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かれらはいったいどこへ

2005,12,10,Saturday

朝、といっても昼過ぎのこと。玄関のチャイムが鳴って目が覚めた。今日は土曜日である。こんな時間にだれかな、とわたしは飛び起きる。飛び起きないわけにはいかない。誰かがわたしの耳の穴へ向けてさっと槍でも投げたみたいなのだ。槍はわたしの耳元で火の輪くぐりをするサーカスのライオンに変わる。右耳から左耳へ。そう、チャイムの音はどこか黄色味を帯びているような気がする。あまりにもびっくりしすぎるせいで、鳴った瞬間にはもう立ち上がってしまっているほどである。そうなのだ。寝ぼけていて頭が働かなかったのだけれど、今日、なにか荷物が届く予定があるわけではなかった。だとすれば、こんな時間にやって来るのはただひとつの人種しかいない。それは新聞の勧誘員である。わたしは不用意にドアを開けてしまった。

ドアの外には初老の男が立っていた。男はいきなり「どうすれば若い人たちが新聞を取ってくれるのか、私に教えてくれませんか」といった。わたしは、それが新聞の新たな勧誘手段であるなどとは思いもせず、真剣に、玄関先で、どうすれば若い人たちが新聞を取るようになるのだろうかと考えてしまった。よほど寝ぼけていたのだろうと思う。でもあえて他人に向かって発表するような妙案は思い浮かばなかった。寝ぼけていたし、なにがなんだかよくわからなかったのだ。確かに新聞は高いです、とその初老の男はいっていた。わたしの印象に残ったのはその部分だけだった。つまり、男は、これから売り込もうとしている商品を自分で「確かに高い」などといっていて、そんなものはふつうに考えたら売れるわけがないのではないだろうか、とわたしは思わざるをえなかった。なんだか買う価値がないように聞こえてしまうではないか。だからあなたが勧誘をやめるべきです、とわたしはいうべきだったのかもしれない。あんな泣き落としをするなんて気持ち悪い、とグリコはいっていた。なるほどな、とわたしは思う。あれも勧誘手段の一種なのだ。途中で顔を出したグリコの助けがなければ、わたしはきっと新聞を取るはめになったか、ほとんどその一歩手前まではいったのではないだろうかと思う。

さて、わたしたちはその新聞屋のおかげでぱっちりと目を覚ますことができた。いささか不愉快にではあったけれど、ぱっと布団から出ることができた。その点についてはかれに感謝しなければならないだろう。わたしたちは身支度を調え、昼食を食べに外へ出た。アメリカのロックンローラーの名前を冠した店だった。それから腕時計の電池を交換し、何本かの酒を買い、一度、部屋へ戻って一休みし、それからカーテンを買いに行った。デパートの地下でハンバーグを作るための食料品を買った。合い挽きの挽肉。パン粉。ナツメグ。デパートの地下食料品売り場にはそれこそ何十種類ものスパイスが揃っていて、いくら探してもナツメグが見つからず、店員に聞いてもすぐには見つからなかった。わたしたちはみんなでナツメグを探した。結局、ナツメグを発見したのはわたしだった。

外はもうすっかり陽が落ちて寒かった。なにしろ12月も半ば近くなのだ。さっき出かけたときには平気だったのに、秋とほとんど変わらない服装をしていたわたしには限界に近かった。いつもはホームレスが休憩しているちょっとした空間は、クリスマスの飾り付けで煌々と明るかった。だからなのだろうか、ホームレスたちはどこかへ行ってしまったようだった。鳩もいなかった。かれらはいったいどこへ消えてしまうのだろうとわたしは思った。

そこで自転車に乗ったさっきの新聞屋とすれ違った。昼ごろわたしたちの部屋にやってきた新聞屋だ。あれ?どこかで見たことがあるな、と思って、すぐにそうだとわかった。かれは小さな紙切れに書かれたメモ(おそらくは住所なのだろう)を見ながら自転車を漕いでいた。こんな時間まで新聞の勧誘をしているのだ、とわたしは思った。なんとなく、かれはその日、一件も契約を取れていないような気がした。どことなくそういう風に見えたのだ。そしてそう考えると新聞というものはいったいどうやって作っているのだろうと不思議なくらい安いように思えた。けれど、わたしたちは新聞を取るつもりはなかった。それはかれらの努力とはまったく関係がないのだ。

2005, 12, 10, Saturday

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