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光について

2005 12,17,Saturday

いま、この世界のどこかではたくさんの雪が降っている。この日本のどこかで。この地球のどこかで。この宇宙のどこかで。部屋の中でじっとしていると、そういう雰囲気がする。どこかで雪が降っていてもおかしくはない、といった気配のようなもの。そういう空気がそこはかとなく漂っているような気がする。というよりも、おそらく、ニュースでやっているのをわたしは見たのだ。雪が降っている地方のことを知らせるニュースを。

たとえばニューヨーク。ニューヨークでは雪が降っている、とニュースでやっていた。本当かな。わたしはニューヨークが存在することをうまく考えられない。そこにいま、友人が住んでいる。でもうまく考えられない。

そして日本の、日本海側の地域にも、たくさんのたくさんの雪が降っているそうだ。

わたしは一度だけ日本海に行ったことがある。真冬だった。たどり着くまでに雪のせいで死にかけたのだった。わたしたちは砂浜でサッカーをした。寒くて爪先が砕けそうだった。早朝で、世界の果てみたいに閑散としていた。

いま、わたしの部屋の窓から雪は見えない。わたしの部屋の窓から見えるのは、わたしが午前中に干した洗濯物である。いまは午後9時だ。そうだ、早く取りこまなくちゃいけない。その向こうには教会が見える。一昨日あたりから、クリスマスツリーが飾り付けられた。そのもっと向こうには大学がある。キリスト教系の大学だ。しばらく前から巨大なツリーが二本立っている。キラキラと電飾が眩しい。きっと、あの電飾を消すという仕事をして家路につく人間がいるのだろうとわたしは想像している。もしわたしがそういう仕事に就いたとしたら、ということを最近はよく考えている。

そのもっともっと向こうには、むすうのひかり輝くツリーたちが立っているはずだ。光のつぼみを膨らませて、それらはまるで夜のあいだだけ咲く花のようだ。

わたしはこの部屋に住むようになってから、光についてよく考えるようになった。本当のことをいえば、昔から光について考えることをわたしはしてきたように思う。どうしてだろうな。それはもしかしたら、わたしの視力が2.0であることと関係があるかもしれない。

diary 2005,12,17,Saturday
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あと5分で

2005 12,12,Monday

夜遅くに、初めて弟が部屋にやって来た。友だちといっしょに。「今ドライブで近くにいるけど行ってもいい?弟」と突然メールで聞いてきた。わたしは「いいよ」と返事をした。それから、わたしはただ待っていたのだけれど、「いったいどうやって来るのかな」とずっと考えていた。いくらたっても場所を訊ねてこないのだ。わたしは、いまどこらへんにいるのかと聞いてみた。そうしたら「あと5分で着く」という返事が返ってくるのだ。いったいあと5分でどこに着くのだろう、とわたしは思ったけれど、とにかく待っていた。すると今度は電話がかかってきて、近くのコンビニに着いたという。どうしてわかったのか不思議だったけれど、わたしはかれらを迎えに下まで降りていった。朝起きたら散らかっていたはずの部屋がすっかり片づいていた、とでもいうような、なんだか騙された気分だった。

弟はもうマンションの前にいた。わたしにビールを買ってきてくれた。それでコンビニに寄っていたのだ。どうして場所がわかったのかと聞いてみると、なんのことはない、どうやら前にわたしが教えたらしかった。わたしは自分が弟に引っ越し先を教えたことをすっかり忘れていた。それにしても記憶力がいいなとわたしは思った。それに勘もいい。かれはマンションの名前まで覚えていて、わたしは妙な気分だった。なんだか当たり前のような顔をしてあまりにもスムーズにやって来たからだ。

弟の友だちは猫アレルギーだった。部屋に猫がいることを知ったとたん、友だちは玄関に引き返してしまい、そこから一歩も動こうとしないのだ。弟が「大丈夫だって!」と説得しても、「それだったら先に帰る」などと弱々しくいっている。その姿はなんだか可笑しかったけれど、本人にとっては一大事である。よほどの猫アレルギーなのだ。わたしはグリを押し入れに隠した。部屋が安全になったことを告げると、おそるおそる友だちは部屋に入ってきた。グリが押し入れを開けようともがいている音が聞こえてきて、わたしはひやひやしながら、もらったビールをさっそくひとりで飲みはじめた。かれらはベランダに出て夜景を見ていた。わたしは夜景がよく見える部屋に住んで、本当によかったと思った。

弟が「猫を見たい」というので、今度は友だちを台所に閉じ込めて、その代わりにグリを押し入れから出した。友だちを押し入れに閉じ込めるわけにはいかない。グリは弟の匂いを嗅ぎまわり、手の甲をしきりになめていた。初めて会う弟の前では借りてきた猫のように大人しいのだった。真っ黒だね、と弟はいっていた。肉球も黒いんだよ、とわたしは教えてあげた。

弟の性格からすると、きっとすぐに帰って行くだろう、とわたしは踏んでいた。すると案の定、かれらは長居をせず、20分かそこらで帰って行った。次になにかすることがあるのだ。弟は「また来るよ」といって靴を履いた。わたしはちょっと待って、といってカメラを取りに行った。玄関にふたりを並べて写真を撮った。「写真嫌いなんだよ」といいながら、「フラッシュ焚いた方がいいんじゃないの?」などといって、しっかり写真におさまろうとするのだった。

diary 2005,12,12,Monday
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かれらはいったいどこへ

2005 12,10,Saturday

朝、といっても昼過ぎのこと。玄関のチャイムが鳴って目が覚めた。今日は土曜日である。こんな時間にだれかな、とわたしは飛び起きる。飛び起きないわけにはいかない。誰かがわたしの耳の穴へ向けてさっと槍でも投げたみたいなのだ。槍はわたしの耳元で火の輪くぐりをするサーカスのライオンに変わる。右耳から左耳へ。そう、チャイムの音はどこか黄色味を帯びているような気がする。あまりにもびっくりしすぎるせいで、鳴った瞬間にはもう立ち上がってしまっているほどである。そうなのだ。寝ぼけていて頭が働かなかったのだけれど、今日、なにか荷物が届く予定があるわけではなかった。だとすれば、こんな時間にやって来るのはただひとつの人種しかいない。それは新聞の勧誘員である。わたしは不用意にドアを開けてしまった。

ドアの外には初老の男が立っていた。男はいきなり「どうすれば若い人たちが新聞を取ってくれるのか、私に教えてくれませんか」といった。わたしは、それが新聞の新たな勧誘手段であるなどとは思いもせず、真剣に、玄関先で、どうすれば若い人たちが新聞を取るようになるのだろうかと考えてしまった。よほど寝ぼけていたのだろうと思う。でもあえて他人に向かって発表するような妙案は思い浮かばなかった。寝ぼけていたし、なにがなんだかよくわからなかったのだ。確かに新聞は高いです、とその初老の男はいっていた。わたしの印象に残ったのはその部分だけだった。つまり、男は、これから売り込もうとしている商品を自分で「確かに高い」などといっていて、そんなものはふつうに考えたら売れるわけがないのではないだろうか、とわたしは思わざるをえなかった。なんだか買う価値がないように聞こえてしまうではないか。だからあなたが勧誘をやめるべきです、とわたしはいうべきだったのかもしれない。あんな泣き落としをするなんて気持ち悪い、とグリコはいっていた。なるほどな、とわたしは思う。あれも勧誘手段の一種なのだ。途中で顔を出したグリコの助けがなければ、わたしはきっと新聞を取るはめになったか、ほとんどその一歩手前まではいったのではないだろうかと思う。

さて、わたしたちはその新聞屋のおかげでぱっちりと目を覚ますことができた。いささか不愉快にではあったけれど、ぱっと布団から出ることができた。その点についてはかれに感謝しなければならないだろう。わたしたちは身支度を調え、昼食を食べに外へ出た。アメリカのロックンローラーの名前を冠した店だった。それから腕時計の電池を交換し、何本かの酒を買い、一度、部屋へ戻って一休みし、それからカーテンを買いに行った。デパートの地下でハンバーグを作るための食料品を買った。合い挽きの挽肉。パン粉。ナツメグ。デパートの地下食料品売り場にはそれこそ何十種類ものスパイスが揃っていて、いくら探してもナツメグが見つからず、店員に聞いてもすぐには見つからなかった。わたしたちはみんなでナツメグを探した。結局、ナツメグを発見したのはわたしだった。

外はもうすっかり陽が落ちて寒かった。なにしろ12月も半ば近くなのだ。さっき出かけたときには平気だったのに、秋とほとんど変わらない服装をしていたわたしには限界に近かった。いつもはホームレスが休憩しているちょっとした空間は、クリスマスの飾り付けで煌々と明るかった。だからなのだろうか、ホームレスたちはどこかへ行ってしまったようだった。鳩もいなかった。かれらはいったいどこへ消えてしまうのだろうとわたしは思った。

そこで自転車に乗ったさっきの新聞屋とすれ違った。昼ごろわたしたちの部屋にやってきた新聞屋だ。あれ?どこかで見たことがあるな、と思って、すぐにそうだとわかった。かれは小さな紙切れに書かれたメモ(おそらくは住所なのだろう)を見ながら自転車を漕いでいた。こんな時間まで新聞の勧誘をしているのだ、とわたしは思った。なんとなく、かれはその日、一件も契約を取れていないような気がした。どことなくそういう風に見えたのだ。そしてそう考えると新聞というものはいったいどうやって作っているのだろうと不思議なくらい安いように思えた。けれど、わたしたちは新聞を取るつもりはなかった。それはかれらの努力とはまったく関係がないのだ。

diary 2005,12,10,Saturday
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エレベーター

2005 11,29,Tuesday

午後になってから、わたしはスーパーマーケットで買い物をすませた。買い物袋を下げて、いそいそとエレベーターで部屋に帰る。ちょうど獲物をつかまえたあとで巣に戻る動物みたいだ。1階から11階まで上がる。地上から最上階まで。樹上に住む森の哺乳類のように。

わたしが「11」のボタンを押したとき、女の子が滑り込むようにエレベーターに乗ってきた。ちょっとした小走りで。こどもたちはいつもなにかと急いでいるものなのだ。まだちいさい女の子。小学一年生くらいかな。赤いランドセルを背負っていた。わたしは髭がぼうぼうだったから、女の子が警戒しなければいいのだけれど、と思って緊張した。なるべく動かないように。動いて、彼女を不安がらせないように。スーパーマーケットの袋をがさごそいわせないように。息をするのも慎重にしなければとわたしは自分に言い聞かせた。まるで綿でできたみたいに薄っぺらな宇宙服で船外活動をしているみたいだった。

女の子は「9」のボタンを押してからドアの前に立つと、じっとしたままでいた。つまりわたしの方を決して振り返らなかった。決して振り返るまいと決意しているようにすら見えた。まあそれはわたしの思いこみだろう。それにエレベーターの中で後ろを振り返る人間がそれほど多くいるわけでもない。そう、わたしは最上階の住人なので、いつもかならずエレベーターの箱の奥に陣取ることにしているのだ。壁に背をつけて。「最後の者が最初に。最初の者が最後に」というわけだ。

エレベーターが動き出す。ここのエレベーターは哀れな奴隷たちが地下でロープをひっぱって持ち上げているような具合にガタゴトとのぼってゆく。いよいよわたしたち二人は閉じ込められることになった。だが仕方ない。おたがい、部屋に帰り着くためなのだ。わたしは、自分がちいさな女の子で、後ろにいる髭がぼうぼうの男につむじのあたりをじっくりと見つめられているような気持ちだった。早くエレベーターが9階に着くことだけを願った。そして同時にわたしはわたしなので、いや、そんなに怖がることはないよ、わたしはただ部屋に帰ろうとしている30手前の男なんだ、いっしょに住んでいる恋人だっている、ということも知っているのだ。でもそれを伝えることができない。わたしはそのことについて、ほとんど絶望的な気持ちになってしまった。わたしの中のどこをどれだけ探しても、こういうときにちいさな女の子にかける言葉がひとつも見つからなかった。ひとつもだ。そしてどれだけ言葉を排しても、「わたしたち」はコミュニケートしてしまうものなのだ。狭いエレベーターの中ではそのことがよくわかった。それを誤解だと、だれが証明できるだろう。言葉とは、もしかしたら「わたしたち」が自動的にしてしまうコミュニケーションを訂正するために存在するのかもしれない。

わたしはスーパーマーケットで蜜柑を買ったんだった。蜜柑のオレンジ色が白いビニールの袋に透けているのをわたしは見つけた。それは光り輝く救いのようにも思えた。これを一個、プレゼントすればいいのかな。いやだめだ。そんなことをしては。余計に怪しまれるだけじゃないか、とわたしはすぐに思い直した。知らない人からものをもらってはいけません、と母親からきっと教わっているに違いない。そう、これが言葉だ、とわたしは思った。わたしは女の子の母親の言葉を、この一瞬だけ訂正するために、わたしの言葉である蜜柑をぶつけてみるべきだったかもしれない。つまりこういうことなのだ。もしわたしがちいさな女の子で、エレベーターの中で髭がぼうぼうの男と居合わせることになったとしよう。そして居心地が悪いと感じるとする。あるいは恐怖すら感じるかもしれない。でもその男の下げているビニール袋の中に蜜柑があるのをわたしは見つける。なんだ、とわたしは思うだろう。この人は悪い人ではないな、と。そのエレベーターの中で、そのとき蜜柑はそのような意味を帯びていたのだ。わたしにとっては。

恐怖とはその成分のほとんどが想像力である。あるいは想像力が凝縮され、折りたたまれた結果としての直感とでもいったものであって、そこでは客観的な事実性などといったものは、多くの場合、大して役に立たないものだ。わたしが悪人である・ないに関わらず、かの女は怯えることが可能だ。そしてその恐怖という感情の正当性を、わたし自身がくつがえすことができるのかどうか、ということ。わたしがエレベーターの中で考えたのはそういうことだったと思う。この懐疑はまるまるわたしにも当てはまるだろう。「かの女を怯えさせているかもしれない」というわたしが抱く恐怖は、かの女が怯えている・いないに関わらず、わたしをとことんまで不安にさせる。そういうときのために、わたしたちは言葉を交わすのだ。そしてもしそのとき言葉が見つからなければ、わたしはエレベーターの中で永遠に悪人であり、かの女は永遠に怯えているのである。

ふいにエレベーターが停止した。やあ着いた。これでわたしは女の子ともども髭ぼうぼうの男のプレッシャーから解放される。長い旅だった。これからは空が破れるくらい深呼吸したってかまわないのだ。まるで新しい楽器みたいにスーパーマーケットの袋をがさごそいわせたっていい。女の子はエレベーターのドアが開くと同時に、檻から放たれたけものみたいに外へと飛び出していった。わたしだってきっとそうすることだろう。

ちいさな女の子と入れ替わるようにして、今度は大人の女がエレベーターに乗り込もうとして来た。でも直前で立ち止まった。「これ、下、行きますか?」と女はいった。中国人だった。いや上です、とわたしは答えた。女はエレベーターに乗らなかった。扉がゆっくりと閉まる。エレベーターは再び動き出す。しかし次の階ですぐに止まってしまった。そう、そこが9階なのだった。女の子が降りたのは8階だったのだ。

diary 2005,11,29,Tuesday
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火。火ですよ火。

2005 10,11,Tuesday

大学を卒業してからこっち、波間にたゆたう板きれのごとく、ことの成り行きに身をまかせ放題、運命に身を委ね放題、120分2980円、焼肉+しゃぶしゃぶ、よかったら寿司もあるよー。アイスもねー。+1500円で飲み放題ー。なんつって、こりゃいいや、うん、すごい楽。だってお会計のことを気にしなくていいのだもの。なんてのんびり、自分は、悠長に、リラクシンに、南国風に、ハワイアンに、バイキングにかまえていた結果、どういったわけか、恋人、交際相手、ソウルメイト、現代風にいえばカノジョ?まあ名称はなんでもいいや、の、あろうことか実家に転がり込むことと相なり、なし崩し的に居座った挙げ句、合い鍵を借り受けつつ、何喰わぬ顔をして、だが内心は、ああ。こんなことで自分はいいのであろうか。否。いいわけがない。どこをどう考えても非常識極まりないことであるよなあ。うん。この恥知らず。うんこ。穀潰し。ニート。って、その上、洗濯までしてもらって。このど阿呆。こんこんちき。いまに罰が当たるよ。永らく白米を食えぬ日々が続くよ。この痴れ者め。と自らを戒めるかのごとき予言のことばを日々、自らの内奥に向けて発しつつ、往来ですれ違う人たちにいわれのない苛立ちの視線を投げかけつつ、胃がきりきり痛むのを胃のあたりに感じつつ、って当たり前じゃん、はは。とにかく、いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。と三度唱えるかのごとく逡巡しておったの。そうなの。人生という名の碁盤目上、次の一手をおよそどこに打ったらいいものか、さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。だって自分、碁がわからぬのだもの。白と黒が点滅して。目がちかちかして。って、あんなに小さいころから父親に手ほどきを受けたというのになあ。こんなことなら、もっと真面目に碁を打っておくべきだった。あかんかった。わたしは。自分は。小生は。などと反問、煩悶しつつ、何年だ、おい、4年?5年?とにかくそんくらい、の月日をば、何食わぬ顔をして、というところに戻るけれども、実のところ何食わぬ顔をしてではなかったのだ、ということを世間に向けて自分は暗にいいたい、表明したい、弁解したいのだけれども、暮らしておったわけです。ええ。彼女の実家でね。のうのうとね。黒猫といっしょにね。はは。だがそこにはもちろん、時間の制限というものが設けられてあるのである。いつまでも食べ放題なわけには、これ、いかないのである。

つまり自分、このたび、この秋、引っ越しをいたした。転がり込み、を除けば、生まれてはじめての引っ越し。お引っ越し。転居。ってても、もとより自分には荷物がない。なぜなら自分は、漂流者よろしく、彼女の実家に身ィひとつで転がり込んだも同然なのであって、この4、5年で買い集めたものより他に荷物はないのである。しかもこの4、5年のうちにシャーツを何枚か、それからCDを何十枚か、そして本を、何冊だろう、500冊ほどかなあ、いや、もっとあるかなあ、以外には、なにひとつ、これ、購入いたさなかったのであって、なんたらシンプルライフであることであろうか。フィギュアとか、一個も買ってないんだぜ。そう考えると自分のこの5年という歳月はいったいなんだったのであろうか。なにか意味があったのであろうか。夢、幻のごとき存在なのではないだろうか。という懐疑の念がにわかに浮上し、頭のあたりに、黒雲のようにもたげざるを得ないのであって、自分は、ほんたうに、自分はほんたうに……たしかに生きてきたのであろうか、と。生きているのかしらん、と。

うん。生きてたよ。なんとか。って、そんなことはどうでもいいのであって火。火ですよ火。火を使えるのです。わたくし。四六時中。ガスレンジの火。ほのお。ほむら。これがどれだけ画期的の生活であることか、もしかしたらあなたには、君には、にわかには理解できないかもしれない。火ィなんてそこらにいくらでもあるやないけ。われ。どついたろか。このガキ。なんて。それもいたしかたのないことであろう。なぜなら、およそ人間というものは、その発明発見以来、つねに火を使い詰めで生活してきたからである。肉を焼く。野菜を炒める。米を炊く。味噌汁を温める。追い炊き。などして。そう、だが、わたしは極めて限定的な、局所的の生活を、これ、長年強いられてきたのであって、この5年というもの、ほとんど台所を失ったまま生きてきたのであった。つまり火。火を容易に使わなかったわけ。しかもこの5年のうちに喫煙の習慣をもなくしたわたしのポケットには、もはやライターの入る余地すら残されてはいなかった。わたしは人生からついに炎を追放したのである。

人間が人間であることの証明。他の動物たちと一線を画す部分。それは、まず第一に言語、ことばの体系であると思う。だがたとえば長年猫と暮らしていると、どことなく猫とのあいだに言語的な交流が生まれてくるものであることをわたしは知っている。ああ、腹が減ったのだね。おお、部屋の外に、なんとなく出たいのだな。やや、窓の外に猫がやってきたのだな。ほほう、天袋に登りたいのかきみは。へへ、貴君はトイレに行きたいのであるか。などと、その鳴き声でどことなく理解できるものである。だがついに手紙のやりとり、メール交換、といったことまでには発展しない。つまり文字ですね、文字。これが他の動物にはないのだな。いやだがしかし、足跡、というもの、あるいは匂いの痕跡、というものがあるのであって、これはもしかしたら人間でいえば文字にあたるものなのではないだろうか、と思わないでもない。つまりことばを持ってるのはどうも人間だけじゃないかもしれぬのである。そこで火。あらゆる手を講じて火を発生させ、これを自在に操ることのできる動物は、これ、皆無なのであって、これこそ正に人間の証明。ってんで、つまり自分はこの5年ほどは人間ではなかったのである。そんなわけで、わたくし、ぼうっとしていて指を包丁で切りました。人間の痛。

diary 2005,10,11,Tuesday
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わたしたちのアル・デンテ問題

2005 10,04,Tuesday

パスタを茹でているときに玄関のチャイムが鳴った。あと30秒ほどで火を止めて、トマトソースに絡めるつもりだった。わたしは決して「アル・デンテ至上主義者」というわけではない。でもこのときばかりはわたしと鍋の中のパスタたちの運の悪さを呪わずにはいられなかった。かれらのダンスは沸騰する水の中で、いま正に最高潮に達しようとしていたのだ。一瞬、迷った末にわたしはガスの火を止めて、玄関のドアを開ける。そこには予告通りの小包を抱えた、予告通りの人間が立っていた。わたしはその男の到来を朝から今か今かと待ちわびていたのだ。だが胃の方がついに音を上げてしまった。そこでわたしはわたしの胃のために、男の隙をついて、昼食を作るつもりだったのだ。しかしいつやって来るかわからない男の隙をつく、などということは原理的に不可能な相談なのだった。しかし、なにもこんなときに来なくったっていいじゃないか。わたしはそういってやりたかった。もうちょっと早くても、もうちょっと遅くてもよかったのに。はっきりいって、隙をつかれたのはわたしの方だ。わたしのアル・デンテを、わたしたちのアル・デンテをいったいどうしてくれるのだ。そう男にいってやりたかった。でもなにもいわなかった。男はただ然るべき仕事をこなしただけなのだ。わたしたちのアル・デンテ問題など、かれにとってはラバウルの貝泥棒ほどに瑣末な事柄に過ぎないのだ。わたしはがっかりして受け取りにサインをした。

だが一度、道を踏み外した運命のやつを再びもとの軌道に乗せるのはそう簡単なことではなかった。落としたものを拾うたびに、また別のなにかがポケットから落っこちてしまう。そういう一日だったのだ。

雷撃のごとくスパゲティを食べ終えると(幸いそれほど茹ですぎにはならなかった)、ティッシュペーパーで口元を拭うが早いか、わたしは段ボールの箱を開けた。中にはトマトソースのように赤い箱。さらにその中にはモデムが入っていた。インターネットに接続するためのものだ。わたしはさっそくセットアップを開始することにした。青いコード、黄色いコード、白いコード。然るべき場所に然るべきコードを差しこむ。われながら快調だった。なにも難しいことはなかった。これで「別途送られてきた封書に記されたパスワードを打ち込めば、めでたく開通」というところまでこぎつけた。実にスムーズ。花粉の季節をくぐり抜けた鼻腔のようにスムーズ。ん?封書?とわたしは思った。そんなものは送られてきていない。なにか手違いでもあったのかな。どこをどう探してもそんなものは存在していなかった。そこでわたしははっと気づくことになる。そうか、郵便物は1階のポストに届いているんだな。わたしは急いでエレベーターで1階まで下りた。

ポストの中に封書はなかった。その代わり、一枚の紙切れがあった。そこにはこういう意味のことが書いてあった。「あなた宛の郵便物を配達しに来たが住所が正しいものか疑わしかったので郵便物は預かることにした」と。つまり、わたしの部屋のためのポストにはわたしの名前が記されていなかったため、郵便配達人が念のためにいったん郵便を持ち帰ってしまったようなのだ。どうしてそんなにきっちりした仕事をするのだ。そう思わないでもなかったが、しかたがない。それは郵便配達人の沽券に関わる問題だからだ。わたしがつべこべいうべきことではない。

わたしは急いで部屋に戻り、郵便局に電話をかけた。しかし紙切れで指定されていた電話番号にかけてもつながらなかった。「この時間は業務を行っていない。また明日かけ直せ」というようなアナウンスが流れるのだ。わたしは何度も時計を見た。どう考えてもまだ業務を行っている時間なのだ。わたしはしかたなく、郵便局の別の番号にかけてみた。今度はつながった。わたしはわたしの置かれている状況を話した。するとそれなら別の番号にかけてくれという。でもそれはわたしが最初にかけた番号なのだ。いったいどういうことなんだと混乱しそうになったが、わたしはそのことも説明した。その電話番号にかけたらこれこれこういうアナウンスが流れたのだ、と。そこでやっと担当の人間が出てきて、わたしはまた一から説明することになった。「その郵便物は確かにわたしのものだから配達してください」と。わかりました、と向こうはいった。それではあなたの住んでいる区域の配達時間は明日の午後になります、と向こうはいった。いや、ちょっと待ってください、とわたしはいった。いくらなんでもそんなに待てないと思ったからだ。なにしろもうその郵便物に書かれているはずのパスワードを打ち込むだけなんだから。そこでわたしは自分の方からそちらに取りに行ってもいいのかと訊ねた。OKだった。なにか必要なものはあるのか、とわたしは訊ねた。写真付きの、あなた様の身分を証明するものとはんこを、シャチハタでも結構ですのでご持参ください、いまから来られますか、と向こうはいった。いまから行きます、とわたしは答えた。それではそのようにこちらで手配しておきます、と向こうはいった。電話を切って、わたしは出かける準備をした。

さて、わたしには写真付きの身分証明書もシャチハタもなかった。まあはんこはどこかで買えばいい。身分証明書は、まあなんとかなるだろう。わたしは再びエレベーターで地上に降りた。わたしの郵便物を預かってくれている場所は、電話で聞いたところによるといちばん近くの郵便局ではなくて、少し遠くにある郵便局だったので、わたしは自転車で行くことにした。おお、自転車を買っておいてよかった。わたしの運命はようやくうまく転がりはじめたのかもしれない。でもそんなことを思ったのはほんの束の間のことだった。

自転車置き場にわたしの自転車は存在しなかった。でもなくなったわけではなかった。それはすぐに見つかった。自転車置き場のすぐ外の歩道に出されていたのだった。きっと管理人が余所の者が無断で駐輪したのだと思って外に出したのだ。わたしは自転車を買ったばかりだったので、まだ自転車置き場の手続きをしていなかったのだから、これもまあしかたのないことだ、こっちが悪いんだ。それにしてもなんだかみんなきっちり仕事をしすぎなんじゃないかな、などと思いながら自転車の鍵を外して乗り込もうとしたときだった。わたしはすぐにそのことに気づいて、大きくため息をついた。全身からすべての力が抜け出てゆくような感じだった。自転車の後ろのタイヤの空気が抜かれていたのだった。ただインターネットに接続したいだけなのに、いったいどうしてこんなに遠回りをしなければいけないのかと思って、わたしは涙が出そうだった。なんだかすべてがどうでもよくなって、もう二度とインターネットなどするまい、と心に誓いかけてしまった。でもそういうわけにもいかないのだった。わたしはインターネットに接続しなければならない。わたしは歩いて郵便局を目指した。でもその時点ではまだ郵便局がどこにあるのか、その正確なところをわたしは知らなかった。わたしのポケットには穴が空いているのかもしれなかった。

diary 2005,10,04,Tuesday
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いったいどうしたものか

2005 10,03,Monday

プールに行ったっきり、それから後、なんの音沙汰もなく、なにも書かず更新せず、貴様はいったい何をしておったのだ。9月になり、もう世間はあっというまの10月である。10月といえば神無月。つがいの蜻蛉がぐんぐん空へと飛翔してゆくよ。何組も何組も。続けて。ね。東の空へ。ね。あっちになにがあるのだろうな。わかんねえ。というようなわけなのであって、とにかく、早く更新せよ、とはいわないまでも、なんていうの。ちょっと心配っていうの。どうしてるのかな、なんてたまに。たまに?ふと?思ったりするじゃん。するじゃんか。するじゃんスかー。

なんだろうな、そうだな、これ、この壁紙、ウォールペーパーっていうの、を、日がな一日眺めて暮らしておるよ。ほら、あのヨーグルトの娘。ヨーグルト娘。ジェマ・ワードていったっけ、がね、「INDIVI」って、婦女子の洋服ブランド、ね、これのCM、コマーシャルに出ているのを発見したの。っていうか、この娘、あのヨーグルトの娘に似てない?とおもって日々暮らしておったところ、インターネットで検索すればいいじゃん。ということを思いつき、思いついたまではよかったものの、「あれ、なんだっけ。なんのコマーシャルだったかなぁ。洋服だよね。どこのブランドだったっけ?」と、一向に埒があかぬ。自分はあれがなんのCMであったのかまったく思い出せず、というよりもはじめから記憶すらしておらず、これでは検索もままならない。

いったいどうしたものか、と日がな一日思案しておったところ、ものは試しとばかりに、同居人であり、なおかつ婦女子であるところのグリコさんに恥ずかしながら訊ね聞いてみたところ、「インディヴィ」とひとことおっしゃってくださり、たちどころに自分の疑問は解決。やはり、あのときのヨーグルト娘。と同一人物であるところのジェマちゃんであったのであった。で自分はすぐさま壁紙をダウンロード。

って、なんで、町田康なの。しゃべり口調が。といえば、引っ越しをしたのですね。でもまだ本をちょっとしか運んでないの。とりあえず、町田康の文庫だけを持ってきたので。そういうこと。

diary 2005,10,03,Monday
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ハンバーガーですよ。ハンバーガー。

2005 08,28,Sunday

プールのあとは「昭和記念公園」内にある「みんなの原っぱ」に行って、のんびりしました。へんなオブジェみたいなベンチに座って、ぼんやりとしていました。

見渡す限りの草原。緑。目が良くなりそう。真ん中へんに巨大な木が生えています。前に来たときもいた凧揚げ職人みたいな人がまたいて、おそらくは手製であろうカイトを上げているのを遠くから眺めながら、四つ葉のクローバーを探したりしました。見つからなかったです。

そこから歩いて立川まで行き、居酒屋でひとしきりお酒を飲んあと、最近、ひとり暮らしをはじめたYくんの部屋に遊びに行きました。福生です。福生といえばもう実家が目と鼻の先なのですが、実家には帰りませんでした。Yくんの部屋を訪れた人たちがみんな「快適」ということばを使っていたことが、なるほど、うなずける快適な空間でした。もうすごくいい部屋です。広いし、静かで、なにからなにまできちんとしていて、おまけに庭までついているのです。平屋の貸屋なので庭があるんですね。そこでぼくたちは焼酎を飲みながら、丸のままの桃にかぶりつきました。肴は炙ったイカでいい、ではなくて、焼酎の肴には桃がいい、とYくんがいったからです。ええと。どうですかね。酔っててあまり覚えてないですね。桃。まあ、いつ食べてもおいしいわけですが。桃。それから寝てしまったYくんをおいて、Sさんと庭で花火をしたのですが、それもあまり記憶になく、デジカメに花火の写真が撮ってあったので、ああ花火したんだ、ときづいたくらいでした。

Yくんは自分の布団、Sさんはソファ、ぼくはいつのまにか畳の上で寝ていて、起きたらもう朝でした。お風呂を借りてさっぱりとしたあと、ごはんを食べに国道16号沿いに行きました。これは米軍の横田基地の前を走っている通りです。その通りにはたくさんのお店が並んでいて、ぼくらが行ったのは10時半くらいで、食事できるところがひとつくらいは店を開けているだろうと高を括って出向いたのですが、まったくひとっつも店が開いていませんでした。どうやらこの通りは11時から目覚めるようなのです。でかいハンバーガーを食べようということになって、それならいいお店があると行って向かったのですが、開店は11時半で、まだ30分も待たなければならず、でもそのときにはちらほらと雑貨屋などが店を開けてきていたので、買い物をすることにしました。

買い物って、楽しいですね。ぼくは普段、ほとんど買い物をしないので、いえ、食べ物や本は買いますが、それ以外の買い物をほとんどしないので、なにを買うのか決めていないままでいろいろな商品を見ていく、というのがすごく楽しかったです。

で、ハンバーガーですよ。ハンバーガー。みなさん、ハンバーガー好きですか?ぼくはむかーし基地の中で食べたハンバーガーの味が忘れられなくてですね、あれを超えるハンバーガーにはついぞ出会えてこなかったのですが、このデモデダイナーというお店のハンバーガーはいいですよー。ぼくたちは(3、4人で食べて下さい)と書いてある「タワーハンバーガー」というやつを食べてみました。なんというか、記念に。とてもおいしかったんですが、これ、やっぱり一人分のやつを3つ頼んだ方がいいのではないだろうか、という結論に落ち着きました。まあ話の種に一度は頼んでみるのもいいかも。というような料理です(味は申し分ありません)。

んで、福生駅でYくんとさよならし、泊めてもらったお礼をいい、Sさんと二人で立川まで行きました。そしてプロントで生ビールを飲みました。ちょっとした時間潰しをする必要があったのです。そのあと中央線に乗り、Sさんは新宿で下車、ぼくは野音へZAZENを観に行ったのでした。ZAZENは、なんだか知らないけど、超かっこいい。という感じです。あんまり日本のバンドという気がしませんね。意思の疎通があまりできそうにない感じです。でも超かっこいい。

もちろん、ライブ後はみんなで飲みに行きました。ライブのあとにみんなで飲みに行ったりするというのは楽しいものですね。それはともかく、Sさんが京都から来ている、ということにかこつけて祭りモードになっているぼくは、なんだかずっとお酒を飲んでいる気がしました。

diary 2005,08,28,Sunday
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セミヌードですよ。セミヌード。

2005 08,27,Saturday

プールに行きました。立川にある、昭和を記念する、「昭和記念公園」にある、「レインボープール」です。男三人で。男三人でプール。男三人でプール?といえば、目的はほぼひとつしかありませんね。そうです。もちろん、あれですよあれ。ナンパですよナンパ。真っ黒に日焼けした大胆極まりない水着ギャルたちをビキニ限定でもうこれでもかというくらいナンパですよ。声かけまくりですよ。セミですよセミ。男なんてみんなセミみたいなもんですよ。ところかまわず鳴きわめき散らしますよ七日間。セミヌードですよ。セミヌード。だれがだれだかわかりゃしませんよ。もはや木が鳴いてるみたいだもん。などと心の中で叫びつつ、ぼくはまずチケット売り場の女の子に颯爽と声をかけ、これがなんと早くも大成功。あかんわー。仕事中やん。うち携帯もっとらんねん。うちんち、いまだに黒電話やねん(笑)。おかん出てまうわ。ごめんなー。ということでしたので代わりに入場券を半額にしてもらいました。というか本当は、14時からな、チケットが半額になるねんけどな、あと10分ちょいや、待ったらいいんやないの?という意味のことを標準語でいわれたので、大人しく静かに待っただけです。持参した300円安くなるクーポンよりも、10分程度待った方が安くなるというのなら待ちます。というか半額になる時間をめがけてプールに来る人というのがこれまた多いのですね。この腐れ貧乏人が!というのは嘘で、ぼくも今度来るときはそうしようと思いました。実に賢い選択だというべきでしょう。というか関西弁、合ってるのでしょうか?そもそもどうして関西弁にしなきゃいけないのでしょうか?もちろんそれはフィクションだからです。なぜか関西弁の方が想像がスムーズに働くのですがどうしてでしょうか?たぶん現実を相対化できるからだと思います。

と、すべて自己解決したところで、1100円払って(半額でもこの値段。高い!)、公園内に入場しました。ものすごい脚の長いモデル体型の女の子たちを見つけたので、すかさず声をかけます。

「ぼくらこれからプールに行くねん。ええやろ。もしあれだったらきみらも行かん?」
「行くのに決まっとるやん。うちらプールに来てるんやで?もう、ここ、プールの敷地内やん。あはは」
「それもそうやね。でも哀しい色やね。ほら見てみ。空。もう夏も終わりや」
「たしかに今日は天気は良くない。しかももう夏も終わりや。けどやな、あたしたち、べつに哀しくなんかあらへんよ」
「なんで?」
「そりゃ決まってるわ。また来年、夏は来るからや」

…というわけで、もう普通に書きますが、ああ、何年ぶりでしょう。プールに入るのなんて。高校を出てからこっち、一度もプールに入ってないんじゃないかな。だとすると何年だ。11年ぶり!当初の予定では、もう今ごろはプール付きの家に住んでいるはずだったのに!というのは嘘だとしても、なんか怖かったですよ。水の中が。水、汚いし。結局、一度も潜らなかったです。あの中で目を開ける勇気はぼくにはありませんでした。今度は水中眼鏡を持っていこうと思いました。水着も新しく買ったことだし。ちょっとプールづこうかと。

そうそう。京都から東京に帰省しているSさんとぼくは水着を持っていなかったので、先に待ち合わせてですね、水着を買いに行ったわけなんですが、もう時期的にあんまり売ってなかったんです。どうすんの?売ってないじゃん。ということになってYくんとの待ち合わせ時間が刻一刻と近づく中、なんとぼくたちはあろうことか「銀だこ」に並んでしまいました。「銀だこ」を見つけたら反射的に並んでしまったのです。焦っても仕方ないからとりあえずたこ焼きでも食べよう。ということになったのです。いっしょにラムネも頼み、すべて食べ終えると待ち合わせ時間まであと10分しかありませんでした。急いで、最後の望みを託して、ダイエーグループのディスカウントストア「トポス」に足を運びました。ええと。ここに来たのも11年ぶりです。まだあるのかな。どうかな。と思って行ったらありました。というのもですね、ぼくは高校時代の三年間、この立川に通っていたわけなんですが、そのころとはもう街が様変わりしていまして、なにがどうなってるのやらさっぱり。といった具合だったわけなんですね。あったはずのものがもうどこにもなく、あるはずのないものがまるで昔からあったかのような顔をしている。まあ要するに、トポスで無事、水着とバスタオルを買った、というわけです。そして急いで西立川へ。と思って青梅線に乗ったら、当のYくんが同じ車両に乗り込んできました。なんという偶然。どうやらYくんは寝過ごして西立川を通り越して立川まで来てしまい、折り返すところだったようなのです。それにしても同じ車両の同じドア、というのがすごいですねえ。うん。

そんなわけで、めちゃ込みということもあったし、泳ぐ人向けのプールではない、断じて。ということもあって、ほとんど泳がないまま、しかもちょっと寒かったことも手伝って、すぐに着替えてビールを飲んでしまいました。だめな大人ですね。カレーも食べましたよ。

ええと。結局、女の子にはひとことも話しかけられませんでしたね。最初からわかっていましたし、そんなことするつもりも毛頭なかったわけなんですが、それでも、もし生まれ変わったらナンパできる男になりたいです。それとも今生のあいだにそうなることができるのでしょうか?果たして。というか、ナンパのできる男がまわりにいないなあ。みんなもっとがんばれよな。

diary 2005,08,27,Saturday
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一日を箇条書きに記す

2005 08,05,Friday

●実家に帰っています。髪を切るため。
●一日を箇条書きに記す。
●あまりにも部屋が暑く(なんというか、たとえようがないのだが、強いていえば、相撲取りの身体の中にいるみたいだ)、すぐに起きてしまう。あんなとこで4時間も眠った自分は偉いと思った。
●スカパーでウッドストックの映画を観る。朝から。
●あれは朝から観るものではない。
●みんな裸で、たくさんの人が川に入っていて、女の人が脇毛を剃ったり、シャンプーを使って頭を洗ったりしていた。そして一回ざぶんと水の中にもぐり、ジャンプするみたいにして水から顔を出すと、シャンプーはあらかた流れ落ち、長い黒髪が水に濡れ背中に貼りつきまっすぐに伸びて、それがほんとにまっすぐで、とてもきれいだった。動物の毛並み並み。
●ウッドストックの会場はどうやら個人の農場だったらしく、その農場の持ち主のおじさんがステージに上がりひとこと話していた。20人の前でも話したことがないのに、50万人の前で話すことになるなんて驚きだ、というようなことを彼はいっていた。
●ジミヘン、と略すことが憚られるような伝説上の人物であるジミ・ヘンドリックスの、あの有名なアメリカ国歌を弾くシーン。ちゃんと見たのはたぶん初めてだった。
●ジミヘンは神々しい。と同時にどこか小学生男子みたいだ。
●手の甲がきれいなのがとても印象的。
●ぼくはあの黒人の感じ、バスキアみたいな(ところで峯田くんを見るとぼくはバスキアを思い出す)、眠たそうな顔をした、あのたたずまいが好きだ。まぶたが厚ぼったいような顔つき。黒人がクールでいてくれると、ぼくもクールになれる。クールつうか、冷静になる。明日は基地のそばに行って黒人をいっぱい見てこようと思う。
●映画が終わったあと、ウッドストックで人々が手に入れたものは今ではもうどこにも残っていないのではないだろうか。という気持ちになって、さびしくなった。
●し忘れていた何枚かのCDをリッピングした。ナンバーガール。ROVO。フィッシュマンズなど。
●冷房の効いた部屋でうたたね。
●実家に帰っても貧弱な食生活。朝は冷凍食品のカルボナーラ。昼は冷凍食品のカレーピラフ。いつでも電子レンジが使える幸せ。
●内田樹さんが日記でマックス・ウェーバーはえらい、といっていたので、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を本棚から引っ張り出す。
●でも基本的には太宰治の『晩年』をこの滞在期間中には読んでいる。
●夕方、髪を切りに行く。
●去年とまったく同じ会話がなされ、苦笑。そういえば、去年の今ごろ切ってくれた人と偶然同じ人data。だった。
●会計を済ませていると髪を切ってくれた美容師さんが「そのTシャツどうしたんですか?」と訊いてきた。
●とまどう。
●どうやらぼくの着ているTシャツのデザイナーと友だちだということだった。
●そのブランドは店舗を持っていないので、ぼくがTシャツのデザイナーと知り合いで、もらったものなのではないか、つまり共通の知人がいるという事実がもしかしたらあなたとわたしのあいだには存在するのではないか、と美容師さんは思ったようだった。
●でもそのような事実は存在しない。これは店で買ったもの。話によると店舗を持たず、様々な店にちょっとずつ置かせてもらって販売しているブランドということだった。でもびっくりした。世間は狭い。と思ったけど、なんだか広いような気もした。
●帰ってビールを飲む。
●妹が福井で買ってきてくれたビール。
●フルーティーでおいしい。
●妹は福井に水を汲みに行ったらしい。詳細は割愛。おもろい。「ガキの使い」みたいだ。
●母は祭りの手伝いに行っている。これも去年といっしょだ。焼きそば、焼き鳥、フランクフルトなどを食す。
●そういえば、ミュージック・ステーションにシンガーソンガーが出るんだったな、と急に思い出しチャンネルを変えたらCoccoが歌いに移動するところだった。あれ岸田くんは?いないの?と思ったら眼鏡をかけていないだけだった。
●「シンガーソンガー」という名前に慣れたあとでは、「シンガーソングライター」ということばの方に違和感を感じるから不思議。
●まだ弟とひとことも話していない。
●弟はいまバイトに行ってしまった。
●大瓶を2本、小瓶を1本飲んで酔っぱらった。でもまだまだ飲まなければいけない。在庫処理として。
●去年のボジョレーを開けようか迷い中。
●猫のミュウはいっつもゆっくり歩いてる。
●そしてとても優しい。触ってもほとんど嫌がらないし、そのうち喉を撫でて欲しいポーズになる。どこかの黒い猫とはえらい違いだ。自分以外の動物に触れる喜び、というのがあるように思う。
●そういえば、お祭りの焼きそばには小さな茶色い木の葉が混ざっていた。
●こういうのはいくらでも書けるなあ。
●バイクさん、コメントありがとう。
●酔っていつのまにか眠ってしまいスペシャのsalyuの番組を録画し損ねた。
●アホだ。
●リピート放送は明日が最後。
●途中から一応録画しながら観た。
●salyuはなにに似ているかというと、赤ちゃんに似ている。そしておばあちゃんにも似ている。ということは、ぼくがそこに見ているものは無垢さ・無邪気さ・純粋さであることがわかる。でもそれはなんというか、もともとあったものだとは思わない。後天的に獲得されたものという気がする。持続する強い意志の存在を感じる。
●でも本当に赤ん坊みたいな肌の人だ。
●10月のライブが楽しみ。
●朝まで生テレビを観ている。おじいちゃんがいっぱい!元帝国軍人の!
●こんな時間に大丈夫なのでしょうか?みなさま。と思っていたら録画だということだ。


diary 2005,08,05,Friday
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人間が堕落して

2005 06,14,Tuesday

夕方までにほとんどの作業を終わらせ、渋谷HMVにsalyuのファーストアルバム『landmark』を買いに行く。インストアイベントの整理券を貰うため。その後、四ッ谷へ移動し、念願の「たん焼 忍」へ行く。ゆでたん。たんシチュー。焼たん。「ああ、確かにおいしいなあ。ゆでたん、すごいなあ」と「駄目だこんなもの食べたら。人間が堕落してしまう」とのあいだをぼくは静かに揺れ動く。といいながらゆでたんを二皿。拙者、明日からしばらく絶食することにいたす。帰って「離婚弁護士」を見てすぐ寝る。電気も消せなかった。夜中にピアノの上からものが落ちてきて目が覚める。グリが何かをやらかしたのだった。

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バナナとカロリーメイト

2005 06,13,Monday

ブックオフで「THE BOOM」のビデオ2本。安かったので。昔欲しかったけど買えなかったやつ。バナナとカロリーメイトを食べて仕事。暑い。バナナがおいしすぎる。バナナはスィートスポットという黒い斑点が全体に出てきてから食べた方が栄養価が高くなるんだって。たしかに熟成、という感じでおいしい。しかし忙しいなあ。深夜2時就寝。

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死ぬほどビーチボーイズを

2005 06,11,Saturday

14時間寝た。何年ぶりのことだろうか。昔は14時間はおろか、18時間とか24時間とか3年4ヶ月とか寝ていたのだ。ここ1年くらいずっと二重になっていた右目さんの瞼さんが奥二重さんに戻って、十分な睡眠が取れていないから二重さんになっていたのだなあと知る。というか、寝過ぎで奥二重になっていたのだな。あいつは。と書いていたら、急に二重になった。自然と。割と不思議。もう日曜日の朝10時。暑いから、死ぬほどビーチボーイズを。聴く。

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各駅停車ワーキング

2005 06,10,Friday

松屋デミたまハンバーグ定食。雨の中。じっとり。それ以外はぼくは一日部屋でじっとずっと仕事。レイニーデイズ集中力。研ぎ澄まされていない種類の。各駅停車ワーキング。全身にみなぎるぜ倦怠感。痺れの手袋をはめているみたいだよ。手に。

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オフィスで朝

2005 06,09,Thursday

忙しすぎて先月の文芸誌をほとんど読めていないのに、もう新しいのが出る。というか出てる。買いに行かなきゃ。な時期になっていることに気づき、愕然とするぜ。木曜日。この一月ほど起きてるときはほとんどずっと仕事をしてるので、本を読む暇がまったくない。だから必然的に睡眠を削って読むことになるわけで、どんどん睡眠時間が減少し、やがてゼロに到達し、終いにはマイナスになるであろう。昨日はマイナス3時間しか寝てませんよ~。とオフィスで朝、同僚にいったりするであろう。オフィスなぞないし、同僚なぞいないけれども。タッチタイピング孤独。マウス・オブ・テレパシー。松屋スープカレー。辛い。何かの加減で喉の、柔な部分に、柔じゃないスパイスが付着し、咳き込み、カウンターの向こうに飯粒を時速200キロで吐き飛ばしそうになる深夜4時の。喉の痛み。13種類のスパイス・パラダイス。イン・パインハウス。

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死んでからが人生

2005 06,08,Wednesday

起きる。昼の3時に。仮眠しよう2時間ほど。仮眠仮眠。と思って寝たらそれは仮眠ではなかった。6時間も寝てもうた。それはもう本眠である。仮眠は、そうだな、せめて3時間以内だと、ぼくは思うよ。

夜7時からソウルセットの新譜のリリースパーティが代官山である。開かれる。催される。とのことでチェアマンからありがたいお誘いを受けた。というと、なにかソウルセット関係者の偉い人。もしくはサッカー関係者の偉い人から招待されたみたいに聞こえるが、チェアマンは友だちのあだ名です。というわけで7時から代官山で。ということは6時くらいまでには新しい企画のラフデザインをざっくりなんとかしておかなければならない。なぜなら明日見せなくちゃいけないから。ので、ざっくりなんとかした。と書くといかにも簡単そうだが、結構たいへん。そしてバナナを食べて家を出た。バナナってすごいよなあ。すぐ食べられて、しかも栄養。という感じがするよ。果物なのにだよ。あの皮をむくときのわずかな時間と期待感のバランスが絶妙。猿でなくとも大満足の果実。太古の昔から。といった趣き。なにか神妙な気持ちになるよ。皮むくときって。これを失敗したら大変なことになるよ。とでもいうみたいに。そしてバナナってのは部屋の中で食べてるのに、外にいるみたいな気持ちになります。ロビンソン・クルーソーみたいな。さらにバナナといえばトマス・ピンチョンの『重力の虹』で、あの小説にはさまざまなバナナ料理が出てきて、ぼくはバナナを食べるたびにあの小説のことを思う。うっすらと。〈海賊〉の〈バナナ朝食〉だ。そしてぼくの頭の中では勝手にトマス・ピンチョンがガルシア・マルケスにバナナ料理について質問しているところが浮かぶのだが、それは『重力の虹』と『百年の孤独』を読んだ時期が近かったためだろう。とはいえ『重力の虹』は何度読み始めても上巻の途中で挫折してしまうので、いまだなお読み終えていない。というのは、これ、あまりにもよくある話。最初の100ページくらいを、だから何度も読んで、その辺だけすごくよく覚えている。最近もまた読み始めてしまった。

そんなわけでチェアマンと代官山UNITへ。どうも代官山は慣れていない。というか、街の名前が怖い。というか、お代官様になにか嫌な思い出がある。のか知らないが、緊張する。ここはお前の来るところではない。許可証が必要だよ。見せなさい。ないなら、帰りなさい。といわれているような気がする。とりあえずその着ているものを脱ぎなさい。そんなものを着ているくらいなら何も着ていない方がまだましだからねえ。お前鏡を見たことがあるのか?そんな格好でよくここまで来れたねえ。まったく賞賛に値するよ。あはは。ほら。早く服を脱ぎなさいったら。脱げ!脱ぎな!このうすらとんかち!

まずは北朝鮮戦をみんなで観戦。無冠客慈愛。無観客試合。ボールを蹴る音がよく聞こえる。ような気がする。試合の途中でビールを買いに行ったんだけど、ふたり分のビールを両手に持って、暗い中、床に座っている人を踏まないように気をつけ、頭の上からビールを注いでしまわないようにと気をつけながら、無事に元の位置に戻ると、こんなことは人間にしかできまい。という勝ち誇ったような気持ちになった。

というわけで日本代表は北朝鮮に勝ち、いよいよライブ開始。懐かしい曲もやったはず。というのはソウルセットのCDは昔、全部売ってしまい、手元には一枚も残っていないからだ。なんで売ったのかな。自分でもすっかり忘れていたが調べてみたら実は『PURE LIKE AN ANGEL』から買っていたのだった。1993年。っていうと、高校生か。たぶん95年の『TRIPLE BARREL』までは買っていたんだった。でもそのあと、アルバム3枚しか出してないんだね。CDを売ってしまったことによってそれにまつわる記憶も消去、みたいな感じに自分はずっとなっていて、どうして曲を知っているのかどこか不思議な感じがし、まるで前世の記憶かなにかのようだった。すごくよく知っているような気がするんだけど、この人誰だっけ?みたいな感じ。あるいは、短い時間にビールを4杯飲んで酔っぱらっていた。空きっ腹に。というのも手伝ってのことなのかもしれないが、ものを売ってしまうというのはそういうことなのだなあと思いました。脳の一部を切除したみたいだ。無線LAN経由でハードディスクにデータを保存するみたいに、人はものに記憶を託し、いつでも好きなときに呼び出している。のだ。遠隔操作的に。たとえば売ってしまって部屋にないことと、いまでも部屋のどこかにはあるだろうけどどこにあるかはわからない、ということには雲泥の差があって、売ってしまうと、思い出すにしても「そういえばあのCDは売っちゃったっけ」くらいのものになってしまうようだ。死者を埋葬し、墓を作る。という人類の発明は、だからものすごいなあ。墓場に行けば墓がある。というわけだ。人間の記憶システムはどこか唯物論的なところがある。あるの?あるのかも?あるのかも。うん。あるのかも。墓とは記憶の外部化、外部の記憶装置に他ならない。というわけで人間の作り出すあらゆる「もの」は墓標である。という立論で昔、論文を書いたのだが未完。小説とは墓碑銘。生者が聴きとる死者の悲鳴。反響する耳鳴りとの対話。とかいう感じの。死ぬまでには書くつもり。死ぬまでには死ぬつもり。という墓碑銘にしてもらおうかな。俺は。だから生きるということは、死んだあとで、自分の墓の前で、自分の墓を訪れてくれる人に、どんな風に思われるのか、思われたいのか、思われたくないのか、ってゆうことで、「死んでからが人生なんだよね」という『カンバセーションピース』の主人公のことばはそういうことだ。死んでからの方が、だって長いものね。苔のむすまで。

というわけで、チェアマンとはさらりと別れ、渋谷ティーヌンでひとりトムヤムラーメンを食べて帰宅。2時間ほど仮眠。3時半に起きて、「wanted!」を聴きながら作業。水曜深夜3時からのラジオをまだ一度も聴き逃していない。とは、いったいどういった生活なのだろうか。現在、どういうわけか、ラジオを週に4番組、かかさず聴いております。こんなことは中学生以来だ。salyuのラジオ2本。前述の菊地成孔+大谷能生の「水曜WANTED!」。あとはダーリンハニーの「サタグラ」。

diary 2005,06,08,Wednesday
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バナナ、ポテトチップ、ヨーグルト

2005 06,07,Tuesday

朝5時起床。10時、有楽町のとある会社で打ち合わせ。あっというまに終わり、無印カフェでお茶を飲み、軽く食事。おいしいパン。コーヒー。グリコを見送り、銀座をぶらぶらし、帰って作業に取りかかる。途中で松屋。スープカレー。スーパーマーケットでバナナ。ポテトチップ。朝の8時まで、バナナ、ポテトチップ、ヨーグルトなどを食べつつ作業し、お腹を壊し、9時就寝。

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紙芝居のおじさん

2005 06,04,Saturday

夕方5時に起きる。よく寝たなあ。具合があんまりよろしくない。やはり掃除をしたのは、体調が悪くなる前兆だったのだな。昼、魚介とバジルのパスタ。夜、バイクさん来る。カメラを返しに。いっしょにモスへ。そのあと世界のCMのDVD鑑賞。朝まで談笑。写真を見せてもらう。バイクはいつも写真を見せてくれながら、いろんなお話を聞かせてくれる。紙芝居のおじさんみたいだ。

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ごはんを食べるのさえ忘れて

2005 06,03,Friday

松屋。豚焼き肉定食。フエンテでフライドチキン二本。台湾バナナ。青い。牛乳。白い。夕方から本腰を入れて仕事。朝の7時まで。ごはんを食べるのさえ忘れて、夢中で。ときどき音楽に合わせて踊りながら。日本、バーレーンに勝利。朝の8時就寝。

diary 2005,06,03,Friday
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謝る

2005 06,02,Thursday

朝の9時までかかり、とりあえずできたのでその旨を伝えるメールを送る。寝る。昼過ぎにグリコから電話があり、先方からメールが届いていないといわれた、という。あちゃちゃ。まただ。前もメールが届かなかったのだ。謝る。そして原因を突き止めた。これでもう大丈夫だろう。コンビニのひやしたぬき。サンドイッチなど食す。

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掃除なんてしてる場合ではなかった

2005 06,01,Wednesday

アボカスタジオの掃除。3時間。途中で山のように積み上げられた洋服に気が狂いそうになる。このようにたくさんの洋服を買わせる欲望、そしてたくさんの種類の洋服を身につけたいという願望について、まあここには書かないが、考えつつ、すべて畳んだった。すべて畳んでやった。の意。すべてのボタンをはめて。すべてのジッパーをあげて。ドラッグストアに行き、ウェットティッシュ詰め替え用購入。スーパーマーケットでヨーグルト。ジャワティ。バナナ。六日だと思っていた仕事の締め切りが今日だと突然知らされる夕方。グリコが勘違いしていたようだ。ショック。大あわてでやる。掃除なんてしてる場合ではなかった。

diary 2005,06,01,Wednesday
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バナナが売り切れで

2005 05,29,Sunday

朝起きたら、腹痛。原因不明なり。全宇宙が。ぼくの。お腹に向けて収縮する。かのごとくであった。再度寝る。起きたら、回復。池袋へ。リブロで何気なく手に取った本が二冊続けて「ピエブックス」という出版社のものだった。北欧デザインものと、ベトナムもの。そしてぐるっと一通りフロア中のデザイン関連、写真関連、美術関連の、おしゃれで、かっこいい、いかした雑誌群を立ち読みし、上のフロアに上がり、仏教もの、哲学もの、文芸批評もの、といった、およそおしゃれとは無縁な、しかし、いかした複数の本を閲覧した後、今一度先ほどのフロアへと下り、あらためていちばん最初の棚に行って、なんとなく一冊の本を手に取ったところ、それがまたしても「ピエブックス」であった。愕然とする。なんということであろうか。なにかの陰謀だろうか。オニツカタイガーものの本。互いにその内容としては無関係であるといってよいかと思うが、なにか共通のテイスト。とでもいったものを無意識のうちに読み取っていたのかしら。わたくし。不思議なこともあるものだ。リブロでは『プロとして恥ずかしくないwebデザインの大原則』。これを買うプロはきっと恥ずかしかろうと思うよ。よく考えたら。ジュンク堂で星野智幸『アルカロイド・ラヴァーズ』(サイン本)。初出掲載時に読んでいたので、単行本を買うのは控えていたが、著者本人のサイトで、サイン本を書き置いてきた旨を知り購入に至ったのであった。都会って、いいね。スターバックスは通り過ぎ、ベローチェで読書。美容院へ行ったグリコを待つ。合流後、「つばめグリル」にて食事。二日間で、これ、二回目の食事なのであり、多少の贅沢は許されるところですよね。ね?と神さまに断りを入れつつ。食べる。旨い。店員。かわいい。電車で。帰宅。の前にスーパーマーケットにて牛乳。ジャワティ。ヨーグルト。今日はバナナが売り切れであった。荷物が。重い。なんだかんだで、10冊もの本を持ち歩いていたのだった。

diary 2005,05,29,Sunday
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靴とTシャツと素足

2005 05,18,Wednesday

今日は池袋に行きました。電車に乗って。ひさしぶりに電車に乗ったので緊張しましたよ。本を忘れたので、どこを見ていいかわからないのです。わからないってこたあないですが、向かい側の座席には高校生の女の子がふたり座っていましたから、その向こう側の窓の景色を眺めることがためらわれました。なに、あの人。こっちをじろじろ見て。いやらしい。と思われたくないのですか。と自問自答したところ、べつに思われてもいいです。けど、やっぱり、なんだか、見ることがためらわれるのは確かです。という結論に落ち着いたので、しかたなくじっと手を見たりしました。石川啄木のように。というのは嘘で、この世界にはひざのきれいな女の子とひざのきれいじゃない女の子がいるけど、ひざのきれいな女の子もひざのきれいじゃない女の子もそれぞれ魅力的だなあ。などと意味もなく考えたりしていたということは女子高生の脚を見てたってことじゃないか!

そしてTシャツを買いました。Tシャーツです。町田康風にいえば。2枚買いましたよ。それから靴を買いました。オニツカタイガーがもうほんとぼろぼろで、ソールがすり切れて雨が降ると靴の役目を果たさなくなったのです。これは指摘されると恥ずかしいのであらかじめいっておきますが、アディダスの「dragon」というのを買いましたよ。わざとです。最近、復刻されたモデルみたいです。なんだかちょっと照れくさいですか。と自問自答したところ、ちょっと恥ずかしいが、ちょっといい感じでもある。半々だな。ということでした。まあなによりもまずデザインが気に入ったのです。いま気づきましたが、タイガー&ドラゴンということになってしまいました。どうでもいいですか。

そしていまそれを履いてこの文章を書いています。素足に。新しい靴を買うと、まず部屋の中で履いて、ちょっと過ごしたい。という気分にならないですか。ぼくはなります。というわけで靴とTシャツと素足でした。またねー。うん。またねー。

diary 2005,05,18,Wednesday
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四月になると彼女は

2005 04,01,Friday

4月になりましたね。4月になるといつも「四月になると彼女は」を思い出します。サイモン&ガーファンクルの歌ですね。でも歌のことを思い出すのではないのです。「四月になると彼女は」ということばを思い出すのです。もしかしたら「四月になれば彼女は」かもしれないのですが、ぼくが思い出すのは「四月になると彼女は」です。四月になると彼女は。ぼくはいつも4月になると「四月になると彼女は」を思い出し、「四月になると彼女は」のあとにはどんなことばが続くのかなと想像します。四月になると彼女はなんなのだろう。いったい彼女はどうなるのだろう。でもさっぱり思いつきません。そしてぼくの頭の中には「四月になると彼女は」だけが残されることになるのです。

というわけでページをリニューアルしてみました。嘘です。リニューアルしてません。嘘です。リニューアルしました。上の方のやつがくるくるするので、右側のHOMEHOMEを連打してくださいませ。嘘です。いや、嘘です。くるくるしますし、連打してください。そんなわけで4月からは毎日更新します。嘘です。これはたぶん本当に嘘です。

diary 2005,04,01,Friday
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解の公式

2005 03,08,Tuesday

コートを着ないで外に出てみる。長袖Tシャツの上に半袖のTシャツだけを着て。でもあったかい。こんなに一気に薄着になったことなんて今までにあったかな。商店街の本屋で『群像』と『新潮』と『文學界』を買う。それぞれ一冊ずつしか置いてないので、おれが買っちゃっていいのだろうか、といつも思う。来月はリブロまで行こう。ビルディでオムライスを食べ、ドリンクバーのホットコーヒーを飲みながら、目に付いた記事からざくざく読んでいく。まずは『群像』の星野智幸による高橋源一郎の『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』の書評。次に高橋源一郎と山田詠美と島田雅彦の座談会。『文學界』に移って村上春樹のロングインタビュー。高橋源一郎の『ニッポンの小説』。『新潮』に移って斉藤環による青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』の書評。村上春樹の連作短編、東京奇譚集2『ハナレイ・ベイ』。ちょっと離れた壁際の席では、女子高生のふたり組がテスト勉強をしている。ふたりは声を揃えて「解の公式」を諳んじていて、それはふたりの声の高さの違いにより必然的にハモってきこえ、こんなに美しい「解の公式」をきいたのははじめてのことだなと思う。

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ケーキ屋でケーキ

2005 03,05,Saturday

バイクのプレゼントをぎりぎりまで選んで下北沢へ。7時には間に合わなかった。ケーキ屋でケーキを買っていく。下北のドラマとか古本屋に寄りたいのだが、いつも約束の時間ぎりぎりに到着することになるのでまったく寄ることができないでいる。月に何回かは来ているのに。

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ベリーと遊ぶ

2005 03,04,Friday

夕方、立川へ。寒い。NくんとHくんと待ち合わせて適当な居酒屋へ。ポラロイドで写真を撮る。Hくんは帰ったが、会社の人と飲んでいたYくんと合流してNくんの家に5年ぶりくらいで行くことになった。3人でビールを飲む。犬のベリーと遊ぶ。Yくんはいつものように寝はじめ、ぼくはNくんのパソコンで音楽を作った。一曲、完成させ、朝6時ごろ車でモノレールの駅まで送ってもらい立川へ。モノレールから見る雪景色はとてもきれいだった。

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踏切が嫌い

2005 02,24,Thursday

今日はモスへ行きました。新しくなっておいしくなったらしいロースカツバーガーを食べました。でもおいしくなったのかどうかはわからない。そんなことわかるわけがない。もともとおいしかったし、新しいのも同じくらいおいしいように感じられた。というかぼくには不味いものがない。なぜならなにかを食べるときにはいつだって限界までお腹を空かせているから。もうなにを食べてもおいしい。毎回「死ぬとこだった!もう少しで!」と思いながら食事をしています。この東京砂漠で!

あ、そういえば、カツがいつまでも冷めないなあ、とは思いました。もう食べ終わりそうなのに熱くて火傷しそうなくらいでした。でもそんな温度的な新しさなわけありませんよね。「冷めなくなって新登場!」なんて。なにか変わったのかしら。なにが変わったのかしら。

あとそれから、煙草を吸いながらものを食べてる人はもうやめてください。と煙草を吸いながらものを食べてる人を見るたびに思います。

それから線路を渡った先にあるスーパーへ行きました。ぼくは線路が嫌いだ。いや違うな。線路ではなくて踏切が嫌いです。

踏切を渡る生活をぼくはほとんどしてこなかった。踏切のこちら側でほとんどの用事は済んだし、ぼくの住んでいた街は踏切の向こうは寂れていて、もはや機能していなかったので、そこに住む以外の人が向こう側へ行く理由はほとんど存在しなかった。でもいまいるところでは踏切を頻繁に渡らなければいけなくて、それが苦痛といえば苦痛。

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麦茶を飲んじゃ駄目

2005 02,20,Sunday

チェアマンちの台所で目覚める。起きたときには部屋には誰もいなかった。なんとなく、ふたりが出かけていった音が聞こえていたような記憶がある。どこに行くのかな、とおもった覚えがある。パンでも買いに行くのかな。パソコンの上に書き置きがあって、ふたりはおしばいを観に行くとのことだった。いったん起きはしたもののぜんぜん駄目なので、麦茶をいただいてからもう一度寝て、3時頃に起きたらもっと駄目だった。そりゃないぜ、とおもう。そりゃないよ、かな。でもきりがないのでとりあえず外へ出ることを決意し、コートを着るところまでは何度もいくのだが、一度外に出て鍵をポストに入れてしまったらもう部屋に入れずトイレに行けなくなるのでなかなか踏ん切りが付かない。といっても起きてからは一度も吐いてなくて、でもこの吐き気を抱えたまま外に出ていっていいのか、という気持ちがあるのだ。コートを着たり脱いだりする。これを隠しカメラで撮影されていたらなにをやってるのかとおもわれるだろうな、と考えたりする。すごく無意味で、きりがないので思い切って外に出る。が、やっぱりぜんぜん駄目で一歩ごとに吐きそうだった。前を歩いていた女の子があまりにも歩くスピードが遅いので、いま吐いたらかかっちゃうかもしれないからもっと遅く歩こう、と考えてゆっくり歩くことにしたりした。でもそんなのかかっちゃうわけない。いくらなんでもそんなに近くはない。というか吐くときにはきっと立ち止まるはずなのだ。酔っぱらいの考えることっておかしいですね。

やっとのことでセブンイレブンにたどり着き飲み物を物色するが気に入ったものがないので何も買わずに出て、今度はローソンに入ってクエン酸の入ったスポーツドリンクを買う。どういうわけか「クエン酸、クエン酸」と決めてかかっていて、それ以外のものを買うなんてことは断じて許されない雰囲気だった。いまにも吐きそうなのに飲み物をちゃんと選んでいるところがおかしいですね(結果的には全部吐いたのでなにを買っても同じだった、ということも含めてなんだかおかしい)。

電車に乗る。電車に乗ったらやばそうな感じだったけど、乗ったら案の定やばかった。急行に乗るか、座れる各停に乗るか迷った末に座れる方を選ぶ。そして一駅ごとに、降りてトイレに行くか、もう一駅行けるのか、の判定をし、結局、下北沢で降りた。限界だった。ぼくは途中で降りて駅のトイレにぎりぎりで駆け込む、というのは何度もあるけれど、電車の中ではたぶん一度も吐いたことがなくて、自分は本当に恥ずかしがり屋だなあとおもう。だっていまにも吐きそうなのに普通の顔をしてトイレに行くから。

トイレは新宿寄りのホームのいちばん端っこにあって、ぼくが降りたのは反対側のかなり遠いところで、そういうときホームは無限に長く延びてしまう。砂漠の蜃気楼みたいに歩いても歩いてもたどり着きそうにないのだ。砂漠なんか行ったことないけど。そしてなんだか棺桶の上を歩いているみたいな気がしてきた。灰色の長く延びた棺桶。

でもちゃんとたどり着いて、トイレに入って即リバース。reverse。そうなのだ。麦茶を飲んじゃ駄目なのだった。まずは「903」が出てきて、そのあと麦茶が出てきた。どうして混ざってないのか不思議だ。汚い話でごめんなさいね、ほんと。あの麦茶吐くときの感じって最悪だ。お茶系は総じて駄目だとおもう。

新宿の手前でグリコから電話がかかってくる。まるで神の助けみたいなタイミングで。新宿で待ち合わせ、いっしょに帰った。それからその日の深夜まで、宿酔いが続いたのだった。

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酒豪部

2005 02,19,Saturday

池袋の東武で鹿児島物産展。塩ラーメン食べる。鹿児島のラーメンって、別に名物ではないよなあ。きいたことないものなあ。それからチェアマンちへ。web会議。途中から酒豪部に。朝まで飲む。途中から記憶がなくなる。

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GODIVA

2005 02,14,Monday

酒屋で「喜六」をやっと見つけた。高かったけど買う。ブックオフで「クイックジャパン」18,29,32,36,38号と「ユリイカ」2004年8月号、町田康『パンク侍、斬られて候』、吉田修一『東京湾景』。ココイチでカレーを食べているときにグリコからチョコをもらった。GODIVA。

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麺が喉を通る

2005 02,05,Saturday

チェアマンとグリコさんの誕生会。具合が悪かったので行くか行かないか迷ったけど行くことにした。池袋でチェアマンのプレゼントを買う。こないだあげられなかったので吉川くんの分も買う。グラニフができてたのでTシャツを買うことにする。自分にも買う。緑色の長袖Tシャツ。それから下北沢の居酒屋へ。風邪を引いているので多少セーブしつつ。珍しく終電に間に合う時間に店を出たが、池袋からの電車はもう終わってしまっていたので、タクシーで帰ることにし、それならいつ帰ってもいいので、ラーメンを食べに行った。麺が喉を通るのが痛かった。

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ウィッグ・ビーチ

2005 01,31,Monday

夕方になってから美容院に行く。重い腰を上げてようやく。昔はこんなではなかった。月に一回とか二月に一回とか、ちゃんとまめに通っていたのだ。自分でも信じられないけれど。

夕暮れの空はちょっとびっくりするくらいきれいで、自転車を止めてしばらく見入ってしまうほどだった。奇妙に澄み切った冬の空はやけに広く感じられ、それはもちろんこの地域一帯には高いビルなどといったものが一切存在せず、ぐるりと周りを取り囲むようにあるくっきりとした山々の稜線に嫌でも視線がぶつかることになる、という環境のせいもあるのだろうけれど、それにしても今日の空はあまりにも広く感じられ、まったくこの世のものとは思えないような景色だった。誰かが高い方から順番に青い絵の具を何度も重ね塗りしているみたいにじわじわと空は濃紺に置き換わってゆき、それは明確な境界を持たないまま夜へと雪崩れ込んでいった。塗っている本人ですら気づかないくらい、ゆっくりと少しずつ世界は夜へと変わっていった。深呼吸すると肺の中までもが青のグラデーションに染め上げられてしまうような気がした。朝日が昇るまで、人々の肺の中も夜なのかもしれない。

この前美容院に行ったのもたしか半年ぶりだった。美容院のスタンプカードを見たら前回訪れたのは7月31日。その前が1月30日だった。この無意識の規則正しさはなんなのだろう。というかそれが自分自身の容貌に対して許容できる限界ということなのかもしれない(といってもたいした容貌ではないのはもちろんのことです)。半年ぶりだから仕方がないのだけれど、信じられない量の髪を切ったり梳いたりしてもらい、しかもそれは閉店間際のことで、ほとんど申し訳ないくらいだった。床の上の黒々としたかさばる髪の毛たちは、とてもじゃないけれどさっきまで自分の頭の上にあったものなのだとは思えなかった。

深夜、CSで『17才』を観た。なにかが頭の片隅に引っかかっていて、これは観なきゃ、とすぐに判断したのだけれど、映画を観ているあいだずっとそれがどうしてなのかさっぱり思い出せなかった。どうしてこれを観なくちゃいけないんだろう、と。映画が終わるときになってやっとその理由が判明した。エンディング曲が七尾旅人の「ウィッグ・ビーチ」だったのだ。

こうして考えてみると、人の記憶というのはたいしたものですね。本人にしっかりとした自覚がなくても、その記憶は確実に行動を促しているわけだから。

ぼくはこの年になってまざまざと感じるのだけれど、ある限定された年齢、たとえば「17才」というものの特権性は、究極的にはそれがなんら特権的ではない、という事実から来ているのではなかろうかと思う。逆説めいた言い方になるのだけれど、つまりそれは一般的にはなんら特権的な性格を有してはいない。「17才」というものは、どう考えても一般的に、その一般性において語り尽くすことのできる種類のものではないからだ。ぼくときみの「17才」は限りなく違い得る。だとしたらそこにある特権性は、本人以外の誰かが容易く語れる種類の事象ではないはずなのだ。

だがそれゆえに特権的である、ということもできる。ぼくたちは生きていく上で、天寿を全うするその日まで、ある特定の月日が特別だったという思いにだんだんとらわれなくなっていくだろう。ぼくたちは自分で年を重ねていってはじめて、すべての月日が同じくらいの遠い距離として手に届かないことを感じるだろう。あるいは全ての月日が等しく手の内にあるように感じるだろう。「17才」が特権的なのは「17才」の人にとってだけであり、そういう意味ではぼくは彼女たちに共感するわけにはいかなかった。ぼくはもう「17才」ではないからだ。

映画がはじまるころ(深夜1時)にぼくはビールを飲みはじめ、気がつくと朝の6時まで焼酎を飲んでいた。ぼくはほとんど酩酊状態で、文章をたくさん書いていた。ぼくはなんとなく長袖のTシャツをめくってみた。『もののけ姫』の「アシタカ」が受けた呪いとそっくり同じ場所が不思議な感じに赤く染まっていた。その呪いは、ぼくが酔っぱらっているという事実を告げていた。

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そこにはいつものように「なにか」が

2005 01,29,Saturday

朝の8時までひとりで飲んでいた。最近はめっきり酒量が増えている。といっても可愛いものだ。円に換算したらそれはたぶん千円すら超えていないはずだ。少なくとも二千円はいってない。一日たかだか千円のアルコールで人はアル中になれるものなのだろうか。なによりぼくは貧乏性なのだ。

深夜から明け方にかけて灯りを消した部屋で、読書用の小さなライトだけで、ひっそりと『ねじまき鳥クロニクル』を読み終えた。たぶんこの小説をすべて通して読んだのは卒論以来だ。最後の「208号室」での戦いの後、「笠原メイ」が月明かりの中でどういうわけか裸になるところで思わず涙がこぼれた。なるほど、とぼくは思った。きっとこの場面はそういう効果をもたらすものとして書かれていたのだ。4年前、ぼくはそんなところで泣かなかったと思う。今回ぼくはものすごくこの小説に感動したといっていい。酔っぱらっていた、ということもあるかもしれないけれど。こんなに良かったっけ?というのが率直な印象だ。

『ねじまき鳥クロニクル』は村上春樹の中でいちばん長い小説である、という事実以上に、ぼくにとっては読み返す気の起きない小説である。5年に一回くらいしか読み返す気がしない。なんというか、心理的に。特に第三部がそうなのだ。ちょっとやそっとでは近寄りがたい存在なのだ。気合いを入れなければとても読み通すことができないのだ。でもぼくはきっとこの先の人生において、何度もこの小説を読み返すことだろうと思う。

それからぼくは眠りにつき、昼の3時に起きた。ほどなくして実家へ帰る。立川で途中下車し、高島屋で北海道物産展をやっているということなので寄ってみる。つい先日「松本伸介」で取り上げられていた「ドゥーブル・フロマージュ」は残念ながら売り切れだった。が、スープカレーを食べる。きっと近いうちにもっと日常的に食べられるようになるとは思うのだけれど、早いところスープカレーが東京でも日常的に食べられるようになって欲しいものです。それともぼくの知らないところではもう日常的に食べられるようになっているのかもしれないけど、そこのところどうなのでしょう。

夜の8時過ぎになってみんなが集まりはじめる。いまは京都の某Kジマ電気で働いているSさんが東京に帰ってきているので、その彼を囲む会、というわけでもないのだけれど、総勢7人で鍋を囲むことになった。ぼくとしてはNくんと会ったのがほぼ1年ぶりでいちばんひさしぶりだったのだけれど、そのNくんとTくんにいたっては高校卒業以来はじめて顔を合わせるということだった。信じがたいことにそれはほとんど10年ぶりなのだ(これを書いているいま、かなり酔っているので正確な月日を計算できないことをお詫びします)。ちなみに現在唯一の既婚者であるTくんは、実家が隣町であったにもかかわらずぼくの家にやってくるのは初めてで、時の流れというものは何とも不思議な場所に人々を運んでゆくものだなあとつくづくぼくは感慨深い思いにとらわれずにはいられなかった。高校2年、3年と同じクラスだったのだけれどTくんはぼくの家に来たことはなかった。でも高校を卒業して10年経ってからTくんはぼくの家にやって来たのだ。そしてぼくの家の台所で鍋のための野菜を包丁で切ったりしているのだ。

もし家というものがどれだけたくさんの人をそこに招き入れたのか、という尺度でその善し悪しが計られるのだとしたら、ぼくの実家はかなりいい線をいっているはずだ、とぼくは酔った頭で考えた。考えてみたら、ぼくの家にはほとんどいつでも家族以外の人間がいた。一時期、というよりも長いあいだ、ぼくの家は極めて都合のいい溜まり場で、それこそたくさんの人たちがやって来ては去っていった。友達の友達や、友達の兄弟や恋人、友達の友達の友達、そのほかよくわからない人たちまでぼくの家に泊まっていったりした。ぼくは自分でも不思議なくらい、そういうのに向いている人間であるようだった。普段はとてもそんな人間ではないのだけれど、一度酔っぱらってしまうと、ぼくには限りなく歓待の精神が宿るようだった。ぼくはたぶん彼らが気を遣って欲しくない以上には気を遣わない人間だった。ぼくはもう二度と会うことはない人たちと不思議な因縁で巡り会い、いっしょに酒を飲み、彼らが眠りにつくのを確かめてから、朝になると彼らを送り出した。「またね」といってまぶしい朝の光の中に送り出した。彼らの多くはもう二度とその姿を現すことはなかった。彼らはいったいいまどこでどうしているのだろう。そう思うとぼくは不思議な気持ちになる。とても不思議な気持ちになる。彼らはいまでもここにいてもいいはずだった。でもここにはもう二度と戻って来ることはないのだ。

そういう意味では、ぼくにとって、何度も会えることが近い将来において一応は確定している人たち、というのはとても貴重な存在だ。ぼくは恐いのだ。いつその人に会えなくなってしまうのか、ぼくには決めることができないからだ。この世界では誰が誰にいつ会えなくなってしまうのか、わかったものではないのだ。ぼくは何度もそういうのを経験してきたのだ。

飲み会の場は、よく煮えたことを示す水蒸気が鍋のふたに開けられた小さな穴から吹き出すように、どう考えても親密な空気を部屋中に醸しだしていて、それは酔った頭の醸し出すぼくだけの錯覚なのかもしれなかったけれど、我々の人生の目的とはもしかしたらこういう場をところどころで設けることなのかもしれない、と思えるほど、そこには親密な空気が醸し出されていた。ぼくはなんというか密かに感動してしまっていて、いつもよりことば少なだったかもしれない。ぼくは年を重ねるにつれて段々ことば少なになっていくような気がする。そういう意味ではぼくは、ぼくが望む以上のものをすでに偶然手に入れていて、いつになったらこの恩返しをみんなに対してできるのだろうと不安になるくらいなのだ。Nくんはアイスクリームの詰め合わせを買ってきてくれた。Tくんは世界各国のビールを持ってきてくれた。ぼくとYくんは世界各国のビールを順番に飲み比べて批評してみた。これはジンジャーエール、これは駄菓子、これはワインというように。外国のビールは総じて甘いのが多かった。中にはなかなか美味しいのもあったし、もう二度と飲みたくはないものもあった。そしてアルコール度数の高いものが多かった。ぼくは顔の筋肉がおかしくなるくらい笑い転げた。これが高校に3年間通って得ることができたものなのだとしたら、それは十分に余りあるものだという気がした。

そしてやがて日付が変わる少し前、Tくんの奥さんがTくんを迎えに来て、YくんとYくんの恋人のKちゃんはTくんの奥さんの運転する車で最寄りの駅まで送ってもらい三鷹へと帰っていき、部屋にはぼくとNくんと京都から来たSさんとYくんが残されることになった。ぼくはそこでも感動してしまった。Tくんの奥さんはSさんの中学の後輩で、ふたりは面識はなかったが、とにかくそういう事実が浮き彫りになったり、一度も行ったことのない場所にカーナビの力を借りてではあるにせよ、酔っぱらった夫を車で迎えに来る女の子、というのにぼくは感動してしまった。ぼくたちは帰る人たちを見送り、帰らない人たちでまたぼくの家に戻った。

Yくんはいつも通りソファの上で眠りはじめ、その日スノボに行って帰ってきた(YくんとSさんとHくんとKちゃんはスノボ帰りだったのだ)ときの運転手であるSさんも眠りにつき(なんとSさんはこの二日で日本国内を1000キロ近く運転していた)、Nくんはそれを確認すると安心したように帰って行った。そしてぼくは自分の部屋に行って眠りについた。亀が蟻のように地面に繁栄している世界の夢を見た。ぼくが寝ているあいだにYくんとSさんはそれぞれの家に帰っていったようだった。そのようにしてぼくたちの飲み会は終わった。

ぼくは昼過ぎに目覚め、みんなで過ごした部屋を一通り片づけた。そこにはいつものように「なにか」が残っていた。その「なにか」のことを、ぼくは誰にも教えるつもりはない。それはみんなが帰った後、必ずそこに残るものであり、これはみんなが集まる部屋を提供するものの特権だといっていいだろう。ぼくはいつもみんなが帰った後でその「なにか」を回収した。そしてそれを子細に眺め、ポケットの中にしまうのだ。

diary 2005,01,29,Saturday
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レクター博士

2005 01,28,Friday

今日はモスバーガーに行ったんですが、って今日だけじゃなくてしょっちゅうぼくはモスに行ってるんですけど、いやあ、世の中には変わった人がいるもんですね。つくづく驚かされます。今日はですね、すごく変わった人を見ましたよ。その人は、すごーく、すごーく、変な人でした。というか、もう、ちょっと恐怖すら感じましたよね、正直いって。

まあはじめからいやな予感はしていたんですよ。ぼくはもうなんだか隣の席に人が来ただけで最近はすごくなんというのか、警戒するというか「もう来るな!」という感じなのですね。女の人ならまだいいんですけど、男が来たりするともう「帰れ!」と思ってしまいます。「お前が帰らないんだったら俺が帰る!」とすら思います。まあ帰りませんけどね、思うだけで。

その人はたぶん50過ぎのおっさんでした。ぼくはもうさっそくいやだなあと思いました。変な人が隣に来ちゃったなあと。なんか変なんですよね。隣に人が来た。それも男。しかもおっさん。ってだけでもうぼくの嫌悪感を喚起するに十分なのですが、そういう諸条件を超えた「変さ」みたいなのがそこはかとなく漂っているのです。そういう直感みたいなものって、それほど間違ってないことが多いです。なにか言語化できない、おかしな気配みたいなものを人間って感じ取っているんですよね、きっと。ああ、危ないのが来たぞ、気をつけろ、というわけです。まあ酷な言い方ではあるかもしれないけれど、生存戦略上、これは致し方のないことです。あるいは最終的にはその直感は的はずれである可能性だってあります。でもまずは人を警戒させるなにかが、そのおっさんにはあったわけです。

ぼくはオニポテとマスタードチキンバーガーを食べ終えて、コーヒーを飲みながら本を読んでいました。でもその人が隣に座ってからはその人のことが気になってもう一行も読み進められません。その人のテーブルの上にはプラスチックの番号札が乗っています。それをなにかとても物珍しそうに子細に眺めると、次に今度はこれまたテーブルに載っている紙ナプキンを入れておくやつを手にとって眺めはじめました。モスのお客さんというのはまあだいたいセットメニューを頼む人が多いのですね。そうすると必然的にテーブルの上には番号札と飲み物が置かれることになるわけです。ハンバーガーとかは時間がかかるので後から持ってきてくれるわけです。番号札を頼りにして。でもその人のテーブルは番号札だけだった。だからぼくは「この人はいったいなにを頼んだのだろう」と思っていたのです。

するとそこへ彼が頼んだものが運ばれてきました。思わず凝視せずにはいられませんでした。そしてぼくは何度も目を疑わなければならなかった。トレーの上には、(1)フライドポテトL(2)コーンポタージュスープ。まあここまではいいとしましょうよ。だがしかし!(3)ミネストローネ(4)おしるこが乗っていたのです。飲み物ばっかかい!

いやね、別にいけないとかいってるわけじゃないんですよね。なにを頼んで、なにを食べようと(なにを飲もうと)それは本人の自由ですから。当たり前の話ですけど。でもですね、その組み合わせはちょっと異様でした、はっきりいって。こんなおかしな組み合わせは見たことがない。ぼくの世界にはそういった組み合わせのオーダーは存在していないのです。あと100万回モスに行ってもそんな注文は思いつきもしないでしょう。

それにしてもモスの商品の組み合わせだけで、こんなにも異様なムードを漂わすことができるのですね。ぼくは驚きと共に、ちょっぴり感心せずにはいられませんでした。なんだか料理を前にしているその人の佇まいが『ハンニバル』のレクター博士みたいなんですよね。赤と黄色と黒、3種類の液体を使ってなんかの実験がはじまりそうな雰囲気でした。ポテトはかき混ぜ棒にでも使うのでしょうか?

さて、ぼくの予想を大幅に逸脱して、レクター博士が最初に手をつけたのは「おしるこ」でした。ほとんどありえませんね、これ。そしてどういうわけか3つの飲み物のためにひとつずつ付いているスプーンを、博士は「おしるこ」のためにふたつも使っていました。意味がわかりませんね、これ。

でね、こんなに人の食事風景を観察してる俺もどうなんだと思うのですが、おしるこ、ミネストローネ、おしるこ、ミネストローネみたいな感じで食べてるわけです。ふつうに(まさか、おいしいのでしょうか?)。そしてそれをときおりコーンポタージュスープで流し込むわけです。「ははあ、博士にとってはおしることミネストローネが主食でコーンポタージュスープが飲み物に当たるわけなのですね」とクラリス=ぼくが分析していた矢先にそれは起こりました。コーンポタージュスープの中にポテトを入れたのです!そしてやおら立ち上がるとレジの方に行き、さらなる飲み物である「水」をもらって帰ってきました。これで4種類の液体がテーブルの上に並んだことになります。「なるほど。飲み物に当たるものがなくなってしまったことに気づかれたのですね」とぼく=クラリスは思いました。「だから純粋な飲み物としての水をもらってきたのですね」と。

結局、博士はスープに浸したポテトをすべて食べ、すべての液体を余すことなく飲み干すと、すぐさま立ち上がり帰って行きました。「ああ助かった」とぼくがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、博士はすぐに店内に戻ってきた。まるでゾンビ映画のように。そして博士は店員さんにもう一杯水をもらい、それを一気に飲み干すと今度こそ本当に帰って行ったのです。

と、まあ、それだけのことです。でも不思議ですね。なんとなくなその人の佇まいと、ただなんてことのない商品の組み合わせが、こんなにも恐怖心をかき立てるのです。ぼくはほんとに恐くてたまりませんでした。早く食べ終わってくれ、とただそれだけを願っていた。もう本を読むどころの話ではありませんよね。恐かったなぁ…。

diary 2005,01,28,Friday
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煮込みハンバーグなんたら

2005 01,22,Saturday

ティーヌン。
内田樹『寝ながら学べる構造主義』、中沢新一『対称性人類学』。
HMVでLemon Jelly『'64-'95』、Miles Davis『'Round About Midnight』『Sketches of Spain』『STEAMIN'』『COOKIN'』。
大戸屋で煮込みハンバーグなんたらと生ビール。BECKER'Sで生ビール2杯。

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『となり町戦争』

2005 01,16,Sunday

朝の6時まで本を読む。昼ごろ起きて渋谷へ。ブックファーストで三崎亜記『となり町戦争』(サイン本)、高橋源一郎『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』。
「G7」おもしろかった。そのあと打ち上げ。

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ものすごくディセンシー

2005 01,15,Saturday

6時半に起きて読書。『他者と死者』をとりあえず一回通しで読み終えた。内田さんはひとことでいうと、ものすごくディセンシーなものの考え方をする人だなあとおもう。とおもって「ディセンシー」の意味を間違って覚えていて間違って使ってたらいやなので一応「ディセンシー」で検索してみたら内田さんのブログがいちばん上だった!なんという偶然。

『KILL BILL2』をやっと観る。タランティーノはアホだ。あの、生きたまま棺に入れられて埋められるの、恐いなあ。昔ああいう夢をよく見たことをおもいだしてしまった。ひとことでいうとmurderがmotherになる話だね、これ。

そしてぜんぜん関係ないけど、今年が平成何年なのか今日はじめて考えた。今年は平成17年(だよね?)です、みたいなことをいってるのを一回もきいてないし見てない気がする。

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存在の真骨頂

2005 01,13,Thursday

昼過ぎにいったんグリを部屋に入れるために起きたがなんとなくもう一回寝てしまい起きたら4時だったので学校に行けなかった。仕方ないので仕事する。途中で阿部和重、芥川賞受賞のニュースを知る。なにをいまさら、という感じだが、三度のノミネートの末ということや、デビュー10年でもらう、というところがやはり阿部和重という存在の真骨頂ともいえるのではなかろうか。名誉さえも脱臼せずにはおかない、というか。直木賞は角田光代で、今回はまあ順当ともいえる。でも芥川賞って新人賞じゃなかったっけ?『プラスチック・ソウル』はいつ単行本化するのだ?

一段落したところでTSUTAYAに行き100s『OZ』を(最後の一枚だった)。『OZ』だが、半透明の膜で密閉された部屋の中にいる感じ。日本語なのにもはや日本語にきこえないというところが実にいまの気分にぴったりくる。もううるさいんだもん。奥田民生とかさ。

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凶がいっぱい

2005 01,04,Tuesday

朝から雑煮で餅を9個食べ、浅草へ。さすがに胃がもたれる。雪が凍ってつるつるだ。というか靴の裏がつるつるなんだな。今年は靴を買わないと。えーと、今年は靴を買います。2005年の目標。

浅草は人でいっぱいでした。なんとなく人がいっぱいとはおもっていなかったのでびっくりです。新年早々遅れてくるグリコを待つ。30分も!「ちょっと遅れます。ごめんなさい」と電話をかけたのはぼくのほうだったのですが。それに輪をかけて遅れてくるとはいったいどういうことだろうか。今年は何分待たされるか、全部記録しておくことにしよう。おみくじを引いたら凶だったのでなかったことにしてもう一回引いたら吉だった。そのおみくじの前ではみんな「凶だー」とかいっていて、凶がいっぱい入ってるみたいでした。それからなぜか水上バスに乗り浜離宮に行きまして写真をバシバシ撮り、歩いて銀座まで出て文明堂のカフェでカステラなど食べ、それからティーヌンでトムヤムラーメンを食べて帰りました。

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夏からずっと開いていた

2005 01,03,Monday

読書始めは、大江健三郎『むしろ老人の愚行が聞きたい』。

部屋が寒くってですね、やっぱこっちのほうは寒いんだなあ、同じ東京でもずいぶん違うもんだなあ、と納得していたのですが、あまりにも寒いので、もしかして、とおもい確認してみたらやっぱり窓が開いていました。サッシがちゃんと閉まってないのに鍵だけがかかった状態になっていたのでした。そんなの寒いに決まってるじゃん、とおもった明け方。滞在四日目ではじめてきづく、というのもどうかとおもう。というか夏からずっと開いていた模様、というのもどうかと。雑煮で餅4個。

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新年の感慨

2005 01,01,Saturday

雑煮で餅を8個食べる。実家にて。三が日で50個は食べるつもりです。
年賀状が一枚もなし、なのは毎年のこと(店とかからも来ない)だけど、新年の感慨がこんなにないのははじめてのこととおもう。いったいどうしたことか。

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大晦日に雪!

2004 12,31,Friday

昨日とはうってかわって雪。大晦日に雪!おいしいとんかつを食べて実家へ帰る。途中下車してパンツと靴下を買う。本屋でジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』。駅のそばまで妹と母が来るというのでいっしょに夕ごはんを食べることになる。駅から待ち合わせの店に行くまでに靴も靴下もびしょびしょになる。「緑のたぬき」を食べてそれを年越しそばとする。星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』を読み終えて一年が終わる。

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スーザン・ソンタグまで

2004 12,29,Wednesday

なんとスーザン・ソンタグまで亡くなってしまった。合掌。

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ギネスとエビス、ワインとチキン

2004 12,24,Friday

リブロでイアン・ワトスン『エンベディング』、トマス・M・ディッシュ『アジアの岸辺』、ブルボン小林『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』。

商店街にある、はじめて行くイタリアンの店で夕食。とても感じが良く、しかも良心的な値段の、新しくできたお店。最寄りの商店街にあったらいいな、とおもうようなイタリアンが最寄りの商店街にあることの喜び。ギネスを一杯。エビスを一杯。そしてカルボナーラ。アボカドとホタテのリゾット。ホタテのカルパッチョ。ぼくはカルボナーラ、というものが(その名前の響きも含めて。そこには炭素を意味するカーボンの響きが含まれており、ぼくはカーボンが好きなのだ。なぜならそれは高圧をかけ、分子構造を整列させたならばダイアモンドになるからだ。ご存じの通り、『スーパーマン』には炭を握りしめてダイヤにするシーンが存在する)大好きで、それこそ何十種類ものカルボナーラを食べてきたのだが、ここのカルボナーラはほぼ完璧といっていいカルボナーラであった。 

TSUTAYAに行き、『sixtynine』、『ヴァイブレータ』、『パンチドランク・ラブ』を借り、ワインとチキンを買って帰る。ギネスとエビス、ワインとチキン。ぼくは割と、一年に一度この日はこれを食べる、とかいうのが好きである。365日、それが決まってればいいのに。

diary 2004,12,24,Friday
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おでん

2004 12,19,Sunday

新宿へ。紀伊國屋で中俣暁生『極西文学論』。「お多幸」でおでん。なんだかんだでみんな集まった。深夜『極西文学論』読了。前のやつの方がよかったかな。

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おしゃれすぎる

2004 12,12,Sunday

グリコが美容院に行くのでいっしょに外出しお昼ごはんを食べる。炒飯。HMVでひさびさに『MARQUEE』、とDVDマガジン『GALACTIKA』を買う。夜、居酒屋。というにはおしゃれすぎるか。ブックオフで榎本俊二『GOLDEN LUCKY 1992-1993完全版』の(中)。(中)だけ買い忘れていたので。それと吉田修一『長崎乱楽坂』と『日曜日たち』。

diary 2004,12,12,Sunday
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ドラクエをクリア

2004 12,07,Tuesday

明け方、ドラクエをクリア。昼ごろ起き、夕方から出かける。リブロで西原理恵子『上京ものがたり』、松本大洋『ナンバーファイブ』の7巻、『現代思想12 緊急特集 ジャック・デリダ』、片山洋二郎『骨盤にきく』、『季刊 前夜 創刊号』。新宿紀伊國屋でチェアマンと待ち合わせて居酒屋へ。途中でライカさん、グリコが来る。混んでいて2時間制なので追い出されもう一軒。おでんを買って帰る。

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「パンク・ピカソ展」

2004 12,05,Sunday

昼過ぎに起きる。あったかい。池袋でお昼ごはん。ひさしぶりに行ってみようということになったラーメン屋が潰れていた。気を取り直して定食屋に入りほっけを食べる。それから渋谷へ。ワタリウムで「±0」のノートを買う。それからラリー・クラークの「パンク・ピカソ展」を観る。写真とか切り抜きとか手紙とか。スタバに行く。再開された青山ブックセンターに行く。何冊も本を手に取ったが結局は重いのでやめにして、とりあえず『美術手帖』と『日本一怖い!ブック・オブ・ザ・イヤー2005』と藤代冥砂責任編集『最前線』(サイン入り)を買う。表参道から地下鉄に乗り本を読みながらゆっくり帰る。鮨を買って帰る。

diary 2004,12,05,Sunday
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でもたぶん寒いはず

2004 12,02,Thursday

学校へ。駅のホームで半袖の人をふたりも見かけ、一瞬、もしかしたら今日はすごいあったかいのかもしれない、コートなんか着てきたのは間違いだったかも、とおもい、寒いのか寒くないのかわからなくなった。でもたぶん寒いはずだし、やっぱり実際に寒いので、あの人たちは寒くないのかなとおもいました。渋谷はすっかりクリスマス前のいるみねえしょんできれいになっていた。今日もおでんを食べた。寒いからだとおもう。

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ひたすらドラクエ

2004 12,01,Wednesday

ドラクエをやる。おにぎりとサンドイッチを食べる。ドラクエをやる。肉まんを食べる。ドラクエをやる。ひたすらドラクエをやりながら環境型支配について考えた。あの、マクドナルドの椅子は硬くしてある、とかいうやつだ。けどなんでそんなことを考えたのか忘れた。ココイチでカレー。

diary 2004,12,01,Wednesday
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なにも食べずにドラクエ

2004 11,30,Tuesday

ドラクエをやる。なにも食べずにドラクエ。ひさびさに鏡を見たら、超ひげがのびていてびっくりした。夜、デミたまハンバーグ弁当を買ってきてもらって食べた。ゲームをやるとすごくよく眠れる。深く眠れる気がする。たぶん脳をたくさん使っているからかもしれない。だからちいさいころはあんなに寝ていたのかもしれない。

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ドラクエをやる

2004 11,29,Monday

ドラクエをやる。夜、おでんを買ってきてもらう。

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大きな肉まん

2004 11,28,Sunday

けっこうすぐ起きてドラクエをやる。お昼ごろ、モスに買いに行かされる。日曜日のモスは混んでるなあ。夜の8時から12時まではテレビを観られたので、仕方なくテレビを観ます。最近は田村正和ばっかり見てる気がする。夜ごはんは大きな肉まんを食べた。一個500円だって。

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ドラクエ8

2004 11,27,Saturday

ドラクエ8をamazonで注文したのですが、お昼頃「まだかなー」とグリコさんにきいたら「ポストに投函されるみたいよ」というのでポストを見に行ったらポストにはすでにamazonの包みが入っていてそれはドラクエなのでした。amazonの包み(あの紙のやつです)をはじめて開けたのですが、はさみで端っこの方を切りすぎでした。中身を切り刻んでしまうことを恐れるあまり。それでは中のものが出てこないのでした。でも結局は開きました。それからはドラクエをしまくりです。でも夜は飲み会に行き、朝まで飲みました。場所は新宿でした。

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『停電の夜に』

2004 11,26,Friday

銀だこのたこ焼きを食べた。ぼくはたこ焼きが好きです。いつでも食べたいとおもっている。のでよろしくお願いします。と意味もなくいいたいくらい好きです。

『停電の夜に』を読了。これは短編集ですが、長いのが読んでみたい!とおもいました。とおもったらもう買ってあるので『その名にちなんで』を読もうとおもいます。

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この世界には

2004 11,25,Thursday

午前中から外出。東京駅へ行く。仙台ではじめて食べた牛タンの「喜助」が先月の終わりに東京にオープンしたのです。麦飯をお代わりできないのが痛い。確かめたわけじゃないけど、できそうにない雰囲気。が牛タンはやはりおいしかった。月一回行くことにしよう。でもなんでみんな「なんてことない」という顔をして食べてるんだろう。すごいおいしいのに。って自分も普通の顔で食べてるか。そうか。

で、食後は八重洲ブックセンターへ行く。八重洲古書館へも行く。ぼくは「八重洲」ということばが好きです。古書館でウラジミール・ナボコフ『透明な対象』、斉藤環『文学の徴候』を買う。

そこから歩いて有楽町へ行き、あの有名な宝くじ売り場で宝くじでも買うかな、とおもったら、すごい!宝くじ買うのにあんなに並ぶんですね。5時間くらいかかるんじゃないでしょうか。あんなに買えば、そりゃだれかは当たるよな。とおもいました。ほとんど詐欺に近いような気もする。

AM/PMでジャワティを買って日比谷公園へ。ジャワティうまい。こないだジャワティを飲んだのは、青山に行った日だな。あったかかったから本でも読むか、とおもって日比谷公園に行ったら急に日がかげって寒くなった。ので早めに学校に行っちゃうことにし、銀座から銀座線で渋谷へ。HMVで『エスクァイア』、野田努『ブラック・マシーン・ミュージック』。今日の東大の講義にゲスト講師として野田さんがいらっしゃる、ということで著作を購入。野田努さんはあの『ele-king』の編集者で、現在『re-mix』編集長。

歩いて東大へ。講義時間を大幅におしてしまったが、まだまだ聴きたい、という感じでした。講義後、歩いて渋谷へ行き、池袋の駅構内にあるカレー屋でカレーを食べてビックカメラでPS2を購入。めちゃめちゃ荷物が重い。なんといってもハードカバーの本を五冊も持ち歩いているのだ。重いに決まっている。せっかく薄く軽くなったPS2だが、それでもやはり重い。

ああそういえば東大で900番教室ってどこですか?と訊かれた。学生に見えるのか?それと今日は一日コーヒーを飲もう飲もうとおもって歩き回っていたけれど結局飲みませんでした。どうもぴんと来る喫茶店がない。この世界には。

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世界一のおでん屋

2004 11,24,Wednesday

セブンイレブンは去年おでんだけで160億円の売り上げだそうだ。ということはセブンイレブンは日本一のおでん屋である、といってまず間違いなかろう。ということは、世界一のおでん屋であることにもなるであろう。これからはセブンイレブンをおでん屋と呼ぶことにしよう。

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王子

2004 11,23,Tuesday

東京フィールドワークの日。バスで王子へ。詳細は略。だって吉川くんが書くんだもんね。お疲れ、ということで王子のしゃぶしゃぶ屋に行き、乾杯。するも、グリコがお腹が痛いといい、7時頃、大事をとって解散。

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しょっぱい

2004 11,21,Sunday

お昼にオムライスを作ってもらう。しょっぱい。自転車で池袋へ。リブロでマーガレット・アトウッド『侍女の物語』、ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』と『その名にちなんで』。WAVEでunbeltipo『Joujoushka』。ティーヌンで生ビール、トムヤムラーメン。今日は東大のイベントに行くのを忘れた。

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アップルストアのイベント

2004 11,20,Saturday

昨日、アップルストアのイベントに行くのを忘れたことを今日おもいだした。ほっけを食べ、焼酎を飲んで寝た。

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全滅

2004 11,19,Friday

昼ごはんは抜き、夜、自転車で牛タン料理屋に行く。東京の牛タンはやっぱり駄目なのかもしれない。これで3、4軒行ったが、全滅だ。仙台に行きたいなあ。とおもっていたら仙台の「喜助」が東京駅にオープンしたらしい。今度行ってみよう。

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掃除機を吸いこむ掃除機が欲しい

2004 11,18,Thursday

『真夜中の五分前side-A』『side-B』読了。

部屋の掃除をする。掃除機をかけているといつもおもうのだけれど、掃除機をかけているときにいちばん邪魔なのは掃除機だ。掃除機を吸いこむ掃除機が欲しい。

その後、東大へ。今日はちょっと遅刻したので席がもう空いてなく、立って講義を聴く。立って聴いていてもあっというまに時間がきてしまう。講義終了後、雨でも徒歩で渋谷へ。どこにも寄らず池袋へ。リブロで難波江和英+内田樹『現代思想のパフォーマンス』、レベッカ・ブラウン『体の贈り物』。

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お、おわったー!

2004 11,14,Sunday

お、おわったー! いまから寝ます。4時半には起きなきゃならない。いま0時半。起きれるのか?

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ものすごい作業スピード

2004 11,12,Friday

10時ごろ起きる。朝ごはんを食べて作業開始。もうほとんどなにも考えなくても手が動く。意識が研ぎ澄まされているのか、ハイになっているのかわからないが、ものすごい作業スピード。どうやら間に合いそうだ。またおでんを買ってきてもらった。

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缶詰状態

2004 11,11,Thursday

9時起床。やっと素材が届く。間に合うのか?北海道なんかで仕事したくないぞ。どうしてこういうときに限ってトラブルんだろうな。そうそう日曜から北海道に行くのです。しかも4ページも増えてるし!ありえん。起きて3分で仕事開始。もくもくと作業。夕方、学校は休むことにし、講義のかわりに睡眠をとることにした。そういえば2時間しか寝てなかったということをおもいだしたら急激に眠くなったのだった。小学校の同級生に、包丁で腰のあたりをばっさり斬られる夢を見た。すげえ恐い。腰が痛いからこんな夢を見るのだ。3時間ほど眠り、起きて仕事。グリコに夕ごはん買ってきてもらう。おでん。完全に缶詰状態でコンビニのものしか食べてないし、こないだの泥酔以来、胃腸の調子がおもわしくない。休憩時間には小川洋子『まぶた』を一話ずつ読んだ。この短編集は村上春樹だなあ。タイトルの付け方といい。朝の8時頃いったん寝る。

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カツ丼が食いたい

2004 11,10,Wednesday

マック。おでん。肉まん。チェアマン。が読んだらしいので、よしもとばななの『キッチン』を5年ぶりくらいで読み直す。ゼミでやったなあ。「なぜ台所なのか」ということについて発言した記憶がある。小説とはまごころをこめて作る料理、あるいは深夜に届けられるあたたかいカツ丼である。という小説家の宣言として、ぼくはこの小説を読んだ。そういえば発表したおんなのこが泣いてしまったのだった(ぼくが泣かしたんじゃないですよ)。にしても『キッチン』は何度読んでも泣いてしまうなあ。カツ丼が食いたいなあ。つい三日前食べたけど。

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汚いテッポウ魚

2004 11,07,Sunday

劣悪な二日酔い。史上最悪、でもないか。またやっちまった。という感じ。水分を補給しようと努めるが飲んだものを自動的に全部吐く。汚いテッポウ魚みたい。こういうとき、胃はどういうつもりなのだろう。Mさんに胃薬をいただく。胃薬を吐いてしまったら駄目なので、そこからはもう吐くまいと決心。10時にはチェックアウトしなければならないので支度をして貸別荘をあとにする。ちょっとでも気を抜くと吐きそうになる。という状態の絶望的な維持。大学時代のゼミ合宿のときもこんなだったっけ。河口湖周辺では「紅葉祭り」が催されており、つまり紅葉がきれいで、きれいなものを見ると一瞬だけ吐き気がおさまる。ような気がする。それから温泉へ。温泉の休憩所の畳の上で小一時間寝てから、温泉に入る。いろんな種類の温泉があり、ぼくは「洞窟温泉」というのが気に入った。温泉に入って汗を流してもなお、二日酔いは続き、ひとりだけファミレスでも食事を摂らず、談合坂SAでやっと回復し肉まんを食べた。おみやげを買って帰る。

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神話の世界の住人

2004 11,06,Saturday

一日の大半をカップル二組とともにする。八王子ICから中央自動車道へ。Hくんが10時前に車で迎えに来てくれたが、ぼくはなぜか午前2時半に目覚めており、極度の睡眠不足、および暴飲暴食(起きてから朝までにブリトー、カップヌードル・シーフード大盛り、スープスパゲティなどを過食症患者のごとく食べた)により、著しく体調が悪かった。こういうとき車に乗るのはつらい、という状態を、まるで自ら望んでいたかのようだ。そして極めて予定調和的にお腹を壊し、車酔いによる吐き気を我慢し、まずはマクドナルドのトイレに駆け込むことになる。カップル二組にまぎれるとぼくにはもう話すことがなにもない。というような気持ちになる。これは決して嫌みでもいやな感情でもない。どちらのカップルもそれぞれまったく別様にぼくには微笑ましくおもえ、実際には話すことはいくらでもあるが、ぼくの話など蛇足的に野暮なのだ。というような気持ちになる。ぼくには聴きとることのできない周波数で、恋人たちがするのはすべてが秘密の会話だ。という気がする。もちろん実際のところ、そこにはまったくなにも秘密などない。だが彼らは彼らにしか通じないことばを使って話し、ぼくはそれを聴きとろうとも、解読しようともおもわない。という意味でそれは秘密の会話なのだ。あらゆる恋人たちは神聖で、なんだか神話の世界の住人みたいで、近寄りがたくはないが、近づいてはいけないような気持ちになるものだ。ぼくは自分が邪魔者であると卑下したりはしないが、レヴィナスがいうように、あらゆる二者関係は第三者の排除によって成り立っている。ということを実感する。執拗に三角関係の話を書いた夏目漱石の、『こころ』を引き合いに出すまでもなく、第三者は死ぬか、その場を立ち去るしかない。「K」は死んで立ち去ったというわけだ。だがぼくはその疎外(といってもいいだろう)を、祝福のようにも感じる。ぼくには差し当たって話すことがなにもなく、また話すことを求められてもいない。という状態が、極めて体調の悪いぼくには心地よいのだった。

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なにをするのかは未定

2004 11,05,Friday

朝4時に起きる。CSで「1984」を観たが、朝起きてすぐ観る映画じゃ断じてない。オーソン・ウェルズ、じゃなくてジョージ・オーウェル(このふたりを混同しやすい)のディストピア小説『1984年』の映画化だが、ビッグ・ブラザーが思い描いていたよりもしょぼいとおもいました。

夜、Hくんが来て明日の打ち合わせをする。明日、明後日と河口湖にある貸別荘に行ってきます。なにをするのかは未定。あ、バーベキューはすることになってます。

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なんだよバカ!研修生!

2004 11,04,Thursday

あー。すげえ寝た。頭が痛い。たぶん、たくさん本を読むと、たくさん眠らなければいけなくなる気がする。経験的に。だから昔はあんなに寝ていたわけだ。星野智幸『ファンタジスタ』再読了。午後、東大へ。今月は「ダンス」である。講義後、今日は実家に帰るので井の頭線で吉祥寺へ。中央線に乗り換え立川で下車。本屋で田中小実昌『ポロポロ』、小川洋子『まぶた』、吉田修一『パレード』、星野智幸『目覚めよと人形は歌う』。ただでさえ荷物が重たいのに本を四冊も買うなんてバカだ。しかも2054円だったので5054円払ったのにお釣りが2970円で、「ありゃ間違っちゃったか」とおもったけど、どう考えても10円玉を5枚出したはずなので、たぶん店員が間違えたに違いない。なんだよバカ!研修生! それから紺の長袖Tシャツを買う。近年、洋服は紺の長袖Tシャツしか買っていない気がする。拝島でYくんにばったり会う。もう退院してふつうに生活しているようだ。実はYくんに会うような気がしていたので、特に驚きはしなかった。

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作業が遅いだけ

2004 11,01,Monday

東京フィールドワーク」をアップする。昨日の夜から12時間ぶっ通しで作業し、ようやく完成。われながらすごい集中力である。というか作業が遅いだけなのだが。

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ジャージャー麺

2004 10,31,Sunday

夕方まで起きなかった。「東京フィールドワーク」の作業。ジャージャー麺を食べた。今日食べたものはジャージャー麺だけだった。昨日、ちらっと見た韓国のドラマで登場人物がジャージャー麺を食べていたことと、おれが今日ジャージャー麺を食べたことのあいだにはなにか関係があるといわなければならない。なぜならジャージャー麺を食べたのは、たぶん生まれてはじめてのことだからだ。とおもったけど、食べたことあったや。

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部屋の掃除をしないのはよくない

2004 10,30,Saturday

起きて、『アルカロイド・ラヴァーズ』の続きを読む。なんだか一日中うつらうつらとしていたが、夜、吉川くんから電話があり、更新作業をするというので、部屋の掃除をする。誰かが来ることにならないと部屋の掃除をしないのはよくないなあ。「東京フィールドワーク」のリニューアル作業。おもったより時間がかかりそうなので、だいたいのイメージを吉川くんからきいて、あとは近日中に仕上げる、ということになり、しばし談笑する。朝まで雨が降り止まず、やっと弱まったところで吉川くん帰る。

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ピカソ展

2004 10,28,Thursday

朝からどこかでだれかがうるさい音を立てているので(なんかまだ近所で家を作ってる音がする。終わったとおもったのに!)、午前中からピカソ展に行くことにした。木場で下車。いい天気。いろんなとこで道草を食ったり(花の写真をいっぱい撮った)、とんかつを食ったりしたので、木場に着いたのが12時前だったのに、現代美術館に着いたのは1時半過ぎだった。で、ピカソはすごくおもしろくて、途中で本当に笑いがこらえきれなくなって休憩したりしました。ひとりで行っちゃだめでした。なんだかみんなすごくマジメくさった顔をして観ているし、ひとりでげらげら笑うのはどうなのよ?とも一応おもうわけなので、いったん深呼吸し顔を引き締めてもう一度続きを見に行ったら、すごくけらけら笑っている外人のおばさんがいたので、ふたりで顔を見合わせていっしょに笑ってしまいました。「なにこれ?うふふ。変なの。ばかみたい。あはは」という感じで、「どうしようもないわねえ。この子はこんな絵ばっか描いて」みたいな感じでした(違うかもしれないけど)。ピカソの絵はすごくユーモラスでキャッチーだなあとあらためておもい、観ているとこっちまで絵を描きたくなってきてしまいました。4時から東大なので2時間しかいられませんでしたが、あと1時間くらいはいたかったです(あんなに道草を食わなければよかった……)。

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ヴォルフガング・ティルマンス展

2004 10,23,Saturday

オペラシティのアートギャラリーにてヴォルフガング・ティルマンス展。ギャラリーや美術館というところは、作品を観ている人も作品の一部になってしまう、というところがすごくおもしろいとおもいます。写真をじっと観ている人も写真の一部であるように見えてくるんですね。特に大きな作品だったりするとなおさらです。そしてついには会場全体が作品であるような気がしてきます。特に会場がそれほどには混雑していなかったりするとなおさらです。今日はとてもいい感じの人出で、とてもいい感じに人々が作品化され、とてもいい感じでした。もちろんそこでは自分も作品の一部です。とてもいい感じに、かどうかはわかりませんが。それから建物全体が作品であるような気がしはじめ、美術館から外に出たあとも今度は都市全体が作品であるような気がしてくるわけです。ぼくはたぶん「やくざ映画」を見終わって映画館を出たら肩で風を切って歩くタイプです。写真展なんかに行くと、もう見るものすべてが写真であるように感じられてしまう。チューニングされやすい性質なんでしょうか。チューニングしやすいというか。

ただ途中、大きな地震が来て、すごく恐かったです。大の男が「大きな地震が来て、すごく恐かったです」なんて書くのもどうかとおもうけど。なんてまったくおもってなくて、ぼくは地震が恐いので書きますが、とにかく恐かったです。なんか変だ、なんだこれ、とおもっていたら揺れはじめて、地震だ、とおもい、けっこう長く揺れていました。地震が来るとかならず「地震だ!」とおもいますね。当たり前ですけど。「地震!」と声に出していってしまいます。わかりきっているのに。揺れがおさまったあとも壁やなんかが不吉にみしみし音を立てていて、しばらくのあいだ足もとがぐらぐら揺れているような感じがずっと続きました。オペラシティのエレベーターは停止し、エレベータホールには人が溢れ、どこかのレストランに届けるのか、透明なビニールに包まれた巨大な生肉の塊をぶら下げた人が呆然と立ちつくし、その光景はなんだか夢の中のように非現実的でした。

京王線で明大前を経由し下北沢へ。生まれてから一度も明大前なんか行ったことがなかったのに二日連続で来てしまい、なんだか不思議だなあとおもいました。みんなと合流して居酒屋へ。店の前にあったテレビで新潟・震度6だったということを知る。終電前に帰ろうということで店を出たけど、もう一軒行くということに決まりカラオケへ。吉川くんも合流し、朝まで。でも唄いたい歌をまったく選ばせてくれない曲指定カラオケで、変な感じでした。おもしろかったけど。朝になってもぜんぜん眠くなく、おでんと肉まんを買って帰り、そのまま今日は活動しようかとおもっていたけれどいつのまにか寝ていた。そんなことそのときはまったく意識していなかったけど、今日は大きな地震があったので、心のどこかでみんなで朝までいっしょにいたかったのかな、とちょっとおもいました。ちょっとだけ。

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永福町っていい名前

2004 10,22,Friday

お腹が痛い。新宿から京王線に乗り明大前。井の頭線の永福町で待ち合わせ、Nさんのお宅へはじめて伺う。考えてみたら永福町っていい名前ですね。Nさんにブログをはじめる手ほどきを極めて簡単にし、部屋の模様替えを手伝う。汗だくになる。もう読まないという本を何冊かいただく。まさかの報酬までいただく。ありがとうございました。それから飲みに連れて行ってもらう。いろいろな話をした中でも印象的だったのが、「おれは落合が許せない話」でした。「落合を野球界から永久追放するべきだ」。お腹が痛いのでほどほどにという当初の予定だったが、結局、途中で回復していることに気づき、カラオケまで行ってしまう。Nさん、極めて渋い選曲である。3時過ぎタクシーで帰る。タクシーにカーナビがついてる、とはじめておもった気がするが、もしかしたら前にもおもったかもしれない。タクシーの運転手に始終話しかけられた。そんなこと知るかよ!

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ダイジョブデスカ?

2004 10,19,Tuesday

軽い二日酔い。結局朝の7時くらいまで飲んでいた。12時起床。Yくんと池袋まで行く。Yくんはそのまま帰るとのこと。近い方のティーヌンでトムヤムヌードルを食べる。雨なので遠い方まで行けなかった。というかおれはタイ人か。お会計のときに財布を取り出すため、レジ付近の台に傘をかけた。とおもったら傘は床に落ちた。まあいいや、とおもってお金を払おうとすると、タイ人の店員さんがどこかへ消えてしまった。あれ?とおもっていると、店員さんはすぐに戻ってきてなにかおかしな物体を台の上に置いた。そして、「ダイジョブデスカ?ダイジョブ?」といった。一瞬、ぜんぜん意味がわからなかったが、どうやらその物体は傘を持つ部分の一部だった。床に落ちたショックでぽっきりというかぱっくりというかぱっかりというかくっきり割れた、というか折れてしまったのだった。なんだかものすごく恥ずかしかった。なんというか、卑猥なのだ。形状が。それにしても、たったの一瞬のあいだだが、まったく意味のわからない、心当たりもない物体が目の前に差し出され、本当に驚いた。驚いたというか、頭の中が真っ白になるというか。現実が一瞬にして変容するというか。なんだこりゃ。とおもうまもなく、あ、傘か、折れちゃったんだ、と気づいたけれど、これが「もの自体」というか、ラカンのいう現実界というやつではないだろうか。で、傘はすごい持ちにくくなっちゃって困った。どこにも引っかけられないし。

HMVでOVERROCKET『POPMUSIC』、リロイ・ジョーンズ『ブルース・ピープル』。リブロでヴォルフガング・ティルマンスの写真集。オペラシティでやってる写真展も行きたいなあ。ビックカメラで『リンクの冒険』を遅ればせながら買う。東武でそばを食べて帰る。

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Yくんが多すぎる

2004 10,18,Monday

夜、「とり鉄」へ。12時過ぎにYくんが到着。今日はYくんは専門学校の飲み会があり、家には帰れないのでアボカにご宿泊。ふたりで2時過ぎまで飲む。閉店時刻は2時なのに、別にかまわないですよ、と店長さんがいうのでお言葉に甘える。お会計は11000円だった。たけえええ。でもおごる。それからビールを買って帰って朝まで飲んだ(ちなみにぼくは友だちにYくんが多すぎるので、いろんなYくんが出てきているということをみなさんは知ってても知らなくてもいいです)。

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なんでもいいからとにかく

2004 10,16,Saturday

3時に待ち合わせだったが、新宿ルミネのブックファーストで時間調整をしていたらぎりぎりになってしまい、しかも電車が遅れたので遅刻で、みんなには先に入っててもらう。今日は昭和記念公園でなにかをするということである。なにかってなんだ。「みんなの原っぱ」でフリスビーとかバドミントンとかをした。天気は悪いが広くて気持ちがよい。ビールを飲む。寒い。運動すると暑い。閉園時刻になったのでYくんが入院している病院へお見舞いに行く。歩いている途中で日が暮れてきて、ものすごい夕焼けが見れた。ものすごい。とにかく、ものすごかったので写真に撮る。赤い。すごく赤い。けっこう歩いて病院にたどり着く。きれいな病院でYくんはおもったより元気そうだった。屋久島で居眠り運転をして車が横転し、腕がえぐれたそうである。えぐれた部分に皮をはるために入院しているとのこと。股のところの皮膚を移植したそうだ。Yくんが食事の時間になったのでその場を辞退し、タクシーで立川駅、それから電車で三鷹へ。Hくんの家で鍋。高校時代や浪人時代に撮影したビデオを観たりした。若い。ものすごく恥ずかしい。ビデオの中のぼくたちは、学校やデパートでやがて映画となるはずの断片を撮影したり(完成しなかった)、突然、車で日本海に行ったり(雪の中、チェーンなしで)、クリスマスに川原で焼き芋(一本だけ)を焼いたり、コーネリアスのPVのパロディ(角や羽根を作ったりした)をしたりしていて、とても元気そうだった。なんでもいいからとにかく撮影しておくべきである、との結論に達する。鍋はというと明らかに食材を買いすぎた。お腹いっぱいになったところでカラオケへ。カラオケボックスの監視カメラをおしぼりで隠していたら、帰りに店員さんに怒られた。ごめんなさい。ビール片手に始発でアボカへ帰る。

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人類の知性の総体

2004 10,10,Sunday

デリダが死んでしまった。ドゥルーズが死んだとき、そしてサイードが死んだときにも感じたことだけれど、人類の知性の総体ががくんと減少してしまった感があり、不安に駆られさえする。こんなことでこれから世界は大丈夫なのだろうか、というような。多少大げさで誇張された気分ではあるにせよ、哲学者や文学者は、世界が暴力的に間違った方向に突き進んでしまうことを避けるための最後の防波堤のように機能しているわけで、少なくともぼくにとってはそのように機能しているわけなので、すごく、なんというか心細いような気持ちだ。ぼくはデリダが死んだのがいちばんショックだ。頼りになる父親が死んでしまったような気分だ。フーコーが死んだときにはぼくはまだ小学生だったので、フーコーなんて名前も知らなかったけれど、こうして偉大な思想家を次々と失っていかざるを得ない状況というのは、象徴的なレベルで、世界がどんどん悪くなっていっているような印象を受ける。もちろん、彼らは自殺したり、白血病になったり、エイズになったり、癌になったりして死んでいったわけだが、炭坑のカナリアがばたばたと倒れていく、みたいな気がしてしょうがない。

ぼくは何年にも渡ってデリダの著作を古本屋で探し求めてきた。哲学書は高いので、新品で買えなかったからだ。『声と現象』を1000円で見つけたときは、目を疑うほど驚いた。何度も頭で思い描いていたものが目の前の手に取れるところに出現したからだ。はっきりいってデリダの文章は難解極まりなく、ぼくにはジャック・デリダのジの字も理解できていないに違いないけれど、精一杯背伸びをして読む本という範疇にあるものとして、そして死ぬまでに少しずつ読んでいきたい哲学者として、デリダはぼくの中で不動の位置を占めていた。救いなのは、その人が死んでからもぼくたちはその人の書いたものを読めるということだ。そう考えると、本というものが途端になにか不思議なものにおもえてくる気がする。これで、これまで訳されていなかった本がどんどん訳されることになれば嬉しい。ご冥福をお祈りします。

diary 2004,10,10,Sunday
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そして愛に至る

2004 10,09,Saturday

もし多少なりとも台風と関わり合いになるというのであれば、それはおそらく退屈さとは無縁であるどころかその対極に位置する出来事であり、靴のかかとのような退屈さとは最もかけ離れた体験になるに違いない。はずだ。たとえば、台風の中、恋人に会いに行くことを考えてみればいい。そこには昂揚があるだろう。台風の非日常性という効用が、われわれに極めて迅速に、かつ的確に作用する。つまりそれは退屈ではない。ぜんぜん。障害を超えて、ふたりは、窓の外の嵐によってきこえにくくなったお互いの声をききとるべく、いつしかそばに寄り添いはじめるに違いない。退屈じゃない。ぜんぜん。

この十数年のうちで最も強い。という形容詞が与えられた台風の関東への上陸は、しかしながらその強さにもかかわらず無視してやり過ごそうとおもえばできないわけではない。ということこそがこの部屋の中では問題となる。したがってわたしは台風から雨と風と退屈さを受け取る。そして雨と風から避難することは自動的に可能なのであって、退屈さからどのようにして逃げおおせるのかという命題のみが残されることになるだろう。そしてそれは台風という状況と、本来ならば無関係のはずである。にもかかわらず、台風に外出を阻まれて部屋の中で退屈させられている。という気分を拭うことができないことをわたしは不思議におもう。もし今日が晴れていたからといって外出していたという保証はどこにもないのだが、可能性が奪われていることを実感させられることは、退屈さの原因を容易に台風に転化することによって、よりいっそうその度合いを増すばかりだ。

わたしは一日中ベッドの上で過ごすことにする。そして先日、録り溜めておいたゴダールの映画を観ることにする。こういうとき、ビデオで映画を観るという選択肢が、どういうわけか急浮上してくるのだ。わたしは『愛の世紀』と『そして愛に至る』を観る。ある意味で、退屈さを避けて退屈さの最中へ逃げ込むという倒錯した行為である気がしないでもないのだが、いつ観てもゴダールはゴダールなのであって、それは台風のせいじゃない。

わたしはゴダールの作品を観ることになるたびに、どうしておれはゴダールなんか観るんだろうという疑問が湧いてくるのを押さえることができない。そしてわたしは映画そのものの中にその解答を求める。ということをずっと繰り返してきて、いまだ解答を得るには至っていない。

いつの日か完全にゴダールを理解できる日がやってくる。などとおもっているわけでは毛頭ない。いつ観ても、ゴダールがなにをしようとしているのか、そしてなにをしているのか、ほんの少しでもわかった試しがないのだ。端的にいって、わたしにはゴダールのことがさっぱりわからないのだ。と、いっそのこと断言してしまいたい衝動に駆られもする。だがそこにはそれでもなお、わたしを魅了して止まないなにかがあり、いっそのことその「なにか」のことを「ゴダール」と名づけてしまってもかまわないのではないかという気さえする。

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優雅な生活が最高の復讐である

2004 10,08,Friday

朝からきっちりと仕事。昼ごはんの時間をずるずると引き延ばして、4時頃やっと食べに出る。松屋で豚角煮丼。おいしい。それから買い物。東武ストアがリニューアルして、なんたらとかいうおしゃれなスーパーになった。とても混んでいてびっくりする。前よりも品揃えが良くなったみたいだ。その代わりに通路が狭くなったし、動線がうまく考えられていないし、変な場所にレジがあるので混雑度がなおいっそう高まるような店内の作りになった。焼酎を二本買う。黒糖と芋。部屋に戻り焼酎を飲みながら6時頃まで仕事をし、ベッドで本を読んでいたらいつのまにか眠っていて、グリコが帰宅するまで目が覚めなかった。電話に出なかったので怒られる。おれが池袋にいるかもしれないとおもって、池袋で30分くらいうろうろしていたそうだ。夕ごはんを食べていなかったので冷や麦を茹でてもらう。あったかい鶏ガラスープの冷や麦。深夜、『優雅な生活が最高の復讐である』、読了。ヨーロッパへ渡ったあるアメリカ人夫婦の交友関係や生活を描いたノンフィクションである。ピカソ、ヘミングウェイ、レジェ、ドス・パソス、スコットとゼルダのフィッツジェラルド夫婦。1920年代から30年代のパリ。この本の主人公であるジェラルドとセーラのマーフィー夫婦が、フィッツジェラルドの『夜はやさし』の主人公のモデルだったということをはじめて知った。『夜はやさし』を最近手に入れたばかりだったのでこれは嬉しい偶然だ。高校のころから『夜はやさし』を買おうとおもってきて、今年やっと買うことができたのだ。

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世界の果てまで

2004 10,07,Thursday

朝から3時くらいまで仕事。いやいやけっこう作業スピード上がってるよ。二倍とまでは行かないけど。さくさく動くのでなによりもまず気分がいいや。そのあと外出。池袋のモスで時間を潰してから東大へ。今日から後期がはじまるのだ。なんて長い夏休みなんだ国立。定刻通りに着いたが教室はほぼ埋まっており、前期よりも狭くなった教室で空席を探す。後期は各論に入り、月ごとのキーワードに沿って講義を進めていくようだ。10月は「ブルーズ」である。ブルースね。ブルーズというアティテュードの、本質的な反近代性の指摘は、さまざまな示唆に富んだ非常に興味深い話であった。近代の設定したあらゆる二項対立を止揚し、宙吊りにするブルース。故郷喪失者としての黒人たちの、世界の果てまで続く嘆き。

講義が終わると歩いて渋谷へ行った。もうこの時間だと真っ暗だ。ブックファーストによってから池袋のリブロや古本屋などまわる。池袋でグリコと待ち合わせてから「とり鉄」へ行く。給料をもらった。なぜかおごってもらった。ブックオフで小島信夫・保坂和志『小説修業』、松浦寿輝『あやめ 鰈 ひかがみ』。

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なにか巨大な力で

2004 10,06,Wednesday

実家に一週間いて仕事をしていたら一円も金を使わなかった。ので母親の誕生日と食費ということで台所に一万円置いていく。夕方、アボカへ向かう。毎月の仕事の素材が届いたらしい。いつもより早い。歩いて駅へ。山がとてもきれい。夕焼け。富士山もくっきり見える。長い長い飛行機雲。やっぱり山に囲まれているとおれは安心する。なにか巨大な力で守られているような気がするのだ。

電車では座らないとかいってたのに、新宿まで座って眠っていく。池袋ビックカメラで512メガのメモリをやっと買う。リブロにて、『en-taxi07』、ウィリアム・フォークナー『八月の光』、カルヴィン・トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』。ティーヌンで生ビール2杯、鶏肉のカシューナッツ炒め、トムヤムラーメンを食べる。また唐辛子を誤って食べてしまい大変なことになったが、ひとりなので何食わぬ顔をしてビールで緩和。

メモリ載せ替えたら全部動く!ブラウザもドリもファイヤーワークスもフォトショップもイラレも全部いっぺんに立ち上がる!やったー!メモリが二倍になったのでこれで仕事の速度も二倍になる(はず)。なんねえか。

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盛大な拍手を

2004 10,05,Tuesday

雨の日には家は楽器になる。雨という音楽家に叩かれそれぞれいろんな音色を奏でる、巨人のための打楽器になる。おれの部屋は二階にあり、すぐ真上に平らな屋根がある。雨の音をずっと聴いていると、屋根が湖の水面で、おれの部屋は湖の底のような気がしてくる。動物の皮の代わりに湖を張った太鼓の中のおれの部屋。さまざまな素材とさまざまな部分に落ちてはじける雨垂れのレイヤーの布置を、おれは頭の上の吹き出しのように思い描く。湖の底で眠る魚が頭上の空を想像するように。やがておれの頭の中と屋根の位置が対応しはじめる。後頭部の方で湖面に降り注ぐような低くくぐもった柔らかい音がつねにリズムをキープしている。額の左右をいったりきたりするカツカツと甲高いあの音はなんだろう。右耳の上あたりには川が流れている。雨樋を伝い落ちる音かな。それとも詰まった雨樋をあふれ出して不自然に地面へと落ちる水の流れの着地音かもしれない。

おれの身体はいつのまにか眠りのモードに入っていて先週の睡眠の不足を埋め合わせるかのように眠ることを求めているので、雨の日の猫のように眠いおれは雨垂れが催眠術のように効いてくる。いつのまにかおれは眠っている。そして新たに加わった音で突然目が覚める。雨漏りの音だ。おれは部屋の中にあるものを使って雨漏りを受け止める。ビール瓶、使わなくなった灰皿。さらに新しい音が加わる。屋根から天井へぽつぽつと一滴ずつ一定の間隔で。その間隔よりも長い一定の間隔で天井から染み出したしずくが瓶の中やブリキの灰皿の上に落ちる。夜になり、ようやく雨垂れのBPMが下がりはじめると、このひさしぶりに長く続いた演奏ももうすぐフィナーレを迎えます、みなさま、雨のために盛大な拍手を。というような気分になる。嘘。ならない。降りすぎ。うんざり。

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いつ、いかなるときでも

2004 10,02,Saturday

そしてやっとおれの眠りの星のもとに健やかなる眠りが訪れてくれる。訪れはじめてくれる。もう会わなくなった友人が気まぐれに再び部屋にやって来るみたいにして。枕の裏側からようやく待望のいつもの懐かしい眠りの成分が滲み出してきて、おれの頭はぼんやりとその靄の中に包まれる。全身の細胞という細胞に開かれていた瞼という瞼が閉じられていくのがわかる。頭頂からつま先へ向かって順序よく。逆立っていた毛並みを優しく飼い主に撫でられて気持ちがいい猫になったみたいだ。おれはおれの身体のサイズぴったりの瓶にすっぽりとおさまってとりあえず太平洋を横断する。飼い主の手が瓶の窪みを撫でて、おれの毛並みの瞼が閉じられる。波に揺られながら瓶の色が透明からゆっくりと濁った緑色に変わっていき、やがてビール瓶のような色になる。そこから先はわからない。おれはゆったりとした気分で夢の中でも眠る。おれはここはどこだろうとおもうが、別にどこだってかまわない。メキシコシティでもカラカスでもブエノスアイレスでもどこでもかまわない。眠ることができさえすればいいのだ。おれは眠ることに決めて、眠るのだ。世界の果てででも。

やがてどこかから女の子の長い長いモノローグがきこえはじめる。おれはそのとき巨大な客船のデッキで右耳を下にして眠っていて、女の子の声はどうやら床下の客室からきこえているみたいだった。おれは耳を澄ます。

昔ね、お前みたいに白い猫を飼ってたの。でも死んじゃったの。それでもう二度と動物を飼うのは嫌だとずーっとおもってたんだけど、やっぱり猫が好きなんだなあとおもったよ。あ、火つけっぱなしだから戻るね。じゃあね。

火?とおれはおもう。すると女の子は料理室に勤めるコックか何かなのだろうか。ともあれ、猫と再び暮らせるようになってよかったじゃんとおれはおもう。世界中の、猫が好きな人たちが、いつでも猫のそばで暮らすことくらい果たされない世界なんて、どう考えたってまともではないからだ。おれはどうしておれたちは動物を飼うんだろうなとふと考える。動物を飼うことの意味について。生命と愛の本質について学ぶため、というのがおれの出した答えだ。生命と愛、なんてどこかの保険のコマーシャルみたいで陳腐な言い回しだとおもっておれは心の中で苦笑する。おれたちは動物を飼う。そして大抵の動物はおれたちより先に死ぬ。おれは昔、飼っていた昆虫が死ぬたびに庭の物干し竿の土台の下に埋めていた。その総数は何百匹にもなるだろう。今日、あらためてその庭を眺めていたら、28年間住んできてはじめて庭に銀杏の木が生えていることに気がついた。でもちょっと考えてからそんなはずはない、とおもい直す。だってその銀杏が生えている場所は、昔、物干し台があった場所なのだ。だからきっと比較的最近生えた(とはいっても少なくとも10年は経ってるはずだが)ものなのだろうが、銀杏の木が勝手に庭先に生えるものなのかどうかおれにはわからない。いやそれとも昔からずっとその木はそこにあったのだろうか。

おれたちは動物の死を受け止める。人それぞれ、さまざまな形で。大事にしていた猫が死ぬ。そしてもう二度と猫を飼わないと心に誓う。それでも、いつか再び猫を飼う日がやって来る。猫の死は交換不可能な体験である。だが愛とは、いまここにあるものを大切にすることなのだ。死んだ猫のことを思って、現に生きている野良猫を見殺しにしなくて偉い!部屋の中では飼っちゃ駄目だからアパートの前で飼うことに決めて偉い!とおれはその女の子を褒める。究極的には、はじめから交換不可能なものは存在しない、ということは、この世におけるひとつの、いや最大の救いである。おれたちは何度でも新しい猫を飼うことができる。そして愛が交換可能なものを交換不可能なものへと仕立て上げるのだ。それが愛の作用なのだ。植物の種のように、やがて一本の木に育って土に根を下ろす。いつ、いかなるときでも、人はなにかを愛しはじめられる。いつでもまだ手遅れじゃないのだ。それがおれたちの生を駆動しているのだとおれはおもう。まだ愛していないものがこの世にはたくさんあるからだ。

そしておれがはっきりと目覚めてカーテンの隙間から外を見たとき、夢の中では女の子だった女の人が夕食の支度をしに、白い猫に軽く手を振ってアパートの部屋の中へと戻っていくところだった。

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ここ何日間で最長の眠り

2004 10,01,Friday

仕事、の合間に「往復書簡」をアップ。その他、DHライブ情報などもアップ。で、すごい喉が痛い。少し身体を休めようとベッドに入る。それが昼ごろのこと。だがまたもや高校生たちがやって来て、おれはたちどころに目覚めてしまう。なんでこいつら毎日学校に行かないんだよとおもうが、今日はどうやら都民の日で休みなんだな。4、5人の高校生たち。おれは眠るのをあっさりと諦める。そして夕方、もう一度チャレンジ。ベッドに入る。すると今度は4、5歳の子供の声がきこえはじめる。アパートの通路で、なにかカードゲームみたいなのをしているみたいだ。おれはカーテンの隙間からその様子をそっとうかがう。声をきく限りでは女の子が混ざってるのかなとおもったが、そこに女の子はいなかった。みんな男の子だ。おれは小さな子供たちの遊ぶ声をききながら、なぜだか急に安らかな気分になる。そして眠る。ここ何日間で最長の眠りだ。夜の9時におれは目覚める。夕ごはんを食べる。キムチ鍋だ。そしてもしかしたらまだまだ眠れるんじゃないの?とおもい、午前2時にはベッドに入ってしまう。でも眠りは訪れてくれない。あともう一歩のところまで行くんだが、そこから先に進むことができないのだ。おれはベッドから出て早くも配達されている朝刊に目を通す。それからパソコンに向かう。そして昼ごろまで仕事をする。

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デパートの夢の話

2004 09,30,Thursday

とおもったら2時間寝ただけで起きてしまう。隣のアパートの前、おれの部屋の真下付近で高校生たちがでかい声でしゃべりまくっていやがる。本当に勘弁して欲しい。まだ11時じゃん。やっと寝ついたところなのに。はじめは中学生かとおもったが、某都立高校の校歌を歌っていたので高校生だとわかった。続けて中学の校歌(おれの行ってたのと同じ中学だ)を歌っていた。ってなんでそんなとこで校歌歌ってんだよ。学校行けよ。つーか死んでくれ頼むから後輩。と本気で思う。ものすごい音を立てて窓を閉める。くらいしかできないが。睡眠不足でぼうっとしているので台所にあったバーベルに蹴躓き足の指をしたたか打ちつける。ってなんでこんなとこにバーベルがあんだよ!何キロあんだよ!9月も終わりかぁ。なんとなく、関係ないけどそうおもう。

で、舞城王太郎のデビュー作である『煙か土か食い物』を読んでいたら、どうしておれが舞城王太郎を読み続けるようになったのかを思い出した。そこにはこんな一節があった。これがきっかけだったんだな。忘れてたけど。

俺は暗いデパートの夢を良く見る。閉店後か休業日のデパート。暗がりの中に商品が静かに並んでいる。殺されて頭や手足を切られて冷凍庫のフックに吊されて並べられた牛みたいに無言のままハンガーに吊されている服たち。静かな虐殺の気配が棚に置かれた服たちにも漂っている。通路にもレジにもどこにも人はいない。暗いフロアには俺しかいない。嫌な夢だ。俺はこの夢が大嫌いだ。この世で誰か俺以外に暗いデパートの夢を見た奴がいるだろうか?この背筋がぞっとするような夢を見て逃げ出すように目蓋を開けた人間が他にいるだろうか?

そう、おれもまた暗いデパートの夢を何度も繰り返し見る人間だった。だからここに書かれていることが嫌というくらいわかる。おれは誰もいないデパートに閉じ込められて出られなくなる夢を何度も見て、しまいには夢の中でおれはデパートに住むようにもなった。もう出られないと夢の中のおれはおもったのかもしれない。薄暗いデパートの奥、さらに薄暗い一画にひっそりと存在している階段は実にいろんな場所に通じていた。迷宮のように曲がりくねったトイレへの通路。やっとのことでトイレにたどり着きおれは用を足す。人影はないが常に誰かに見られているような気がする。来た道を引き返すとそこは廃屋に繋がっている。それは一瞬で廃屋と化してしまったデパートであったり、また別の廃屋と化した民家であったりした。そのデパートが建てられる前にその場所にあった、とかそういった感じの家だ。そしてそれらの建物はすべてデパートに内包されている。デパートそのものでさえ、さらに巨大なデパートの一部分なのだ。どこまでいっても外に出られない入れ子デパートなのだ。おれはおそるおそる目の前のドアを開ける。いつも決まってどこかのドアを開けることになるのだ。そうしないわけにはいかない。そしてドアの奥に広がっている部屋の光景を描写して、そこでおれが感じることになる気分を他人に伝えられるような力はおれにはない。部屋にはもちろん誰もいない。だがさっきまで、たったいまおれがドアを開けるまでその部屋には誰かがいたのだという気配だけが残っている。そこは子供部屋だ。床には足の踏み場がないほどたくさんの玩具が散らばっている。ただその玩具の持ち主である子供だけが消えてしまったのだ。いや、子供たちといった方がいいかもしれない。その部屋にはかつて子供たちがいて、いまではもういない。その事実が部屋の空気を異様なものにしている。おれは一刻も早く戻らなくてはとおもう。元の場所に戻らなくてはいけない、と。あの、最初にいたデパートに。いまではあの暗いデパートでさえ懐かしく感じられる。だがもちろん、おれはもう二度と戻ることはできない。どこにも戻ることはできないのだ。ドアを開けるたびに部屋はまたどこか別の部屋に繋がっていて、だんだんと暗闇が濃くなっていく。執拗に、そして念入りに誰かが暗闇を上塗りしているのだ。

というわけで、デパートの夢の話でした。おしまい。日常に戻る。

ゴキブリを見つけたのでゴキブリホイホイをそいつの近くに置く。あとで見たらゴキブリがゴキブリホイホイに入っていておれは大変満足する。こんなことで満足できるなら、ゴキブリにも確かに存在価値があるのだという気にさえなってくる。中にゴキブリがいるゴキブリホイホイと、空っぽのゴキブリホイホイの違いについておれは考える。中にゴキブリがいるゴキブリホイホイを見ていると、腰の当たりがぞわぞわしてくるなぁ。ひょっこり窓から顔を出したら超びっくりするだろうなぁ。とか、そういったこと。そしてそんなことを考えるのはやめにする。今日こそは5時間以上眠るべきだし、とにかくたくさん眠るべきなので早めに、とはいえ午前1時に最後のテープチェンジ(まだゴダールの映画をやっているのだ)をしてからベッドに入る。だが、またもや2時間で起きてしまう。駄目だ。眠れない身体になっている。実家に帰ってから何時間だ、7時間しか寝てないじゃないか。やばい。また喉が痛みだした。がもう1ミリも眠れないので仕事。

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またまた焼きそば

2004 09,29,Wednesday

夜6時に起きる。夕ごはんを食べる。さんま。食べ物がすぐそばにあるというのは、なんてすばらしいのだろう。雨の中傘を差して近所のスーパーへビデオテープを買いに行く。ビデオテープなんて買うの、10年ぶりくらいかもしれない。明日一日「シネフィル・イマジカ」でゴダールの映画を一挙11本放送するので、実家に帰ってきたのです。この機会にHDDレコーダーを導入すべきかと考えたが結局は断念。3本パックで398円のをふたつ買ったら、ひとつ575円で計算されてしまう。お会計を済ましてから迷った末に違う店員さんに声をかけて398円にしてもらう。なんだかこっちが悪いことをしている気分になってしまいます。それから朝まで仕事。未熟なのでとにかく時間をかけてやるしかないのです。眠い。コーヒーを5杯飲む。途中で『ダンス・ダンス・ダンス』と『煙か土か食い物』の続きや、安野モヨコ『花とミツバチ』などを読む。そんなものを読み直している場合じゃないし、漫画読んでる場合じゃない。深夜、台風が来てスカパーがまったく映らなくなり焦る。とおもったらあっというまに通り過ぎて一安心。朝7時20分からの『小さな兵隊』の録画を待ってましたとばかりに開始し、またまた焼きそば(セブンイレブンの)を食べてから9時就寝。テープチェンジのために1時には起きなくちゃならない。

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また焼きそば

2004 09,28,Tuesday

3時頃起きた。夜遅く実家へ。一日なにも食べておらず、家に帰ってからビールを飲みおでんを食べた。そこから昼過ぎまで仕事する。途中で『ダンス・ダンス・ダンス』や『煙か土か食い物』を読んだりしながら。昼ごはんにまた焼きそばを作ってもらう。どうやらぼくは実家=焼きそばだとおもっているフシがある。食べてから3時頃やっと寝る。

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なぜだかわからないが

2004 09,24,Friday

朝から読書。いろいろな本をちょっとずつ、主に『アフターダーク』の3回目をゆっくり読む。昼、なぜだかわからないがグリコさんが朝作っていったおにぎりを食べる。夜、サンデーサンに行く。モツァレラチーズインハンバーグのセット。会計を済ませてから雨が降っていることに気づいて困った。雨の中自転車で帰る。

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電卓が必要

2004 09,23,Thursday

何の日だ?秋分の日?夕方から出かける。の前に飯を食う。炒飯。東武、パルコ、ハンズなどまわる。ダンナとエリコさんの誕生日プレゼントを買うため。ダンナのための電卓を買う。グリコさんによれば、社長には電卓が必要だ、とのこと。エリコさんの分は選びきれず、また後日ということに。ひさしぶりに「とり鉄」に行く。疲れた。

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夜はやさし

2004 09,21,Tuesday

夕方、ティーヌンでトムヤムラーメン、ビール。リブロにて菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』。ビックカメラで『新・鬼ヶ島』。ブックオフでフィッツジェラルド『夜はやさし』、カフカ『ある流刑地の話』。夕ごはんはココイチのカレー。

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女子のレベルの明らかなボトムアップ

2004 09,19,Sunday

夕方、バイクと吉川くん来訪。神社のお祭りに行く。焼き鳥、牛バラ串、じゃがバター、お好み焼きなど、みんなで分けて食べる。ビールも少々。女子のレベルの明らかなボトムアップに対し、男子ははっきりと水を空けられた感がある、というのがお祭りの感想。帰ってからアボカスタジオで朝まで更新作業。ときどきバイクの頭に触らせてもらいつつ。

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靴箱の鍵をなくして

2004 09,18,Saturday

朝起きてすぐ三鷹へ。Hくんの車で福生駅へ。道路が非常に混んでいる。どうやら三連休だかららしい。駅でKをひろってYくんの家へ。買い出し後、こないだと同じ川原へ。三度目のBBQ。もう夏も終わったのでいまいちテンションが上がらない。のでハイペースで飲む。気がついたときには実家の近くにある市営の温泉のロビーで寝ていた。しかも靴箱の鍵をなくしていた。自分の靴が小窓から見えるのに取り出すことができない。というか靴箱になんて入れた覚えがない。というか、ここはどこだ。お前らはなんで風呂に入ってるんだ。鍵は受付に届けられていた。それからバス、電車と乗り継ぎ立川へ。高校の同級生のTくんと飲む。まだ飲むのかよ。おしゃれな感じの飲み屋。ロフトの席に通される。Tくんと会ったのは卒業して以来だな。すごいかっこいい。Hくんがおごってくれたのでびっくりした。結局、実家には一度も寄らずにアボカへ帰ることになった。昼から一日中酒を飲んでいたので疲れた。西へ東へ移動を続け疲れた。もうわけがわからん。

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ごはんはまずくてもおいしい

2004 09,14,Tuesday

朝起きてすぐ仕事。お昼にいったんごはんを食べに松屋へ。新メニューの「トマト煮込みハンバーグ定食」を食べる。新米入荷とのことでごはんが食べ放題なのだそうだ。ごはんおかわり自由となっておりますので。といわれてびっくりする。ここがどこなのか一瞬わからなくなる。というのは嘘なので書かなくていいじゃんめんどくさい。もちろんおかわりする。ごはんがいつもよりおいしいとおもいました。騙されやすいだけなのかもしれないけれど。そしてごはんはまずくてもおいしいけれど。ぼくにとっては。で、酔った勢いでハードルが下がったので8月の日記をいっぱいアップしたよ。いっぱいでもないけど。

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だから今回はしたあごが

2004 09,13,Monday

朝起きてすぐ仕事。昼、モス。マスタードチキンなんたら。隣に座っていた50代くらいのおじさんが嶽本野ばらの『ミシン』を読んでいた。かわいらしい。彼の職業は、
1文学部の教授
2読書好きの女子高生と援交しているサラリーマン
3ただの読書好きのサラリーマン
4新しく嶽本野ばらの担当になった編集者
5嶽本野ばらの父親
6嶽本野ばら本人
7ジャノメミシンの社員
8福田和也
9笙野頼子
のうちのどれかだとおもいましたがどうでしょう。

ぼくは『新潮』9月号の舞城王太郎『みんな元気。』を読んでいた。なんだかんだいって舞城王太郎全部読んでるんじゃないの? あ、『鼻クソご飯』だけ読んでないや。夜、かどや。からあげ定食を食べると口の中の皮がべろべろになる。こないだはうわあごが。だから今回はしたあごが。というわけで一回剥けると強化されていることを知る。というような事実を補ってあまりあるほどここのからあげはおいしいです。550円。ごはんおかわり自由。

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100ml当たり100mgのカルシウム

2004 09,10,Friday

5時半に起きて仕事する。コーディングの仕事。一段落したところで朝ごはんを食べにマックへ行く。朝ごはんを食べる。でも朝ごはんという気がまったくしない。絶対またお腹が痛くなる気がする。それともうこのことは何度でもいいたいのだけれど、どうしていつでもうるさいグループが最低一組かならずいるんだろう。そいつらがいなければすげえ静かなのに。で、どうしてそいつらが帰るとまた違ううるさいグループが来るんだろう。交代制か。バトンタッチしてるのか。女って三人集まると一瞬も口閉じてらんないの? あたしこの話きいて気分わるくなっちゃったのー。って話をどうして大声で人にするの? 信じられないんですけど。だからもうものすごくイライラしててコーヒーをおもわずこぼしてしまう。帰ろうとするとそいつらも帰りやがる。どけよそこ。階段降りるんですけど。落ち着くために近くの本屋に入る。おれの居場所はやっぱり本屋しかないのではないかというおもいが一瞬脳裏をよぎる。『新潮』の10月号を立ち読みする。そうだ図書館で読めばいいじゃんとおもい図書館に行く。どこの図書館に行っても図書館という場所は微妙に混んでいる。『新潮』の青木淳悟『クレーターのほとりで』を読んでいたらでっかい蜂がやって来て、そしたらもう帰るしかないじゃないか。なぜなら蜂が恐いから。もうなんか人が歩いているのを見るだけでむかついてきた。これは間違いなくカルシウム不足のせいなのでスーパーへ行き「明治ブルガリアのむヨーグルト」を買う。発想が短絡的なのはなんのせいなのか知らん。部屋に戻る。グリコはまだ出社していない。風呂から出たところみたいだ。なんとなくつけているテレビのニュースからはおんなのこの泣く声がきこえる。グリコの髪が乾いていくにしたがっておんなのこはテレビのなかで泣きやんでいく。ドライヤーの音がおんなのこの声をかき消したからだ。かき消されたことでおれはテレビに視線を移す。だからといって涙が乾いたわけではなかったことを、そこではじめてテレビのなかのおんなのこを意識的に見たおれは知ることになる。どうやら友だちが殺されてしまったそのおんなのこはテレビのなかでまだはっきり泣き続けている。乾いていくのはもっぱら髪の毛だ。たとえ次のニュースに移ったとしても、おんなのこは泣きやむことはないのだとおれはおもう。

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冷房の真下で

2004 09,08,Wednesday

朝8時からアボカスタジオの掃除。掃除機をかける。なぜなら仕事をするから。そんで3時ごろまで仕事。で、遠くの方のブックオフへ行き、白石一文デビュー作『一瞬の光』を買う。これはNさんがぜひ、といっていたので。『僕のなかの壊れていない部分』という本を出したときには、この人の書いた小説なんて読むことはないだろうと思っていたのですが、Nさんが高く評価していらっしゃったので読んでみようということになったわけです。食わず嫌いは良くありませんからね。そしてサンデーサンへ。ナポリタンとシーザーサラダとドリンクバーのセットでしめて990円。拭いても拭いてもテーブルの上にナポリタンのケチャップが飛び散るのはなぜ?ものすごい気をつけてるんですけど。ドリンクバーが冷たいのも温かいのもオーケーなんてすばらしいですね。当たり前なの?なにせ5年ぶりなのです。ドリンクバー。で、4時間ほどいました。これからもちょくちょく来ようと思います。パソコンの電池が切れた瞬間に思わず帰ろうとしてしまいましたが、別に帰ることもないので読書。村上春樹の『アフターダーク』を発売日にしっかり通して読んで、ぱらぱらともう一回読んだので、もう一度村上春樹を頭から読み返そう計画が持ち上がり、『1973年のピンボール』の真ん中あたりまで来た。またもや冷房の真下で震えながら。ちょっと近所のファミレスに行くのに4冊も本を持って行くこともないよね。

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世界が終わるまで、愛の

2004 09,02,Thursday

そういえばもう長いこと「ねじまき鳥」の啼く声をきいていなかった。アボカの庭にもけっこうたくさんの鳥がやっては来るのだけれど、その中に「ねじまき鳥」はいないんだな、とあらためてぼくは思う。暗闇の中で電灯のスイッチを探るのに要する時間がやや延びたように、ぼくはこの部屋で過ごしていたときのことを少しずつ忘れかけている。そうだった。この部屋からは「ねじまき鳥」の声がきこえるのだ。

ぼくが勝手に名づけた鳥が『ねじまき鳥クロニクル』の「ねじまき鳥」のモデルになったのと同じ鳥なのかどうかはわからない。でもその鳥は確かにねじを巻くような声で啼くのだ。「ギイイイイイ、ギイイイイイ」と。

猫のミュウが鈴を鳴らしながらぼくの部屋にやって来て、オルガンの上に飛び乗った。その動作が時を経るにしたがって辛そうになってきているように見えるのは気のせいだろうか? 彼女はどうひいき目に見ても、重力に逆らってどこか高いところに飛び乗るのに適した体型をしてはいない。日頃、家族たちによってどれだけ甘やかされているのかが目に見えるようだ。そしてその甘やかしは期待を裏切ることなく彼女の身体を覆い尽くしている。でもそれはとてもよく彼女に似合ってもいるのだ。彼女のおっとりとした性格や、その仕草に。それとも、それらの性格や仕草は外見によって決まっているのかもしれない。

鼻先で器用にカーテンを開けて、ミュウは窓の外を見る。ぼくも彼女のすぐ後ろについていっしょに窓の外を見る。もちろん、ミュウはこの啼き声の主を観察しに来たのだ。彼女は前もって「ねじまき鳥」がどこにいるのかわかっていたかのように素早くあっというまに鳥のいる位置を見つけ出す。そこにはひとかけらの逡巡も見受けられない。大したものだな、とぼくは思わずにはいられない。まるで超能力者みたいだ。

向かい側のアパートのてっぺんの縁と、庭のいちばん高い木の枝に、二羽の鳥がいた。あれが「ねじまき鳥」なのか、とぼくは思う。そういえばその姿を見たのは初めてのことかもしれない。本当はなんという名前の鳥なんだろう。ぼくには鳥の名前がわからない。彼らは雄と雌なのだろうか、まるで明日で世界が終わるのだとでもいうように、執拗に愛のことばを交わし合っているように見える。そして世界が終わるまで、愛のことばをずっと交わし続けるのだ、とでもいわんばかりに延々と啼き続けている。昼間に眠りにつこうとするぼくを非難するかのように。寝てる場合じゃないんだよ。明日で世界は終わるんだぞ、と。

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急にトーマス・マンが

2004 08,31,Tuesday

東京事変のPVがなんともいえずいいですね。というかつまりエロいってことなんですけれども。「群青日和」ね。ああでもぼくはなんでもエロいっていいすぎるので、これのどこがエロいの?と思うかもしれないけど。というわけで高校のときの友だちと飲むために実家に帰っています。そしてトーマス・マンを読んでいます。昨日の深夜、CSでビスコンティの『ベニスに死す』をやっていて、急にトーマス・マンが読みたくなり、『ブデン・ブローク家の人々』を読みはじめてしまいました。最近の訳では『ブッデンブローク家の人びと』になっているかな。と思ってアマゾンで調べたら品切れになっていますね。実家には「新潮世界文学全集」(の一部)と「集英社版世界の文学」、「集英社版日本文学全集」が揃いであるので、こういうときに便利ですね。本屋に行っても売ってないのに、家で探したらあった、ということがいままでに何度もありました。調べてから買いに行けよって話ですが。と、気合いを入れて書く系のエントリが滞っているので軽めのものでごまかすよ。いやごかますとかじゃないだろ別に。ああ!今年の8月もフォークナーの『八月の光』を読まずに終わってしまった!

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いくらなんでも焼きそば食べすぎだろ

2004 08,30,Monday

というわけで一睡もしないまま実家へ。1時過ぎ着。お昼ごはんに焼きそばを作ってもらう。いくらなんでも焼きそば食べすぎだろ。IWGPの長瀬智也か、おれは。3時過ぎ、極度の眠気のため倒れるように眠る。なんだか今週はぜんぜん寝ていない。ぜんぜんってこたあないけど。夜10時起床。起きたら台風が来ていた。こんばんは。なにかがバサバサと巨大な音を立てていた。ベランダを見たら洗濯物が干してあった。大丈夫なのか? きっと大丈夫なんだろう。起きてすぐビールを飲んでいたら、起きてすぐビール飲むの、と弟にいわれた。うん、飲むよ。夜だから、いいじゃん。そう、こんな生活をしていても、朝起きてビールを飲んだりはしないし、駅のホームでワンカップを飲んだりもしない。いつか、そうするときが来るのだろうか。あ、でも高校のときデパートの階段で昼間からひとりでビール飲んでたな。いや、あれは浪人のときかな。などと考えながら、駅のホームで酒を飲まない人間はなんというかまだ甘く、飲む人間の方がすごいのだろうか。いやあれは心が弱いだけなのだろうか。それともただの酒好きなのだろうか。とか思ったけど、どうなんでしょうか。

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ごめんな、みんな。

2004 08,29,Sunday

朝寝て夕方起きた。パスタ茹でてもらう。いや違うな。起きたらもう茹で上がっていた。オリンピック閉幕なので朝までテレビを観る覚悟。「ゆず」の歌と共に大会のダイジェストが流れ、感慨深し。ほとんど観ていたものな。こんなにオリンピックを観ることはもう二度とないだろう、と思いたい。北京オリンピックをこんなに見られる状況でいたならばこれは大変なことだ。時差的にも。社会的にも。閉会式はじまる前にコンビニへ食料を調達に。チキンカレーを買った。なかなかおいしい。朝6時くらいから録音していたハッチンを聴く。全部で4時間ちょっと。後半、ラジオ終了後もICレコーダーで録音されてたままになっており、極度に酔っぱらった自分の様子の一端を窺い知ることができた。かなり恥ずかしかったです。俺はあんなにしゃべってるのか。ごめんな、みんな。

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ハッチンジャパンフェス

2004 08,28,Saturday

ハッチンジャパンフェスの日。朝10時頃までバッチのデザインとかをしていた。午後2時起床。急いで家を出る。ハンズにて缶バッジの玉を買う予定だったが売り切れ。バイクに頼まれていたマスキングテープ購入。結局、ライカさんとこについたのは6時近くか。サイトをちょこちょこっといじる。みんなでTシャツを買いに行ったり、ビールを買ったり、ビールを飲んだり、Tシャツを刷ったり、缶バッジを作ったりしているうちに、どんどん開催時間が近づいてきて、はじまったらあっというまに終わった。みなさん、おつかれさまでした。ちょっと端折りすぎか。でも楽しかったってここに書くこともない気もする。楽しいときに「楽しいです」なんていわないよ。別に。嬉しいときにも「嬉しいです」なんていわない。

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サンボマスター並

2004 08,27,Friday

焼きそば。ビール。夜、アボカへ。疲れた。駅のホームでむちゃくちゃ叫んでいる人がいた。過去最高の叫び声。サンボマスター並。喧嘩かと思ったら、どうやらそいつはJRに腹を立てているようだった。確かに3分ほど電車が遅れていたのだが、そんなに怒らなくてもいいじゃん。そいつは行ったり来たりしながら車内でも叫んでいた。同じ車両になってしまって、ちょっと怖かったです。自分が。そいつに対して頭に来ていていまにも殴りかかろうとしてしまいそうだった。

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この夏は足の親指と人差し指のあいだに

2004 08,15,Sunday

この夏2回目のバーベキューは総勢7人で行われた。このバーベキューに関しては、秘密裏にHくんが暗躍しており、ただ日時だけが指定され、誰が来るのかぼくは知らされていないのだが、まあ予想範囲を大幅に超えた人物がやって来るわけではないにしろ、どうやらぶっつけ本番的な緊張感を捏造しようという思惑がHくんにはあるらしいのだ。しかしながら、実のところ、「ねえ誰が来るの?ねえHくん。今日誰が来るの?」と執拗に訊ね、そのような思惑をなし崩し的に脱臼させてしまうのはいつものぼくの役目であるといってよい。

前回よりもさらに上流で行われた2回目は、日よけとして簡易式テント(みたいなやつ)が導入され、さらに大容量のクーラーボックスまで持ち込まれ、それは運ぶのに骨が折れそうなほど骨が折れたけれども、そしていまもなおぼくの肩は甲子園を投げきったかのように疲労しているのだけれども、バーベキュー環境としては格段に改善された感があった。その上、天候的にも申し分なくこの日はバーベキュー日和であり、そのときには知る由もなかったが、次の日の終戦記念日があの寒さと雨模様であったことを合わせて考えるのならば、まさに僥倖としかいいようのない記念碑的バーベキューであったと多少大袈裟ながらも申し添えておくことにする。14日にしてよかったね。

そしてなかなか具体的なバーベキューの記述に移らないのは、もうほとんどなにも思い出せぬほどにまでぼくが泥酔してしまっていたからであり、日が経つにつれて痛むようになってくる肩や腰や足の鈍痛といったことから想像するに、おそらく年齢にそぐわぬようなはしゃぎっぷりを恥ずかしげもなく周囲に晒していたものと思われる。足の裏は傷だらけであり、腰は川底の石にしたたか打ち付けでもしたのか近年稀にみる痛みであって、もはや正常な歩行が困難なほどだし、いちばんお気に入りの白地のTシャツは赤ワインによって赤黒い染みを作っているのだ。泥酔とはなによりもまず感覚の麻痺である、ということの実存的証明。

それでも、薄れゆく記憶の中にあって、この夏は足の親指と人差し指のあいだにしっかりと刻まれており、その鮮明さは、日常的に屋外でビーチサンダルを履くはじめての夏であるという事実を差し引いてもなお、驚くべき鮮明さでもって、この夏を反復してやまない。そう、このビーチサンダルは、そもそも夏の労働用に購入されたものであり、この何年間か、バイト先の室内履きであったところのものなのだ。端的にいって、この夏はそのバイトをしなかった。そしてそれと引き替えにするように夏の屋外へとビーチサンダルを持ち出すことができたというわけなのだ。もし例年通りであるならば、このビーチサンダルは、いまもなお、あの薄暗いスチール製のロッカーの中にあったはずなのだ。

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あらためて略しましてファミレス

2004 08,12,Thursday

もういっそのことファミレスに住んだ方が早いので、すみませんここ家賃いくらですか。といって窓際のいちばん陽当たりの良さそうな席を指さしアルバイトの女の子を著しく動揺させついでに16杯もコーヒーをおかわりして疲れ果てさせ、なおかつ呆れ果てさせた、膀胱がはち切れんばかりの前科者。として内外に渡り名を馳せてきたこのぼくですが、ひとつを除いて全部嘘ですが、つまりファミレス、略してファミレ、ってそんないい方しなくない?そもそもすでに略されてるじゃん?なのでつまり略さずにいうところのファミリーレストラン、そしてあらためて略しましてファミレス、に入り浸っていた若かりし日のこのぼくですが、こんなに文字数を費やすのなら略しても略さなくても同じようなものだ、むしろ長くなってるじゃないかとあなたはきっと思うはずですが、ここ何年かはまるでファミリーをレスしたかのように、ファミリーがレスであるかのごとく、ファミにレスしちゃったんじゃないの?というくらいファミレスには足を運ばなくなってしまいました。ぼくが好きだったのはこれはもう圧倒的にジョナサンで、いったい何皿のタンドリーチキン&メキシカンピラフを平らげたことでしょうこの口は。そんなことは知る由もありません。なぜならそんなものいちいち数えたりしていないからです。でもどう少なく見積もっても平均的なメキシコ人よりも多くのメキシカンピラフを平らげていたことは想像に難くありませんし、少なくともあんなものを明け方に喰うメキシコ人なんていないでしょうし、そもそもメキシコ人はメキシカンピラフなんて食べているのでしょうか?それがわからないとこれ以上話が進められません。なのでここまでのところを要約してお茶を濁すことにすると、昔はファミレスによく行ってたけど最近は行ってないなあ、ということになります。あっという間ですね。あっけらかんとしてしまいますね……と、ファミレスの横を自転車で通ったんで書いてみました(ファミレスに行ったわけではない)。

と書いてから気づいたんですが、別にファミレスに行ってないわけじゃないや。ただ単にジョナサンやガストやすかいらーくやデニーズに行ってないだけでした。どうやらぼくはビルディをファミレスとしてカウントしていないみたいだ。どうもすみませんでした。謝ることじゃないけど。

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でも。違う。なにかが。

2004 08,08,Sunday

新宿ルミネ2の青山ブックセンターが8月1日からブックファーストになったとのことなのでちょっと覗いてみた。うん。どこが変わったかあんまわからないや。でも。違う。なにかが。そう思いながら「COYOTE 」と「広告批評」を持ってレジに並んだならば!これが!おい!たかが雑誌2冊買うのに何分かかるんだよ。というくらい時間がかかった。けどこれはブックファーストになったからとかではなくただ単に店員さんが新人さんだっただけだし、急いでたので余計にそう感じただけだ。

で、今日はライカさんとこでピザを食べたが、ピザはたまに食べるとおいしい。そしてピザを食べるのはいつもたまになのでピザはいつ食べてもおいしい。

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裸で自転車を

2004 08,04,Wednesday

さっき荒川を超えて埼玉に行ってきた。自転車で。往復3時間。やってることが完全に小学生の夏休みだが、小学生のときにそういうことをしなかったのでしょうがない。板橋の花火大会が行われるあたりの河原の土手はやたら高く、花火の夜にしか行ったことがなかったが、昼間に行った方が断然すごい。といってもなにがすごいのかはあえて説明はしないが、とにかくすごいので感動して裸になって、赤羽の方まで行ってしまった。といっても上半身だけですよ裸になったのは。裸で自転車をこぐととても気持ちがいいですね。すれ違う人がみんな裸なので裸にならないといけないみたいな雰囲気でした。

3時間ほとんどぶっ通しで自転車をこいでいたが、終始呼吸の乱れとかはなかった。自分のことをずいぶん長いあいだ虚弱体質だと思ってきたが、断続的に4年ほどやった肉体労働の効果は十分にあったというわけだ。帰ってから牛乳を1リットル飲んだ。なんだ、これじゃあ体育会系じゃないか。髪を切ったらやることが急にワイルドになってしまった。極端すぎて自分でもついていけない。あんなに引きこもっていたのに。

で、どうしてそんなことをしたのかというと、6時間かけて自転車で、しかもママチャリでお台場に行った、という弟に感銘を受け、長時間ひとりで自転車をこいでどこかに行くというのはどういう気持ちがするのか知りたいと思ったからだった。往復12時間ですよ。バカじゃないの。とも思いましたが。

ひとつだけいえることは、こげばこぐほど帰るのが大変になるのに自転車というのは惰性でこぎ続けてしまうものだ、ということ。まあそういう性格なだけかもしれないけれど。

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3ギガぶんの音楽

2004 08,02,Monday

実家から2時間かけてアボカスタジオに到着。遠い。吐きそう。

以下、実家から持ってきたもの。
3ギガぶんの音楽(MP3で。だからアルバム50枚ぶんくらいか)。
カロリーメイト3箱。
インスタントのスープパスタ2個。
本2冊。

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寝間着のままでBBQ

2004 08,01,Sunday

今日は高校時代からの友だちとバーベキューをしましたよ。BBQです。多摩川で。だから実家に帰っていたのですね。そんなわけで真っ赤です。腕や顔や脚が。痛い。ちょっとやばいくらいに赤い。これはほとんど火傷といってもいいです。これからはぼくのことを火傷と呼んでいいよ。という意味ではなく、火傷みたいに日に焼けたという意味です。でもそもそも日に焼けるというのは火傷と同じなのですから、これは火傷だ、と断言してもいいわけです。つまりぼくはBBQで火傷をしました。というとほんとに火傷をしたみたいですね。鼻の頭が赤いのは酔っぱらっているのではありませんよ。

まずは買い出しに行きました。今回のBBQプロデューサーであるYくんが「内臓。内臓」というので内臓を買いました。テッポウとコブクロです。直腸と子宮。だということは後で知りました。それからBBQっぽい肉や野菜、ビール、その他などを買いました。予定では買い出し後に肉の仕込みなどをぼくの家でする、ということだったので、近所に買い物に行きます。といういかにもな格好でぼくは近所のスーパーへ買い出しに行ったのですが、結局ぼくが家に戻ることはもう二度とありませんでした。急遽Hくんの家で仕込みをすることになったからです。だから今日ぼくは寝間着のままでBBQをしたのです。

Hくんの家の台所を無理矢理貸してもらい、BBQのための仕込みをします。野菜を切ったり、内臓をどうにかしたりしたのです。といってもぼくはただ見ているだけでした。内臓って、ほんとに内臓なんですね。びろーんとつながっていて、どうすればいいかわかりません。とにかくごめんなさい。という気分にさせられます。本当にどうすればいいかわからなかったので、とりあえず携帯電話から「コブクロ」をググってみたのですが、予想通りあの二人組が何件もヒットし、得たい情報はなにも得られず(豚の子宮ということはわかりました)、今日ほどあの二人組の存在を呪ったことはありませんでした。というわけで、とりあえずYくんがテッポウもコブクロもぶつ切りにし、とにかくもうすごい匂いなので塩でもんだり焼肉のタレに漬け込んだりし、実父ロックして、Hくんの家の台所にものすごい匂いを残したまま川へと向かったのです。ちなみにHくんの実父は警察官です。

今日の東京西部はものすごい強風で、BBQ日和というわけにはちょっといきませんでした。あまりにも風が強いのでなかなか火がつかず、もう少しであきらめて家に帰るところでしたが、いったん火がつくとあっというまに燃え上がり、ほとんど火事同然でした。炎をまったくコントロールできていませんでした。風下にいる人が「なんだよあいつら。危ないな」という顔でこっちを見ていましたが無視です。でも風下にいる人に燃え移らなくて本当によかった。

とまあそんなわけで、いろいろなものを焼き、そのすべてが強風によってたちまち灰まみれになり、否が応でもBBQ気分を盛り上げる絶妙なスパイスとなって、ビールもこの上なく進みました。ただぼくは内臓系は一切食べませんでした。Yくんが食べるには食べたのですが、臭くてだめだったそうです。やっぱ内臓は素人には無理だ。という教訓を得た彼はあんなにも仕込みに時間をかけたコブクロを石の上に捨て去りました。これぞほんとのホルモン(ほおるもん=捨てるもの)です。テッポウはとなりでBBQをする若者たちにジップロックごと差し上げました。食べたのでしょうかね。

やがてお腹が一杯になると、石を投げたり、石を投げられたり、寝間着のまま川に入ったり、寝ている人のお腹に石を乗せたりしました。そうしているうちに日が傾いたので片づけをし、第一回コブクロBBQは滞りながら終了したのでした。おしまい。

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夏の思い出としては

2004 07,31,Saturday

美容院に行ってきた。すごい涼しい。スタンプカードを見たらぴったり半年ぶりだった。

自転車をこいで美容院から帰ってくる途中、お祭りをやってる公園の前を通ったら、がきんちょに水鉄砲で撃たれた。Tシャツがびしょびしょだよ。どうして名もなき市民を撃つんだい?というかどうして祭りにあんなハイテク水鉄砲を持っていくのかね。できればもうちょっとかわいらしいのにしなさい。もちろん、夏の思い出としては、水鉄砲で撃たれてとてもよかったと思ってはいるけれど。

家に帰ったら件のお祭りの焼きそばとフランクフルトが大量に置いてあった。母がお祭りの手伝いをしているからだ。どうやら焼き鳥を焼いているらしい、との有力な情報を妹から得た。今日、この地域ではいたるところでお祭りが行われているようだ。美容院でも、「今日は花火に行かないんですか?」「こないだの駅前のお祭りは行きました?」と聞かれ、今日花火に行くつもりはないし、こないだのお祭りも行かなかった、とぼくは答えた。「夏を満喫していませんね」と美容師の女の子はいった。「ぜんぜん」。

ぼくは小さいころお祭りが苦手だった。それでもいやいや山車を引いたときに、踏まれた靴が脱げてどこかにいってしまい途方に暮れる、ということがあってからもう二度と山車を引くまい、と心に固く誓ったのだ。でも最近はそんなにお祭りが嫌いじゃない。むしろ好きだといってもいい。でも今年はなんとなくお祭りする気分ではないのだよ。これを説明するのは難しいのだけれど。一人でビールを飲みながら、ぶっ壊れたみたいに部屋を冷やしている冷房の真下で、お祭りの焼きそばをいま食べ終えたところだ。

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顔は裸

2004 07,30,Friday

ワインは半分も飲めなかった。で、朝からドラえもん読んでます。『大長編ドラえもん大全集』の3。このへん(1992年)からはもうほとんど知らないですねえさすがに。読んだのもあるけど忘れちゃってます。だいたい。もっと昔のはすごい覚えてるのにね。ぼくは「魔界大冒険」がいちばん好きです。

そういえばアラーキーは最近、顔を撮ってるんだそうだ。ついにねアタシもね、顔を撮るようになってね。いちばんヌードなのは顔だからね。と仰っておりました。いちばん恥ずかしいのが顔だ、と。そこで思うのは最近のメガネブームについてだ。もはやメガネかけてなきゃ人間じゃないとでもいわんばかりの勢いですよね。メガネ=文明、メガネなし=野蛮みたいな。まあ相変わらずぼくはいいすぎてますが、あながち的はずれでもないですよね。ないですよね?つまり顔は裸であるとするならば、メガネは服だ。だからきっとみんなヨン様のメガネを取りたい!と思ってるんでしょ?そうでしょ?で、どうしてヨン様のメガネが取りたいのかというとヨン様のメガネがメガネ界では超有名なメガネで超レアものだからでしょ?図星でしょ?つまりみんなはキン肉マンの王位争奪戦みたいなメガネ争奪戦を戦っている戦士なんでしょ?とまったく思ってもいないことを書くのって疲れますね。でも普段メガネをかけている人がメガネを取るときの変化って、やっぱり秘密の感じがしますね。見てて。ちょっとパンツ脱ぎました。拭きました。はきました。みたいな。視力2.0のぼくにはまったく縁のない話だけれども。

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731部隊

2004 07,30,Friday

4ヶ月ぶりに実家に帰ってきたんだけど外国!こっちのほう外国!ヤンキー!ヤンキー!内訳は本物のヤンキーと偽物のヤンキー。つまりアメリカ人と日本人。国境さえないものの(ってまあ一応米軍基地とのあいだにはあるといえばあるのだが)日本はいくつかの国に確実に分かれてると思いますね。なんていうのかな、立川を超えるとなにかが変化する気がします。人種が。着てる服とかが。サラリーマンの鞄とかが。気のせいかもしれないけど。悪口をいっているのではないよ。やっぱり都会はハードルが高いのだと思うのだ。どこかしら。思いこみかもしれないけど。

そして真っ暗!家のそばにでっかい公園があるんだけど真っ暗!熱帯!怖いから明るいほうの道から帰ったよ。スコール!びしょぬれ!電子機器の危機!おれの部屋雨漏り!びしょびしょ!

で、いまなぜか2000年のワインを開けた。これからひとりで一本空けなきゃいけない。2000年に買ったワインがまだ冷蔵庫に入っていたのです。冷蔵庫に4年も入ってたのってどうなんですか。だいじょうぶですか。

で妹や母親などに思いっきり痩せたといわれた。体重計に乗ったら5キロ痩せていた。扁桃腺炎後から5キロ。つまり5ヶ月で10キロ近く痩せたことになる。

それはまあいいとして、今日はですね、菊地成孔さんのサイン会に行ってきましたよ。『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール-世界の9年間と、 新宿コマ劇場裏の6日間-』出版記念ということで。菊地成孔・坪口昌恭デュオ+パードン木村さんによるライブダブ。ジャズをダブで飛ばす試み。そう池袋東武の屋上でライヴだったはずなんです。でもよりによって台風ですよ。西へ進む台風。なんなのよ。たまに外に出たならば。やっぱおれか雨男は。だから急遽2階のアニメイト広場ですよ。暑いったらありゃしない。ライヴの後はアラーキーとの対談。なぜなら表紙の写真をアラーキーが撮ったから。アラーキーは生ける伝説上の人物。という感じでした。写真家アイコンという感じ。キャラが立ちすぎてて漫画みたいだね。もはや。ただひとつだけ、「死の前では照れてる場合じゃない」というようなことをアラーキーはいっていて、それはほんとその通りなのだよなと思いました。髪が伸びたから外に出たくない。とかいってる場合じゃない。明日切るけれども。で、サイン会。おれはもしかしたらこの数年サイン会というものに行き過ぎかもしれないな。と反省したところでまだ一杯しか飲んでいない。ワインを。あと6杯も飲めないよ。4ヶ月という時間はスペースシャワーが何チャンネルか忘れるくらいの時間。265ね265。そしてviewsicが731ね。731部隊ね。と思ったらviewsicじゃないじゃん。MUSIC ON! TVじゃん。知らなかった…。

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いつかシベリア。

2004 07,23,Friday

今日こそはすごく遠くまで行けるんじゃないか。朝、目覚めると、毎日のようにそう思います。今日こそは。たとえばシベリア。とかに。だって今日はすごくいい天気だし、予定だってなにもない。いまから家を出ればシベリア。とまではいわないけど、どこか相当遠いところまで行けるんじゃないか。いやいや案外あっけなくシベリア。とかまでたどり着いたりしちゃうんじゃないの。そう思うのです。するともういても立ってもいられません。よし。とりあえず、家を出よう。シベリア。に行くにしろ行かないにしろ、とにかく家を出ないことにはなにもはじまらない。はじまらねえ。と不自然なほど真っ当なことをいまさらのように、やや白痴的に、それでもまったく真剣に矢沢永吉のように思い、ぼくは「ルークス・カイウォーカー」を持って家を出るのです。ちなみに「ルークス・カイウォーカー」というのはぼくのパソコンの名前です。よし。シベリア。の前にここはひとつ腹ごしらえだ。すげえお腹空いた。そうだろ?「ルークス・カイウォーカー」?――という風にして、ぼくはまっすぐいつものようにモスバーガーへと吸いこまれていきます。シベリア。と思わず注文してしまいそうになるのを必死でこらえつつ、ホットスポットなのにすごく寒い席に腰を下ろし、「ルークス・カイウォーカー」をまずインターネットに接続します。シベリア。にはどうやって行くのかな。すると店員さんがやって来て、「お待たせしました。シベリア。ではなく、フレッシュバーガーオニポテセットです。ごゆっくりどうぞ」というので、ぼくはシベリアからいったん目をそらし、「ルークス・カイウォーカー」をぱたんと閉じます。他人のまぶたを閉ざすようにして。ぱたん。そしていちばん最後まで大切にとっておいたオニオンリングを床に落としたり、コガネムシを太股に発見したり、テーブルの上にダンゴムシを発見したりしているうちに、忘れてしまいます。シベリア。のことを。こんなぼくですがいつかシベリア。に行くことができるのでしょうか?

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ズボンにコガネムシ

2004 07,20,Tuesday

10時前には起きた。暑い。東京は39度だと。アホか。でもそんなに暑くないじゃん、とか部屋の中で思っていたが、外に出たらとんでもなかった。息ができない。今日もモスへ行く。気づいたらズボンにコガネムシがついていた。が、今日は席を譲らない。まだ食べている途中だったからだ。最後までとっておいたいちばん大きなオニオンリングを床に落っことしてしまい、絶句。さすがにアイスコーヒーもぬるい。氷が溶けるのも早い。

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MTを

2004 07,19,Monday

朝7時起床。そういえば弟の誕生日だ。昼頃パスタ茹でてもらう。シーフードのパスタ。いつまでたってもJUGEMが復活しないのでMTを導入することにした。が、なかなか思うようにいかず。夜ケンタッキーをデリバリーしてもらう。「SMAP×SMAP」に山口智子。4時ごろまでMTをいじっていた。

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文明の利器

2004 07,15,Thursday

5時前に起きてしまった。ぜんぜん眠れない。「往復書簡」が吉川くんから届いていたのでアップした。ダーリンハニーファンのみなさんアップしましたよ。だいたい2時間くらいかかった。朦朧としていていろんなことが少しずつわかんなくなってたのでいつもより時間がかかった。それから髪が伸びすぎているのでもう死にたいくらいなものです。雷が鳴っている。今日は東大の講義の前期テストだけど髪が長いので行かない。テスト受けたって成績がつくわけじゃないし。なぜならもぐりだから。その後のお疲れパーティみたいのは行きたいけど行かない。なぜなら髪が長いから!

15:15。ちょっと冷房をつけてみた。すごく涼しくて信じられない。文明の利器。寒い。
15:18。もう消した。それからJUGEMは残念だ。ログが一部消えたんだって。もいかしらた、あれ、もしかしたらそうなるんじゃないかと思っていたらそうなってしまってとても残念だ。また夢日記を上げ直すのかぁ。うんざりするなぁ。なんだかついてないなぁ最近。ココログに変えちゃうよ?と思ったら有料なのか。雨が降ってきた。こりゃまたずいぶんと大粒だな。と思ったら30粒くらいしか降らなかった。と書いたらまた降りはじめた。と書いたらやんじゃった!そしてすごく晴れてきた。

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初心/所信表明

2004 07,07,Wednesday

というわけで、やっとこできあがりました。
といっても実質二日間です。
結局はJUGEMを使うことにしたのです。
いままではいったいなにをしていたのでしょうか?

とりあえずは、最近の日記をアップしております。
えーと、これは本当にふつうの日記ですね。
いずれは、ふつうに本当ではない日記を書いていくつもりです。
って自分でも意味はわかりません。

最近は、ここ何年かのうちでもっとも失語症的だ、という自覚があるのですが、読んでいただければおわかりのようにものすごく長い日記を書いています。これはたぶんリハビリに近い。というようなわけで、ここに書いてあるものはきわめて個人的な備忘録のようなものであり、などといった前置きをよく見かけますが、やっぱり書いてしまうものですね。

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官能的なイルカの群れが踊りながら喉元に

2004 07,05,Monday

いまモスバーガーにいるのですが、なんとも不快な出来事がありました。不快といったらいいすぎなのですが、意識的にため息をつきたくなる、とでもいうような感じの出来事。といってもまだいいすぎなくらい些細な出来事なのですが、とにかく、店内に一人の女性が入ってきたのですね。このモスには出入り口が2つあります。いわば「正面玄関」と「勝手口」の2つです。ところでぼくはその「勝手口」から店内に入ってくる人間がどういうわけか許せないのです。別にふつうの出入り口なのですが、とにかく嫌なものは嫌なのです。とわざわざいうほどでもないですし、いったいなんの権利があってこんなことを主張しているのか自分でも意味がわからないのですが、「勝手口」から入ってくるのは圧倒的に女性が多い。そもそもそのモスは女性客が多いので、これは当たり前といえば当たり前の話なのですが、その女性も「勝手口」から入ってきました。30代の、スーツを着た女性です。「正面玄関」から入ればすぐに注文カウンターがあるのですが、ってこの「〜なのですが、〜です」っていうのが自分でも鼻につくのですが、ってわざとやってるのですが、「勝手口」から入った場合、客席を横断して注文しに行くというような格好になるわけです。そのあいだにハンドバッグやらなんやらを自分が座りたいところへ置いて席を確保してから注文しに行くのは、これまた女性が多いのですね。件の女性も店内に2,3歩足を踏み入れると「どこに座ろうかな」というように店内を見回しました。70%の座席が空いています。ただ禁煙席は満席でした。そこで彼女は何歩か喫煙席の方へ歩き、しかしながら踵を返して店を出て行ったのです。おしまい。これのどこにむかついているのか、はっきりいって書いてるうちにもう忘れてしまったので、つまりそれほどむかついていなかったことになりそうですが、無理して思い出して書き続けます。っていうか、いま店内には男子がぼくしかいないので、この文章を横から覗き込まれたら中央の座席を空けられ床に転がされ集団暴行されること受け合いです。でも書き続けます。牢獄で小説を書き綴った南米の作家のように。

いいじゃないか、と。喫煙席で。だってがらがらだし、煙草を吸ってる人間もいないんだから、喫煙席に座ればいいじゃん。なんなの。その潔癖さ。というか、非寛容さ。書いてて思い出してきましたが、そう、これは、あのときと似たような不快さだ。何年か前、ぼくはマクドナルドにいました。ってどうしてこうもファーストフード店にばっかりいるのか神経を疑いたくなりますが、その話はとりあえず置いておきます。とにかくマックにいたのです。ぼくは当時まだ煙草を吸っていたので、そこは喫煙席でした。隣の席は空席で、隣の隣の席には女の子がいます。彼女は一人で煙草を吸っていました。ぼくはなにか本を読んでいた。すると二人の白人がやって来て、空いていた隣の席に座りました。それから煙草を吸っている女の子に突然英語で話しかけました。どうやらその白人たちは「煙草を吸うな」といっているようなのです。女の子は英語がよくわからなかったようですが、そのうちなんとなく理解して、「だってここは喫煙席で、禁煙席はあっちですよ」というような顔をして、それを身振りで示そうとしました。いささか困惑気味にです。そう、確かにそこは喫煙席でした。そして店内には禁煙席もちゃんと用意されているのです。それなのに頑として外人たちは譲りません。「健康に気をつけているから、近くで煙草を吸わないでくれないかな。悪いんだけど」というようなことを真顔で繰り返すばかりです。「すごく健康に悪いんだよ。その副流煙ってやつ」。いったいなんなのでしょうか。お前が禁煙席に座れよ。ぼくはそう怒鳴りたかった。でもしませんでした。英語がわからないから。ではありません。もともとぼくがそういうことをいえるタイプなら、こんなことを何年もたってからねちねち書いたりしないことは一目瞭然ですね? もしかしたら、その白人たちはまったく違うことをいってたのかもしれない。彼らの話したことはぼくの想像にすぎません。女の子は「なんなのこの人たち」というような顔で、あきらめて店を出て行きました。ぼくだってたぶんそうするはずです。さて。ぼくはよっぽどその人たちの前で煙草を吹かしてやろうかと思ったのですが、その人たちはものの数分で店を出て行っちゃいました。結局なにも注文せずに。なんやねん。帰るんかい。と思わず関西芸人風につっこみを入れたくなるほどでした。おしまい。というような出来事。この二つの出来事はどこが似ているのか。いいえ。出来事は似ていません。ぼくがそこから受けとったものの質が似ているのです。えーと。どこが似ているんでしょうね。たぶん、排除の論理。とかいうようなことだと思います。テーブルにダンゴムシが来てしまったので、席を譲ることにしてぼくは帰ります。

そして焼酎は空になり、空から雨が降りはじめた音がして、モスの帰りに買った「一平ちゃん屋台の焼きそば」を食べました。ジャズを聴きながらです。ウッドベースの音はいつもなにかがはじまりそうな予感に充ち満ちていて、胸が詰まりそうな感じになってしまいます。いや違うかな。お腹から喉のあたりにかけて、なにかがせり上がってくる感じ。それは吐き気とは対極にあるものとも思えるし、もしかしたらまったく同じものなのかもしれないとも思います。官能的なイルカの群れが踊りながら喉元に、音符の連なりとなって駆け上がり、ぼくの声は海原へと泳ぎ出すイルカの通路となって夜明けの空に響き渡ることでしょう。つまり飲み過ぎて気持ち悪いってこと。吐きそう。

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7月4日に生まれて

2004 07,04,Sunday

7月4日になるとほぼ自動的にトム・クルーズのことを思います。それから、観たこともないのに「7月4日に生まれて」という映画のことを思う。と共に今日がアメリカ合衆国独立記念日であることを思います。思うだけです。というか、思う以外にどうすればいいのかよくわかりません。だから毎年、思うだけにしているというわけなのです。でも本当はそんなことをしたくはない。こりごりです。懲り懲り。早朝。またもパンを食べました。眠れない朝の4時半に食べるパンと牛乳。むさぼるように5本のパンをです。いま、こうして書いていると、本当に自分がそんなことをしたのかどうかわからなくなってきますね。眠れない午前4時半は深夜といってもいいはずなのに、あの明るさの前ではまったく朝としかいいようがない。ということに地球の公転を感じつつ、結局8時頃に眠りについたぼくが起きたのは午後3時半で、外はすばらしくよい天気。ものすごい勢いで「焼きそばUFO」を食べ終えたぼくはこんな日は散歩に行くだけで一日を終えてもいいような気がして、やがて、散歩にさえ行かなくてもいいような気がしはじめると、「ちびまる子ちゃん」のあたりで遅い昼寝をすることになってしまうのが常なので、ベッドからやおら起きあがり、焼酎をあおることにしました。やおらあおる。ビール以外のお酒の酔い方を忘れてしまっているぼくはたぶん焼酎をたくさん飲み過ぎて、トップランナーに妻夫木くんが、ウルルンに青木さやかが、夕ご飯にうなぎを、といったあたりの記憶が曖昧です。そしてF1。フランスグランプリ。しかしただでさえあの甲高いエンジン音はぼくにとって最良の子守歌なのですから、気がついたときにはシューマッハが今期9勝目を挙げていたのでした。10戦9勝。いったいどれだけ勝てば気が済むのでしょうか。そしてそのころには酔いも覚め、目も覚めて、そのままユーロ2004決勝でギリシャが優勝するのを見届けたぼくはギリシャ人にいわれのない敬意を抱いているのでとても嬉しく思いながら昼頃まで起きていました。無意味に起きている時間の総計は、もしかしたら実時間に加算されていないのでは?

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薄い舌の街、Tokyo

2004 07,03,Saturday

パンを食べます。早朝。チョコチップ入りの、細長いパン。牛乳が飲みたい。パンにはやっぱりネオソフト。なんて思いません。やっぱ牛乳でしょ。だからその点ではアメリカは実に正しいといわざるをえません。日本酪農乳牛協会も。略してj-milkも。というわけで、ただ単にパンを食べたら「牛乳が飲みたいなあ」と思っただけなので、ネオソフトを貶めているわけでは決してありません念のため。というかずっと使ってました!ネオソフト!同じ乳製品じゃないか!いやそれはバターか!マーガリンは違うか!植物性脂肪か!とフォローしなくてもいいのにフォローをしたり余計な間違いをして正したりしつつ今日は予告通りHMVに行きました。別に予告なぞしていませんが。ポイント3倍につられまくりです。一軒目のHMVには探していたものが見つからず、というか見つかりはしたのですがSale対象商品としてのそれは見つからず、ってなんでセールを英語で書いたのかわかりませんが、バーゲンに夢中のグリコさんをほったらかしてもう一軒のHMVに向かいます。そこにはそれがありました。そしてそこにはそれだけではなくあれもあったのです。あれはないと思っていたのでびっくりです。どうしよう。あれがないの。といわれたことはありますか。ぼくはあります。高校生のときでした。あれはきつかった。結局あれは来たのでした。よかった。ほっとしました。なにをいってるんでしょうか。ぼくは。あれとかそれとかいっているからいけないのだな。具体的にはHerbie Hancock『Maiden Voyage』とMiles Davis『On The Corner』です。どちらも驚きの低価格。なんと1090円です。そしてもう一枚。The Polyphonic Spreeの『Together We're Heavy』。レジでお金を払っているとほったらかされた人から電話が。この人はいつもお金を払ってる最中に電話をかけてくるのでなんとも驚く限りです。合流して牛タン定食を食べに行きます。地下の、なんだか秘密のお店みたいな感じ。秘密結社。ということばが思い浮かびます。まるで牛タンを食べることが非合法化されているのではないかという錯覚すら覚えます。というような気分になかば強引にさせられる。それにしても東京の牛タンは薄く、哀しい限りです。あれではすぐに冷めてしまう。薄い舌の街、Tokyo。薄い舌の哀しみを払拭するため、喫茶店に行くことにしました。ふだんは行かない喫茶店です。コーヒーゼリーが食べたい。と思ったのです。2年ほど前にもらったクーポン券が財布の中に入っていて、そいつを使おうという魂胆。しかしながらクーポン券が2年も財布の中にあったというのに、肝心のお店の方ががなくなってしまいました。ぼくらは肩を落とし、満席のベローチェをスルーし、仕方なくスタバに入りました。ぼくはスタバでは緊張するタイプです。そのあとはお決まりのコース。隣のジュンク堂で閉店まで本を読みました。ジョルジュ・アガンベンの『ホモ・サケル』です。これはどうにかして買わずに読破したい本ナンバーワン。だって高いんだもん。お金がないときほど欲しいものが多く見えるものですね。ちらっと見ただけでも10冊くらい欲しい本がありましたが我慢。コンビニで「焼きそばUFO」と昨日と同じパンと牛乳を買って家に帰ります。なんとウィンブルドン女子決勝が始まるところでした。危なかった。どうして決勝だけそんな早い時間にやるのだ。危うく見逃してしまうところじゃないか。まさか。とは思いましたがシャラポワさんが勝ってしまいました。そして牛乳を超ひさしぶりに飲んだぼくは予定調和的にお腹を壊し、シャラポワが優勝したら祝杯を上げるという公約を翻し、本当に牛乳を分解する酵素がないのだな日本人である俺は。と自分の腸に逆に感心。

diary 2004,07,03,Saturday
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グラム売りのお総菜

2004 07,02,Friday

オリジン弁当に行くと必ず「若鶏のからあげ弁当」を頼んでしまう。のはどうしてなのでしょうか。呪いですか。それとも魔法? もうかれこれ10回連続ぐらいです。毎回、今日は違うのを食べよう、と思って家を出るのですが、今日もからあげにしてしまいました。咄嗟に口をついて出るのが「からあげ」なのですね。もしかしたらオリジン弁当のおばさんは、ぼくのことを「からあげくん」と密かに呼んでいるかもしれない。などと考えると、いよいよもうからあげ弁当しか頼めない身体になってしまいます。まあおいしいからいいのですが。なんて別に考えていませんよ。口から出任せです。しかしながらぼくはグラム売りのお総菜を買うことができません。これは本当です。大の男がなにをちまちまと。などと野蛮にも思ってしまうのです。いくぶん男性中心主義的に。「グラム売りのお総菜」ということば自体、「マッチ売りの少女」みたいで(ぜんぜん違いますが)、なんともフェミニンな香りがしますし、しかも貧乏くさいわけです。こいつぁ女子のすることだ、ちげえねえ。と30%くらいは本気で思ってしまうのです。というのはもちろん冗談というか冗談じゃないにしても、あれはめんどくさいんですよ。いや少なくともめんどくさそうと思わせます。それとなんとなく気恥ずかしい感じ。絶対に動作がぎこちなくなるであろうことが、これはもう明確に予想されます。挑戦してみよう。と内心ではいつでも思っているわけですが、まだ一度も試してみたことはありません(どんだけ臆病なんでしょうか)。

そんなこんなでからあげを揚げてもらっているあいだに向かいのファミマで焼酎と落花生を買いました。チェアマンの家で飲んだ鍛高譚がおいしかったので、それを買ってみたのです。オリジン弁当というところは、あの、待っているあいだがどうしていいかわかりませんね。誰もいないときはベンチに座っていれば問題ないのですが、先客がいてすでにベンチが使われているとお総菜の前あたりに曖昧に立ちつくすしかないわけです。あれ、困ります。なんとかしてください。

そうだ。焼酎を飲むペース。というものがよくわかりません、話は変わりますけど。たとえば720mlの焼酎はだいたい何日で空けるのですか。当方、飲み方はロックです。と答えは明らかにケースバイケースであろうことが予想される質問を投げかけて終了。

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エレクトリック・マイルス

2004 07,01,Thursday

午後の2時頃起きました。毎週、なんだかんだしているうちに東大へ行く時間になってしまいます。そう、菊地成孔さんの講義にもぐりこんでいるのです。もぐってもいいということなので。そのような寛容さには心を打たれてしまいます。この寛容さは、滅多にあるものではないと思うのです。今日の講義後は実家へ帰るつもりだったのですが準備が整わず断念。今日は1969〜1975年、電化された後のマイルスを中心に。エレクトリック・マイルスです。豆電球をスーツにいっぱいつけたマイルス・デイヴィスが闇夜に突如として浮かび上がる。というような情景が咄嗟に思い浮かびます。講義終了後、例によって歩いて渋谷へ。あんなに混んでいる電車に乗るよりよっぽどましだとぼくは思うのです。歩けるうちに歩きたい。とまるで老人のごとく思いつつ、歩いてたどりつく渋谷はそれほど嫌な感じがしないので不思議です。おそらく、ぼくはハチ公口周辺が嫌いなのでしょう。湿度が低くとても気持ちがいい、こんな渋谷はひさしぶりです。ビアガーデンに行きたい。でも一人でビアガーデン?などと思いながら身体が渋谷にやっと馴れてきたので、少しうろうろします。HMV、タワレコ、レコファン。なにも買わず池袋へ移動し、またもやHMV。メトロポリタンプラザ店。HMVは今度の土曜日にポイントが3倍になるとのことなので今日買う気はしないに決まっています。買い控えというやつですね。リブロにも行きます。いっそのことリブロとジュンク堂とHMVとタワレコが同じビルに収まって欲しい。どうでもいいですがリブロからジュンク堂へ向かう交差点の信号はいっつも赤です。片岡義男『影の外に出る』を読んでいると閉店時刻になったので、サンシャイン通り沿いのHMVへ。こちらは遅くまでやっているのです。ぼくはそのように時間を潰して、なんとなくグリコさんの帰宅を待っていたというわけなのです。しかしながらその日、ぼくは携帯電話を充電し忘れていました。そんなところへ鳴る電話。わずかに残ったかけがえのない電池が、よりによって中学校時代の友人からの突然の電話により消費されてしまいました。なにもこんなときにかけてこなくてもいいじゃん。年に一回くらいなのに。と思ってもどうしようもない。もううんともすんともいいません。急いで帰らなくては。もうすぐグリコさんから連絡が来るはずだから。なんだかんだで一日なにも食べていない、なにも飲んでいないぼくは帰ってお茶を一気飲み。Tシャツにこぼすほどの勢いです。グリコさん帰宅するとのことなので駅へ迎えに。連絡がつかず立ち往生、などという事態が回避されて一安心です。そんなわけで、ひさしぶりに「じゅうにつぼ」へ。ここはなんでもおいしい、と毎度のごとく思います。7月になったので、なんとなく一人飲みを解禁することにし焼酎(黒丸)と氷を買って帰ります。「G7」のバナーを作らなきゃいけないのですが、ウィンブルドン準決勝に釘付けになってしまいました。まさかダベンポートには勝てると思っていなかったのですが、シャラポワさん勝ってしまいました。こんなに早くウィンブルドン決勝に上ってくるなどとは思ってもいなかったので、びっくりしてしまいます。試合後半のあの集中力の質の高さと持続力には目を見張るものがありますね。まるで目に見えるようなシャラポワの集中力によって、会場は完全に彼女のリズムに支配されていました。セレーナとの対決が実に楽しみになってきつつ朝5時就寝。

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パラレル/アンダーワールド

2004 06,30,Wednesday

『パラレル』読み終わりまして、続けてドン・デリーロの『アンダーワールド』を頭から読み始めてしまいました。早朝。なにか、読書的な勢いのようなものがついてしまい眠れなくなってしまったのです。頁をめくる手が止まらない、というような種類の。寝たのは朝の10時ごろでしょうか。そして3時頃起きました。暑い。すげえ暑い。起きてすぐから『アンダーワールド』を読み続けていると当たり前のように夜になり、どうして昼ごはんを食べないのかと帰宅したグリコさんに怒られてしまいました。夕食はオリジン弁当です。そんなこんなであっという間に夜になり、あっという間に朝になります。

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リサイクルボックス

2004 06,29,Tuesday

夕方、思い切ってペットボトルをスーパーマーケットにあるリサイクルボックスへ投入しに行きました。リサイクルとは、現代における唯一の道徳的基準だと思います。と大して考えもせずに書きました。45リットルのゴミ袋にいっぱいのペットボトル。かさばるったらありゃしない。きちんと踏んづけてぺしゃんこにしているんですけどね。外へ出たとたん家の前で犬が糞をして、飼い主がぼくに申し訳なさそうな顔をしていました。家を出るたびに100%誰かが犬の散歩をしているのに出会うのは、いつまでたっても馴れることができません。もう嫌がらせとしか思えませんよここまでくると。スーパーマーケットのリサイクルボックスはぼくが想像していたのよりも大きくて、ふたも大きく開きました。もっと小さなものだった気がしていたのです。だから空いたペットボトルが部屋に増えれば増えるほど、心理的なためらいが増していったのですが、そんな心配をする必要がないほどリサイクルボックスは十分に大きなものでした。ぼくは自分の持って行ったペットボトルがリサイクルボックスにうまく収まらなかったらどうしよう、というような心配をしていたのです。といってもぼくが持ち込んだペットボトルのせいで、リサイクルボックスはほぼ満タンになってしまいましたので、もしぼくのあとにぼくがそこを訪れていたとしたら大変悲劇的な事態が持ち上がっていたことでしょう。ペットボトルを思い切って捨てに行ったのは、そのスーパーの近くにある酒屋で焼酎を買おうと思っていたからだったのですが、酒屋は火曜が定休日でした。つまり今日です。どうしてなのか? たまに行くお店が定休日なのは。気を取り直して定休日の酒屋の近くの量販店でペットボトルのお茶を2本買ったのも当初の予定のうちでした。ペットボトルの飲み物を買うとき、それが今日リサイクルボックスに持って行ったペットボトルになるという気がまったくしません。飲み終えたとたんに、ものすごく邪魔なかさばる物体に一気に変化しすぎと思います。もちろんその量販店にも焼酎は売っているのですが、思いっきり悩んだ末に買うのをやめました。やっぱり一人では酒を飲まない宣言を持続することにしたのです。だから焼酎となにか食べ物を買って帰って酒を飲みながら食べる、といういちばん最初の目的が失われてしまったので、定食屋で食べるという選択肢がにわかに浮上しました。定食屋にはまだ誰も客がおらず、主人とバイトの店員が客席に座って談笑しているところを邪魔してしまったような気になってしまいます。あの二人が仲良く喋っているなんて。そんなことまったく想像していなかったので、余計に邪魔をしてしまった気分になってしまいます。客が誰もいないとどの席に座ればいいのか迷ってしまうほど優柔不断ではないのですが、どうしても店側に都合のいい席に座るように心がけてしまい、つねに首を捻ってテレビを観ることになる冷房の真下に座ってしまうのでした。

深夜にはウィンブルドン観ました。今日は放送の直前に別のチャンネルのスポーツニュースをちらりと観てしまい、またもや結果を知っての観戦となったのですが、途中までは杉山愛が勝ってしまいそうで、あのニュースは夢だったんじゃないだろうか、などと思ったりしました。でも結局は、当たり前の話ですが、ニュースの通りにシャラポワがベスト4に残ったのです。結果を知ってしまうとスポーツはその面白みが台無しになってしまうものですが、どっちが勝つのか、という観点ではない観点から試合を観るというのもなかなか面白いものですね。どこが勝敗を分かつ場面だったのか、とか。そういったスリル。

明け方、初出時とは違った結末になっているという長嶋有さんの『パラレル』を読み始めました。

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デリバリーで焼きそばを

2004 06,28,Monday

グリコさんが自宅作業で一日家におられました。部屋に二人いると如実に暑い。なんだか頭が痛いので、なにもする気になれません。夜まで飲まず食わずだったのですが、別になにか作業に没頭していたというわけでもありません。お腹が空いてずっと頭がくらくらしていました。9時過ぎ、やっと中華料理のデリバリーで焼きそばを食べます。深夜、ウィンブルドン観ます。NHKは、どうしてこれからノーカットで放送する試合の勝敗を、放送直前のニュースで伝えてしまうのでしょうか。

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バナナ味

2004 06,27,Sunday

朝10時起床。部屋の掃除。3時過ぎ、みんな来る。お腹が空いてる組でラーメンを食べに行く。帰りにソフトクリームを買って歩きながら食べた。バナナ味。その後はいろんな更新作業など。途中でビールを飲み始める。最近はほとんどアルコールを摂取していないので酔っぱらうのが早くなった。

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本当はどうなのか

2004 06,26,Saturday

昼過ぎに起きます。夕方、某店でハヤシライスを食べました。ま、まずい。なにか、食べ物がおいしくないと思うことはあまりないのですが。なかったのですが。と思い、これはもしかしたら、煙草をやめたせいなのか、とはじめて思いました。本当に煙草をやめたせいなのかどうかはわかりませんが、煙草をやめてから初めて、煙草をやめたせいで味覚が復活したのかもしれない、と思いました。そんなこと、本当はどうなのか、わからないのですが。それともあまり食べ物を食べなくなったから、というのもあるかもしれませんね。夜、グリコさんの母の手による夕食をいただきました。食卓から料理がこぼれ落ちそうです。お兄さんも帰ってきていらして、ビールまでいただきました。一人ではビールを飲まない宣言をしてからもうだいぶたつのですが、ときどき飲むビールがおいしいかといえば、そういうこともなく、飲めば必ずといっていいほどお腹を壊してしまうのです。「G7」のバナーを作るもなかなかうまくいきませんでした。

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音楽のお祭り

2004 06,20,Sunday

昼、ビルディ。ハンバーグ食べる。そのあと散歩。空、甚だ青し。変な雲多し。写真に撮る。図書館の屋上へ。だが図書館の屋上など存在せず。3時過ぎ、飯田橋へ。東京日仏学院にて。音楽のお祭り。外人多し。いろんな音楽聴く。図書室など覗く。フランス語版村上春樹『ノルウェイの森』など読む。読めない。ぱらぱらめくるのみ。テキーラ風味のビール飲む。スパンクハッピーの新しい女の子。ドミニク。初お目見え。かわいい。帰りにリブロで高橋源一郎『日本文学盛衰史』の文庫。ハードカバー持ってるが買う。鮨。買って帰る。オレンジデイズ。最終回観る。F1佐藤琢磨。表彰台3位。おめでとう。日本人としては14年ぶりの快挙。そうか。あれから14年もたったか。信じられん。

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電波を探る

2004 06,16,Wednesday

すばらしい天気。朝、グリコさんといっしょに家を出る。池袋リブロ、ジュンク堂などのぞく。スラヴォイ・ジジェク『イラク』を立ち読みで全部読んでやろうかと思ったが、50頁くらいで諦める。それからなにか食べようと街をさまよったがなにも食べず、有楽町線に乗った。日比谷で降りて、日比谷公園へ。あまりにも天気がいい。写真を撮る。日比谷図書館をのぞくが、人が多かったので去る。銀座、有楽町、日比谷周辺をあてもなく歩き回る。「マック・グラン」の発売日だったことを思い出し、マックを探すが前あったところにはなくなっていて、そのちょっと先にある店舗は小さすぎて満員で、そこに貼ってあった地図を見て、もうひとつのマックへ。どうしてそこまでしてマックに行かなくてはならないのか。「マック・グラン」食べにくい。気づいたら肉汁のような油のようなものがぽたぽた垂れていて、ズボンに染みを作っていた。訴えてやろうかと一瞬思うが、気を取り直して「往復書簡」でも書こう、と思ったが店内めちゃくちゃ寒いので中止。もう帰ろうと思い、ずいぶん歩いて三田線の切符の販売機に200円入れたが、板橋本町までいくらだっけと思い、とりけしボタンを押して払い戻し、料金表というか地図を見ていたら後ろから中学生の集団に押されたので切符を買う気が失せ、再び日比谷公園へ。ベンチをちょっとずつ移動しながら無線LANの電波を探る。が、どこも不十分なので日比谷図書館の第一閲覧室へ――というわけでいま日比谷図書館でこれを書いています。閉館時刻になったので内幸町駅から三田線に乗り板橋本町まで。そこから歩いて帰る。15分弱。一日中歩き回ったので、右足の付け根というか腰のあたりが痛い。

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なんとも殻の薄い

2004 06,15,Tuesday

すばらしい天気。梅雨はどうしたんだろう。午前中とりあえず部屋の掃除をする。掃除機をかけた。

森健のデビュー作『火薬と愛の星』も読み返す。そうしたら『種を蒔く人』は『火薬と……』の続編だったのね。続けて、『新現実』の『もしも願いが叶うなら』も読んだ。

夕食はいつもいく定食屋。からあげが終わっちゃったということなので、日替わり定食にした。さば。とかそういうことはどうでもよく、どういうわけか店内は負のオーラに満ちていて、充ち満ちていて、もう料理が出てくる前に走って逃げ出してしまいたいほどだった。細かい説明は省くが、たとえば、となりに座っていた人が卵を割るときに白身をテーブルにぶちまけたりした。あるいは、レジでお会計をすませようとしたサラリーマンが、バイトの男の子のあまりのできの悪さ(レジスターを使っているのにもかかわらず、どういうわけか暗算をしているようで、しかもその暗算が遅い)に苦笑したりした。そして一刻も早く食べ終わり外に出たい、というはやる気持ちのせいなのか、自分まで卵の白身をテーブルにぶちまけてしまった。となりの人からなにも学習できなかった自分を恥じた。なんとも殻の薄い生卵だったのだ。あまりにも愛想の悪い男の子にお金を払い外に出たら、グリコさんとふたりでものすごく清々しい気持ちになった。というか元気になった気がした。そしてもっとも不思議なことは、かように負のオーラを醸し出すその店が大人気であるということだった。どうしてだろう、と二人で考えた結果、おいしくて安いからである、との結論に達した。ガリガリ君を買って帰った。

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ペットボトルをすべて

2004 06,14,Monday

すばらしい天気。今年いちばん気持ちのいい日かもしれない。

午前中、溜まりに溜まっていたペットボトルをすべて濯いで、窓際に並べ乾かす。かなり日に当たっているけど、なかなか乾かないもんですね。

『群像』の森健『種を蒔く人』を読む前に、念のため『鳥のようにドライ』を読み返す。近所に新しく家が建つようで、その足場を組んでいるのだが、ただでさえうるさいのに付け加えて、たぶん若い職人連中の私語が否が応でも聞こえてくるので、怒鳴り込んでやろうかとも思うがそんなことできないのでヘッドホンで音楽を聴きながら読書。途中で音楽を聴くのはやめたが『鳥のようにドライ』、『種を蒔く人』と続けて読了。別に集中してしまえば、周りがうるさくても関係ないのだった。

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およびそのほかさまざまな

2004 06,13,Sunday

昼、駅前のとんかつ屋に行く。行く途中、図書館前の紫陽花や、そのほか実にいろいろな場所に咲いている紫陽花、およびそのほかさまざまな種類の植物の写真を撮った。帰りにグリのえさを買って帰る。いったん家に帰ったが、「おいしいものを買ってくればよかった」とグリコさんがいうので再び駅前へ。和菓子を買って帰る。和菓子屋の前に金魚がいたことにはじめて気がついた。

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小説が読めない

2004 06,12,Saturday

朝5時起床。9時過ぎ、マックに行って「往復書簡」を書く。昼頃まで。お昼ごはんは鰻丼。夜、ナポリタン。ダーリンハニー初登場の「エンタの神様」を観る。本屋で『群像7月号』、『新潮7月号』を買ってきた。小説では星野智幸『アルカロイド・ラヴァーズ』、長嶋有『フランソワーズのフランス』、高橋源一郎『メイキングオブ同時多発エロ』などをとりあえず読んだ。だが明らかに、小説が読めない時期が到来しているような気がする。

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ユニフォームを着た女の子

2004 06,09,Wednesday

昼過ぎに寝た。仕事の素材を受け取ってから。夜9時ごろ起きる。起きたら、サッカー日本代表がインドに7-0で勝っていた。そこからずっとコーディング。夜中、オリジン弁当に弁当を買いに行く。日本代表のユニフォームを着た女の子が歩いていた。応援の帰りなのだろう。あれは家から着て行くんですね。いや着ていくかどうかはわかんないか。

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なにかの暗号

2004 06,06,Sunday

午後1時過ぎ起床。だらだらと過ごす。昼ごはんにカルボナーラを作ってもらった。夕方、窪塚洋介がマンションの9階から飛び降りた、というニュースを知り、びっくりする。意識はある、とのこと。真下ではなく、9メートル先のフェンスの上に落ちたので衝撃が和らいだ、らしい。6月6日に9階から9メートル水平に飛んだというわけだ。これはなにかの暗号に違いない。それからレーガン元大統領死去のニュースもあった。深夜、あまりにもお腹が空いたので炒飯を作ってもらった。午前4時就寝。

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なんでもアルコールに変換機能

2004 05,18,Tuesday

ブロスが早朝やってきた。小川洋子『妊娠カレンダー』および『密やかな結晶』を読み始めた。ぱらぱらとめくった感じでは『妊娠カレンダー』は前期に属し、『密やかな結晶』は後期に属す作品と思われる。二時過ぎモスへ。ひさしぶりにフィッシュバーガーを食べた。フレッシュバーガーとの聞き間違え防止のため、「お魚のフィッシュバーガーですね」と店員がいうところがよい。でもどうしてあんなに主婦はうるさいんだ。拡声器でもついてるのか喉に。それとも昼間から酒でも飲んでるのか。なんでもアルコールに変換機能でもついてるのか喉に。

夜、駅にグリコさんを迎えに行き夕ごはん。いろいろ悩んだがココイチ。何度もいうようだが、ってまだいってないかもしれないが、ココイチはパロディとしてのカレー屋だ。科学戦隊ものに出てくるカレー屋なのだ。あのカレー好きの「イエロー」のためのカレー屋。だから毎日食べられるように、バラエティに富んでいるのだし、それほどくどくなくしてあるのだ。というわけで、野菜カレーを食べた。
明け方、『妊娠カレンダー』読み終わる。

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雨の野音

2004 05,16,Sunday

昼、ナポリタンを作ってもらったので写真に撮る。雨の中、自転車でいつもとは違う駅へ。地下鉄の駅にはじめて自転車に乗って行ったので、どこに自転車を駐めればいいのだろう、と思いながら駅へ到着。駅の階段の周囲になんとなくみんな駐めているようだったので、それに倣って駐めることにする。三田線で日比谷へ。野音でピーズのライヴを聴くため。はじめて乗った三田線の車内で、隣に座った老人に始終話しかけられるというアクシデント発生。アクシデントというほどでもないが。いちばんはじめの方に老人がしゃべったはずの、会話のもっとも前提となる部分を聞き漏らしたため、意味が不明瞭な部分が多かったが、こちらの返答に対しての反応は、それがどのようなものであれ薄かったので適当な相づちを打つことに終始する。ぼくの推測では、その老人はどこかのダンス教室に通っていて今はその帰りである。ダンス教室には若い人たちが大勢おり、特に若い女性、しかも大学生が多い。自分は女性を顔で選ぶタイプではない。最近の若い女性はきれいな人が多いが、だからといってじろじろ見るわけにはいかないし、じろじろ見ていることがわかれば当然女性だっていい気持ちはしないだろう。あるいはその老人はどこかの予備校の名誉校長かなにかで、今日は生徒たちの前でガイダンスを行った。自分の努めるその予備校からは東大や早稲田や慶応にそれぞれ何人入学するのだ、ということの事細かなデータの披瀝。自分は法学部出身で、教師の資格も持っている。六法全書というものは、新しい版のものを使わなければ意味がない、自分はテストの時に古いものを使って大失敗をした、等々。だが、ぼくは頭からその老人は酔っぱらっている、と決めてかかっていたため、話を聞きながら「早く電車を降りてくれないかなあ」「どうしてはじめて乗った電車でこんな目に遭うんだろう」「もうほんとどうでもいい」とかしか思えず、途中で開き直って「どうやらこれはやり過ごすことができそうにないし長引きそうだ」「よし話を聴こう」と決意したときにはもうすでに話が致命的によくわからなくなっていたのだった。最初からちゃんと聴いておけばよかった……。

そんなこんなで日比谷で下車。日比谷駅周辺は、昔ここらへんで道に迷ったことがある、というような景色で、だからおそらく昔ここらへんでぼくは道に迷ったことがあるに違いない。「日比谷公園」といえば吉田修一の『パークライフ』なので、『パークライフ』っぽいような景色を探して歩いたが、雨が降っていたし、『パークライフ』の「日比谷公園」の描写もうろ覚えなので、さっさと会場を目指す。途中でなにか催し物が催されていた。アフリカ各国の物産展といった感じか。というわけで野音の前に到着。すかさずビールを買う。ビールを飲み終わるころKさんを発見。開演15分前なので会場に入ろうとしたところでKさん発見。あ、二人ともKさんですね。チェアマンはまだ来ないが先に入ることに。しばらくしてチェアマン来る。はじめから終わりまでしとしとと降り続ける雨の中でのライヴ。野音ははじめて来たが、一度くらいは雨の野音というものを経験したいと思っていないわけでもなかったので、よかったです。ピーズはあんまり聴いたことがなかったけど、もうそれが音楽でありさえすればわからないことなどなにひとつないし、わからなくったってかまわないくらいだし、そもそも音楽をわかるってどういうことかわからないくらいなので、音楽ってほんとすばらしいですね。なんだか隣にいる人たちと手をつなぎたくなるような感じでした。つなぎはしませんでしたが。さんざん悩みレインコートを買わなかったが、思ったよりも服は濡れていなかったのでよかったです。雨に濡れるとかなりの高確率で風邪を引くオレだが大丈夫だろうか。ライヴ終了後は居酒屋へ。飲むことに。然るべき時間になったので帰宅。指令通りカップヌードルを買って帰り、帰ってから食べた。

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お好み焼きというものは、そうそう何枚も食べられるものではない

2004 05,06,Thursday

朝起きて、昨日すでに知っていたがそのまま放置しておいたグリの吐いたやつを片づける。もう一カ所吐いてるんだがそれは放置。マフラーの上に吐きやがって。オレの小沢健二のビデオの上に吐きやがって。こないだ買ってきたグリのえさがなんだか味が変わったらしく、店の人はおいしくなったとかいっていたが、グリは繊細なので食べてないみたいだ。心配だ。ブロスのこともあるし、また尿道結石になんなきゃいいんだけど。DCPRGのライヴビデオを観る。2時ごろマックに行き日記を書いていたらあっというまに3時半になっていて、あわてて電車に乗る。渋谷へ。井の頭線で駒場東大前へ。あいかわらずの混雑ぶり。教室の前に列を作ってるので、知らない人が見たら何事かと思うだろう。今日はプレモダンの話。モダンを宣言したことにより副次的に生まれることになったプレモダンという区分の、モダンが切り捨ててしまった豊穣さについて。つまり文学でいえば、樋口一葉だな、たぶん。今日はたくさんのジャズを聴いた。ジャズ喫茶みたいだ。今度は飲み物を持って行くことにしよう。講義が終わり池袋でグリコと待ち合わせ。の前にリブロで菊地成孔『スペインの宇宙食』。グリコがやってくるのが見えた。ミッチーといっしょに。ミッチーはグリコの幼なじみで、今日は偶然会ったそうだ。勤め先の最寄り駅が同じだということが判明したらしい。二人はお互いにそのことを知らなかった。ものすごく家が近い、という友だちはたぶん二種類に分かれる。常に行動をともにするような、家の近さが身体的な距離に還元される友だちと、いつでも会えるという心理的な距離感を離れていながらも保ち続けられる友だちとに。彼女たちはもっぱら後者のタイプだろう。ミッチーは派遣社員であり、そう長くはないスパンでちょこちょこと勤め先が変わる。だからグリコは知らなかったわけだ。そしてグリコが今の会社のある場所に通うようになったのはごくごく最近のことなのだから、ミッチーもそのことは知らなかった。彼女たちはお互いに、どうしてこの駅にいるのだろう、と思ったといった。そりゃそうだ。こんなに広く、こんなにたくさん駅があるのにもかかわらず、幼なじみがそこにいるんだから。そういうことが起きたり、そういうことが起きたという話を聞くと、なんだか涙が出そうになってしまうのはどうしてなんだろう。都市という極めて匿名的な空間の中では、当たり前のことだが、ぼくたちの本当の名前は剥奪されている。いやいや、そんなに大げさなことをいってるんじゃないよ。ぼくはたとえば山手線の車内で隣り合った会社員とおぼしき男性の名前を知らない。それは向こうだって同じだ。彼はぼくの名前を知らない。そうじゃなきゃ、大変だ。それは都市に入るための儀式で、一人一人が名前を持ったまま、このような都市を形成するなんてことは不可能だ。いちいち挨拶するわけにはいかないからだ。路上は、立ち止まって挨拶する人だらけになってしまうに違いない。それじゃあ極めて効率が悪い。名前は実はなんだっていい。同じ審級に属していることが重要なのだ。だから厳密にいえば都市においてぼくたちは名前を剥奪されているわけではない。名付け直されているのだ。たとえば「人の群れ」とか、「人波」とか「サラリーマン」とか「OL」とかに。ぼくたちはそれでもぜんぜん平気だ。というか、都合がいいことの方がむしろ多いくらいだ。抽象化によって「私」の濃度は薄まり、よほどのことがない限り、みんな穏やかにとまではいわないまでも、きわめて円滑に事を運ぶことが可能だ。だが本当だろうか。「私」はむしろそのような場からの疎外としてのみ感受されるものではないのか。「本当の私」とか「近代的自我」とかいうやつだ。これは内面というものが風景描写によって成立していったことと同じだ。本当はそんなものは存在しない、という意味で。存在しないものを中心として存在するという両義的な存在様式に則った「私」は、だから現実との齟齬を起こしやすい。だが時として、都市の中で、稀にぼくたちは知っている名前に遭遇する。そこでは知っている名前は、まるで自分の一部分みたいだ。かつて失われ、もう忘れていた機能の一部がみるみる回復するかのようだ。誰かを知っている、ということは単に名前を知っているということでも顔を知っているということでもない。自分が知っているということを相手が知っているということを知っているということだ。そのことがどうして喜びなのだろう。喜び、というか、なにかノスタルジックな感動を呼び起こしさえする。コミュニケーションの本質は、偶然の出会い、ということと大いに関係があるに違いない。ぼくたちの話すことは、ほとんど偶然発せられて、ほとんど偶然理解される、されたように感じられる。なんだかよくわからなくなってきたな。

そんなわけで、ほとんど邪魔者感すら漂うぼくを交えてごはんを食べに行くことに。グリコが最近北口にお好み焼き屋ができたという情報を入手しており北口へ行ったものの、場所がわからない。iモードで調べたりしているので、ぼくはその辺を歩き回ってとりあえずお好み焼き屋を発見する。探していたお好み焼き屋ではなかったが、なんだってかまわない。なにを食べたってよかったんだし、それがお好み焼きでありさえすればそれで十分だ。ビールを飲む。まだ旅行の続きのような気分だ。そして毎日旅行しているように生活できたらいいなと思う。ミッチーは会うたんびに違う恋をしているな。そしてお好み焼きというものは、そうそう何枚も食べられるものではない。

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戦場カメラマン

2004 05,02,Sunday

昼ご飯にナポリタンを作ってもらう。おいしい。夜、うどんを茹でてもらう。おいしい。麺類しか食べてない気がする。後はものすごくたくさん寝た。自分でもどうしてだかわからない。そういえば、夜、隣の部屋からグリの叫び声が聞こえ、それは今日もブロスがやってきたことを意味しているはずで、いそいで駆けつけると、案の定ブロスとの睨み合いがすでに始まっていたのだった。ブロスの行動は前回よりもさらにエスカレートしており、今日はなんと窓ガラスに体当たりまでしてきた。こんな猫、見たことない。グリは窓ガラスに体当たりされるたびに悲鳴みたいな声を上げていた。グリコさんがブロスとの格闘シーンをカメラに納めていて、その姿はさながら戦場カメラマンのようであった。

深夜、ホテルの予約画面をプリントアウトしなければいけないことに気づき、あわててプリンタのドライバをインストール。CD-ROMが見つからずこれがダウンロードだけで一時間もかかる、とパソコンにいわれたので、ダウンロードしっぱなしで寝た。インストールは明日しよう。

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ネコけんか

2004 04,30,Friday

午前中、庭の方から変な鳴き声がしたので、グリといっしょに窓から外をうかがう。が、はじめはなにも見えず、どこかで犬が鳴いたのだと思っていたが、グリが窓辺から離れないので、よくよく見てみると、白黒の猫が窓の真下、家の壁の近くで眠っていたのだった。ときどき寝ながらも猫じゃないみたいな声を上げるので、グリは震えていて、でも、これはどうしてかはわからないが、まるで監視するかのようにグリは窓のそばを離れようとはしない。やがて白黒の猫は起きあがり、出窓の裏のエアコンの室外機の上に移動し、それに合わせてグリも移動し、それを見るためにぼくも移動した。グリはとても興奮していて、その猫に対してしきりにおしっこに砂をかけるときのような動作を繰り返す。向こうは威嚇するみたいに身体を伸ばして窓ガラスに顔を近づけてきた。それに合わせてものすごい声でグリが鳴く。今までに聞いたことないほど大きな声だ。ガラス越しなんだから大丈夫じゃんかと思うが、グリは相当びびっているみたいで身体が震えている。でも逃げようとはしない。その姿がなんとなくおかしい。別に無視すりゃいいのにね。窓ガラス越しに睨み合いが続くが、向こうは堂々としていて、威厳さえ感じられる。「なにおまえ。部屋の中で飼われてんの?」といってるみたいな感じ。ぼくがガラスをたたいても、ぜんぜん逃げようとはしなかった。すると今度はブロスは(そのへんで「ブロス」と名付けた)は隣の部屋の方の室外機に移動し、それに合わせてグリも移動。ぼくも移動。ここでも睨み合いが続く。ブロスがものすごいふてぶてしい顔でグリを睨みつけるので、ちょっとグリが可哀想になり、ドンと大きく窓をたたくと、室外機から飛び降りて今度は庭の土の上に寝ころんだ。それでもなんとなくこっちを睨みつけているようで、その対象はグリだけにとどまらず、ぼくの方にも向けられているように感じられるのだった。「おまえら、そんな箱の中でなにやってんの?」。そのへんで、もうぼくはブロスにそれほど興味がなくなって、ネコけんかを見るのはやめてしまった。気がつくとグリは床の上に、一仕事終えたといった感じに寝そべって、いかにも自分が悪い猫からこの家を救ったのだ、といわんばかりだった。

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かわりに肉球を

2004 04,29,Thursday

最近は夜二時間くらい寝て、早朝というか深夜というか3時半とか4時とかに起きる生活。それで昼すぎから夕方までまた眠るというリズム。なんだこのリズム。なので今日もいろいろ出かけるはずだったがどこにも行けず。リズムのせいにするこのスタンス。オノ・ヨーコ展とか草間彌生展とか、キル・ビル2とかロスト・イン・トランスレーションとかCASSHERNとか。ほかにも考えうるさまざまな選択肢を蹴り、眠る。いいじゃん別に。そして起きてるときはほぼずっとテクノを聴いている。周期的にテクノを聴く時期がやってくるな。これは現実逃避っぽい。長嶋有さんの『ジャージの二人』再読。この人に芥川賞をあげたのは大正解だったのになと思う。のにな。というのはその後の芥川賞受賞者の影にすっぽり隠れてしまった感があるからだが、というかすっぽり隠れているのだが、むしろそれはいいことなのかもしれないなとも。なんかこう、漫画みたいに何回も読みたくなる小説。あんまりない。というか今までにあったかな。

ピピッっという電子音が響き、部屋のドアの外に猫がやって来たことを告げる。この家では電話の親機がそのような場所にあり、猫がそこにぴょんとのぼると音が鳴り、それが部屋に入りたいことの合図となる。ときには留守電のボタンを踏み、「メッセージは、ありません」というきわめてパフォーマティヴなメッセージを発生させる猫のグリは、ドアを開けた瞬間からじゃれてきて、あぐらをかいて座るぼくの膝(というか腿)の上で、今度は電子音ではなく喉を鳴らし続け、回転数をゆっくり落とすようにしてやがて静かになり、いま、まるくなって眠っている。ということは寒いわけだ、この朝は。ぼくは、自分に対して猫がごろごろいってくれる時が来るなんて、小さいころからあきらめていたこどもだったことを思い出す。それにしても猫はあったかい。トイレに行きたいけど行けない。かわりに肉球を触らせてもらう。大学のころ、ベンチに座るぼくに座る猫のせいで、講義をさぼったことを思い出す。それはさぼりたかっただけだろ。眠っているところを起こすのはなんだか許されないことのような気がしてしまう。猫であれ、人であれ。

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タワレコからHMVへ

2004 04,28,Wednesday

昼頃起きて、なにをするでもなく。夕方マックに行き、なにをするでもなく。いや、ほんとはなにかとしているはずなんですが、なにをしていたかというとはっきりとはいえない、というようなことをしていたわけですね。というかそういうことの方が多いわけですが。ぼくの場合。そう、Webの日記を読んでいてすごいなと思うとこは、固有名詞ですね。すごく固有名詞が多く、それだけでもう充実した人生みたいに見えます。固有名詞に彩られた彼/彼女たちの華やかなる人生。という感じがします。

池袋でグリコさんと待ち合わせ。新幹線のチケットを買うため。グリコさんが眼鏡を買っているあいだ、店員さんが気を利かせて持ってきてくれた雑誌をきわめて詳細に読むことにしたが、それでも読み終わってしまった。眼鏡買うのってけっこう時間かかるんですね。あの、検査みたいなやつ。HMVで石野卓球『TITLE#2+#3』、DCPRG『REPORT FROM IRON MOUNTAIN』、Joseph Nothing『Dreamland Idle Orchestra』。HMVのポイントが48個になり、これでやっとタワレコからの移行ができたという気がします。夕食はティーヌン。エビのカレー炒めのせごはんを食べました。それにしてもアジア料理店は女子だらけだ。この事実は一考に値すると思われる。帰りにコンビニでファンタのゴールデングレープを買う。これは昭和50年に発売していたやつの復刻だそう。飲んだことないはずと思って、飲んでみたら飲んだことあるような気がしたのですが、確かめようがありません。作ってる方も、どうやって昔と同じ味にするんでしょうか。一回、販売ラインから退いた商品を再び商品化するときって。資料でも残っているのでしょうか。それとも誰かの記憶なのかな。そんなわけないか。

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クラリネット壊しちゃった

2004 04,27,Tuesday

昼頃起きてシャワーを浴びる。Yくんはまだ眠っていたみたいだった。映画を観に渋谷へ。

山手線で、こないだ酔って帰ったときのことをなにか思い出せるんじゃないかと思ったが、やっぱりなにも思い出せず。外はものすごい風。二回ほどビニール傘がおちょこになってしまう。すごいひさしぶりでなんだか恥ずかしい。スカートが風でめくれたらこんな感じの恥ずかしさなのかなと思いましたがどうですか。もっと恥ずかしいか。路上のいたるところにビニール傘の残骸が放置され、そのもの哀しさったらない。渋谷のティーヌンでトムヤムラーメンを食べ、109のぴあでチケット購入し、シネクイントへ。今日観るのは『ドラムライン』。予告のあいだに猛烈に眠くなり、映画が始まるころにはほとんど眠っていたが、話が進むにつれて目が覚めてきたので、おもしろいということなのだと思いました。でもちょっと戦意高揚映画臭がする気もします。終了後、ブックファーストの上にある「ブッツ・トリック・バー」というところで飲む。店内は不自然なほど広く、中央に巨大な仏像が置いてあり、照明がかなり暗い。最近の飲み屋は暗すぎるこれじゃ本が読めないよ、とYくんにいったが、Yくんがなんといったかは忘れてしまいました。なんだかすべて忘れてしまうね。店員同士がなんだかわけのわからない暗号のようなものを使ってコミュニケートしてるので、それを解読したかったがさっぱりわかりませんでした。深夜にまたもや冷やしたぬきを食べ、『群像』に載ってる舞城王太郎の『パッキャラ魔道』読了。本当は「パッキャマラード」だってよ。「クラリネット壊しちゃった」の話ね。寝たのは朝の9時ごろでしょうか。

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弱った胃に、豚肉の

2004 04,26,Monday

昼頃、出社するグリコさんとCoCo壱番屋でお昼ごはん。ゴロゴロポークカレー。弱った胃に、豚肉の脂身がきつかった。グリコさんを駅で見送り、家に帰り、いつのまにかもう一眠りしていた。夕方、Yくんから電話があり、今日泊めてほしいとのこと。8時半ごろ駅にグリコさんを迎えに行き、半額の「ちよだ鮨」を買って帰る。「愛し君へ」観る。「あいのり」を観つつうとうとしていると、やっとYくんから連絡があり、池袋に着いたとのこと。駅まで迎えに行く。いつのまにか雨が降ったみたいで、アスファルトが雨に濡れたときの匂いがした。Yくん、新宿で飲んでいたらしい。グリコさんがYくんに一昨日の話を詳しく聞かせ、再び猛省する。明け方に冷やしたぬきを食べ、柴崎友香の『ショートカット』読了。「ポラロイド」という短編では、新宿で飲んでいた男女が急にこれからどこかへ行こうよという話になり、なんとなく行き先が仙台に決まり、上野まで行ったものの二時間前に仙台へ行く列車は終了したと駅員に告げられる、という挿話があり、ゴールデンウィークにわれわれが旅行する場所が仙台であることと、なんとなくシンクロしたのだったが、もちろんこれはただの偶然というものであり、しかしながら、柴崎友香の書く小説とのシンクロ率が何気なく高いことにちょっとした感動さえ覚えたのだった。そんな早朝7時。就寝。

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帰宅をめぐる冒険

2004 04,25,Sunday

夕方くらいまで断続的に眠る。ひさしぶりの二日酔い。夕方、帰宅にまつわる一部始終(「帰宅をめぐる冒険」)をグリコさんから聴かされ、ひどく反省する。今回はちょっと本当にやばいなと自分でも思いました。しばらくお酒は控えようと思います。だって死ぬかもしれないですよ、これじゃ、いつか、尾崎豊みたいにどっかの家の庭で。というか今日、命日だし。危ねえ。

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泥酔

2004 04,24,Saturday

6時半に中野富士見町でNさんと待ち合わせ。珍しく10分前に着いたが、Nさん、もう来ていらした。駅からすぐ近くにあるお店でごちそうになる。ビールをたくさん飲んだ。いろいろな話をする。その後、店を移動。ここでは主にウーロン割りを飲んだ。Nさん、飲み過ぎということで先に帰られる。電車がなくなったのでタクシーで帰るつもりだったが、他のお客さんといっしょになぜかクラブに行くことになり、ついて行くが、もうこの辺から記憶がない。東高円寺周辺のそのクラブから、帰るのに2時間くらいかかったらしい。ふつうなら30分くらいなのに。

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すばらしい方向感覚

2004 04,17,Saturday

昼頃起きて、すぐ出かける準備をする。グリコさんは早々と起きてもう準備していた。三時に「新秋津」という約束。どんな約束であれ、約束の時間にはいつも遅刻するわれわれなので、今日は早めに家を出ようということに決めていた。一時過ぎには家を出て、お昼ごはんをバーミヤンで食べる。ぼくは炒飯。グリコさんは皿うどん。ちょっとずつ交換する。二人ともバーミヤンではそれしか食べないのです。ドリンク・バーなど一度も頼んだことがないわれわれだ。東上線で朝霞台まで。朝霞台でJRに乗り換え。武蔵野線の駅名は北朝霞。いつもどっちがどっちだかわからなくなってしまうので、なにか覚えるのにいい方法はないですか。新秋津に着いたのは2時45分。早く着いても別にすることはない。駅前をぶらぶらする。本屋で「群像」を買おうかと思うが売ってない。友だちは新秋津から少し歩いたところにある西武線の秋津駅に迎えに来てくれているとのことなので、そちらへ移動。赤ちゃんかわいい。ベビーカーに乗せられて、気持ちよさそうだ。なんともうらやましい限り。それから友だちの家へ。訪れるのは二回目。前回はタンクという犬に吠えられたのだが、今回もまた玄関でしこたま吠えられつつおじゃまする。赤ちゃんの写真、いっぱい撮る。不思議とぼくだけ赤ちゃんにものすごい見つめられる。買ってきたケーキを食べたり写真を見せてもらったりしているうちに、タンク、めちゃくちゃなつくようになった。あんなに吠えてたのが嘘みたいだ。暗くなって道がわからなくなる前に引き上げることにする。タンク、もっと遊んで欲しそうだったがしょうがない。帰り道、グリコさんの好きなように歩かせる。ぼくも人のことはいえないくらい方向音痴なのだが、彼女はあいかわらずすばらしい方向感覚の持ち主で、いったいどうしたらそこを左に曲がろうと思うのか、理解に苦しむほどであった。まさかもう一度友人の家を訪れようというわけではあるまい。結局はちゃんと着きましたけどね。北朝霞/朝霞台駅前の大戸屋で夕ご飯を食べ、ブックオフでよしもとばなな『王国―その2、痛み、失われたものの影、そして魔法』を買い、ミスタードーナツでドーナツを買って帰る。

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ありがてえ

2004 04,16,Friday

夜、池袋で待ち合わせ。リブロで高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』を買う。持ってるが一応。真っ先に「あとがき」と内田樹による解説を読む。予想よりもグリコさんが遅いのでプロントでビールを飲んでいて、二杯目を飲もうかさんざん迷って注文したとたんに「池袋に着いた」と電話でいわれる。いそいで飲み干し東武へ。明日、最近こどもが生まれた、というかこどもを産んだ大学のときの友だちの女の子の家を訪問するので、そのプレゼントを買うため。最近の子供服はおしゃれなもんですね。自分はどんな子供服を着せられていたのでしょうか。小さくてかわいらしい服と小さなよだれかけと小さなサルの人形を買いました。その後、「ありが亭」に焼き肉を食べに行く。「ありが亭」が「ありがてえ」(ありがたい)だということにはじめて気づいたといったら笑われた……。

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本郷三丁目

2004 04,15,Thursday

明け方、『サブカルチャー文学論』読み終わる。夜、本郷三丁目で待ち合わせ。グリコさんがチェアマンに野球のチケットを渡すということなので、ついでに飲むことになったのだった。なぜか一睡もしていなかったのと、一日何も食べていなかったので、すぐに酔っぱらう。オフィス街にある焼鳥屋さんはちょっと高かったですが、おいしかったです。あと今日は東大に菊地成孔さんの講義聴きに行くつもりだったがなんとなく断念。来週は行こうと思います。

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ヒミズ/シガテラ

2004 04,13,Tuesday

夜まで何も食べず。九時過ぎに松屋で「デミたまハンバーグ定食」。すごいしょっぱい。すごいしょっぱくないですか?すごいしょっぱい。ごはんが進みます。進まざるを得ない。

『ヒミズ』は「火・水」かと思っていたがモグラのことで、『シガテラ』は「〜しがてら」かと思っていたが毒のことでした。調べたら。そんなの周知の事実ですか。

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返す刀

2004 04,12,Monday

コーディングの仕事だいたい終わる。夕方、一日なにも食べていなかったので食べにでる。外に。どこに行こうか迷ってしまう。とりあえず落ち着くために古本屋に入る。古谷実『ヒミズ』全巻と『シガテラ』の1巻を見つけた。全部で1100円だったはずだが、1000円におまけしてくれる。ラッキー。返す刀で(って使い方はもちろん間違いだが)近くの古本屋ではない本屋で『シガテラ』の2巻を買う。どうやら最近出たみたい。平積みだったものね。昔はいつどんなコミックスが出るのかほぼ把握していたものだったのにな。返す刀で(って使い方はもちろん間違いだが)ココイチに行く。チキンカツカレーを食べる。家に帰り、ウイスキーを飲みながら買ってきた漫画を全部一気に読みつつウイスキーを飲み干し、漫画を読み干した。という言葉はないかもしれないが。『ヒミズ』も『シガテラ』もだいたい読んでいたのだが、続けて読むとやっぱり違いますね。そういえば、女の子のwebの日記を読み、「女の子たちの人生はなんて忙しく充実しているのだろう。それに比べておいらの人生はなんと忙しくないのだ、これは負け組というやつだ」と思い、なんだか哀しくなった。この日記もやめてしまおうかと思う。

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冷やしたぬきの季節

2004 04,09,Friday

とか言っていたのに、夜中にお腹が痛くなり、何度もトイレに行く羽目になった。それがつけ麺のせいなのかどうかわからないが、もうしばらくそこでは食べたくないなという気持ちになるもんです。夕方、コンビニに行き肉まんと冷やしたぬき。とうとう冷やしたぬきの季節が来た。夜「とり鉄」。

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一杯無料

2004 04,08,Thursday

コーディングの仕事しはじめる。5ページほどやって今日はおしまい。昼は松屋の豚めしで、半券が三枚たまったので一杯無料になるわけだが、ぜんぜん嬉しさみたいなものはないのはなぜだろう。古本屋でマックス・リュティの『昔話の本質』買う。ファミマでパンを買って帰る。毎日ファミマでバイトしてる女の子はたぶん関西出身で、こないだ耳鼻科に来ていた子だと思う。だからどうというわけではないのだが。夜、まだ行ったことのないラーメン屋ににつけ麺を食べに行く。グリコさんは二度と食べたくないと言っていたが、ぼくは別にときどきなら食べてもいいかなと思いました。

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すごい。天才。

2004 04,05,Monday

宇多田ヒカルをずっと聴いていた。今までちゃんと聴いてなかったようだ。すごい。天才。何をいまさらといわれそうですが。ライカさんに教わったサイトから「下載」して聴いていたが、なんだか申し訳ないので明日CDを買ってこようと思います(中古で、ですが)。ところで無線LANをついに導入。思っていたよりも簡単に設定できて、もっと早く買えば良かったなと思いました。

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お花見

2004 04,03,Saturday

八時に起きる。快晴。目覚めていきなり柴崎友香『青空感傷ツアー』を読みはじめる。PCで高木正勝の曲を聴きながらぶっ続けで読み終ると、ちょうど音楽が終わった。PCに入っている高木正勝の曲は35曲で、ぴったり2時間だった。何だか気持ち悪いような、すごいことのような気がしたけど、たいした意味はありませんね。お花見をするため1時に千歳船橋で待ち合わせ。いつもどおり15分ほど遅刻する。バスに乗って砧公園へ。ライカさん、お弁当を作ってきてくれる。どれもおいしかったです。かなり酔っぱらい、ほとんど記憶がありませんが、その後、引っ越したばかりのチェアマンの部屋に移動。かなり広い。けど、あんまり覚えてない……。写真を見たら部屋の中で傘をさしていましたが、いったい何をしていたのでしょうか。終電に間に合う時間にチェアマンの家を出ましたが、途中でトイレに行ったので終電を逃しタクシーで帰宅後トイレで吐き就寝。

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確実に春が

2004 03,27,Saturday

朝、ひさしぶりに外が明るく、一瞬、一時間くらい寝坊したかと思い焦る。バイト後、グリコさんと池袋で待ち合わせ。公園に行き、桜など見る。まだ満開にはほど遠く、桜のモコモコ感が出ていない、と意見が一致する。なぜか菜の花の写真をたくさん撮った。公園にはホームレスの人たちか、あるいはホームレスみたいに見える人たちが大勢いて、その中には宴会中の花見客を頼まれてもいないのに盛り上げようとする「宴会おじさん」がいた。そのほかにも「公園散髪おじさん」や「奇妙な踊り集団」などがいて、その小さな公園には確実に春が訪れていると思われた。その後、「屯ちん」でつけ麺大盛りを食べ、ジュンク堂で大塚英志『サブカルチャー文学論』、柴崎友香『青空感傷ツアー』、吉本隆明『言語にとって美とはなにか?』、および『?』を買う。『言語にとって……』は卒論の時に図書館で借りて読んだが再読したかったため。一万円分本を買うつもりだったが、結局びびって六千円分くらいしか買いませんでした。貧乏性ですね。疲れたのでジュンク堂の隣のスターバックスでコーヒーを飲む。ソファの席に座り、長時間本を読んだ。東武のD&Dでデコポンスープゼリーを買う。これは扁桃腺炎になったときに買ってきてもらったもので、元気なときに飲んだ方がおいしいに違いないので、今日はそれを試そうというつもりだった。ところが家に帰ってから急に具合が悪くなってしまい、結局、目的を果たせず。ひどい寒気。たぶん熱があると思う。それにしても今年は体調がよくない。夜中に目が覚めたときにデコポンスープゼリーを飲みましたが、それでもやっぱりおしいかったです。

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きょうのできごと

2004 03,25,Thursday

ブックオフでウンベルト・エーコー『エーコーの文体練習』を買う。夜は「とり鉄」。またしても、焼き鳥12本の壁を越えられず。帰ってからも焼酎、ウイスキーなど飲む。『きょうのできごと』読了。奇しくも作中の日付と同じ日に読んでいた。

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とんかつとは別の料理

2004 03,24,Wednesday

5時半起床。二日に一回は目覚ましより先に起きる。午後から雨が降るという天気予報のため、傘を持って外に出た。実は、外出する時点で雨が降っていないときには傘を持たない、というしばりを長きにわたって実行してきたが、最近やめた。なんとなく。

T・R・ピアソンの『甘美なる来世へ』をバイトの休憩時間に読んでいる、と前に書いたが、実はほとんど進んでいなかった。が、今日、ふたたび頭から読み直し始めたら、ぜんぜん読みづらくなく、大変おもしろい。今までは何がいけなかったのか、さっぱりわからない。でも、小説って、こういうこと多くないですか? 突然、どんどん読めるようになったり。不思議ですね。

HMVで石野卓球「TITLE#1」とパードン木村「SILLY WAKE」。旭屋書店で柴崎友香『きょうのできごと』。柴崎友香の本をいつも買おう買おうと思ってきたが、いつも本屋で名前を思い出せず、今日まで買うことができなかった。今日、やっと平積みになっているところを発見する。とんかつ「いなば」で、なんと2200円の「とろロースかつ定食」を食べる。文字通りとろとろで、なんだかとんかつとは別の料理みたいでした。

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資本主義のせい

2004 03,22,Monday

雨。夜中の三時まで、再放送の「ライフ・イズ・ビューティフル」観てしまう。違うや。「ビューティフルライフ」か。次の日バイトなんだが。キムタクの髪型が、もうすでになんとなく変に見えた。資本主義のせいだ。

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昨日よりも元気に

2004 03,05,Friday

なんだかもうほとんど治ったような気がする。ふだんまったく薬などを飲まないのでよく効くのだろうか。たぶん、抗生物質を飲んだのははじめてだ。そりゃ効くはずだ。でも熱をはかったらまだ七度ちょっとあった……。事務所に電話して、明日と念のため月曜日を休みにしてもらう。岡崎京子『僕たちは何だかすべて忘れてしまうね』を読む。CoCo壱番屋デリバリーしてもらう。三月からデリバリー始めたようだ。今日もDessert&Deliのデコポン・スープ・ゼリーを買ってきてもらい、食後に飲んだ。昨日よりも元気になっているので、やっぱり昨日よりもおいしかったです。

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マシンガンなんて持ってるわけがない

2004 03,04,Thursday

近所の耳鼻科へ。病院に足を踏み入れるのは実にひさしぶりのこと。10時前に着いたのにぼくよりも前に12人もいた。びっくり。1時間20分待たされる。マシンガンを持っていたら、全員撃ち殺していたと思う。でもマシンガンなんて持ってるわけがない。ので黙って待つしかない。予想通り扁桃腺炎ということでした。

ゼリーやらヨーグルトやらを買い込み、帰宅。小沢健二のライブビデオ「VILLAGE」をひさしぶりに観た。「戦場のボーイズ・ライフ」で泣いてしまう。グリコさん、Dessert&Deliのデコポン・スープ・ゼリーを買ってきてくれる。おいしい。たぶん、元気なときに飲んだらもっとおいしいんだろうな。深夜、長嶋茂雄が脳卒中で入院とのニュース速報流れ、びっくりする。

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カラカラしたしゃべり方

2004 03,03,Wednesday

いよいよ喉、やばくなってきた。ほとんどしゃべれない。「カラカラしたしゃべり方になっている」と指摘される。明日、病院に行くことにした。熱も三十八度を超えてきた。一日中、ベッドで本を読む。大塚英志の『「おたく」の精神史』を読了。こりゃ『サブカルチャー文学論』も読まなきゃいけないな。

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無限の果てには

2004 03,02,Tuesday

バイト、休ませてもらう。朝一で事務所に電話するが、人員はぎりぎりとのことで、とりあえず家を出て事務所へ向かう。池袋までいったところで電話があり、休め、といわれる。はい、と答える。即、引き返し、一日中寝ていた。夜、帰宅したグリコさんに雑炊作ってもらう。『無限の果てに何があるのか』をちょっとずつ読む。無限の果てには何があるんだろうな。

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雪の降らなかった二月

2004 03,01,Monday

朝からのど飴をなめまくる。二月はあったかかったですねえ、雪降りませんでしたねえ、とか車の中で話していたら雪が降りはじめた。ちなみに雪の降らなかった二月は三十年ぶりのことらしいです。三月になった途端に降ったので、まるで記録を塗り替えようとしたかのようだ。

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新宿で朝まで飲まない

2004 02,28,Saturday

バイト。今日も休むのかと思ったとHさんにいわれる。休んでもよかったみたいだ。もっと早くいって欲しい。喉が痛い。バイト終了後、荻窪で時間をつぶす。坂本龍一「CHASM」をブックオフで。その後、新宿へ。紀伊国屋で足立恒雄『無限の果てに何があるのか――現代数学への招待』。6時、高校からの友だちのHくんとGUCCIの前で待ち合わせ。飲む。割と早い時間に帰宅。新宿で朝まで飲まないのは実にひさしぶりな気がする。

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声が出ない

2004 02,27,Friday

バイト休む。朝起きれなかった。声が出ない。このバイトを休むのは実は初めて。麻原彰晃に死刑判決。ミュージックステーションに坂本龍一。ギター小山田圭吾、DJがムーグ山本ってすげえな。

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最後まで熱くならない

2004 02,26,Thursday

喉が痛い。腕時計をし忘れる。今してる腕時計をし忘れるのははじめてだ。六時過ぎにグリコさんと待ち合わせ。リブロで大塚英志の『「おたく」の精神史』と岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』。タワレコでスーパーカー「ANSWER」、それとずっと探してたけどなくてあきらめかけていた「ウラン」というDVDマガジンを買う。たぶん、再プレスしたのだろう。夕食は西武のお好み焼き屋で。この店は焼いたのを持ってきてくれて、鉄板で保温するのだが(自分で焼くのも可)、ついに最後まで熱くならない鉄板の上で、お好み焼きが冷えてゆくのをどうすることもできない(店員にいえばいいのだが)。夜、咳が止まらない。DCRRG(デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン)のライブをやっとDVDで観る。ノンストップ三時間らしいので、途中まで。

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三日連続ファーストフードはない

2004 02,25,Wednesday

喉が痛い。バイトは休み。グリコさんが出社したとたん、グリが甘えはじめます。この猫にはそういうところがあるのです。ひざの上でごろごろいってるのでしばらく動けません。そういうとき、動くのは猫に悪いような気がしてしまいませんか?猫を飼っている人ならわかることと思います。猫から解放され、なんとなく本棚にあった『美味しんぼ』を読みます。『美味しんぼ』、実はもう全巻読んだかもしれないのですが、何度読み返してもおもしろい。そんなグルメ漫画を読んでいるぼくですが三日連続でモスバーガーに行きました。さすがに今日はサラダセットにしますよ。ダイエットしなきゃいけないのに三日連続ファーストフードはないですよね。体重、思っていたよりも8キロもプラスだったのです。少し痩せなきゃいけません。

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洞窟の夢

1996 06,22,Saturday

洞窟の中で何かが起こる、ということを知って、僕は友達といっしょに暗闇の中で待っている。奥の方から何か音が聞こえて来る。音は徐々に大きくなり、近づいて来る。音の高まりと共にいきなり壁が音を立てて崩れ、夥しい数の何かが、どんどん外に向かって移動して来た。それは何か虫の群れのように見えるが、同時に十円玉のようにも見える。僕はポケットから十円玉を一枚取り出して、その群れの中へ落とす。昭和四十一年の十円玉。

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