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神話の世界の住人

2004,11,06,Saturday

一日の大半をカップル二組とともにする。八王子ICから中央自動車道へ。Hくんが10時前に車で迎えに来てくれたが、ぼくはなぜか午前2時半に目覚めており、極度の睡眠不足、および暴飲暴食(起きてから朝までにブリトー、カップヌードル・シーフード大盛り、スープスパゲティなどを過食症患者のごとく食べた)により、著しく体調が悪かった。こういうとき車に乗るのはつらい、という状態を、まるで自ら望んでいたかのようだ。そして極めて予定調和的にお腹を壊し、車酔いによる吐き気を我慢し、まずはマクドナルドのトイレに駆け込むことになる。カップル二組にまぎれるとぼくにはもう話すことがなにもない。というような気持ちになる。これは決して嫌みでもいやな感情でもない。どちらのカップルもそれぞれまったく別様にぼくには微笑ましくおもえ、実際には話すことはいくらでもあるが、ぼくの話など蛇足的に野暮なのだ。というような気持ちになる。ぼくには聴きとることのできない周波数で、恋人たちがするのはすべてが秘密の会話だ。という気がする。もちろん実際のところ、そこにはまったくなにも秘密などない。だが彼らは彼らにしか通じないことばを使って話し、ぼくはそれを聴きとろうとも、解読しようともおもわない。という意味でそれは秘密の会話なのだ。あらゆる恋人たちは神聖で、なんだか神話の世界の住人みたいで、近寄りがたくはないが、近づいてはいけないような気持ちになるものだ。ぼくは自分が邪魔者であると卑下したりはしないが、レヴィナスがいうように、あらゆる二者関係は第三者の排除によって成り立っている。ということを実感する。執拗に三角関係の話を書いた夏目漱石の、『こころ』を引き合いに出すまでもなく、第三者は死ぬか、その場を立ち去るしかない。「K」は死んで立ち去ったというわけだ。だがぼくはその疎外(といってもいいだろう)を、祝福のようにも感じる。ぼくには差し当たって話すことがなにもなく、また話すことを求められてもいない。という状態が、極めて体調の悪いぼくには心地よいのだった。

2004, 11, 06, Saturday

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