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そこにはいつものように「なにか」が

2005,01,29,Saturday

朝の8時までひとりで飲んでいた。最近はめっきり酒量が増えている。といっても可愛いものだ。円に換算したらそれはたぶん千円すら超えていないはずだ。少なくとも二千円はいってない。一日たかだか千円のアルコールで人はアル中になれるものなのだろうか。なによりぼくは貧乏性なのだ。

深夜から明け方にかけて灯りを消した部屋で、読書用の小さなライトだけで、ひっそりと『ねじまき鳥クロニクル』を読み終えた。たぶんこの小説をすべて通して読んだのは卒論以来だ。最後の「208号室」での戦いの後、「笠原メイ」が月明かりの中でどういうわけか裸になるところで思わず涙がこぼれた。なるほど、とぼくは思った。きっとこの場面はそういう効果をもたらすものとして書かれていたのだ。4年前、ぼくはそんなところで泣かなかったと思う。今回ぼくはものすごくこの小説に感動したといっていい。酔っぱらっていた、ということもあるかもしれないけれど。こんなに良かったっけ?というのが率直な印象だ。

『ねじまき鳥クロニクル』は村上春樹の中でいちばん長い小説である、という事実以上に、ぼくにとっては読み返す気の起きない小説である。5年に一回くらいしか読み返す気がしない。なんというか、心理的に。特に第三部がそうなのだ。ちょっとやそっとでは近寄りがたい存在なのだ。気合いを入れなければとても読み通すことができないのだ。でもぼくはきっとこの先の人生において、何度もこの小説を読み返すことだろうと思う。

それからぼくは眠りにつき、昼の3時に起きた。ほどなくして実家へ帰る。立川で途中下車し、高島屋で北海道物産展をやっているということなので寄ってみる。つい先日「松本伸介」で取り上げられていた「ドゥーブル・フロマージュ」は残念ながら売り切れだった。が、スープカレーを食べる。きっと近いうちにもっと日常的に食べられるようになるとは思うのだけれど、早いところスープカレーが東京でも日常的に食べられるようになって欲しいものです。それともぼくの知らないところではもう日常的に食べられるようになっているのかもしれないけど、そこのところどうなのでしょう。

夜の8時過ぎになってみんなが集まりはじめる。いまは京都の某Kジマ電気で働いているSさんが東京に帰ってきているので、その彼を囲む会、というわけでもないのだけれど、総勢7人で鍋を囲むことになった。ぼくとしてはNくんと会ったのがほぼ1年ぶりでいちばんひさしぶりだったのだけれど、そのNくんとTくんにいたっては高校卒業以来はじめて顔を合わせるということだった。信じがたいことにそれはほとんど10年ぶりなのだ(これを書いているいま、かなり酔っているので正確な月日を計算できないことをお詫びします)。ちなみに現在唯一の既婚者であるTくんは、実家が隣町であったにもかかわらずぼくの家にやってくるのは初めてで、時の流れというものは何とも不思議な場所に人々を運んでゆくものだなあとつくづくぼくは感慨深い思いにとらわれずにはいられなかった。高校2年、3年と同じクラスだったのだけれどTくんはぼくの家に来たことはなかった。でも高校を卒業して10年経ってからTくんはぼくの家にやって来たのだ。そしてぼくの家の台所で鍋のための野菜を包丁で切ったりしているのだ。

もし家というものがどれだけたくさんの人をそこに招き入れたのか、という尺度でその善し悪しが計られるのだとしたら、ぼくの実家はかなりいい線をいっているはずだ、とぼくは酔った頭で考えた。考えてみたら、ぼくの家にはほとんどいつでも家族以外の人間がいた。一時期、というよりも長いあいだ、ぼくの家は極めて都合のいい溜まり場で、それこそたくさんの人たちがやって来ては去っていった。友達の友達や、友達の兄弟や恋人、友達の友達の友達、そのほかよくわからない人たちまでぼくの家に泊まっていったりした。ぼくは自分でも不思議なくらい、そういうのに向いている人間であるようだった。普段はとてもそんな人間ではないのだけれど、一度酔っぱらってしまうと、ぼくには限りなく歓待の精神が宿るようだった。ぼくはたぶん彼らが気を遣って欲しくない以上には気を遣わない人間だった。ぼくはもう二度と会うことはない人たちと不思議な因縁で巡り会い、いっしょに酒を飲み、彼らが眠りにつくのを確かめてから、朝になると彼らを送り出した。「またね」といってまぶしい朝の光の中に送り出した。彼らの多くはもう二度とその姿を現すことはなかった。彼らはいったいいまどこでどうしているのだろう。そう思うとぼくは不思議な気持ちになる。とても不思議な気持ちになる。彼らはいまでもここにいてもいいはずだった。でもここにはもう二度と戻って来ることはないのだ。

そういう意味では、ぼくにとって、何度も会えることが近い将来において一応は確定している人たち、というのはとても貴重な存在だ。ぼくは恐いのだ。いつその人に会えなくなってしまうのか、ぼくには決めることができないからだ。この世界では誰が誰にいつ会えなくなってしまうのか、わかったものではないのだ。ぼくは何度もそういうのを経験してきたのだ。

飲み会の場は、よく煮えたことを示す水蒸気が鍋のふたに開けられた小さな穴から吹き出すように、どう考えても親密な空気を部屋中に醸しだしていて、それは酔った頭の醸し出すぼくだけの錯覚なのかもしれなかったけれど、我々の人生の目的とはもしかしたらこういう場をところどころで設けることなのかもしれない、と思えるほど、そこには親密な空気が醸し出されていた。ぼくはなんというか密かに感動してしまっていて、いつもよりことば少なだったかもしれない。ぼくは年を重ねるにつれて段々ことば少なになっていくような気がする。そういう意味ではぼくは、ぼくが望む以上のものをすでに偶然手に入れていて、いつになったらこの恩返しをみんなに対してできるのだろうと不安になるくらいなのだ。Nくんはアイスクリームの詰め合わせを買ってきてくれた。Tくんは世界各国のビールを持ってきてくれた。ぼくとYくんは世界各国のビールを順番に飲み比べて批評してみた。これはジンジャーエール、これは駄菓子、これはワインというように。外国のビールは総じて甘いのが多かった。中にはなかなか美味しいのもあったし、もう二度と飲みたくはないものもあった。そしてアルコール度数の高いものが多かった。ぼくは顔の筋肉がおかしくなるくらい笑い転げた。これが高校に3年間通って得ることができたものなのだとしたら、それは十分に余りあるものだという気がした。

そしてやがて日付が変わる少し前、Tくんの奥さんがTくんを迎えに来て、YくんとYくんの恋人のKちゃんはTくんの奥さんの運転する車で最寄りの駅まで送ってもらい三鷹へと帰っていき、部屋にはぼくとNくんと京都から来たSさんとYくんが残されることになった。ぼくはそこでも感動してしまった。Tくんの奥さんはSさんの中学の後輩で、ふたりは面識はなかったが、とにかくそういう事実が浮き彫りになったり、一度も行ったことのない場所にカーナビの力を借りてではあるにせよ、酔っぱらった夫を車で迎えに来る女の子、というのにぼくは感動してしまった。ぼくたちは帰る人たちを見送り、帰らない人たちでまたぼくの家に戻った。

Yくんはいつも通りソファの上で眠りはじめ、その日スノボに行って帰ってきた(YくんとSさんとHくんとKちゃんはスノボ帰りだったのだ)ときの運転手であるSさんも眠りにつき(なんとSさんはこの二日で日本国内を1000キロ近く運転していた)、Nくんはそれを確認すると安心したように帰って行った。そしてぼくは自分の部屋に行って眠りについた。亀が蟻のように地面に繁栄している世界の夢を見た。ぼくが寝ているあいだにYくんとSさんはそれぞれの家に帰っていったようだった。そのようにしてぼくたちの飲み会は終わった。

ぼくは昼過ぎに目覚め、みんなで過ごした部屋を一通り片づけた。そこにはいつものように「なにか」が残っていた。その「なにか」のことを、ぼくは誰にも教えるつもりはない。それはみんなが帰った後、必ずそこに残るものであり、これはみんなが集まる部屋を提供するものの特権だといっていいだろう。ぼくはいつもみんなが帰った後でその「なにか」を回収した。そしてそれを子細に眺め、ポケットの中にしまうのだ。

2005, 01, 29, Saturday

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