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100ml当たり100mgのカルシウム

2004,09,10,Friday

5時半に起きて仕事する。コーディングの仕事。一段落したところで朝ごはんを食べにマックへ行く。朝ごはんを食べる。でも朝ごはんという気がまったくしない。絶対またお腹が痛くなる気がする。それともうこのことは何度でもいいたいのだけれど、どうしていつでもうるさいグループが最低一組かならずいるんだろう。そいつらがいなければすげえ静かなのに。で、どうしてそいつらが帰るとまた違ううるさいグループが来るんだろう。交代制か。バトンタッチしてるのか。女って三人集まると一瞬も口閉じてらんないの? あたしこの話きいて気分わるくなっちゃったのー。って話をどうして大声で人にするの? 信じられないんですけど。だからもうものすごくイライラしててコーヒーをおもわずこぼしてしまう。帰ろうとするとそいつらも帰りやがる。どけよそこ。階段降りるんですけど。落ち着くために近くの本屋に入る。おれの居場所はやっぱり本屋しかないのではないかというおもいが一瞬脳裏をよぎる。『新潮』の10月号を立ち読みする。そうだ図書館で読めばいいじゃんとおもい図書館に行く。どこの図書館に行っても図書館という場所は微妙に混んでいる。『新潮』の青木淳悟『クレーターのほとりで』を読んでいたらでっかい蜂がやって来て、そしたらもう帰るしかないじゃないか。なぜなら蜂が恐いから。もうなんか人が歩いているのを見るだけでむかついてきた。これは間違いなくカルシウム不足のせいなのでスーパーへ行き「明治ブルガリアのむヨーグルト」を買う。発想が短絡的なのはなんのせいなのか知らん。部屋に戻る。グリコはまだ出社していない。風呂から出たところみたいだ。なんとなくつけているテレビのニュースからはおんなのこの泣く声がきこえる。グリコの髪が乾いていくにしたがっておんなのこはテレビのなかで泣きやんでいく。ドライヤーの音がおんなのこの声をかき消したからだ。かき消されたことでおれはテレビに視線を移す。だからといって涙が乾いたわけではなかったことを、そこではじめてテレビのなかのおんなのこを意識的に見たおれは知ることになる。どうやら友だちが殺されてしまったそのおんなのこはテレビのなかでまだはっきり泣き続けている。乾いていくのはもっぱら髪の毛だ。たとえ次のニュースに移ったとしても、おんなのこは泣きやむことはないのだとおれはおもう。

おれは「明治ブルガリアのむヨーグルト」を一気に半分ほど飲みながら身体から汗が引いていくのを感じる。こんなに飲んだらだめだ。お腹が痛くなるに違いない。とおもいながらそれでも一気に飲まずにはいられない。早くカルシウムが電撃的火急的速やかさで体中にゆきわたり、この朝から続くイライラをどうにか鎮めてはくれないだろうかと科学的にではなく自己暗示的に念じる。もし許されるのだったら、おれはこの数時間のあいだに何人か人を殺していたんじゃないかという気がして、それはもしかしたらただのカルシウム不足のせいなのかもしれず、それでもその不足はテレビのなかでだれかに涙を流させてしまうのだとおもう。せめておんなのこが泣きやむまでのあいだ、そのニュースを見守る方法をさがしてだれかがなにかするべきなんじゃないだろうかとおもう。おんなのこが泣いているのにハンカチを差し出すこともできないなんて可哀想だ。おんなのこも、おれたちも。というかそもそもそんなニュースをおれたちに見せてどうするつもりなんだ? どうしてニュースってあるんだったっけ? おれはそれを見て、殺された上に家に火をつけられた友だちのことをおもって泣くおんなのこを見て、どうすることもできない自分を確認しろということなのだろうか。だからなんなんだよ、とおれはおもう。おれと、その事件とのあいだになにか関係があるのだろうか。もしあるのだとしたら、それはどんなものだろうか?

やがておれの予感は的中することになった。どっちのせいでそうなったのかはわからない。でもたぶん今日はマックではなく「のむヨーグルト」が原因である気がする。100億もの「LB81乳酸菌」が腸内細菌のバランスを整える前に乱してしまったのだとおもう。おれは何度もトイレに行く。「のむヨーグルト」はとりあえずおれの体内をスルーすることに決めたみたいだ。100ml当たり100mgのカルシウムはどうなるんだろうとおれはおもう。まるで自分が滝になったようだとおもう。それでも次第におれは回復する。すべてを水に流して、おれは残りの「のむヨーグルト」を飲めるまでに回復する。うん、大丈夫。なんとなく清々しい気分ですらある。腹が減ってきたくらいだ。

こんなものばかり食べてるからイライラしてくるんだろうなとおもいながらおれは昼ごはんにカップラーメンを食べる。カップラーメンはいつ食べてもカップラーメンの味がする。部屋の掃除をする。Yくんが今日泊まりに来てもいいように。おれは部屋の隅に転がっていたグリコの白い手袋を掃除機で吸いこんでしまう。手袋は掃除機のホースの中間あたりにとどまってしまう。もうなにも吸いこまなくなる。スイッチを入れると掃除機についているメーターがあっというまに真っ赤になる。なにを意味するメーターなのかおれにはわからないが、それはおれの掃除機ではないのでおれは焦る。焦って、ものすごい汗が出る。もうこの掃除機はだめなんじゃないかというおもいが脳裏を掠め、だとしたらこれはきわめて厄介なことになったぞとおもうと余計に汗が流れる。まるで自分が滝になったようだとおもう。おれは何度もスイッチを入れたり消したりして、そのたびに掃除機のなかを確認し、手袋がホースから抜け出てゴミが溜まる袋のなかに移動していないか確かめる。でも何度見ても掃除機の内部に手袋はない。掃除機のなかは掃除機のなかの匂いがする。あれはなんの匂いなのだろう。埃っぽいような、掃除機のなか以外では嗅いだことのない匂い。おれはなんとなくホースを本体から外してなかを覗き見る。はじめは目の錯覚だとおもったが手袋らしき白いものが見えて、おれはもっと掃除機で吸いこめばだんだん手袋は手前側に移動するのではないかと気づく。ホースを再び本体に繋ぎ、試しにスイッチを入れては消し入れては消ししてみる。ホースを外す。なかを覗き見る。白い物体が、これはもう手袋と見間違いがないくらいにはっきりとさっきよりも近づいてきている。これを何度か繰り返せばおれの指で届くくらいまで手袋を引き寄せられるはずだ。おれはその作業を何度か繰り返す。繰り返すたびに手袋は手前の方に移動する。理想としては本体に到達するちょっと手前で手袋を救出したい。つまり吸いこみすぎてはいけない。手袋がゴミまみれになってしまうからだ。だがおれは手間を省くためにそれまでよりも一回分多くスイッチを入れてからホースを確認する横着をしてしまう。そしてよりによってそういうときに手袋のやつはホースから本体へ抜け出る。いや抜け出るではなく本体へと吸いこまれる。おれはゴミまみれの手袋を掃除機本体からつまみ出す。なんだかその手袋はかわいそうな小動物みたいだった。

「Zepp東京」の上のカフェに5時から5時半のあいだ。それがYくんとの待ち合わせ時刻だった。りんかい線直通新木場行きの埼京線の車内でYくんから電話がかかってくる。5時ちょうどだ。5時から5時半のあいだに行くといって、Yくんは5時に着き、おれは5時半に着く。東京テレポート駅に来るときはかならず雨が降っている。去年の今頃もそうだった。Yくんとおれが会うときの雨の確率はたぶん70%を超えている。

2004, 09, 10, Friday

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