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博士/ブラフマン

2004,05,15,Saturday

10時起床。ものすごく天気がいい。『新潮7月号』掲載の小川洋子『博士の愛した数式』をあらためて読み始める。こないだは途中で挫折してしまったのだった。一気に読んで、次は『群像1月号』の『ブラフマンの埋葬』(上)。これも一気に読み、『群像2月号』の(下)も続けて読んだ。小川洋子は前に何冊か読んだことがあったはずだが、これほどファンタジー色が強いという印象は持っていなかった。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」パートのような世界観といったらいいか。そして小川洋子の小説を読むことは、どこか墓参りを思わせるところがある。

『ブラフマンの埋葬』では固有名が作品から丁寧に払拭されており、唯一の固有名ともいえる「ブラフマン」と名付けられた動物は、どんな種類の動物なのか特定できないようになっている。つまり、固有名は一般名を想起させないし、一般名は固有名を想起させない。そして、読者にはあらかじめ『ブラフマンの埋葬』というタイトルが与えられている。したがって読者の興味は「ブラフマン」が「いつ、どのようにして埋葬されるのか」の一点に、いわばスキャンダラスな視線でもって集中するだろう。そのような読みの持続する時間の中においては、ほんの些細で取るに足らない日常的な出来事でさえ、どこか不穏な空気を帯びてくる。『ブラフマンの埋葬』では、そのような死への予感が冒頭から終わりまでを一貫して支配する。具体的にいえば、「自動車」という単語が出現しただけで、もしかしたら車に轢かれるのではないか、という連想が働く、というような意味だ(ぼくは実際そのように感じた)。そのことは『博士の愛した数式』においては、「博士の記憶がいつなくなってしまうのか」ということに対応しているだろう。はじめきっちりと80分持続していた記憶が終盤にかけて不安定になっていく、というような場面。そのような不安感が持続すると同時に、なにもかもが親しきものの死(文字通りの死である必要はない。記憶が共有されなくなるという事態も含む)へと収斂するとき、ひとつひとつのエピソードは、たちまち美しい闘病記録のようなものとしての側面をも見せ始める。闘病記録を書くことは残されたものの義務である、とでもいうようなテーゼに小川洋子は一貫して忠実だ。闘病記録はその対象の死を持って終わらざるを得ない。そこでは、いわば叙述全体が不可逆的に死へと向かっている。だがどこかで叙述全体が反転するかのような印象が生じる。たとえば、小説の終わりに「ブラフマン」が埋葬されることで、小説内から固有名で名指されたものがついに消滅する。それがなにを指すのであれ、そして、あらかじめ予感されたものであるとはいえ、名付けられたものの死にはある哀しみがつきまとうといわざるをえない。にもかかわらず固有名それ自体は決して消滅することはない。というよりもむしろ、死が描かれることで固有名が記憶媒体に刻印されるという事実が生じる、ということがはじめから作者により目指されていたのだと読者に了解されるとき、まるで叙述全体が死者への祝福であるかのように機能し始める。そのような反転は、固有名の想起だけが死を悼むためのただひとつの回路である、という素朴な事実を明らかにするだろう。それは必ずしも固有名でなければならないというわけではない。たとえば、それは「博士」の残した「数式」が書かれた「紙切れ」でも、「江夏豊」の「野球カード」に写った完全数としての背番号「28」でもかまわない。特定の個人と結びついた思い出の品としての「名」や「数式」や「数字」が、われわれを「この世界を去ったもの」の元へと連れて行く(それはつまり、あらゆるものが固有名であり得る、ということを示唆してもいるだろう)。そのとき、小説とは、名付けられたものの死を悼む碑文のようなものだ。したがって小川洋子は碑文家として、あるいは記憶を失ってしまった者の記憶を代補する者として現れる。つまり端的にいえば、小川洋子の小説を読むことは、どこか墓参りを思わせるところがある。

夕方、電源タップを買いに出る。ずっと使っていた電源タップはコードが破れ、中のニクロム線が剥き出しになっており、危険極まりない状態を呈していた。踏切を渡った先にある店に行くつもりで列車の通過するのを待っていると、いつまでたっても踏切が開かない。ひとつ隣の駅で車両がストップしてしまっているのだった。15分ほど待たされる。踏切で待つこと事態には文句はないのだが、いつしてもいい買い物をしようとしているのに、どうしてよりにもよってこのような事態に遭遇してしまうのだろう、という自分に対して運の悪さを呪うような気分に陥ってしまう。

2004, 05, 15, Saturday

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