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ジャージャー麺

2004,10,31,Sunday

夕方まで起きなかった。「東京フィールドワーク」の作業。ジャージャー麺を食べた。今日食べたものはジャージャー麺だけだった。昨日、ちらっと見た韓国のドラマで登場人物がジャージャー麺を食べていたことと、おれが今日ジャージャー麺を食べたことのあいだにはなにか関係があるといわなければならない。なぜならジャージャー麺を食べたのは、たぶん生まれてはじめてのことだからだ。とおもったけど、食べたことあったや。

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部屋の掃除をしないのはよくない

2004,10,30,Saturday

起きて、『アルカロイド・ラヴァーズ』の続きを読む。なんだか一日中うつらうつらとしていたが、夜、吉川くんから電話があり、更新作業をするというので、部屋の掃除をする。誰かが来ることにならないと部屋の掃除をしないのはよくないなあ。「東京フィールドワーク」のリニューアル作業。おもったより時間がかかりそうなので、だいたいのイメージを吉川くんからきいて、あとは近日中に仕上げる、ということになり、しばし談笑する。朝まで雨が降り止まず、やっと弱まったところで吉川くん帰る。

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もう朝

2004,10,29,Friday

星野智幸『ロンリー・ハーツ・キラー』。それから、安野モヨコ『花とみつばち』の5巻と6巻。をブックオフで。深夜から『ロンリー・ハーツ・キラー』読み始め、5時間くらいで一気に読んだ。おもしろい! これはすべての作品に当たらねばなるまい。『目覚めよと人魚は歌う』も文庫化されたところだし。星野さんの小説はよく中上健次やマルケスなんかが引き合いに出されるのだけれど、ぼくはちょっと大江健三郎も入ってるかなという気がしました。気づいたときにはもう朝で、でもおもしろかったのでちょっと興奮し、読後の余韻で星野智幸さんの最新作の『アルカロイド・ラヴァーズ』(『新潮7月号』)を読みなおしはじめてしまった。半分くらい読んだところで寝る。前に読んだときよりも格段に星野作品に対する読解力が上がっているようだ。

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ピカソ展

2004,10,28,Thursday

朝からどこかでだれかがうるさい音を立てているので(なんかまだ近所で家を作ってる音がする。終わったとおもったのに!)、午前中からピカソ展に行くことにした。木場で下車。いい天気。いろんなとこで道草を食ったり(花の写真をいっぱい撮った)、とんかつを食ったりしたので、木場に着いたのが12時前だったのに、現代美術館に着いたのは1時半過ぎだった。で、ピカソはすごくおもしろくて、途中で本当に笑いがこらえきれなくなって休憩したりしました。ひとりで行っちゃだめでした。なんだかみんなすごくマジメくさった顔をして観ているし、ひとりでげらげら笑うのはどうなのよ?とも一応おもうわけなので、いったん深呼吸し顔を引き締めてもう一度続きを見に行ったら、すごくけらけら笑っている外人のおばさんがいたので、ふたりで顔を見合わせていっしょに笑ってしまいました。「なにこれ?うふふ。変なの。ばかみたい。あはは」という感じで、「どうしようもないわねえ。この子はこんな絵ばっか描いて」みたいな感じでした(違うかもしれないけど)。ピカソの絵はすごくユーモラスでキャッチーだなあとあらためておもい、観ているとこっちまで絵を描きたくなってきてしまいました。4時から東大なので2時間しかいられませんでしたが、あと1時間くらいはいたかったです(あんなに道草を食わなければよかった……)。

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読書の秋

2004,10,26,Tuesday

3時頃起きる。雨。朝に続き『二十世紀』の(下)にとりかかる。途中で、こないだドゥマゴ文学賞を受賞した『新潮9月号』の田口賢司『メロウ1983』を読了。読みかけだったが頭から読み直す。単行本では『メロウ』に改題したようだ。昨日本屋で見たけど、虹色のとてもきれいな装丁の本です。田口賢司という人はきいたことがなかったけれど、10年ぶりの小説という『メロウ1983』はとてもおもしろかった。いまや懐かしいポップ小説といったところか。初期の高橋源一郎っぽいところもあって、とてもよかった。読後になにも残らない。ということが残る。すばらしい。飯も食わず夜まで読書。9時過ぎ、やっと食べに出る。モスでも読書。途中で会社帰りのグリコもやって来る。こんなに本を読むのは読書の秋だからかな、とおもったので「読書の秋だからかなあ」といったら、「一年中じゃん」といわれて、なんだかなんとなくがっかりしてしまいました。

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本をいっぱい買う気分

2004,10,25,Monday

夕方、池袋へ。今日は本をいっぱい買う気分なので電車代をけちって自転車で。リブロで大塚英志『物語消滅論』、橋本治『二十世紀』(上)(下)。クラブオンカードでポイントを溜めているので、できればリブロで買いたいのだがどうもリブロは品揃えがよろしくないのでいったんジュンク堂へ移って、カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』。藤井貞和『物語理論講義』と田中小実昌『ポロポロ』を買おうとおもっていたことをおもいだし、ジュンク堂で買っちゃおうかとおもったが、せこいのでリブロへ戻って買おうとおもったら、『ポロポロ』は売り切れてるし、『物語理論講義』はどこに置いてあるのかまったく見つけられないのでだんだん頭に来て意地になり、最終的には見つけたけど買わなかった(ってなにやってんだ)。ブックオフで『文學界』9月号。さっそく『二十世紀』から読み始めたが、橋本治は本当に親切で頭がいい人だなあ。こういうのを高校生くらいのときに読みたかった。二十世紀がどんな100年だったのかが丸わかりの一冊。編年体のコラムで、極めて明快です。10時頃いったん寝て、1時頃起きてから朝まで読書。『二十世紀』(上)を読み読み終わってから寝た。まったく息継ぎをしないで25メートルプールを潜水で何往復もする夢を見た。

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ヴォルフガング・ティルマンス展

2004,10,23,Saturday

オペラシティのアートギャラリーにてヴォルフガング・ティルマンス展。ギャラリーや美術館というところは、作品を観ている人も作品の一部になってしまう、というところがすごくおもしろいとおもいます。写真をじっと観ている人も写真の一部であるように見えてくるんですね。特に大きな作品だったりするとなおさらです。そしてついには会場全体が作品であるような気がしてきます。特に会場がそれほどには混雑していなかったりするとなおさらです。今日はとてもいい感じの人出で、とてもいい感じに人々が作品化され、とてもいい感じでした。もちろんそこでは自分も作品の一部です。とてもいい感じに、かどうかはわかりませんが。それから建物全体が作品であるような気がしはじめ、美術館から外に出たあとも今度は都市全体が作品であるような気がしてくるわけです。ぼくはたぶん「やくざ映画」を見終わって映画館を出たら肩で風を切って歩くタイプです。写真展なんかに行くと、もう見るものすべてが写真であるように感じられてしまう。チューニングされやすい性質なんでしょうか。チューニングしやすいというか。

ただ途中、大きな地震が来て、すごく恐かったです。大の男が「大きな地震が来て、すごく恐かったです」なんて書くのもどうかとおもうけど。なんてまったくおもってなくて、ぼくは地震が恐いので書きますが、とにかく恐かったです。なんか変だ、なんだこれ、とおもっていたら揺れはじめて、地震だ、とおもい、けっこう長く揺れていました。地震が来るとかならず「地震だ!」とおもいますね。当たり前ですけど。「地震!」と声に出していってしまいます。わかりきっているのに。揺れがおさまったあとも壁やなんかが不吉にみしみし音を立てていて、しばらくのあいだ足もとがぐらぐら揺れているような感じがずっと続きました。オペラシティのエレベーターは停止し、エレベータホールには人が溢れ、どこかのレストランに届けるのか、透明なビニールに包まれた巨大な生肉の塊をぶら下げた人が呆然と立ちつくし、その光景はなんだか夢の中のように非現実的でした。

京王線で明大前を経由し下北沢へ。生まれてから一度も明大前なんか行ったことがなかったのに二日連続で来てしまい、なんだか不思議だなあとおもいました。みんなと合流して居酒屋へ。店の前にあったテレビで新潟・震度6だったということを知る。終電前に帰ろうということで店を出たけど、もう一軒行くということに決まりカラオケへ。吉川くんも合流し、朝まで。でも唄いたい歌をまったく選ばせてくれない曲指定カラオケで、変な感じでした。おもしろかったけど。朝になってもぜんぜん眠くなく、おでんと肉まんを買って帰り、そのまま今日は活動しようかとおもっていたけれどいつのまにか寝ていた。そんなことそのときはまったく意識していなかったけど、今日は大きな地震があったので、心のどこかでみんなで朝までいっしょにいたかったのかな、とちょっとおもいました。ちょっとだけ。

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永福町っていい名前

2004,10,22,Friday

お腹が痛い。新宿から京王線に乗り明大前。井の頭線の永福町で待ち合わせ、Nさんのお宅へはじめて伺う。考えてみたら永福町っていい名前ですね。Nさんにブログをはじめる手ほどきを極めて簡単にし、部屋の模様替えを手伝う。汗だくになる。もう読まないという本を何冊かいただく。まさかの報酬までいただく。ありがとうございました。それから飲みに連れて行ってもらう。いろいろな話をした中でも印象的だったのが、「おれは落合が許せない話」でした。「落合を野球界から永久追放するべきだ」。お腹が痛いのでほどほどにという当初の予定だったが、結局、途中で回復していることに気づき、カラオケまで行ってしまう。Nさん、極めて渋い選曲である。3時過ぎタクシーで帰る。タクシーにカーナビがついてる、とはじめておもった気がするが、もしかしたら前にもおもったかもしれない。タクシーの運転手に始終話しかけられた。そんなこと知るかよ!

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ダイジョブデスカ?

2004,10,19,Tuesday

軽い二日酔い。結局朝の7時くらいまで飲んでいた。12時起床。Yくんと池袋まで行く。Yくんはそのまま帰るとのこと。近い方のティーヌンでトムヤムヌードルを食べる。雨なので遠い方まで行けなかった。というかおれはタイ人か。お会計のときに財布を取り出すため、レジ付近の台に傘をかけた。とおもったら傘は床に落ちた。まあいいや、とおもってお金を払おうとすると、タイ人の店員さんがどこかへ消えてしまった。あれ?とおもっていると、店員さんはすぐに戻ってきてなにかおかしな物体を台の上に置いた。そして、「ダイジョブデスカ?ダイジョブ?」といった。一瞬、ぜんぜん意味がわからなかったが、どうやらその物体は傘を持つ部分の一部だった。床に落ちたショックでぽっきりというかぱっくりというかぱっかりというかくっきり割れた、というか折れてしまったのだった。なんだかものすごく恥ずかしかった。なんというか、卑猥なのだ。形状が。それにしても、たったの一瞬のあいだだが、まったく意味のわからない、心当たりもない物体が目の前に差し出され、本当に驚いた。驚いたというか、頭の中が真っ白になるというか。現実が一瞬にして変容するというか。なんだこりゃ。とおもうまもなく、あ、傘か、折れちゃったんだ、と気づいたけれど、これが「もの自体」というか、ラカンのいう現実界というやつではないだろうか。で、傘はすごい持ちにくくなっちゃって困った。どこにも引っかけられないし。

HMVでOVERROCKET『POPMUSIC』、リロイ・ジョーンズ『ブルース・ピープル』。リブロでヴォルフガング・ティルマンスの写真集。オペラシティでやってる写真展も行きたいなあ。ビックカメラで『リンクの冒険』を遅ればせながら買う。東武でそばを食べて帰る。

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Yくんが多すぎる

2004,10,18,Monday

夜、「とり鉄」へ。12時過ぎにYくんが到着。今日はYくんは専門学校の飲み会があり、家には帰れないのでアボカにご宿泊。ふたりで2時過ぎまで飲む。閉店時刻は2時なのに、別にかまわないですよ、と店長さんがいうのでお言葉に甘える。お会計は11000円だった。たけえええ。でもおごる。それからビールを買って帰って朝まで飲んだ(ちなみにぼくは友だちにYくんが多すぎるので、いろんなYくんが出てきているということをみなさんは知ってても知らなくてもいいです)。

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なんでもいいからとにかく

2004,10,16,Saturday

3時に待ち合わせだったが、新宿ルミネのブックファーストで時間調整をしていたらぎりぎりになってしまい、しかも電車が遅れたので遅刻で、みんなには先に入っててもらう。今日は昭和記念公園でなにかをするということである。なにかってなんだ。「みんなの原っぱ」でフリスビーとかバドミントンとかをした。天気は悪いが広くて気持ちがよい。ビールを飲む。寒い。運動すると暑い。閉園時刻になったのでYくんが入院している病院へお見舞いに行く。歩いている途中で日が暮れてきて、ものすごい夕焼けが見れた。ものすごい。とにかく、ものすごかったので写真に撮る。赤い。すごく赤い。けっこう歩いて病院にたどり着く。きれいな病院でYくんはおもったより元気そうだった。屋久島で居眠り運転をして車が横転し、腕がえぐれたそうである。えぐれた部分に皮をはるために入院しているとのこと。股のところの皮膚を移植したそうだ。Yくんが食事の時間になったのでその場を辞退し、タクシーで立川駅、それから電車で三鷹へ。Hくんの家で鍋。高校時代や浪人時代に撮影したビデオを観たりした。若い。ものすごく恥ずかしい。ビデオの中のぼくたちは、学校やデパートでやがて映画となるはずの断片を撮影したり(完成しなかった)、突然、車で日本海に行ったり(雪の中、チェーンなしで)、クリスマスに川原で焼き芋(一本だけ)を焼いたり、コーネリアスのPVのパロディ(角や羽根を作ったりした)をしたりしていて、とても元気そうだった。なんでもいいからとにかく撮影しておくべきである、との結論に達する。鍋はというと明らかに食材を買いすぎた。お腹いっぱいになったところでカラオケへ。カラオケボックスの監視カメラをおしぼりで隠していたら、帰りに店員さんに怒られた。ごめんなさい。ビール片手に始発でアボカへ帰る。

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人類の知性の総体

2004,10,10,Sunday

デリダが死んでしまった。ドゥルーズが死んだとき、そしてサイードが死んだときにも感じたことだけれど、人類の知性の総体ががくんと減少してしまった感があり、不安に駆られさえする。こんなことでこれから世界は大丈夫なのだろうか、というような。多少大げさで誇張された気分ではあるにせよ、哲学者や文学者は、世界が暴力的に間違った方向に突き進んでしまうことを避けるための最後の防波堤のように機能しているわけで、少なくともぼくにとってはそのように機能しているわけなので、すごく、なんというか心細いような気持ちだ。ぼくはデリダが死んだのがいちばんショックだ。頼りになる父親が死んでしまったような気分だ。フーコーが死んだときにはぼくはまだ小学生だったので、フーコーなんて名前も知らなかったけれど、こうして偉大な思想家を次々と失っていかざるを得ない状況というのは、象徴的なレベルで、世界がどんどん悪くなっていっているような印象を受ける。もちろん、彼らは自殺したり、白血病になったり、エイズになったり、癌になったりして死んでいったわけだが、炭坑のカナリアがばたばたと倒れていく、みたいな気がしてしょうがない。

ぼくは何年にも渡ってデリダの著作を古本屋で探し求めてきた。哲学書は高いので、新品で買えなかったからだ。『声と現象』を1000円で見つけたときは、目を疑うほど驚いた。何度も頭で思い描いていたものが目の前の手に取れるところに出現したからだ。はっきりいってデリダの文章は難解極まりなく、ぼくにはジャック・デリダのジの字も理解できていないに違いないけれど、精一杯背伸びをして読む本という範疇にあるものとして、そして死ぬまでに少しずつ読んでいきたい哲学者として、デリダはぼくの中で不動の位置を占めていた。救いなのは、その人が死んでからもぼくたちはその人の書いたものを読めるということだ。そう考えると、本というものが途端になにか不思議なものにおもえてくる気がする。これで、これまで訳されていなかった本がどんどん訳されることになれば嬉しい。ご冥福をお祈りします。

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そして愛に至る

2004,10,09,Saturday

もし多少なりとも台風と関わり合いになるというのであれば、それはおそらく退屈さとは無縁であるどころかその対極に位置する出来事であり、靴のかかとのような退屈さとは最もかけ離れた体験になるに違いない。はずだ。たとえば、台風の中、恋人に会いに行くことを考えてみればいい。そこには昂揚があるだろう。台風の非日常性という効用が、われわれに極めて迅速に、かつ的確に作用する。つまりそれは退屈ではない。ぜんぜん。障害を超えて、ふたりは、窓の外の嵐によってきこえにくくなったお互いの声をききとるべく、いつしかそばに寄り添いはじめるに違いない。退屈じゃない。ぜんぜん。

この十数年のうちで最も強い。という形容詞が与えられた台風の関東への上陸は、しかしながらその強さにもかかわらず無視してやり過ごそうとおもえばできないわけではない。ということこそがこの部屋の中では問題となる。したがってわたしは台風から雨と風と退屈さを受け取る。そして雨と風から避難することは自動的に可能なのであって、退屈さからどのようにして逃げおおせるのかという命題のみが残されることになるだろう。そしてそれは台風という状況と、本来ならば無関係のはずである。にもかかわらず、台風に外出を阻まれて部屋の中で退屈させられている。という気分を拭うことができないことをわたしは不思議におもう。もし今日が晴れていたからといって外出していたという保証はどこにもないのだが、可能性が奪われていることを実感させられることは、退屈さの原因を容易に台風に転化することによって、よりいっそうその度合いを増すばかりだ。

わたしは一日中ベッドの上で過ごすことにする。そして先日、録り溜めておいたゴダールの映画を観ることにする。こういうとき、ビデオで映画を観るという選択肢が、どういうわけか急浮上してくるのだ。わたしは『愛の世紀』と『そして愛に至る』を観る。ある意味で、退屈さを避けて退屈さの最中へ逃げ込むという倒錯した行為である気がしないでもないのだが、いつ観てもゴダールはゴダールなのであって、それは台風のせいじゃない。

わたしはゴダールの作品を観ることになるたびに、どうしておれはゴダールなんか観るんだろうという疑問が湧いてくるのを押さえることができない。そしてわたしは映画そのものの中にその解答を求める。ということをずっと繰り返してきて、いまだ解答を得るには至っていない。

いつの日か完全にゴダールを理解できる日がやってくる。などとおもっているわけでは毛頭ない。いつ観ても、ゴダールがなにをしようとしているのか、そしてなにをしているのか、ほんの少しでもわかった試しがないのだ。端的にいって、わたしにはゴダールのことがさっぱりわからないのだ。と、いっそのこと断言してしまいたい衝動に駆られもする。だがそこにはそれでもなお、わたしを魅了して止まないなにかがあり、いっそのことその「なにか」のことを「ゴダール」と名づけてしまってもかまわないのではないかという気さえする。

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優雅な生活が最高の復讐である

2004,10,08,Friday

朝からきっちりと仕事。昼ごはんの時間をずるずると引き延ばして、4時頃やっと食べに出る。松屋で豚角煮丼。おいしい。それから買い物。東武ストアがリニューアルして、なんたらとかいうおしゃれなスーパーになった。とても混んでいてびっくりする。前よりも品揃えが良くなったみたいだ。その代わりに通路が狭くなったし、動線がうまく考えられていないし、変な場所にレジがあるので混雑度がなおいっそう高まるような店内の作りになった。焼酎を二本買う。黒糖と芋。部屋に戻り焼酎を飲みながら6時頃まで仕事をし、ベッドで本を読んでいたらいつのまにか眠っていて、グリコが帰宅するまで目が覚めなかった。電話に出なかったので怒られる。おれが池袋にいるかもしれないとおもって、池袋で30分くらいうろうろしていたそうだ。夕ごはんを食べていなかったので冷や麦を茹でてもらう。あったかい鶏ガラスープの冷や麦。深夜、『優雅な生活が最高の復讐である』、読了。ヨーロッパへ渡ったあるアメリカ人夫婦の交友関係や生活を描いたノンフィクションである。ピカソ、ヘミングウェイ、レジェ、ドス・パソス、スコットとゼルダのフィッツジェラルド夫婦。1920年代から30年代のパリ。この本の主人公であるジェラルドとセーラのマーフィー夫婦が、フィッツジェラルドの『夜はやさし』の主人公のモデルだったということをはじめて知った。『夜はやさし』を最近手に入れたばかりだったのでこれは嬉しい偶然だ。高校のころから『夜はやさし』を買おうとおもってきて、今年やっと買うことができたのだ。

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世界の果てまで

2004,10,07,Thursday

朝から3時くらいまで仕事。いやいやけっこう作業スピード上がってるよ。二倍とまでは行かないけど。さくさく動くのでなによりもまず気分がいいや。そのあと外出。池袋のモスで時間を潰してから東大へ。今日から後期がはじまるのだ。なんて長い夏休みなんだ国立。定刻通りに着いたが教室はほぼ埋まっており、前期よりも狭くなった教室で空席を探す。後期は各論に入り、月ごとのキーワードに沿って講義を進めていくようだ。10月は「ブルーズ」である。ブルースね。ブルーズというアティテュードの、本質的な反近代性の指摘は、さまざまな示唆に富んだ非常に興味深い話であった。近代の設定したあらゆる二項対立を止揚し、宙吊りにするブルース。故郷喪失者としての黒人たちの、世界の果てまで続く嘆き。

講義が終わると歩いて渋谷へ行った。もうこの時間だと真っ暗だ。ブックファーストによってから池袋のリブロや古本屋などまわる。池袋でグリコと待ち合わせてから「とり鉄」へ行く。給料をもらった。なぜかおごってもらった。ブックオフで小島信夫・保坂和志『小説修業』、松浦寿輝『あやめ 鰈 ひかがみ』。

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なにか巨大な力で

2004,10,06,Wednesday

実家に一週間いて仕事をしていたら一円も金を使わなかった。ので母親の誕生日と食費ということで台所に一万円置いていく。夕方、アボカへ向かう。毎月の仕事の素材が届いたらしい。いつもより早い。歩いて駅へ。山がとてもきれい。夕焼け。富士山もくっきり見える。長い長い飛行機雲。やっぱり山に囲まれているとおれは安心する。なにか巨大な力で守られているような気がするのだ。

電車では座らないとかいってたのに、新宿まで座って眠っていく。池袋ビックカメラで512メガのメモリをやっと買う。リブロにて、『en-taxi07』、ウィリアム・フォークナー『八月の光』、カルヴィン・トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』。ティーヌンで生ビール2杯、鶏肉のカシューナッツ炒め、トムヤムラーメンを食べる。また唐辛子を誤って食べてしまい大変なことになったが、ひとりなので何食わぬ顔をしてビールで緩和。

メモリ載せ替えたら全部動く!ブラウザもドリもファイヤーワークスもフォトショップもイラレも全部いっぺんに立ち上がる!やったー!メモリが二倍になったのでこれで仕事の速度も二倍になる(はず)。なんねえか。

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盛大な拍手を

2004,10,05,Tuesday

雨の日には家は楽器になる。雨という音楽家に叩かれそれぞれいろんな音色を奏でる、巨人のための打楽器になる。おれの部屋は二階にあり、すぐ真上に平らな屋根がある。雨の音をずっと聴いていると、屋根が湖の水面で、おれの部屋は湖の底のような気がしてくる。動物の皮の代わりに湖を張った太鼓の中のおれの部屋。さまざまな素材とさまざまな部分に落ちてはじける雨垂れのレイヤーの布置を、おれは頭の上の吹き出しのように思い描く。湖の底で眠る魚が頭上の空を想像するように。やがておれの頭の中と屋根の位置が対応しはじめる。後頭部の方で湖面に降り注ぐような低くくぐもった柔らかい音がつねにリズムをキープしている。額の左右をいったりきたりするカツカツと甲高いあの音はなんだろう。右耳の上あたりには川が流れている。雨樋を伝い落ちる音かな。それとも詰まった雨樋をあふれ出して不自然に地面へと落ちる水の流れの着地音かもしれない。

おれの身体はいつのまにか眠りのモードに入っていて先週の睡眠の不足を埋め合わせるかのように眠ることを求めているので、雨の日の猫のように眠いおれは雨垂れが催眠術のように効いてくる。いつのまにかおれは眠っている。そして新たに加わった音で突然目が覚める。雨漏りの音だ。おれは部屋の中にあるものを使って雨漏りを受け止める。ビール瓶、使わなくなった灰皿。さらに新しい音が加わる。屋根から天井へぽつぽつと一滴ずつ一定の間隔で。その間隔よりも長い一定の間隔で天井から染み出したしずくが瓶の中やブリキの灰皿の上に落ちる。夜になり、ようやく雨垂れのBPMが下がりはじめると、このひさしぶりに長く続いた演奏ももうすぐフィナーレを迎えます、みなさま、雨のために盛大な拍手を。というような気分になる。嘘。ならない。降りすぎ。うんざり。

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いつ、いかなるときでも

2004,10,02,Saturday

そしてやっとおれの眠りの星のもとに健やかなる眠りが訪れてくれる。訪れはじめてくれる。もう会わなくなった友人が気まぐれに再び部屋にやって来るみたいにして。枕の裏側からようやく待望のいつもの懐かしい眠りの成分が滲み出してきて、おれの頭はぼんやりとその靄の中に包まれる。全身の細胞という細胞に開かれていた瞼という瞼が閉じられていくのがわかる。頭頂からつま先へ向かって順序よく。逆立っていた毛並みを優しく飼い主に撫でられて気持ちがいい猫になったみたいだ。おれはおれの身体のサイズぴったりの瓶にすっぽりとおさまってとりあえず太平洋を横断する。飼い主の手が瓶の窪みを撫でて、おれの毛並みの瞼が閉じられる。波に揺られながら瓶の色が透明からゆっくりと濁った緑色に変わっていき、やがてビール瓶のような色になる。そこから先はわからない。おれはゆったりとした気分で夢の中でも眠る。おれはここはどこだろうとおもうが、別にどこだってかまわない。メキシコシティでもカラカスでもブエノスアイレスでもどこでもかまわない。眠ることができさえすればいいのだ。おれは眠ることに決めて、眠るのだ。世界の果てででも。

やがてどこかから女の子の長い長いモノローグがきこえはじめる。おれはそのとき巨大な客船のデッキで右耳を下にして眠っていて、女の子の声はどうやら床下の客室からきこえているみたいだった。おれは耳を澄ます。

昔ね、お前みたいに白い猫を飼ってたの。でも死んじゃったの。それでもう二度と動物を飼うのは嫌だとずーっとおもってたんだけど、やっぱり猫が好きなんだなあとおもったよ。あ、火つけっぱなしだから戻るね。じゃあね。

火?とおれはおもう。すると女の子は料理室に勤めるコックか何かなのだろうか。ともあれ、猫と再び暮らせるようになってよかったじゃんとおれはおもう。世界中の、猫が好きな人たちが、いつでも猫のそばで暮らすことくらい果たされない世界なんて、どう考えたってまともではないからだ。おれはどうしておれたちは動物を飼うんだろうなとふと考える。動物を飼うことの意味について。生命と愛の本質について学ぶため、というのがおれの出した答えだ。生命と愛、なんてどこかの保険のコマーシャルみたいで陳腐な言い回しだとおもっておれは心の中で苦笑する。おれたちは動物を飼う。そして大抵の動物はおれたちより先に死ぬ。おれは昔、飼っていた昆虫が死ぬたびに庭の物干し竿の土台の下に埋めていた。その総数は何百匹にもなるだろう。今日、あらためてその庭を眺めていたら、28年間住んできてはじめて庭に銀杏の木が生えていることに気がついた。でもちょっと考えてからそんなはずはない、とおもい直す。だってその銀杏が生えている場所は、昔、物干し台があった場所なのだ。だからきっと比較的最近生えた(とはいっても少なくとも10年は経ってるはずだが)ものなのだろうが、銀杏の木が勝手に庭先に生えるものなのかどうかおれにはわからない。いやそれとも昔からずっとその木はそこにあったのだろうか。

おれたちは動物の死を受け止める。人それぞれ、さまざまな形で。大事にしていた猫が死ぬ。そしてもう二度と猫を飼わないと心に誓う。それでも、いつか再び猫を飼う日がやって来る。猫の死は交換不可能な体験である。だが愛とは、いまここにあるものを大切にすることなのだ。死んだ猫のことを思って、現に生きている野良猫を見殺しにしなくて偉い!部屋の中では飼っちゃ駄目だからアパートの前で飼うことに決めて偉い!とおれはその女の子を褒める。究極的には、はじめから交換不可能なものは存在しない、ということは、この世におけるひとつの、いや最大の救いである。おれたちは何度でも新しい猫を飼うことができる。そして愛が交換可能なものを交換不可能なものへと仕立て上げるのだ。それが愛の作用なのだ。植物の種のように、やがて一本の木に育って土に根を下ろす。いつ、いかなるときでも、人はなにかを愛しはじめられる。いつでもまだ手遅れじゃないのだ。それがおれたちの生を駆動しているのだとおれはおもう。まだ愛していないものがこの世にはたくさんあるからだ。

そしておれがはっきりと目覚めてカーテンの隙間から外を見たとき、夢の中では女の子だった女の人が夕食の支度をしに、白い猫に軽く手を振ってアパートの部屋の中へと戻っていくところだった。

diary 2004,10,02,Saturday
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ここ何日間で最長の眠り

2004,10,01,Friday

仕事、の合間に「往復書簡」をアップ。その他、DHライブ情報などもアップ。で、すごい喉が痛い。少し身体を休めようとベッドに入る。それが昼ごろのこと。だがまたもや高校生たちがやって来て、おれはたちどころに目覚めてしまう。なんでこいつら毎日学校に行かないんだよとおもうが、今日はどうやら都民の日で休みなんだな。4、5人の高校生たち。おれは眠るのをあっさりと諦める。そして夕方、もう一度チャレンジ。ベッドに入る。すると今度は4、5歳の子供の声がきこえはじめる。アパートの通路で、なにかカードゲームみたいなのをしているみたいだ。おれはカーテンの隙間からその様子をそっとうかがう。声をきく限りでは女の子が混ざってるのかなとおもったが、そこに女の子はいなかった。みんな男の子だ。おれは小さな子供たちの遊ぶ声をききながら、なぜだか急に安らかな気分になる。そして眠る。ここ何日間で最長の眠りだ。夜の9時におれは目覚める。夕ごはんを食べる。キムチ鍋だ。そしてもしかしたらまだまだ眠れるんじゃないの?とおもい、午前2時にはベッドに入ってしまう。でも眠りは訪れてくれない。あともう一歩のところまで行くんだが、そこから先に進むことができないのだ。おれはベッドから出て早くも配達されている朝刊に目を通す。それからパソコンに向かう。そして昼ごろまで仕事をする。

diary 2004,10,01,Friday
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