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特別な本屋

2004,07,26,Monday

潰れた青山ブックセンターに行ってきた。正確にいえば、あの途中でいったん途切れるエスカレータを下り、店の前に貼られた閉店のお知らせを見てきた。ぼくにとってこの本屋は特別な本屋だった。それは置いてある本がほかの書店と違うとか、だからここでしか買えない本があったとかいうことではなく、ただ単に立地条件の問題だ。あの奇妙に奥まった場所の、地下へと下りてゆく行為が、なにか儀式のように作用していたように思う。現実から隔離されたような一画で、いつでもあの本屋は静寂に包まれていたような印象がある。だからほかの本屋に売っているのと同じ本でも、まるで違う本のように見えた。そこにしか売っていないように感じられた。たとえばジュンク堂やリブロや紀伊國屋やブックファーストでそういう風に感じたことはないし、新宿ルミネ店でも感じたことはないから、青山ブックセンターの青山店が、やはり特別な本屋だったのだ。そしてぼくはあの店で本を一冊でも買ったことがあっただろうか。不思議とあまり買ったという記憶がない。いや、平積みされていた阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』をジャケ買いしたのはここだったかもしれない。大竹伸朗の画集を買ったのもここだったかもしれない。だが、訪れた頻度に較べて、あまりにも買った本の数が少なかったことは間違いがない。なぜなら、ぼくはいつもこの本屋で本を選ぶことができなかったからだ。欲しい本が見つかりすぎて、散々悩んだ挙げ句、結局、一冊も買わずに帰るということが圧倒的に多かった。そう、この本屋はなにか買いたい本が決まっているときに行く本屋ではなかった。新しい領域に一歩踏み出したいような気分のときに、偶然の出会いを求めて訪れる本屋だった。そしてそのような場所では本を買う必要さえなかったのかもしれない。そこに新しい世界が確かに広がっているのだと感じられるだけでよかったのだ。地面の下のひっそりとした場所に、新しい世界への秘密の通路が開かれているのだ、と。もちろんぼくはただ夢を見ていただけなのかもしれない。ありもしない新しい世界を頭の中に作り上げていただけかもしれない。でもその場所はそのように機能していたし、ぼくにとってはそういう場所が必要な季節だったのだ。ということを今日ひさしぶりに思い出した。ぼくがこの本屋を最後に訪れたのは確かバロウズが死んだ年で、それはもう7年も前のことなのだ。

2004, 07, 26, Monday

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