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人類の知性の総体

2004,10,10,Sunday

デリダが死んでしまった。ドゥルーズが死んだとき、そしてサイードが死んだときにも感じたことだけれど、人類の知性の総体ががくんと減少してしまった感があり、不安に駆られさえする。こんなことでこれから世界は大丈夫なのだろうか、というような。多少大げさで誇張された気分ではあるにせよ、哲学者や文学者は、世界が暴力的に間違った方向に突き進んでしまうことを避けるための最後の防波堤のように機能しているわけで、少なくともぼくにとってはそのように機能しているわけなので、すごく、なんというか心細いような気持ちだ。ぼくはデリダが死んだのがいちばんショックだ。頼りになる父親が死んでしまったような気分だ。フーコーが死んだときにはぼくはまだ小学生だったので、フーコーなんて名前も知らなかったけれど、こうして偉大な思想家を次々と失っていかざるを得ない状況というのは、象徴的なレベルで、世界がどんどん悪くなっていっているような印象を受ける。もちろん、彼らは自殺したり、白血病になったり、エイズになったり、癌になったりして死んでいったわけだが、炭坑のカナリアがばたばたと倒れていく、みたいな気がしてしょうがない。

ぼくは何年にも渡ってデリダの著作を古本屋で探し求めてきた。哲学書は高いので、新品で買えなかったからだ。『声と現象』を1000円で見つけたときは、目を疑うほど驚いた。何度も頭で思い描いていたものが目の前の手に取れるところに出現したからだ。はっきりいってデリダの文章は難解極まりなく、ぼくにはジャック・デリダのジの字も理解できていないに違いないけれど、精一杯背伸びをして読む本という範疇にあるものとして、そして死ぬまでに少しずつ読んでいきたい哲学者として、デリダはぼくの中で不動の位置を占めていた。救いなのは、その人が死んでからもぼくたちはその人の書いたものを読めるということだ。そう考えると、本というものが途端になにか不思議なものにおもえてくる気がする。これで、これまで訳されていなかった本がどんどん訳されることになれば嬉しい。ご冥福をお祈りします。

2004, 10, 10, Sunday

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