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なんだかものすごく好意的な感想

2004,11,03,Wednesday

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』、柴崎友香『きょうのできごと』(ハードカバーの方)、『もうひとつの、きょうのできごと』をブックオフで。それぞれ100円。帰ってきて一気に、書いた順番で全部読んだ。

というわけで、やっと『世界の中心で、愛をさけぶ』を読んだのですが、純愛とか恋愛とかいう話よりも、まず、とても倫理的な小説であるとおもいました(表紙の写真が川内「倫」子だから、ではありませんよ)。この小説からぼくが受け取ったメッセージをひとことでいうと、「自分の言ったこと、書いたことには最後まで責任を持ちましょう」ということになるとおもいます。だからこそ、男の子は女の子を必死でオーストラリアに連れて行ってあげようとしたのだし、いっしょにアジサイを見に行く、という約束を(それが不完全な形であれ)果たしたところでこの小説は終わるのです。もちろん、そのすべてのはじまりは、ラジオの番組に送った一通の、他愛もない嘘を書いたリクエストのはがきだったわけです。まさか、そのようなはがきを書いたという理由で、一人の人間が本当に白血病になってしまったりはしないでしょう。でも、「それでも、その責任を引き受けること」が主人公の行動原理となっていて、それが倫理的だなあ、とぼくが感じた部分です(ホテルに行ってもなにもしないし、というのはまた別の話でしょうか)。おそらく、作者はこの小説の中のおじいさんと孫(主人公)のちょうど中間にあたる世代だとおもうのですが(よく知らないけど)、おじいさんの頼みを息子ではなくて孫がきく、というところに現れてもいるように、これは作者の同世代に向けた批判であり、その批判の中身は「ことばを軽んじていては、やっぱり駄目なんだ」というようなことではないのかなとおもいました。というように考えてみると、この小説がたくさん売れて、しかも若い人たちがたくさん読んでいる、という事実が、思いの外、喜ばしいことであるようにもおもえてくるわけです。やっぱり、ぼくもまた「ことばを軽んじていては、やっぱり駄目なんだ」とおもうからです(酔っぱらって自分のいったことをすぐ忘れるけど)。というよりも、ぼくがそうおもっているがために、この小説を読んだ感想がこういうものになっているのかもしれません。でもこれのどこが「世界の中心で、愛をさけぶ」なのか、いくら考えてもわかりませんでした。(読んでいるあいだはぶーぶーいっていたのに、なんだかものすごく好意的な感想になったのはなぜだ)。

『きょうのできごと』は映画を観たあとでははじめて読み返したのだけれど、映画を経たあとでは、会話の生々しさというか生き生きとした感じがよりいっそう際だった気がしました(特に、当たり前ですが女性の一人称のパートが)。不思議と妻夫木くんをイメージすることは少なかったけれど、女性陣は田中麗奈や伊藤歩や池脇千鶴がそのまましゃべっているかのように読んでいたようにおもいます。逆にいうと、映像というものが文章を規定する力はすごい、ということで、さらに逆にいうと、文章というのは非常にイマジナブルなんですね。だからこそ映像化することの危険性もあるわけですが、『きょうのできごと』は原作と映画の関係がとても良好で、相互補完的に楽しめるものになっているとおもいました。

『もうひとつの、きょうのできごと』は、『きょうのできごと』の作中人物たちそれぞれの別エピソードを書いた短編作品集&写真集なのですが、いちばんすごいなとおもったのは、もはや作中人物たちが知り合いであるかのようにおもえてしまうことで、ついつい続編を期待してしまうし、こういう存在の立ち上がり方というものは、やはり保坂和志に通ずるところがあるようにおもいます。

2004, 11, 03, Wednesday

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