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仙台三日目

2004,05,04,Tuesday

7時前に起きる。今日は仙台旅行の最終日。シャワーを浴びて髭を剃る。にしても狭いなあこの風呂。史上最高狭い風呂。もちろんユニットバスなのだが、シャワーを浴びてるとしきりのためのシャワーカーテンが身体にくっついてきて気持ち悪い。前日同様、朝食はパン。前回の失敗をふまえて、わが朝食からクリームパンを駆逐することに成功。かと思いきや最後に手に取ったどら焼きがクリーム入りだった……。グリコに笑われる。手早く帰り支度を整え、チェックアウト。といっても鍵を箱の中に返すだけというなんとも合理的なシステム。9時ちょっと過ぎのバスに乗って仙台文学館へ行くつもりだったが、どのバスに乗ればいいのかわからず、結局タクシーに乗る。仙台史上初タクシー。仙台文学館では宮沢賢治展を見学するのが目的。作品の原稿よりも友人や家族に宛てた手紙がおもしろい。声に出していちいち読んだ。二人でけらけら笑いながらだ。でも決して馬鹿にしているわけじゃない。ほとんど畏敬の念に近い。「雨ニモ負ケズ」の書かれた手帳の実物があった。超レアもの、という感じ。高橋源一郎の原稿が載った宮沢賢治展のパンフレットを買い、10円払ってチケットをしおりにしてもらい文学館を後にする。バスで仙台駅へ。予定では石巻へ行くはずだったが、快速列車が来るまでに間があったし、遠いのでなんとなく変更し、急遽、塩竃へ行くことに。本塩釜で下車。なんだか閑散とした駅前。ほとんど観光客の姿も見受けられない。寿司を食べることにする。なんとなくいい感じのお寿司屋さんを発見。店の外に何人か並んでいる人がいたので、これはおいしいのかもしれないとミーハー丸出しで列の後ろにつく。並んでいるあいだ、会計を済ます人たちに対して耳を澄ましていると2万7千円です。とか1万5千円です。とかいってるのでちょっとびびる。ほどなくして店内へ。瓶ビールに、にぎり。それと生ガキ。食後のシャーベットまで、全部がおいしかったです。さすが港町。もうすっかり塩竃気分を満喫だったが、せっかくなので塩竃神社を参拝することに。7時の新幹線まではまだ5時間もある。資料館に入る。入口には巨大な捕鯨砲がいくつも飾ってある。こんなんで鯨を捕ってたんだね。館内にはいろんな種類の刀とか、なんだっけな、動物の剥製とか、岩塩とかが展示され、そのどれもが時の洗礼を受けて、いささか古ぼけて見えた。こんなとこ誰が見に来るんだろうか、とまではいわないが。そして展望台にのぼる。誰もいない。廃校になった学校の屋上みたいなその展望台からは、遊覧船から見えた火力発電所の三本の煙突が、やや角度を変えて並んでいるのが見えた。松島も見えた。晴れてたら。とはもう思わなくなっていた。この三日間、空はほとんど曇り続け、そういう気候の土地なのだと思うようになっていた。茶屋で団子を食べて休憩した後、ちょっと港の方まで歩いてみようということになる。観光地のおみやげや的な建物にはこれまた展望台があり、のぼってみる。寒い。晴れてたら。とはもう思わなくなっていたといったが、きっと晴れてたらもっと遠くまで見えたことと思う。曇りでも遠くまで見えるのだから。ここからも遊覧船から見えた火力発電所の三本の煙突が、さらに角度を変えて並んで見えた。さっきの塩竃神社の資料館の展望台を探したが、どこだかわからなかった。展望台から展望台を見ることはできない。もっとほかに見るものがあるからだ。そんなこんなで、だらだらとぶらぶらして船がたくさん浮かぶ海を眺めつつ駅へ向かい仙台へ。帰りの仙石線の乗務員は女の子で、どうして女の子の駅員さんのする車内放送はどの子も似ているのだろう、と考えたりする。そしてみんな若い。あ、若いのは、採用されるようになったのが最近だからですね。きっと。んで仙台駅へ。ああやっぱりここは町田だ。やっと空が晴れてきた。おみやげを買う前に再度ジュンク堂へ。別に帰ってからでもいいのだが、まあ時間潰しというやつだ。グリコは「もう、家に帰ろう」(だったか)という写真集を買っていた。ここで買わなくてもいいじゃん、と思うが、口には出さない。本人が買いたいときに買えばいいからだ。さて、駅弁を買って新幹線で食べるという手もあったのだが、どうせなら、というわけで再び「伊達の牛たん」へ。初めて並ばずに入れた。というか食べ過ぎ。牛タンを食べに仙台に来たとはいえ、4回は食べ過ぎ。でもこの牛タンと麦飯とお新香とテールスープの組み合わせの完成度の高さったらない。食べている途中で店員さんがなぜかぼくたちの席のところの窓だけを覆っていた日よけを上げた。さあ見てください、これがわたしたちの仙台です、とでもいわんばかりに突然。そうしたらすごくきれいな空が見えた。一瞬、牛タンを食べる手が止まってしまうほどだった。それまで、ぼくはそこに窓があることさえ気づかなかったが、日よけの向こう側にはこれから晴れてゆこうとしている空があった。そして、いつでもすべての窓の外には空があり、晴れたり曇ったりしているのだと思った。そう、それは仙石線の中で女子高生を見たときに感じたことと、だいたいにおいて似通っていた。うまく言葉にできるかな。ただの女子高生好き、というだけのことかもしれないが。どこか自分の知らないところで、一生懸命通学し部活をしおしゃれをしおしゃべりをし恋愛し帰宅したりしている女の子たちがいるということを目の当たりにすると、思いのほか、勇気づけられる思いがする。というか、嬉しい。という感じがする。これはどういうことなのだろうな。別に女子高生じゃなくったってかまわないのかもしれないが、生きることの困難さを抱えている代表として、きっとぼくの中には「女子高生」というものがあるのだと思う。そして目の前にいる女の子だってきっとあの「女子高生」たちと同じで、というかかつて「女子高生」であった女の子として、一生懸命生きているわけで、そのことを忘れてはならないな、と肝に銘じるのだった。というわけで、この旅のあいだずっと空が曇っていたことが、なぜか最後に教訓めいたものをもたらし、何枚もの牛タンはぼくの胃をもたらした。牛に呪われてしまいそうだ。コインロッカーから荷物を取り出し、さんざん悩んだあげくおみやげを買い、3本ビールを買って新幹線に乗り込む。そこから東京はあっというまだ。一歩も歩かずにたどり着く。なんて速いんだろうな新幹線は。ちょっと速すぎるんじゃないだろうか。歩いて松島に行った松尾芭蕉はどんくらいかかったんだろう。夜の新幹線の窓からは、ほとんどなにも見えなかった。

遠足なら、いっしょに遠くに行った友だちと最後の最後で別れなきゃなんないが、旅行から帰った後も、いっしょに旅行にいった人間といっしょにいるのはなんだか変な感じがする。いや、そんなことないか。気のせいか。グリが二カ所に吐いていた。そしてまたもや隣の部屋から悲鳴のような声が。ブロス登場。グリが近くにいないのに窓ガラスに体当たりしやがる。なんだろう。友だちになりたいのかな、とちょっと思ったりした。12時前に倒れるように眠る。

2004, 05, 04, Tuesday

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