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真摯かつシンシアに(北海道一日目)

2004,11,14,Sunday

というわけで我々は無事に北海道に着いた。実は恥ずかしながら生まれてはじめて空を飛び、夢の中では何度も空を飛んでいたものの、最近では飛んでも電柱の高さまでという体たらく、運動不足、集中力不足なのであって(フロイトによる解釈/介錯を待つまでもなく、これは大人になったということだ。かつては街の上空はおろか宇宙空間にまで飛び出すほど空を飛び回っていたものだ)、上空10000メートルからの眺め、などといったものを想像できなかったし、想像しようとしたことすらなかったし、上空10000メートルなどといったものが存在するとさえおもえなかった。本当のことをいえば、あんなものが空を飛ぶ、ということがいまだ信じられず、これではまるで野蛮人みたいだが(そこでおもいだすのは、『パリ、テキサス』のトラヴィスのことだ)、実際のところ、極力、飛行機のことを避けて生きてきたのだ。「人は土から離れて生きてはいけない」というラピュタの教えを頑なに守り続けて。とかそういったわけでは毛頭なく、自分はいたって普通に暮らしていただけであり、実は肩胛骨のあたりから翼が生えているんですよ。というびっくり人間大集合なわけでもなく、飛行機、などといった大胆かつ大それた発明品に乗り込み、ベルヌーイの法則にのっとって、この戯れごと多き地上を一時たりとも離れる機会すらなかった、と事実はただそれだけのことである。さらに付け加えるならば、もともと自分は旅行というものを必要としていないようなのだ。いってみれば「旅欲」があまりない。もちろん、切実に必要として旅行する、といった人がそれほど数多くいるともおもっていないのだが、このことについてはいずれ書く。

これまでの人生をただただ土の上にへばりついて生きてきた自分にとって、雲の上、とは率直かつ直裁にいって天国かと見まごうかのごとき場所だった。これから自分のするかもしれないあらゆる善行に対するご褒美の前払いであったとしたら、ぼくにはあまりにもありがたすぎて飛行機が墜落するのではなかろうか。あるいは自分はもうすでに死んでいて、空港の金属探知機とは現代的な閻魔大王の代替システムであり、我々はみないっぺんに旅客機型の最新鋭「魂運搬機」に載せられ「あの世」へと運ばれる途中なのではないか。などという妄想を差し挟ませる一片の隙もなく空はくっきりと真摯かつシンシアにどこまでも広がり、その「どこまでも」は決して修辞的形容詞ではなく、雲はといえば地上から見上げるのとはまた別の表情をめくるめく変化させ続け、目の黒いうちにこのような奇跡的な光景をまぶたに焼き付けることのできた幸運を、ただただ「ライト兄弟」および「JAL」に感謝するのみであった。ちなみにチャールズ・リンドバーグが大西洋横断を達成し、その凱旋帰国の際にばらまかれた紙吹雪の総量は1600トンにも及ぶそうである。

幾層にも渡る雲が奇蹟のように途切れ(上空では雲が存在するという状況がこの惑星――「ほし」と読んでもらいたい――の本来の姿であるようにおもえた)、地上が顔を覗かせると、そこには雲を見下ろすよりは馴染み深い光景が広がった。航空写真で見たことのある景色だ。そして、ここはまったく天国なんかではなく、ぼくたちの住んでいる街の上なのだ、とおもうと、嬉しくて涙が出そうだった。こんなにも美しい惑星(「ほし」と読んでもらいたい)にぼくは住んでいたのだ。いまおもいだしてもなお涙がにじむことを自ら禁じ得ないほどである。あの、雲の上にいた90分間のことをおもいだせれば、それだけでもうこれから先、いつまでだって生きていけるような気がするほどだ。パイロットになりたい。遅ればせながら、しかもまったくもって不可能な願いを、人生ゲーム(給料がルーレットの出目によって決まる「アイドル」を除けば、いちばんの高給取りが「パイロット」であった)以来で願わずにはいられないのだった。

そして死んだら天国に行けるなどという教えを流布する宗教というもののすばらしさ/おぞましさを否が応でも考えさせられることになった。このようなすばらしい場所に行けるのであれば日ごと善行に励みなにがなんでも天国に行きたいものだ。とおもうと同時に、そのような餌で人心を惑わせるなど聖職者のすることではなかろうと憤ったりもした。というような意味において、スチュワーデスとはただひとりの例外もなくこの世のものとはおもえぬほどの美貌、というかバイタリティの持ち主であり、どこか人間を超越した存在であるように感じられ、きっと彼女たちは地上の誰よりも哲学者であろうとぼくは想像せざるを得なかった。ぜひ死ぬまでに一度フライト・アテンダントとコンパをしてみたいものである。

飛行機の中で読むための本を持参しなかった、といったミス(ぼくははじめての機内で読むための本をなににするのか何日も考えあぐねた末に、直前になってそのことを忘れてしまった)は、90分間、あのちいさな窓に額を貼り付けることで帳消しになった。高校生だったころ、そのころ付き合っていた女子が飛行機の中で書いた手紙を受け取ったことがあり、そこには確か「おしげもなくムースをこぼしたかのよう」な「雲」が「足下一面に広がってい」る、というような描写があったと記憶しているのだが、いまおもいだしても秀逸な(まったくその通りだったから)飛行機からのそのような描写を超えて、はじめてだということで譲られた窓際の座席から眺める窓外に広がる景色は、なんというのだろう、知らぬ間におでこが飛行機の気持ちを読み取っていたとしてもなんら不思議ではない、知らぬ間におでこが窓を突き破っていたとしてもなんら不思議ではない、おでこのあたりから抜け出した魂が窓をすり抜けて雲の彼方へと身体よりも一足先に帰る、といった事態が本人の知らぬ間に持ち上がっていたとしてもなんら不思議ではない、といったほどの訴求力を持って、めくるめくどこまでも広がっているのだった。そして何度でもいうがこの「どこまでも」という形容は比喩でなく、ことば通りの意味で「どこまでも」なのだ。という事実が実にしっくりとくるのだった。

と雲の上の話はこれくらいにして、地上での出来事も書いておく。

結局ぼくが目覚めたのは3時くらいで、グリコはまだ起きて仕事をしていたのだったとおもう。ぼくはといえばまだ眠っていてもいいはずの時間なのに、たったの2時間寝ただけで目が覚めてしまった。飛行機の出発時刻が7時50分。空港行きのリムジンバスの出発時間が5時45分。5時17分発の電車に乗れば余裕を持って間に合う。その電車に乗るためには4時半に起きればいいはずだった。そうすれば9時半には北海道だ。でもどうしてそんなに早い時間に北海道に着かなければならないのか、ぼくは知らなかった。グリコが勝手に決めたのだ。そしてどうして北海道なのかも、ぼくは知らなかった。

起きて、ぼくは旅行の準備をした。近年の旅行ではアダプターが必携の品となっている。こんなことはちいさいころには予想もしなかったことだ。ぼくたちはその土地土地にアダプトする前に、まずはホテルのコンセントを探し出し、アダプターを差し込み、それぞれの電力の補填を滞りなく済まさねばならない。いくつかの電子機器の電力を保持し続けることが良くも悪くも新たに我々の旅に課せられた命題のひとつなのだ。

というわけで三つのアダプター(携帯電話、デジカメ、パソコン)をバックに入れ(どうしてあの手のものは等しく黒いのだろう。何本もの絡み合うコードがほんとにまぎらわしい)、その代わりにいったん入れた長袖のTシャツを取り出した。寒かったときのためのマフラーとカーディガンを入れると、ふだん使っているバックはいっぱいだ。だがそれでもこんな軽い荷物で、飛行機に乗る、ということが、旅行のイメージと結びつかない。別にバングラデシュに行くわけじゃないのだけれど。

どこかにあらたまって外出するときの、なにか忘れものをしてるっぽい感を抱えたまま、ぼくたちは予定通りの電車に乗る。そしてあっというまに思い当たる。旅行会社から送られてきた何枚かの割引チケットを置き忘れてきたことに。でもそれで「なにか忘れものをしてるっぽい感」は消えてくれる。実際に忘れものをしたことで。

ホテルのロビーにあるふかふかのソファでリムジンバスの出発時間を待つ。早くも飾られてあるクリスマスツリーをちらちらとしか眺めることができないのは、その手前のソファで盛大なキスシーンが繰り広げられているからだ。

グリコはクリスマスツリーの写真を撮ることに気を取られるあまり、まるで、その大胆かつ非常識極まりない中年カップルの見苦しくも赤裸々なシーンを特ダネとしてフィルムに収めようとするパパラッチみたいだ。ぼくたちの旅は聖夜を彩るためのツリーと、性夜に遅れた中年カップルに見守られる形での出発を余儀なくされ、そのことの意味を過剰に読み取ろうとする余力などそのときのぼくには微塵もなかったのがむしろ悔やまれるくらいだった。

バスは予定を上回る順調さで空港にたどり着き、ぼくたちは時間をもてあまし気味だった。朝食を食べておこう、という名目でぼくたちは空港内を歩き回った。空港すら初体験だったぼくには、空港という施設は洗練されているにもかかわらず、それを利用する人たちの大半はおよそ洗練されているとはいいがたい、自分も含めて、とおもわずにはいられなかった。なんというか、そこは東京であるにもかかわらず、どこか地方都市の一画のようだった。というとまるで地方をバカにしているみたいだが、そうではなく、懐かしい感じがしたのだ。昭和40年代の日本に戻ったみたいな。空港という場所で、ぼくたちは日常を脱ぎ捨てて本質をさらけ出してしまうものなのかもしれない。そうしないと、重みで飛行機が飛ばないのだ、とでもいうように。といいたいくらい、紋切り型の「日本」がそこでは感じられた。あの、海外でカメラを首から提げていたら、それは日本人だ、といわれていた時代の日本人。

ぼくたちはなぜかどこの飲食店に入るかを決められず終いで、結局、売店で2種類のベーグルを買いベンチに座って半分ずつ食べた。どうしてなのか理解できないのだが、空港のどこにも自動販売機が存在せず、そのおかげで、ベーグルというものは液体抜きで飲みこむには骨が折れる分子構造であることをぼくたちは発見することができた。ヌクレオチド。という単語が思い浮かんだが、たぶんあんまり関係ないとおもう。

そんなわけで、ぼくたちの喉付近にはぜひとも液体による洗礼が必要だった。物理的にではなく、気分的に。そしてとても見晴らしがいい、と謳われているレストランに入りコーヒーを飲むことにする。その店からは飛行機が見えた。飛行機はなんだかぱっと見、魚みたいだった。で、「おはよー」「ういーっす」「昨日飲み過ぎちゃったよ」という感じでのろのろとどこかから集まってきては、目の前で次々に飛んでいった。ぼくはその一挙手一投足にいちいち感動した(いま、こう書いているいまでは、あの、飛行機が飛ぶ、ということをもはや信じられなくなっている)。

で、いよいよぼくの乗る飛行機が飛ぶ番がやって来る。いやあすごかった。そのことはもう書いたんだった。というわけで飛ぶ前のことを書くけれど、あの、金属探知器に引っかかりました。お約束のように。あれって、初心者に対する洗礼なんですよね?ね?じゃあ靴脱いでください、とまでいわれ靴を脱ぎ、ボディチェックまでされてしまいました。すごい屈辱的。あの、トレーに載せられたぼくのアディダスといったら!まあどう考えても100円ショップで買ったベルトのせいに違いないのですが、「え、ベルトも取るんですか?」というぼくの質問をまったく請け負わず、係官の人はまったくにこりともせず白い手袋をはめてぼくの腰付近をまさぐるのでした。実は自分は誰かの陰謀で大量のヘロインを靴底に隠しているのではないか、と訝られるほどの係官のマジっぷりにはいくら仕事とはいえ恐れ入りました。うん。

というわけで北海道に着き、小樽へ行き、チェックインの時間前にホテルに荷物を預けに行ったら部屋に通され、それから鮨を食べに行き、小樽文学館に行き、運河沿いを歩き、小樽運河工藝館でガラスのコップを作り、地ビールを買ってホテルにとりあえず帰りビールを飲んでいたら疲れてそのまま眠ってしまい、なんと北海道の一泊目は夕食抜きという結果に陥ってしまったのでした。

2004, 11, 14, Sunday

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