でも読むか、とおもって日比谷公園に行ったら急に日がかげって寒くなった。ので早めに学校に行っちゃうことにし、銀座から銀座線で渋谷へ。HMVで『エスクァイア』、野田努『ブラック・マシーン・ミュージック』。今日の東大の講義にゲスト講師として野田さんがいらっしゃる、ということで著作を購入。野田努さんはあの『ele-king』の編集者で、現在『re-mix』編集長。

歩いて東大へ。講義時間を大幅におしてしまったが、まだまだ聴きたい、という感じでした。講義後、歩いて渋谷へ行き、池袋の駅構内にあるカレー屋でカレーを食べてビックカメラでPS2を購入。めちゃめちゃ荷物が重い。なんといってもハードカバーの本を五冊も持ち歩いているのだ。重いに決まっている。せっかく薄く軽くなったPS2だが、それでもやはり重い。

ああそういえば東大で900番教室ってどこですか?と訊かれた。学生に見えるのか?それと今日は一日コーヒーを飲もう飲もうとおもって歩き回っていたけれど結局飲みませんでした。どうもぴんと来る喫茶店がない。この世界には。

diary 2004,11,25,Thursday
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世界一のおでん屋

2004,11,24,Wednesday

セブンイレブンは去年おでんだけで160億円の売り上げだそうだ。ということはセブンイレブンは日本一のおでん屋である、といってまず間違いなかろう。ということは、世界一のおでん屋であることにもなるであろう。これからはセブンイレブンをおでん屋と呼ぶことにしよう。

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王子

2004,11,23,Tuesday

東京フィールドワークの日。バスで王子へ。詳細は略。だって吉川くんが書くんだもんね。お疲れ、ということで王子のしゃぶしゃぶ屋に行き、乾杯。するも、グリコがお腹が痛いといい、7時頃、大事をとって解散。

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ペンギンの憂鬱

2004,11,22,Monday

朝、おにぎり。夕方、ガストに行く。帰って焼酎を飲む。往復書簡を書き始める。『ペンギンの憂鬱』読了。

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しょっぱい

2004,11,21,Sunday

お昼にオムライスを作ってもらう。しょっぱい。自転車で池袋へ。リブロでマーガレット・アトウッド『侍女の物語』、ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』と『その名にちなんで』。WAVEでunbeltipo『Joujoushka』。ティーヌンで生ビール、トムヤムラーメン。今日は東大のイベントに行くのを忘れた。

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アップルストアのイベント

2004,11,20,Saturday

昨日、アップルストアのイベントに行くのを忘れたことを今日おもいだした。ほっけを食べ、焼酎を飲んで寝た。

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全滅

2004,11,19,Friday

昼ごはんは抜き、夜、自転車で牛タン料理屋に行く。東京の牛タンはやっぱり駄目なのかもしれない。これで3、4軒行ったが、全滅だ。仙台に行きたいなあ。とおもっていたら仙台の「喜助」が東京駅にオープンしたらしい。今度行ってみよう。

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掃除機を吸いこむ掃除機が欲しい

2004,11,18,Thursday

『真夜中の五分前side-A』『side-B』読了。

部屋の掃除をする。掃除機をかけているといつもおもうのだけれど、掃除機をかけているときにいちばん邪魔なのは掃除機だ。掃除機を吸いこむ掃除機が欲しい。

その後、東大へ。今日はちょっと遅刻したので席がもう空いてなく、立って講義を聴く。立って聴いていてもあっというまに時間がきてしまう。講義終了後、雨でも徒歩で渋谷へ。どこにも寄らず池袋へ。リブロで難波江和英+内田樹『現代思想のパフォーマンス』、レベッカ・ブラウン『体の贈り物』。

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真夜中の五分前

2004,11,17,Wednesday

リブロで本多孝好『真夜中の五分前side-A』『side-B』、アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』。

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遠くを見ること(北海道三日目)

2004,11,16,Tuesday

ホテルの回転ドアを出ると雪が降っていた。昨日の夜からずっと降り続いていたのかもしれなかった。それともどこかの時点で一度止み、それからまた再び降りはじめたのかもしれなかった。あるいはどこかの時点で一度止み、それからまた再び降りはじめ、そしてどこかの時点でもう一度止み、それからまた再び降りはじめたのかもしれなかった。眠っているあいだに間氷期が終わり、地球はヴェルム氷期以来一万二千年ぶりの氷河期を迎え、あらゆるものが吹雪の中で凍りつき、氷づけになり、その動きを完全に停止し、だがぼくたちが目覚める少し前にはその氷河期も終焉を迎え、吹雪は弱まり、ピーク時から較べたら雪も次第にまばらになって、その朝、地球は人知れず新しい間氷期の中にいるのかもしれなかった。

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羊をめぐる冒険(北海道二日目)

2004,11,15,Monday

朝食を食べ、小樽を後にする。二日目の滞在地、札幌へ向けて出発する。やがて列車の窓から海が見えはじめると、昨日、空港から小樽へやって来るときにもそういえば海が見えたんだったとぼくはおもいだす。すっかり忘れていたのだ。

うとうとしているグリコに「海!海!」とぼくは教える。昨日はしっかり眠っていた彼女はこの線路を走る列車から海が見えるということをまだ知らなくて、どうして昨日起こさなかったの、とぼくは軽く怒られる。こっち側に座ってよかったねえ、とぼくはいう。今日の方が昨日よりも海側の線路で、さらにぼくたちは新幹線タイプの、進行方向左側の座席に座っており、左手に広がる海を眺めるのには正にうってつけといってよかった。

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真摯かつシンシアに(北海道一日目)

2004,11,14,Sunday

というわけで我々は無事に北海道に着いた。実は恥ずかしながら生まれてはじめて空を飛び、夢の中では何度も空を飛んでいたものの、最近では飛んでも電柱の高さまでという体たらく、運動不足、集中力不足なのであって(フロイトによる解釈/介錯を待つまでもなく、これは大人になったということだ。かつては街の上空はおろか宇宙空間にまで飛び出すほど空を飛び回っていたものだ)、上空10000メートルからの眺め、などといったものを想像できなかったし、想像しようとしたことすらなかったし、上空10000メートルなどといったものが存在するとさえおもえなかった。本当のことをいえば、あんなものが空を飛ぶ、ということがいまだ信じられず、これではまるで野蛮人みたいだが(そこでおもいだすのは、『パリ、テキサス』のトラヴィスのことだ)、実際のところ、極力、飛行機のことを避けて生きてきたのだ。「人は土から離れて生きてはいけない」というラピュタの教えを頑なに守り続けて。とかそういったわけでは毛頭なく、自分はいたって普通に暮らしていただけであり、実は肩胛骨のあたりから翼が生えているんですよ。というびっくり人間大集合なわけでもなく、飛行機、などといった大胆かつ大それた発明品に乗り込み、ベルヌーイの法則にのっとって、この戯れごと多き地上を一時たりとも離れる機会すらなかった、と事実はただそれだけのことである。さらに付け加えるならば、もともと自分は旅行というものを必要としていないようなのだ。いってみれば「旅欲」があまりない。もちろん、切実に必要として旅行する、といった人がそれほど数多くいるともおもっていないのだが、このことについてはいずれ書く。

これまでの人生をただただ土の上にへばりついて生きてきた自分にとって、雲の上、とは率直かつ直裁にいって天国かと見まごうかのごとき場所だった。これから自分のするかもしれないあらゆる善行に対するご褒美の前払いであったとしたら、ぼくにはあまりにもありがたすぎて飛行機が墜落するのではなかろうか。あるいは自分はもうすでに死んでいて、空港の金属探知機とは現代的な閻魔大王の代替システムであり、我々はみないっぺんに旅客機型の最新鋭「魂運搬機」に載せられ「あの世」へと運ばれる途中なのではないか。などという妄想を差し挟ませる一片の隙もなく空はくっきりと真摯かつシンシアにどこまでも広がり、その「どこまでも」は決して修辞的形容詞ではなく、雲はといえば地上から見上げるのとはまた別の表情をめくるめく変化させ続け、目の黒いうちにこのような奇跡的な光景をまぶたに焼き付けることのできた幸運を、ただただ「ライト兄弟」および「JAL」に感謝するのみであった。ちなみにチャールズ・リンドバーグが大西洋横断を達成し、その凱旋帰国の際にばらまかれた紙吹雪の総量は1600トンにも及ぶそうである。

幾層にも渡る雲が奇蹟のように途切れ(上空では雲が存在するという状況がこの惑星――「ほし」と読んでもらいたい――の本来の姿であるようにおもえた)、地上が顔を覗かせると、そこには雲を見下ろすよりは馴染み深い光景が広がった。航空写真で見たことのある景色だ。そして、ここはまったく天国なんかではなく、ぼくたちの住んでいる街の上なのだ、とおもうと、嬉しくて涙が出そうだった。こんなにも美しい惑星(「ほし」と読んでもらいたい)にぼくは住んでいたのだ。いまおもいだしてもなお涙がにじむことを自ら禁じ得ないほどである。あの、雲の上にいた90分間のことをおもいだせれば、それだけでもうこれから先、いつまでだって生きていけるような気がするほどだ。パイロットになりたい。遅ればせながら、しかもまったくもって不可能な願いを、人生ゲーム(給料がルーレットの出目によって決まる「アイドル」を除けば、いちばんの高給取りが「パイロット」であった)以来で願わずにはいられないのだった。

そして死んだら天国に行けるなどという教えを流布する宗教というもののすばらしさ/おぞましさを否が応でも考えさせられることになった。このようなすばらしい場所に行けるのであれば日ごと善行に励みなにがなんでも天国に行きたいものだ。とおもうと同時に、そのような餌で人心を惑わせるなど聖職者のすることではなかろうと憤ったりもした。というような意味において、スチュワーデスとはただひとりの例外もなくこの世のものとはおもえぬほどの美貌、というかバイタリティの持ち主であり、どこか人間を超越した存在であるように感じられ、きっと彼女たちは地上の誰よりも哲学者であろうとぼくは想像せざるを得なかった。ぜひ死ぬまでに一度フライト・アテンダントとコンパをしてみたいものである。

飛行機の中で読むための本を持参しなかった、といったミス(ぼくははじめての機内で読むための本をなににするのか何日も考えあぐねた末に、直前になってそのことを忘れてしまった)は、90分間、あのちいさな窓に額を貼り付けることで帳消しになった。高校生だったころ、そのころ付き合っていた女子が飛行機の中で書いた手紙を受け取ったことがあり、そこには確か「おしげもなくムースをこぼしたかのよう」な「雲」が「足下一面に広がってい」る、というような描写があったと記憶しているのだが、いまおもいだしても秀逸な(まったくその通りだったから)飛行機からのそのような描写を超えて、はじめてだということで譲られた窓際の座席から眺める窓外に広がる景色は、なんというのだろう、知らぬ間におでこが飛行機の気持ちを読み取っていたとしてもなんら不思議ではない、知らぬ間におでこが窓を突き破っていたとしてもなんら不思議ではない、おでこのあたりから抜け出した魂が窓をすり抜けて雲の彼方へと身体よりも一足先に帰る、といった事態が本人の知らぬ間に持ち上がっていたとしてもなんら不思議ではない、といったほどの訴求力を持って、めくるめくどこまでも広がっているのだった。そして何度でもいうがこの「どこまでも」という形容は比喩でなく、ことば通りの意味で「どこまでも」なのだ。という事実が実にしっくりとくるのだった。

と雲の上の話はこれくらいにして、地上での出来事も書いておく。

結局ぼくが目覚めたのは3時くらいで、グリコはまだ起きて仕事をしていたのだったとおもう。ぼくはといえばまだ眠っていてもいいはずの時間なのに、たったの2時間寝ただけで目が覚めてしまった。飛行機の出発時刻が7時50分。空港行きのリムジンバスの出発時間が5時45分。5時17分発の電車に乗れば余裕を持って間に合う。その電車に乗るためには4時半に起きればいいはずだった。そうすれば9時半には北海道だ。でもどうしてそんなに早い時間に北海道に着かなければならないのか、ぼくは知らなかった。グリコが勝手に決めたのだ。そしてどうして北海道なのかも、ぼくは知らなかった。

起きて、ぼくは旅行の準備をした。近年の旅行ではアダプターが必携の品となっている。こんなことはちいさいころには予想もしなかったことだ。ぼくたちはその土地土地にアダプトする前に、まずはホテルのコンセントを探し出し、アダプターを差し込み、それぞれの電力の補填を滞りなく済まさねばならない。いくつかの電子機器の電力を保持し続けることが良くも悪くも新たに我々の旅に課せられた命題のひとつなのだ。

というわけで三つのアダプター(携帯電話、デジカメ、パソコン)をバックに入れ(どうしてあの手のものは等しく黒いのだろう。何本もの絡み合うコードがほんとにまぎらわしい)、その代わりにいったん入れた長袖のTシャツを取り出した。寒かったときのためのマフラーとカーディガンを入れると、ふだん使っているバックはいっぱいだ。だがそれでもこんな軽い荷物で、飛行機に乗る、ということが、旅行のイメージと結びつかない。別にバングラデシュに行くわけじゃないのだけれど。

どこかにあらたまって外出するときの、なにか忘れものをしてるっぽい感を抱えたまま、ぼくたちは予定通りの電車に乗る。そしてあっというまに思い当たる。旅行会社から送られてきた何枚かの割引チケットを置き忘れてきたことに。でもそれで「なにか忘れものをしてるっぽい感」は消えてくれる。実際に忘れものをしたことで。

ホテルのロビーにあるふかふかのソファでリムジンバスの出発時間を待つ。早くも飾られてあるクリスマスツリーをちらちらとしか眺めることができないのは、その手前のソファで盛大なキスシーンが繰り広げられているからだ。

グリコはクリスマスツリーの写真を撮ることに気を取られるあまり、まるで、その大胆かつ非常識極まりない中年カップルの見苦しくも赤裸々なシーンを特ダネとしてフィルムに収めようとするパパラッチみたいだ。ぼくたちの旅は聖夜を彩るためのツリーと、性夜に遅れた中年カップルに見守られる形での出発を余儀なくされ、そのことの意味を過剰に読み取ろうとする余力などそのときのぼくには微塵もなかったのがむしろ悔やまれるくらいだった。

バスは予定を上回る順調さで空港にたどり着き、ぼくたちは時間をもてあまし気味だった。朝食を食べておこう、という名目でぼくたちは空港内を歩き回った。空港すら初体験だったぼくには、空港という施設は洗練されているにもかかわらず、それを利用する人たちの大半はおよそ洗練されているとはいいがたい、自分も含めて、とおもわずにはいられなかった。なんというか、そこは東京であるにもかかわらず、どこか地方都市の一画のようだった。というとまるで地方をバカにしているみたいだが、そうではなく、懐かしい感じがしたのだ。昭和40年代の日本に戻ったみたいな。空港という場所で、ぼくたちは日常を脱ぎ捨てて本質をさらけ出してしまうものなのかもしれない。そうしないと、重みで飛行機が飛ばないのだ、とでもいうように。といいたいくらい、紋切り型の「日本」がそこでは感じられた。あの、海外でカメラを首から提げていたら、それは日本人だ、といわれていた時代の日本人。

ぼくたちはなぜかどこの飲食店に入るかを決められず終いで、結局、売店で2種類のベーグルを買いベンチに座って半分ずつ食べた。どうしてなのか理解できないのだが、空港のどこにも自動販売機が存在せず、そのおかげで、ベーグルというものは液体抜きで飲みこむには骨が折れる分子構造であることをぼくたちは発見することができた。ヌクレオチド。という単語が思い浮かんだが、たぶんあんまり関係ないとおもう。

そんなわけで、ぼくたちの喉付近にはぜひとも液体による洗礼が必要だった。物理的にではなく、気分的に。そしてとても見晴らしがいい、と謳われているレストランに入りコーヒーを飲むことにする。その店からは飛行機が見えた。飛行機はなんだかぱっと見、魚みたいだった。で、「おはよー」「ういーっす」「昨日飲み過ぎちゃったよ」という感じでのろのろとどこかから集まってきては、目の前で次々に飛んでいった。ぼくはその一挙手一投足にいちいち感動した(いま、こう書いているいまでは、あの、飛行機が飛ぶ、ということをもはや信じられなくなっている)。

で、いよいよぼくの乗る飛行機が飛ぶ番がやって来る。いやあすごかった。そのことはもう書いたんだった。というわけで飛ぶ前のことを書くけれど、あの、金属探知器に引っかかりました。お約束のように。あれって、初心者に対する洗礼なんですよね?ね?じゃあ靴脱いでください、とまでいわれ靴を脱ぎ、ボディチェックまでされてしまいました。すごい屈辱的。あの、トレーに載せられたぼくのアディダスといったら!まあどう考えても100円ショップで買ったベルトのせいに違いないのですが、「え、ベルトも取るんですか?」というぼくの質問をまったく請け負わず、係官の人はまったくにこりともせず白い手袋をはめてぼくの腰付近をまさぐるのでした。実は自分は誰かの陰謀で大量のヘロインを靴底に隠しているのではないか、と訝られるほどの係官のマジっぷりにはいくら仕事とはいえ恐れ入りました。うん。

というわけで北海道に着き、小樽へ行き、チェックインの時間前にホテルに荷物を預けに行ったら部屋に通され、それから鮨を食べに行き、小樽文学館に行き、運河沿いを歩き、小樽運河工藝館でガラスのコップを作り、地ビールを買ってホテルにとりあえず帰りビールを飲んでいたら疲れてそのまま眠ってしまい、なんと北海道の一泊目は夕食抜きという結果に陥ってしまったのでした。

trip 2004,11,14,Sunday
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お、おわったー!

2004,11,14,Sunday

お、おわったー! いまから寝ます。4時半には起きなきゃならない。いま0時半。起きれるのか?

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ものすごい作業スピード

2004,11,12,Friday

10時ごろ起きる。朝ごはんを食べて作業開始。もうほとんどなにも考えなくても手が動く。意識が研ぎ澄まされているのか、ハイになっているのかわからないが、ものすごい作業スピード。どうやら間に合いそうだ。またおでんを買ってきてもらった。

diary 2004,11,12,Friday
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缶詰状態

2004,11,11,Thursday

9時起床。やっと素材が届く。間に合うのか?北海道なんかで仕事したくないぞ。どうしてこういうときに限ってトラブルんだろうな。そうそう日曜から北海道に行くのです。しかも4ページも増えてるし!ありえん。起きて3分で仕事開始。もくもくと作業。夕方、学校は休むことにし、講義のかわりに睡眠をとることにした。そういえば2時間しか寝てなかったということをおもいだしたら急激に眠くなったのだった。小学校の同級生に、包丁で腰のあたりをばっさり斬られる夢を見た。すげえ恐い。腰が痛いからこんな夢を見るのだ。3時間ほど眠り、起きて仕事。グリコに夕ごはん買ってきてもらう。おでん。完全に缶詰状態でコンビニのものしか食べてないし、こないだの泥酔以来、胃腸の調子がおもわしくない。休憩時間には小川洋子『まぶた』を一話ずつ読んだ。この短編集は村上春樹だなあ。タイトルの付け方といい。朝の8時頃いったん寝る。

diary 2004,11,11,Thursday
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カツ丼が食いたい

2004,11,10,Wednesday

マック。おでん。肉まん。チェアマン。が読んだらしいので、よしもとばななの『キッチン』を5年ぶりくらいで読み直す。ゼミでやったなあ。「なぜ台所なのか」ということについて発言した記憶がある。小説とはまごころをこめて作る料理、あるいは深夜に届けられるあたたかいカツ丼である。という小説家の宣言として、ぼくはこの小説を読んだ。そういえば発表したおんなのこが泣いてしまったのだった(ぼくが泣かしたんじゃないですよ)。にしても『キッチン』は何度読んでも泣いてしまうなあ。カツ丼が食いたいなあ。つい三日前食べたけど。

diary 2004,11,10,Wednesday
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パレード

2004,11,09,Tuesday

吉田修一『パレード』を電車の中で読み終える。どういうわけか、ぼくはオチがわかってしまったが、それでも「サトル」の行動に感動した。駅前のスーパーでお茶を買ってアボカへ。

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目覚めよと人魚は歌う

2004,11,08,Monday

星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』読了。やっぱりこの人の書くものは好きだ。と確信する。全部読もう。あとはなんだ。書いておこう。『最後の吐息』、『嫐嬲』、『毒身温泉』か。

book 2004,11,08,Monday
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汚いテッポウ魚

2004,11,07,Sunday

劣悪な二日酔い。史上最悪、でもないか。またやっちまった。という感じ。水分を補給しようと努めるが飲んだものを自動的に全部吐く。汚いテッポウ魚みたい。こういうとき、胃はどういうつもりなのだろう。Mさんに胃薬をいただく。胃薬を吐いてしまったら駄目なので、そこからはもう吐くまいと決心。10時にはチェックアウトしなければならないので支度をして貸別荘をあとにする。ちょっとでも気を抜くと吐きそうになる。という状態の絶望的な維持。大学時代のゼミ合宿のときもこんなだったっけ。河口湖周辺では「紅葉祭り」が催されており、つまり紅葉がきれいで、きれいなものを見ると一瞬だけ吐き気がおさまる。ような気がする。それから温泉へ。温泉の休憩所の畳の上で小一時間寝てから、温泉に入る。いろんな種類の温泉があり、ぼくは「洞窟温泉」というのが気に入った。温泉に入って汗を流してもなお、二日酔いは続き、ひとりだけファミレスでも食事を摂らず、談合坂SAでやっと回復し肉まんを食べた。おみやげを買って帰る。

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神話の世界の住人

2004,11,06,Saturday

一日の大半をカップル二組とともにする。八王子ICから中央自動車道へ。Hくんが10時前に車で迎えに来てくれたが、ぼくはなぜか午前2時半に目覚めており、極度の睡眠不足、および暴飲暴食(起きてから朝までにブリトー、カップヌードル・シーフード大盛り、スープスパゲティなどを過食症患者のごとく食べた)により、著しく体調が悪かった。こういうとき車に乗るのはつらい、という状態を、まるで自ら望んでいたかのようだ。そして極めて予定調和的にお腹を壊し、車酔いによる吐き気を我慢し、まずはマクドナルドのトイレに駆け込むことになる。カップル二組にまぎれるとぼくにはもう話すことがなにもない。というような気持ちになる。これは決して嫌みでもいやな感情でもない。どちらのカップルもそれぞれまったく別様にぼくには微笑ましくおもえ、実際には話すことはいくらでもあるが、ぼくの話など蛇足的に野暮なのだ。というような気持ちになる。ぼくには聴きとることのできない周波数で、恋人たちがするのはすべてが秘密の会話だ。という気がする。もちろん実際のところ、そこにはまったくなにも秘密などない。だが彼らは彼らにしか通じないことばを使って話し、ぼくはそれを聴きとろうとも、解読しようともおもわない。という意味でそれは秘密の会話なのだ。あらゆる恋人たちは神聖で、なんだか神話の世界の住人みたいで、近寄りがたくはないが、近づいてはいけないような気持ちになるものだ。ぼくは自分が邪魔者であると卑下したりはしないが、レヴィナスがいうように、あらゆる二者関係は第三者の排除によって成り立っている。ということを実感する。執拗に三角関係の話を書いた夏目漱石の、『こころ』を引き合いに出すまでもなく、第三者は死ぬか、その場を立ち去るしかない。「K」は死んで立ち去ったというわけだ。だがぼくはその疎外(といってもいいだろう)を、祝福のようにも感じる。ぼくには差し当たって話すことがなにもなく、また話すことを求められてもいない。という状態が、極めて体調の悪いぼくには心地よいのだった。

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なにをするのかは未定

2004,11,05,Friday

朝4時に起きる。CSで「1984」を観たが、朝起きてすぐ観る映画じゃ断じてない。オーソン・ウェルズ、じゃなくてジョージ・オーウェル(このふたりを混同しやすい)のディストピア小説『1984年』の映画化だが、ビッグ・ブラザーが思い描いていたよりもしょぼいとおもいました。

夜、Hくんが来て明日の打ち合わせをする。明日、明後日と河口湖にある貸別荘に行ってきます。なにをするのかは未定。あ、バーベキューはすることになってます。

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なんだよバカ!研修生!

2004,11,04,Thursday

あー。すげえ寝た。頭が痛い。たぶん、たくさん本を読むと、たくさん眠らなければいけなくなる気がする。経験的に。だから昔はあんなに寝ていたわけだ。星野智幸『ファンタジスタ』再読了。午後、東大へ。今月は「ダンス」である。講義後、今日は実家に帰るので井の頭線で吉祥寺へ。中央線に乗り換え立川で下車。本屋で田中小実昌『ポロポロ』、小川洋子『まぶた』、吉田修一『パレード』、星野智幸『目覚めよと人形は歌う』。ただでさえ荷物が重たいのに本を四冊も買うなんてバカだ。しかも2054円だったので5054円払ったのにお釣りが2970円で、「ありゃ間違っちゃったか」とおもったけど、どう考えても10円玉を5枚出したはずなので、たぶん店員が間違えたに違いない。なんだよバカ!研修生! それから紺の長袖Tシャツを買う。近年、洋服は紺の長袖Tシャツしか買っていない気がする。拝島でYくんにばったり会う。もう退院してふつうに生活しているようだ。実はYくんに会うような気がしていたので、特に驚きはしなかった。

diary 2004,11,04,Thursday
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なんだかものすごく好意的な感想

2004,11,03,Wednesday

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』、柴崎友香『きょうのできごと』(ハードカバーの方)、『もうひとつの、きょうのできごと』をブックオフで。それぞれ100円。帰ってきて一気に、書いた順番で全部読んだ。

というわけで、やっと『世界の中心で、愛をさけぶ』を読んだのですが、純愛とか恋愛とかいう話よりも、まず、とても倫理的な小説であるとおもいました(表紙の写真が川内「倫」子だから、ではありませんよ)。この小説からぼくが受け取ったメッセージをひとことでいうと、「自分の言ったこと、書いたことには最後まで責任を持ちましょう」ということになるとおもいます。だからこそ、男の子は女の子を必死でオーストラリアに連れて行ってあげようとしたのだし、いっしょにアジサイを見に行く、という約束を(それが不完全な形であれ)果たしたところでこの小説は終わるのです。もちろん、そのすべてのはじまりは、ラジオの番組に送った一通の、他愛もない嘘を書いたリクエストのはがきだったわけです。まさか、そのようなはがきを書いたという理由で、一人の人間が本当に白血病になってしまったりはしないでしょう。でも、「それでも、その責任を引き受けること」が主人公の行動原理となっていて、それが倫理的だなあ、とぼくが感じた部分です(ホテルに行ってもなにもしないし、というのはまた別の話でしょうか)。おそらく、作者はこの小説の中のおじいさんと孫(主人公)のちょうど中間にあたる世代だとおもうのですが(よく知らないけど)、おじいさんの頼みを息子ではなくて孫がきく、というところに現れてもいるように、これは作者の同世代に向けた批判であり、その批判の中身は「ことばを軽んじていては、やっぱり駄目なんだ」というようなことではないのかなとおもいました。というように考えてみると、この小説がたくさん売れて、しかも若い人たちがたくさん読んでいる、という事実が、思いの外、喜ばしいことであるようにもおもえてくるわけです。やっぱり、ぼくもまた「ことばを軽んじていては、やっぱり駄目なんだ」とおもうからです(酔っぱらって自分のいったことをすぐ忘れるけど)。というよりも、ぼくがそうおもっているがために、この小説を読んだ感想がこういうものになっているのかもしれません。でもこれのどこが「世界の中心で、愛をさけぶ」なのか、いくら考えてもわかりませんでした。(読んでいるあいだはぶーぶーいっていたのに、なんだかものすごく好意的な感想になったのはなぜだ)。

『きょうのできごと』は映画を観たあとでははじめて読み返したのだけれど、映画を経たあとでは、会話の生々しさというか生き生きとした感じがよりいっそう際だった気がしました(特に、当たり前ですが女性の一人称のパートが)。不思議と妻夫木くんをイメージすることは少なかったけれど、女性陣は田中麗奈や伊藤歩や池脇千鶴がそのまましゃべっているかのように読んでいたようにおもいます。逆にいうと、映像というものが文章を規定する力はすごい、ということで、さらに逆にいうと、文章というのは非常にイマジナブルなんですね。だからこそ映像化することの危険性もあるわけですが、『きょうのできごと』は原作と映画の関係がとても良好で、相互補完的に楽しめるものになっているとおもいました。

『もうひとつの、きょうのできごと』は、『きょうのできごと』の作中人物たちそれぞれの別エピソードを書いた短編作品集&写真集なのですが、いちばんすごいなとおもったのは、もはや作中人物たちが知り合いであるかのようにおもえてしまうことで、ついつい続編を期待してしまうし、こういう存在の立ち上がり方というものは、やはり保坂和志に通ずるところがあるようにおもいます。

book 2004,11,03,Wednesday
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作業が遅いだけ

2004,11,01,Monday

東京フィールドワーク」をアップする。昨日の夜から12時間ぶっ通しで作業し、ようやく完成。われながらすごい集中力である。というか作業が遅いだけなのだが。

diary 2004,11,01,Monday
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