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練習風景

2005,02,26,Saturday

深夜に音楽版の「オンエアバトル」をやっていて、下手くそな音楽ってすごくいいなあと思う。言い方が悪いかもしれないし、その人たちだっていうほど下手くそなわけではないのだけれど、音楽の良い・悪いなんて上手い・下手とはぜんぜん関係ないんだよなと気づかされる。いや違うな。音楽には上手い・下手なんていう基準はたぶん存在しないのだ。いや基準は存在するのかもしれないけれど、そんなこと別におれが気にする必要なんかないのだ。というか音楽がそこにある・ないという2種類の状態がこの世界には存在し、そこに音楽があると、音楽がない状態よりも、時間になにかが詰まっている、詰まっていく、という感じがする。というか音楽がない状態なんてない、とさえいえる。ぼくは外でヘッドフォンで音楽を聴かない。だって音楽はどこにでもあるからだ。ぼくはなるべくそこにある音楽を聴きたいと思うのだ。ラース・フォントリアーの「ドグマ95」の2番目みたいな感じ。

そういえばいつだったかテレビでチェコにある音楽学校のドキュメンタリーみたいなのをやっていて、その学校は目が見えない人のための学校だったのだけれど、そういうこととはまったく関係なく、その練習風景というか、人が音楽を練習しているところ、というのがとてもいいなと思ったのの、それは延長なのかもしれない。その、完成品ではない感じが、そのときすごくいいなと思えたのです。

『リリイ・シュシュのすべて』でも合唱祭のための練習風景があってそれも良かったし、本番の合唱のシーンもとても良かった。京都に行ったときに下校途中の小学生が反対側の歩道でふたりでリコーダーを吹いていて、それもすごく良かった。でも車がびゅんびゅん通るようなガードレールのないとても細い道で笛を吹きながら歩いていて危なかった、ということも含めて良かった。女の子たちはなぜだかぼくの方を向いて笛を吹いていて余計に危なかった、ということも含めて良かった。

music 2005,02,26,Saturday
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踏切が嫌い

2005,02,24,Thursday

今日はモスへ行きました。新しくなっておいしくなったらしいロースカツバーガーを食べました。でもおいしくなったのかどうかはわからない。そんなことわかるわけがない。もともとおいしかったし、新しいのも同じくらいおいしいように感じられた。というかぼくには不味いものがない。なぜならなにかを食べるときにはいつだって限界までお腹を空かせているから。もうなにを食べてもおいしい。毎回「死ぬとこだった!もう少しで!」と思いながら食事をしています。この東京砂漠で!

あ、そういえば、カツがいつまでも冷めないなあ、とは思いました。もう食べ終わりそうなのに熱くて火傷しそうなくらいでした。でもそんな温度的な新しさなわけありませんよね。「冷めなくなって新登場!」なんて。なにか変わったのかしら。なにが変わったのかしら。

あとそれから、煙草を吸いながらものを食べてる人はもうやめてください。と煙草を吸いながらものを食べてる人を見るたびに思います。

それから線路を渡った先にあるスーパーへ行きました。ぼくは線路が嫌いだ。いや違うな。線路ではなくて踏切が嫌いです。

踏切を渡る生活をぼくはほとんどしてこなかった。踏切のこちら側でほとんどの用事は済んだし、ぼくの住んでいた街は踏切の向こうは寂れていて、もはや機能していなかったので、そこに住む以外の人が向こう側へ行く理由はほとんど存在しなかった。でもいまいるところでは踏切を頻繁に渡らなければいけなくて、それが苦痛といえば苦痛。

diary 2005,02,24,Thursday
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『リリイ・シュシュのすべて』

2005,02,22,Tuesday

『リリイ・シュシュのすべて』をDVDで観た。以前、CSの日本映画専門チャンネルかなにかで24時間岩井俊二特集みたいなのをやっていて、『リリイ・シュシュのすべて』は途中からちょっとだけ観たのだが、いつかちゃんと頭から観ようというつもりになったので、そのときはいつかちゃんと観るときのためにしっかりと観ることを避け、というよりも途中から観る映画になどきっちり集中できるはずもなく、もちろん話の筋もよくわからないので、結局は最後まで観ることすらしなかったのだったと思う。そのときの大まかな印象は、「画面上に頻繁にチャット風の文字が出てくる映画」というようなもので、それ以外の印象はほとんど残っていなかった。だから今日はじめてこの映画を観たのだといってもいい。さらにさかのぼるなら、劇場公開時に「リリイ・シュシュ」という名前がぼくにもたらしたのは、現在とはかなりかけ離れた印象で、それは「小林武史」という名前とセットになって、その周辺には決して近づきたくない、という感情を催させた。ぼくは岩井俊二はたぶん嫌いではないはずなので、「リリイ・シュシュ」というファンシーな名前(ぼくにとってはそれはきわめてファンシーな、もっといえば多少恥ずかしいような響きであった)と、それが「小林武史プロデュース」であるという理由によって、『リリイ・シュシュのすべて』という映画全体に対して良い印象を抱いておらず、映画それ自体にはひとかけらも罪はないはずなのだが、「たぶん一生観ることはないのだろうな」と漠然と思っていたのだった。いや思ってすらいなかっただろう。それは「どうでもいいもの」として迅速に分類され整理され、かつ忘れられた。

ならばなぜ『リリイ・シュシュのすべて』などといった、振り返るにはいささか早すぎる、半端に過去のものとなりつつあるような映画を、ついさっき寝かしつけたばかりの赤ん坊をなんとはなしに揺り起こすような素振りで、どうして今さらながら観る気になったのかといえば、それは『リリイ・シュシュのすべて』という映画でカリスマ的女性ヴォーカリストを演じるところの彼女(といってもついに映画は彼女の鮮明な姿を捉えずに終わるのだが)が、こっちはファンシーでも気恥ずかしくもなく、フランス語の挨拶のような、どこかの国の民族衣装のような、どのように発音すればその本当のところのものとなるのかわからないような、「salyu」という名前でいまもなお活動しているアーティストであり、端的にその名が「七尾旅人」のwebサイト内の「胸をうたれた星」なるコンテンツに記載されていたからだった。といってもそのサイトを見たのはつい最近であるというわけでもなく、だから本当のことをいえば、近頃、駅前にできたビデオレンタルの有名チェーン店において、「DVDを借りるときには一度に3枚」という半ば定着しつつある習慣を惰性的にではあれ守るために店内を巡回した挙げ句、「そういえば」というほどの面持ちで選び出したというまでの話だ。

結論からいえば、ぼくはこの映画がすごく好きだ。あるシーンで、身体が熱くなり、皮膚が裏返ってしまうかのような感覚を持った。そしてこの感覚は、ぼくが映画を観る際における、ほとんど最大級の感動だといっていい。おもしろいと思ったり、すごいなあと思ったり、いい映画だなと思ったりする映画はたくさんあるし、ぼくは映画を観てしょっちゅう泣いたりしているけれど、この「皮膚が裏返っちゃうような感じ」のする映画は滅多にない。そのシーン以降はほとんど涙で目がにじんで、画面上に出現する白抜きの文字を読み取ることが難しくなるほどだった。あれはなんていう曲だろうな。とにかく曲がかかる瞬間。だからこの映画はサウンドトラックの逆で、ある一枚のCDのビジュアルトラックである、という言い方もでき、映画としては批判されることがあるかもしれない。映像が音楽に従属してしまっている、というような言い方で。だからいってみればこれはいささか長いプロモーション・ビデオであり、そのように見る限りではなかなか良くできているとは思うのだが……というような言い方がいかにもされそうな映画だという気はする。でもそんなことはどうだってよく、その一瞬は奇蹟のようなもので、映画という枠を超えた出来事として刻み込まれてしまった者としては、そのような稀有な出来事をもたらした媒体がたまたま映画であったというだけの話で、映画の出来不出来や優劣なんかとは無縁の問題なのである。

movie 2005,02,22,Tuesday
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麦茶を飲んじゃ駄目

2005,02,20,Sunday

チェアマンちの台所で目覚める。起きたときには部屋には誰もいなかった。なんとなく、ふたりが出かけていった音が聞こえていたような記憶がある。どこに行くのかな、とおもった覚えがある。パンでも買いに行くのかな。パソコンの上に書き置きがあって、ふたりはおしばいを観に行くとのことだった。いったん起きはしたもののぜんぜん駄目なので、麦茶をいただいてからもう一度寝て、3時頃に起きたらもっと駄目だった。そりゃないぜ、とおもう。そりゃないよ、かな。でもきりがないのでとりあえず外へ出ることを決意し、コートを着るところまでは何度もいくのだが、一度外に出て鍵をポストに入れてしまったらもう部屋に入れずトイレに行けなくなるのでなかなか踏ん切りが付かない。といっても起きてからは一度も吐いてなくて、でもこの吐き気を抱えたまま外に出ていっていいのか、という気持ちがあるのだ。コートを着たり脱いだりする。これを隠しカメラで撮影されていたらなにをやってるのかとおもわれるだろうな、と考えたりする。すごく無意味で、きりがないので思い切って外に出る。が、やっぱりぜんぜん駄目で一歩ごとに吐きそうだった。前を歩いていた女の子があまりにも歩くスピードが遅いので、いま吐いたらかかっちゃうかもしれないからもっと遅く歩こう、と考えてゆっくり歩くことにしたりした。でもそんなのかかっちゃうわけない。いくらなんでもそんなに近くはない。というか吐くときにはきっと立ち止まるはずなのだ。酔っぱらいの考えることっておかしいですね。

やっとのことでセブンイレブンにたどり着き飲み物を物色するが気に入ったものがないので何も買わずに出て、今度はローソンに入ってクエン酸の入ったスポーツドリンクを買う。どういうわけか「クエン酸、クエン酸」と決めてかかっていて、それ以外のものを買うなんてことは断じて許されない雰囲気だった。いまにも吐きそうなのに飲み物をちゃんと選んでいるところがおかしいですね(結果的には全部吐いたのでなにを買っても同じだった、ということも含めてなんだかおかしい)。

電車に乗る。電車に乗ったらやばそうな感じだったけど、乗ったら案の定やばかった。急行に乗るか、座れる各停に乗るか迷った末に座れる方を選ぶ。そして一駅ごとに、降りてトイレに行くか、もう一駅行けるのか、の判定をし、結局、下北沢で降りた。限界だった。ぼくは途中で降りて駅のトイレにぎりぎりで駆け込む、というのは何度もあるけれど、電車の中ではたぶん一度も吐いたことがなくて、自分は本当に恥ずかしがり屋だなあとおもう。だっていまにも吐きそうなのに普通の顔をしてトイレに行くから。

トイレは新宿寄りのホームのいちばん端っこにあって、ぼくが降りたのは反対側のかなり遠いところで、そういうときホームは無限に長く延びてしまう。砂漠の蜃気楼みたいに歩いても歩いてもたどり着きそうにないのだ。砂漠なんか行ったことないけど。そしてなんだか棺桶の上を歩いているみたいな気がしてきた。灰色の長く延びた棺桶。

でもちゃんとたどり着いて、トイレに入って即リバース。reverse。そうなのだ。麦茶を飲んじゃ駄目なのだった。まずは「903」が出てきて、そのあと麦茶が出てきた。どうして混ざってないのか不思議だ。汚い話でごめんなさいね、ほんと。あの麦茶吐くときの感じって最悪だ。お茶系は総じて駄目だとおもう。

新宿の手前でグリコから電話がかかってくる。まるで神の助けみたいなタイミングで。新宿で待ち合わせ、いっしょに帰った。それからその日の深夜まで、宿酔いが続いたのだった。

diary 2005,02,20,Sunday
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酒豪部

2005,02,19,Saturday

池袋の東武で鹿児島物産展。塩ラーメン食べる。鹿児島のラーメンって、別に名物ではないよなあ。きいたことないものなあ。それからチェアマンちへ。web会議。途中から酒豪部に。朝まで飲む。途中から記憶がなくなる。

diary 2005,02,19,Saturday
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GODIVA

2005,02,14,Monday

酒屋で「喜六」をやっと見つけた。高かったけど買う。ブックオフで「クイックジャパン」18,29,32,36,38号と「ユリイカ」2004年8月号、町田康『パンク侍、斬られて候』、吉田修一『東京湾景』。ココイチでカレーを食べているときにグリコからチョコをもらった。GODIVA。

diary 2005,02,14,Monday
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麺が喉を通る

2005,02,05,Saturday

チェアマンとグリコさんの誕生会。具合が悪かったので行くか行かないか迷ったけど行くことにした。池袋でチェアマンのプレゼントを買う。こないだあげられなかったので吉川くんの分も買う。グラニフができてたのでTシャツを買うことにする。自分にも買う。緑色の長袖Tシャツ。それから下北沢の居酒屋へ。風邪を引いているので多少セーブしつつ。珍しく終電に間に合う時間に店を出たが、池袋からの電車はもう終わってしまっていたので、タクシーで帰ることにし、それならいつ帰ってもいいので、ラーメンを食べに行った。麺が喉を通るのが痛かった。

diary 2005,02,05,Saturday
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煙草を吸っていたなんて(京都四日目)

2005,02,04,Friday

昼過ぎまで起きれなかった。身体がだるい。喉が痛い。シャワーを浴びて身支度を調え、部屋を軽く掃除し、借りていた合い鍵を使って玄関のドアの鍵をかけて、それをポストに入れたのはもう3時近かった。

バスに乗って京都駅に行くか、15分ほど歩いて西京極駅に行くか、部屋にいるときから迷っていたのだが、結局は歩いて西京極まで行った。外はあまりにも寒く、これはたぶん熱でもあるのだろう、と思う。ぼくはひとりだとあまりにも早足で歩くので、汗だくになり、それが冷えて風邪を引いたのだろうと思う。西京極まで歩くということは梅田に行くことを意味する選択肢だったのだけれど、とりあえず180円の切符を買い(梅田までは390円で河原町までが180円)、一瞬、立ち止まった末に大阪方面行きのホームへ上る階段を通りすぎ、ぼくが向かったのは河原町方面行きのホームだった。ぼくは歩いてみるまで自分がどうしたいのか、どこへ行きたいのかわからない、ということがよくあって、歩き出してみた結果が、西京極駅から河原町駅に行く、という変な選択肢だったのだ。つまりなんとなく風邪を引いたみたいだし、大阪という勝手のよくわからない街にこんな時間から行くのはもう億劫だし、適当に京都駅周辺で時間を潰してそれに飽きたら東京へ帰ればいいや、という気持ちになっていた、ということなのだと思う(ぼくは普段ひとりで行動しているときはいつでもそんな感じなのだけれど、なんとなく他の人たちはそうではないんじゃないかと想像しているのですが、そこのところどうなのでしょうか?)。

河原町行きの電車を待つホームで携帯にメールが届く。それはグリコからで、今日も会社を休んでいるのだという。だからそこでぼくの予定が自ずと決まることになった。彼女の身体の具合がそれほどまでに心配で、という訳でもないのだけれど、会社を休んでグリコが家にいるのならもう東京に帰ってもいいかなあぐらいには思い、5時くらいには京都を出発するくらいのつもりに頭を切り換えた。梅田には行かず河原町に行って(これはもうそうするつもりだったわけだけど)、そこから京都駅へ行っておみやげを買い新幹線の切符を買い、予定よりも早く(当初の予定では夜の11時頃に東京に着くつもりだった)、5時くらいには新幹線に乗る、というところまで、そのメールが届いたことによって決定した。それでもぼくはもう少し京都の街と京都の人たちを見ておきたいという曖昧な気分で、河原町のあたりをぶらぶらした後、京都駅まで歩くことにした。それはつまり河原町から烏丸まで歩き、四条通りを七条通りまで歩くことを意味していて、そんなことは熱っぽいと感じている人間のすることでは断じてなかった。どこかで地下鉄かバスに乗るべきだった。でもなにかがそうすることを拒否していて、途中から京都タワーと京都駅が見えはじめてしまい、見えているところに行くのにバスに乗るのはなんだか気が引けてしまったのだった。でもそれはずいぶんな距離で、京都駅にたどり着いたときにはすっかりくたびれ果てていた。昨日と同じ「京都拉麺小路」にある「宝屋」でラーメンを食べ、新幹線の切符を買い、おみやげを買って新幹線に乗り込んだものの、そこは喫煙車だった。かつて自分が煙草を吸っていたなんて信じられないほど煙草の煙に喉が痛くなり、むかむかしながら(自分が悪いんだけど)東京までぼんやりと窓の外を眺めて帰ったのでした。

trip 2005,02,04,Friday
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新妻のように(京都三日目)

2005,02,03,Thursday

朝8時半起床。Sくんの出社を(新妻のように)見送ったあと(新妻のように)台所の洗い物などをし、シャワーを浴びてから10時過ぎに外出。まずは昨日と同様にバスで京都駅へ。とりあえずまだ上っていなかったので京都駅の大階段を上る。4年前に来たときは階段で上ったので死ぬかと思ったが、今回はもうエスカレーターが動いている時間だったので楽々といちばん上へ。いい天気。どんな建物にも屋上をつけてそこに上れるようにして欲しいです。

ラーメン店街みたいなとこでラーメンを食べる。尾道ラーメン「柿岡屋」。それから歩いて三十三間堂へ。途中、メモなど取りつつ拝観。三十三間堂は何度来ても面白い。来るたびに新しい発見がある。でもあまりにも寒いので、あんまり観られませんでした。靴を脱がなくちゃいけないので、かなり足下が冷えるのです。スリッパくらい履かせて欲しい。二十八部衆像が何体か補修作業のため観ることができなかったのが残念でした。そんなでもないけど。それよりあそこはふすまを開け放って遠くからすべての観音像を一望できるようにして欲しいのだけど無理なのかな。

それから本当は歩いていくつもりだったけど、ちょうどよくバスが来たのでそれに乗って京都国立近代美術館へ。東京でもやってたけど「草間彌生展」を観るため。バスに乗ってよかった。かなり遠かった。古いものから新しいものまで、充実した展覧会だったと思います。ぼくにはコラージュがいちばん面白かった。立体は、あれはやばいんだもん。特に銀色のやつがやばかった。変な気持ちになります。なにかぼくの中の原始的な記憶と結びついているような感じがしました。絵もけっこうそうだけど、かなりぞわぞわします。今日あたり絶対夢に見ると思う。なんか思い出しただけでも変な気分。通して二往復くらいしてから草間彌生Tシャツを買って、美術館内のカフェでコーヒーを飲んで、歩いて四条の方へ。

ジュンク堂に行き、また丸善に行く。阿部和重『グランド・フィナーレ』を買う。三条の方にあるHUBでギネスを飲むながら本を読む。ぜんぜん京都にいるっぽくないけどしょうがない。7時までにSさんの部屋に帰ってSさんの代わりに郵便物を受け取らなければならないので、ビールを2杯とフライドポテトを食べ終えたところで店を出る。河原町から地下鉄で西京極へ。そこから歩いて15分ほどのはずなのに、途中で迷ったので30分くらいかかってしまう。曲がらなくちゃいけないところで曲がらなかったのでした。部屋に着いたのはちょうど7時で、そわそわと郵便物を待ち、Sさんの帰宅を(新妻のように)待ち、歩いてお好み焼きを食べに行きました。とてもおいしかったです。

trip 2005,02,03,Thursday
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ただごとではない情緒(京都二日目)

2005,02,02,Wednesday

12時頃起床。バスで京都駅へ。なぜかマック(関西だからマクドですね)で昼食。ぜんぜん京都にいる感じがしないに決まってる。京都駅からバスに乗って清水寺へ。雪の清水なんてはじめて見た。ただごとではない情緒、と思う。途中、喫茶店でコーヒーを飲んだり、おみやげを買ったり、珍しい四つ葉のクローバーのタクシーを発見したりしつつ、歩いて河原町へ。丸善で橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』、内田樹『先生はえらい』。古着屋に行って時間を潰し、開店直後の居酒屋へ。Sさんが店長さんを席に呼び、芋焼酎についていろいろ教えてもらう。いろんな種類の芋焼酎を飲み比べる。地下鉄に乗って西京極まで行き、近所のたこ焼き屋さんでたこ焼きを買って部屋に帰る。生ビールが飲めてたこ焼きが食べれるというすばらしい店。どうして?と目を疑うくらいきれいな女の人が働いていた。ほんと、どうしてだろう。お酒を飲み、たこ焼きを食べ、『ちゃんと話すための敬語の本』を読み終わってから就寝。

trip 2005,02,02,Wednesday
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ヒッチハイクみたいに(京都一日目)

2005,02,01,Tuesday

昼ごろ起き、トーストを食べ、『教養としての経済学』を読んだ。夕方5時頃うつらうつらしていたらSさんから電話があり、これから車で京都に帰るというので、いっしょに連れて行ってもらうことにする。なぜか寝起きなのに即決。寝起きだからかな。というわけで車で迎えに来てもらい、いざ京都へ。ヒッチハイクみたいに。

前半は順調だった。500キロのうちの250キロくらいは、極めて予定通りに進んでいたんだったと思う。途中のサービスエリアで生姜焼き定食を食べたり、きしめんを食べたりして、旅は快適なことこの上なかった。予定通りに行けば0時半くらいには京都のSさんの家に着くはずだった。

問題は長野を超えたあたりからだった。雪だ。関西方面は大荒れだ、という情報を一応頭に入れてはいたけれど、まさかこんなにひどいとは思わなかった。岐阜のあたりで高速道路が通行止めになり、いったん一般道に降りることになった。そこから通行止めが解除されるICまでは30分くらいの距離のはずだった。ぼくたちはそこまで行ってすぐにでも高速道路に復帰するつもりだったのだ。でもそのインターを降りてから、30分くらい1ミリも動くことができなかった。あまりにも到着予定時刻を逸脱しているので、カーナビに怒られるんじゃないかと心配になるほどだった。そんなにひどい渋滞を経験したのはたぶん生まれてはじめてだった。まったく動かないのだ。もう駄目かと思った。このまま車ごと雪に埋もれて死ぬのだと思った。と書きたいくらい猛吹雪の中で車は微動だにしなかった。みるみるうちに車に積もっていく雪を、ぶるぶると身体を震わして地面に落としたい気分だった。水を飲んだあとひげに付いた水滴を吹き飛ばす猫みたいに。

やっとのことで再び高速に乗っても、断続的にのろのろ運転は続いた。除雪車が動いているので、どうしても渋滞してしまうわけだ。それでもSさんは忍耐強く運転し続けた。ぼくも助手席で一瞬たりとも眠ったりしなかった。それがなにかの役に立つのかどうかはわからなかったけれど。チェーンをつけてなかったり、スタッドレスを履いてなかったりする車は、その横を通り抜けるのが恐いくらいにつるつると雪に足を取られていた。

京都に入ったあたりでようやく雪が止んだ。200キロ近くに渡って雪を降らす雲に被われていた土地をやっと脱出したのだ、という爽快感があった。到着予想時刻は出発したときのものからすでに4時間以上遅れていた。それはSさんが実家を出発してから、実に12時間後を示していた。京都に入った瞬間はやんでいた雪もすぐにまた降り始めた。京都だけは雪じゃないだろうということだけを信じてそれまでやって来たぼくたちの希望を打ち砕くように。というほど雪は降ってはいなかったけれど。とりあえずガソリンスタンドでガソリンを入れ、Sさんの部屋に到着。Sさんの荷物の中には大量の「ペヤング」があった。実家から持ってきたのだという。関西では売ってないのだそうだ。ふたりともすぐには眠れず、ビールを飲んで明るくなってから眠った。

trip 2005,02,01,Tuesday
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