« 急にトーマス・マンが | メイン | すかさず。なんだかんだいって、けっこうわくわく »

世界が終わるまで、愛の

2004,09,02,Thursday

そういえばもう長いこと「ねじまき鳥」の啼く声をきいていなかった。アボカの庭にもけっこうたくさんの鳥がやっては来るのだけれど、その中に「ねじまき鳥」はいないんだな、とあらためてぼくは思う。暗闇の中で電灯のスイッチを探るのに要する時間がやや延びたように、ぼくはこの部屋で過ごしていたときのことを少しずつ忘れかけている。そうだった。この部屋からは「ねじまき鳥」の声がきこえるのだ。

ぼくが勝手に名づけた鳥が『ねじまき鳥クロニクル』の「ねじまき鳥」のモデルになったのと同じ鳥なのかどうかはわからない。でもその鳥は確かにねじを巻くような声で啼くのだ。「ギイイイイイ、ギイイイイイ」と。

猫のミュウが鈴を鳴らしながらぼくの部屋にやって来て、オルガンの上に飛び乗った。その動作が時を経るにしたがって辛そうになってきているように見えるのは気のせいだろうか? 彼女はどうひいき目に見ても、重力に逆らってどこか高いところに飛び乗るのに適した体型をしてはいない。日頃、家族たちによってどれだけ甘やかされているのかが目に見えるようだ。そしてその甘やかしは期待を裏切ることなく彼女の身体を覆い尽くしている。でもそれはとてもよく彼女に似合ってもいるのだ。彼女のおっとりとした性格や、その仕草に。それとも、それらの性格や仕草は外見によって決まっているのかもしれない。

鼻先で器用にカーテンを開けて、ミュウは窓の外を見る。ぼくも彼女のすぐ後ろについていっしょに窓の外を見る。もちろん、ミュウはこの啼き声の主を観察しに来たのだ。彼女は前もって「ねじまき鳥」がどこにいるのかわかっていたかのように素早くあっというまに鳥のいる位置を見つけ出す。そこにはひとかけらの逡巡も見受けられない。大したものだな、とぼくは思わずにはいられない。まるで超能力者みたいだ。

向かい側のアパートのてっぺんの縁と、庭のいちばん高い木の枝に、二羽の鳥がいた。あれが「ねじまき鳥」なのか、とぼくは思う。そういえばその姿を見たのは初めてのことかもしれない。本当はなんという名前の鳥なんだろう。ぼくには鳥の名前がわからない。彼らは雄と雌なのだろうか、まるで明日で世界が終わるのだとでもいうように、執拗に愛のことばを交わし合っているように見える。そして世界が終わるまで、愛のことばをずっと交わし続けるのだ、とでもいわんばかりに延々と啼き続けている。昼間に眠りにつこうとするぼくを非難するかのように。寝てる場合じゃないんだよ。明日で世界は終わるんだぞ、と。

2004, 09, 02, Thursday

comments

コメントしてもいいよ

コメント登録機能が設定されていますが、TypeKey トークンが設定されていません。